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祝島日記(37)  山彦「桜の蔓切り」

 祝島は山桜が自慢できます。桜の木に巻き付いた蔓は桜の木を弱めます。
 山道を歩くとき桜の蔓を見かけると、出来るだけ切るように心がけていましたが、「桜の蔓切り」を今年は目標の一つにしました。蔓を10cm位ずつ切り取り、どのくらい貯まるかやってみようと思います。また、石垣の蔦や草を刈り取って石垣を少しでも見えるようにしたいともおもい、自分の畑や近辺の石垣などを少しずつやっています。島に畑などがある方は、帰ったときに、少しでも刈り取って、石垣をアピールするのもいいのではないかと思っています。石垣をきれいにするのはなかなか気持ちのいいものです。ただ夏は、蛇等がいるので、寒くなってから3月までの活動がおすすめです。やれるだけ(石の1つぶんだけでも)という気持ちなら、気楽に簡単に出来る活動だと思います。

写真は2月までに切り取った蔓の切れ端です。



<2004年2月17日 木村 力>
祝島日記(36) 「荒神様」

久しぶりの祝島日記です。
2004年の冬は例年より寒い日が多いようです。すでに2回ほど祝島が雪化粧をしました。
さて、2月8日に荒神山を歩き、「荒神様」の祠に出逢うことが出来ました。
氏本さんや、小川さんに大体の位置を伺い、探していたのです。
昭和51年に行われた神舞をもとに記録した「周防祝島の神舞行事」(山口県文化財愛護協会発行)によると、祝島の荒神は農神で狩猟にもかかわる性格を持っているそうです。
この祠は初めからあったわけではないようですが、神舞に最も関わりのあるのが荒神であり、三浦三軒の一つである氏本家が、正月には祠に〆縄を巻くなど、長く関わってきていたようです。
向かって左側の祠堂は戦後間もない頃、私の知っている氏本のおじいさんが据えたそうです。


<2004年2月8日 木村 力>
祝島日記(35) 「夏から秋にかけて」

夏から秋にかけて、ずっと祝島日記を休んでいました。
今年の夏は、珍しく山を何回か歩きました。
以前、柳井高校に勤めておられた南先生が来島され、植物観察会が2回行われました。それに同行し、祝島の植物についていろいろ伺いました。南先生は、40年くらい前から祝島の植物について調査されていて、来島回数は100回に上ると言うことです。今回の観察会で印象に残っているのは、カンコノキ(北野)とバリバリノキ(三浦)とバクチノキ(小祝島)です。観察会の後も数回歩いてみましたが、この3種類の木は観察会で見たところにしかお目にかかれないようです。これから祝島を歩いていて、どこかでひょいと出会えないかと楽しみです。

カンコノキ(北野)

 また、この夏、原発建設予定地の田ノ浦から祝島まで泳いでみました。今年の夏はいつもの年より風浪のある日が多かったのですが、泳いだ日も西風による白波がたち、なかなか手強い海でした。隣を秀人君が船で伴走してくれました。結局潮の流れも出て、エビゼ(ヨボシの沖の瀬)の横100m位の所で乗船しました。潮流の弱そうな時間帯を狙ったのですが、速力のない泳ぎには予想以上に潮流が厳しいと言うことを実感しました。

 秋には、島の子供達と小祝島のバクチノキ見学に行きました。バクチノキまでのおおまかな道筋が確認できました。バクチノキには大きなコッコー(ナシカズラ)の木が巻き付いていましたが、このコッコーの木は残念ながら枯れていました。その木から生まれたのでしょうか、直径数センチメートルのコッコーの木がすぐそばにありました。子供達が、いつかバクチノキ見学に案内することがあるのではないかなと想像しながらの小祝島行きでした。

バクチノキ(小祝島)

