◆祝島日記(21)〜(30)

 祝島日記(30) 「ゴーリン」

小学校の上の方の畑にゴーリンをおいているのを見かけました。
あるというのは聞いていたのですが、たまたま通りかかって気づきました。
河森さんの畑の端に置いてありました。
昔の墓だと言うことです。
「寺の門」の少し下で、「寺の門」と関係があるのでしょうか。


一番上の石は花崗岩だと思うのですが、雨に洗われてブツブツです。かなり長い年月を感じます。
<2002年2月5日 木村 力>
 祝島日記(29) 「2002年の山彦・海彦」

2002年になって初めて凪いだのは1月6日(日)でした。
午前中は山彦になり、惣津以(ソウヅイ 山の地名)に行って、炭窯作りに励みました。
親父から聞いていたやり方で作ってみようと思います。数年前に一度やってみたのですが、隙間があったようで、最後には灰になってしまいました。
今回はその窯を少し大きめにしています。


木を切って入れました。

午後は海彦になり、今年初めての釣りに出ました。
運良く、鯛、ハゲ、アジに巡り会えました。
アジの下側に白く見えるのは鯛の腹です。

1月初旬に凪いだ日は結局この日だけでした。
サエル漁の漁師さんは、少々の時化は漁に出ているようです。
8日の昼の便と夕方の便は暴風で「いわい」が欠航になりました。まれにみる大西風(オオニシ)でした。
<2002年1月9日 木村 力>
 祝島日記(28) 「船たで」

12月23日に久しぶりの「船たで」をしました。
「ふなたで」というのは、船底をきれいにして、塗装する(船底塗料を塗る)事を言います。
今は、FRP船や、船底をプラスティックを貼った木船がほとんどですが、船底にプラを貼っていない木船の場合は、船虫害を防ぐために船底を焼いて木が腐らないようにしていました。その作業が「船たで」と言われていたのです。FRP船やプラを貼った木船の場合は、船底をきれいにして塗装を施す作業になり、焼くことはなくなりました。
そして、前は船底をこするのは棒ずりでしたが、今はコンプレッサーで水を噴射して汚れを落とします。フジツボは手作業で落とすになりますが。

「船たで」 いとこのゆみさんが手伝ってくれました。
<2001年12月23日 木村 力>
 祝島日記(27) 「冬の山と海」

「カーメジョーサア、カメジョーサー、おまえの頭に火がついた。も一つしずまんにや消ーえんどー」
カメジョーサーというのは、海鵜のことです。
歌と言うほどのものではありませんが、祝島で子供の頃歌った歌です。
1ヶ月近く前から祝島周辺に見られるようになりました。
冬を祝島あたりで過ごす渡り鳥です。
 

  岩の上の「カメジョーサー」

祝島の山の中を歩いているとイチゴがありました。
「フユイチゴ」というイチゴのようです。
(祝島では春の中頃から終わり頃にかけて、ホボロイチゴという甘いイチゴが採れますが、これは「クサイチゴ」のようです。)
 

  「フユイチゴ」
祝島の山の中が歩きやすくなりました。
<2001年12月9日 木村 力>
 祝島日記(26) 「遠足」

12月1日ハエ道を遠足に行きました。
子ども達が、家庭科の授業で作った弁当で、先生方を招待しての遠足でした。
いい天気でした。
祝島を訪れた人も2人、山道で出合いました。
下の磯を歩いているリュックを背負った姿も見かけました。
秀人君の情報では、新聞記者さんも島に来ているとのことでした。


帰り道はカタアの道に上がって帰りました。
伊予かんが色づいていました。
伊予かん カタア道
<2001年12月3日 木村 力>
  祝島日記(25) 「秋の終わり頃」

連休の最終日(11/25)に、行者様の裏の方まで行きました。
行く途中、落ち葉を集めている浜崎さんに出合いました。
落ち葉を堆肥として、ビワづくりに使っているようです。
道はきれいになっていました。

行者の裏の山にはウベがよくなっているのですが、今年はすくなかったです。
時期的には遅すぎたようです。何とか写真は撮れました。
家に帰ると幼なじみの益田君が、息子にとウベを持って来てくれていました。
なっているウベ もらったウベ

<2001年11月26日 木村 力>
  祝島日記(24) 「秋の一日」

 11月中旬。朝の凪の内に海彦になり、無人島の近くで釣りをしました。
昼過ぎに風が出てきたので、釣った魚を持って帰り、海彦2号に手渡し、私は山彦になりました。


海彦2号の持つ魚はタイとイサキです。

祝島の段々畑にはミカンが色づき、ビワの花が咲いています。


山から帰ってみると海彦2号が、魚をさばいていました。

タイをさばくのは初めてです。

祝島には寿司屋さんがないので、食べたいときは自分たちで作ります。

不揃いのにぎり寿司です。
<2001年11月14日 木村 力>
  祝島日記(23) 「久しぶりの山彦」

 久しぶりに山に行ってみました。東の方の一番下の道の先端近くに草刈りに行きました。道が草に覆われ始めています。
祝島の山の草木は、生命力旺盛です。

半年で道が消えます。 草刈り後。ここまでテーラーがやって来れます。秋たけなわです。
ドングリ(クヌギ)が落ちています。去年は少なかったのですが、今年は豊作のようです。 カラスウリ。木が早く枯れたのか、実が小さいようでした。
コッコー(ナシカズラ)。 ツワブキの花。

 私がおじさん、おばさんと言っていた人たちが、だんだん山に来れなくなってきましたが、道ばたの実や花を見ては、いろいろな感慨をもって通り過ぎたことだろうなと、感傷を誘います。秋です。
何年か前に植えた柿の木が初めて実を付けていました。桃栗3年、柿8年と言うから、きっと8年前だったのでしょう。

<2001年10月24日 木村 力>

  祝島日記(22) 「おらがトライアスロン」

 夏休みに、祝島でトライアスロンをやりました。祝島でもやれないことはないという気持ちと、体力維持を目指して、何年か前から始めたのですが、今年で確か第6回目になると思います。
 ショートショートトライアスロンで、水泳1q弱、自転車約40q、ランニング10q弱です。出場者1名、供水所は出場者が木の陰に自由設置、実施日は可能な日を目星をつけておいてほとんど直前に決定、という風なものです。
 タイムは3時間10分でした。
 今年の水泳は、友人のタカシ君から「イアンソープ泳法」の話を聞いて、それをイメージして泳いだら、去年より1分くらいタイムが縮まりました。「イアンソープ泳法」の効果があったのかも知れないし、去年はクラゲに刺されて遅かったのかも知れません。
 祝島は、いろいろできるところです。

A〜Bが水泳コース
赤が自転車コース(5回弱往復)
緑がランニングコースです。

<2001年10月24日 木村 力>

  祝島日記(21) 「海彦、ガイドをする」

 9月23日、親戚の知り合い3人が祝島を訪れました。北風の強い中、祝島周辺の陰で釣りをしながら、船で、半日ガイドをしました。四国、九州が見え、国東半島の先の姫島もよく見えました。昼前から少し凪いできたので、近くの無人島に行き、そのそばで、釣りました。運良くハマチが釣れました。
 釣果:ハマチ1、ヤズ1、チダイ2、デンゴ(アジの子)2
 波止に帰って調理実習もしました。宿では、刺身、塩焼き、煮付け、フライ、汁と、釣った魚のフルコースだったと喜んでいました。

元気のいい3人と5sのハマチ

 3人とも祝島を好きになってくれたようです。
 定期船「いわい」で島を離れる時は、小さくなるまで手を振っていました。

<2001年9月27日 木村 力>