 同じく10月。宇部の菊川画廊で松田正平展があると言うことで、行って来ました。松田正平さんは、祝島の絵を多く描かれている高名な画家です。今回の展示会には祝島の絵はありませんでしたが、柳井港らしい風景が描かれたのがありました。私の静岡の友達は、松田正平さんの絵がものすごく気に入っていて、絵(画集)を見るごとにどんどん好きになっていく、と言っていました。松田正平さんの絵にはそういうところがあるようです。菊川画廊のご主人の、菊川さんが、私が祝島からやってきたという事で、松田正平さんの自宅まで連れて行ってくれました。写真も撮ってくれました。松田正平さんが懐かしそうに祝島の話をされていました。
 11月には松田正平後援会の岡本さんが来島されました。後援会の次回会報に祝島関連の記事を書くために来られたと言うことです。会報(3月発行)が楽しみです。

正平さんと
<2002年11月27日 木村 力>
祝島日記(34) 「小祝島道作り」

5月には小祝島に渡って頂上までの道作りをしました。
霧が深くなかなか渡れませんでした。霧の中を強行して、小祝島に着いたと思ったら、何とまた祝島に帰っていました。コンパスを息子に持たせて再度挑戦して、今度は無事着岸。上陸したとたん、息子がハミ(マムシ)を発見、頂上までの途中ではキクラゲも見つかり、二人で行くと、収穫も多くなります。
頂上では、昨年見つからなかった三角点が、今年はみつかりました。

霧の中を小祝島へ。

ハミ。腹の中にはネズミがいました。 大きなきくらげか゛ありました。

頂上の三角点。 霧が晴れての小祝島。道は左側のほぼ稜線あたりに作っています。

<2002年6月18日 木村 力>
祝島日記(33) 「ケグワの木」

 祝島には三浦の小田という所に県指定の天然記念物のケグワの木があります。養蚕に使う桑の木の仲間ですが、祝島にあるケグワと同じものはそれほど多くはないようです。交配によってだんだん本来のケグワは少なくなっているということです。祝島は離島であり、かつ養蚕をしていなかったのでケグワが多く残っているのでしょう。
 三浦のケグワの木は巨木(根回り3.9m)と言うことで県の天然記念物になっています。台風の被害などで指定を受けたときより、高さや枝の張りが小さくなっています。まわりの木が茂り日当たりが悪くなったことも原因ではないかと思います。まわりの木を少し切りました。
 小惣津にある桑の木も切りました。桑の研究をされている小山さんから、小惣津に桑の木があるとうかがっていたのですが、鳥が種を運んで来たのではないかと言うことです。13本ありました。(ケグワについての話も小山さんからうかがいました。)

小惣津にある桑の葉の裏 小田のケグワの葉の裏(毛があります)


天然記念物のケグワの木

<2002年4月27日 木村 力>
祝島日記(32) 「アゼノのコッコー」

3月24日シャクジからアゼノに上がってみました。
子供の頃にアゼノから北野の上の方に出たような記憶が残っているので行ってみました。
その頃、アゼノには、良く成るコッコーの木がありました。
この日はコッコーの木に出合いましたが、コッコーの実は確認できませんでした。
コッコーは蔓性の植物ですが、ここのコッコーの大きい部分は周囲40pくらいありました。 (コッコーについては「祝島ホームページ」からのリンク「徐福伝説」でどうぞ)
コッコーのあるところから北野に下りることもできました。

コッコーは岩のごろごろしたところに育っているような気がします。
三浦のが有名ですが、石丸ゴーヤ(岩屋口)にもあります。

石丸ゴーヤのコッコー
コッコーの芽が出ていました。去年の実も付いていました
<2002年3月26日 木村 力>
祝島日記(31) 「ケーブル」

祝島のてっぺんから尾根筋を歩いていると「ケーブル」に出合いました。 去年、近くを何回か通っていたのですが、草木に隠れていて気づきませんでした。 私の子供時代に活躍していたものです。
山本のおじさんに聞くと、「『西辻』のケーブルで、末永さんの家の近くに降りていたもの」と言うことです。 西方(にしがた)のケーブルです。何本かあったけど、多分これが一番長かったでしょう。


<2002年2月25日 木村 力>