◆祝島日記(1)〜(10)

  祝島日記(10) 野の花

 桜が終わって、野の花が目立つようになりました。
フジの花

 フジの蔓は神舞の小屋の竹や柱を結ぶ蔓に使われていたと言うことです。

タチツボスミレ シヤク

 菜の花の黄色に代わって木陰に白が目立つようになりました。 そうそう早いビワが色づいていました。 多分「長崎」と言う種類のビワだと思います。

<2001年4月14日 木村 力>

  祝島日記(9) 「山の土管」

 祝島の山頂から北西の尾根道を歩いて、北野に下りようと、少しずつ道を延ばしてい ます。 それらしい道を見つけて下りてみると、違ったところに下りてしまいました。 北野のセイリ(共同管理のため池)まで土管で水を引く、取水口のある所に下りたのです。 この取水口からため池まで、1qくらいの距離に、土管や溝が作られ、水を引いているのです。 土管は石垣に支えられています。こうして引いて貯められた水によって、北野の田ん ぼの稲が作られ、祝島を養ってくれたわけです。 帰り道に山本さんに聞くと、取水口のあるところは「蜂の尾」と言う所のようです。 目標とする道はまだ見つかりませんが、違った発見がありました。


<2001年4月14日 木村 力>

  祝島日記(8)  「別れと出会い」

 祝島小学校・中学校の勤めを終え、転任される先生方の離任式が、3月30日にありました。 その日の昼便「いわい」で島を離れました。 祝島を離れていく先生方と、祝島ネット21での繋がりは新しく始まりました。

 また、4月3日には新しく赴任された先生方の引っ越しがありました。 祝島中学校の卒業生は、新高校生として本州での生活を始めます。 春は別れと出会いの季節です。
祝島からの旅立ち 高校生活への船出

<2001年4月5日 木村 力>

  祝島日記(7)  「海彦・山彦」その3

 4月1日日曜日の朝、良い天気の中、祝島頂上付近を歩きました。
 祝島の頂上付近は、なだらかです。木も茂っているので、尾根を歩くのがなかなか難しいものだと知りました。 祝島の尾根は北西方向と南西方向に伸びています。 北西方向の尾根を少し歩いて、目印にテープを付けておきました。 行者様の上から頂上までは誰かがテープを付けてくれていましたから、 その続きが少し伸びたことになります。 そのうち北野(山の地名)まで伸ばせたら良いと思います。

赤いテープ(荷ヒモ)の目印

この日に出会った赤い鯛

 昼からは凪に誘われ、海彦になりました。 イカナゴ(細い小魚)が釣り針に引っ掛かりました。 イカナゴが群がっているのでしょう。 イカナゴを追って、鯛が泳いでいる様子を想い描きながら釣っていると、 運良く出会えました。


小祝島と夕陽
 夕方は北野の桜を見に行きました。 小祝島の向こうに太陽が沈みかけていました。
 この日の海彦・山彦は赤い色に縁がありました。
 
 

<2001年4月1日 木村 力>

   祝島日記(6)   「シガラの木」

 祝島でシガラという木があります。 切ったばかりは比較的柔らかみはありますが、 枯れると固くて、鋸で切るのが大変なくらいです。 炭にしても重みがある木で、祝島では多い木です。
 図鑑で調べると「アキニレ」という、都会的な感じの名前のようですが、 「オラア、祝島で結構似おうちょるよ。」と言いそうな木です。 幹はケヤキを潮風で鍛えて武骨にしたような木で、 葉っぱは山椒のように小粒で可憐?です。 樹液はカブトムシ、クワガタ、ヒトリンバア(コガネムシ)に好かれます。 夏朝早く、シガラの木の幹を見ると、運が良ければカブトムシやクワガタに会えると思います。3月下旬、ケヤキは新芽が出ていますが、シガラは少し遅れるよ うです。
シガラの木と祝島

 昨日蛇に2匹出会いました。このところ暖かかったので、冬眠から覚めたようです。 木の芽も出始め、山桜の花も咲き始めました。桜の満開はもう少しのようです。

<2001年3月29日 木村 力>

   祝島日記(5)   「海彦・山彦」その2

 春分の日の朝、凪に誘われて、「海彦」となって春霞の中を釣りに出ました。 久しぶりに鯛が釣れました。豊かな海の実感です。 鯛には独特のにおいがあります。釣り針を外した後、手に残ったにおいに気づき、 「鯛を釣ったのだ。」と改めて満足感を味わいます。
豊かな海からの贈り物

 午後は「山彦」になって、薪を作ったり、山道を歩いたりしました。 道ばたにスミレがよく咲いています。「スミレ」と「ツボスミレ」のようです。 山吹も咲き始めました。
山吹(ヤマブキ) おいこ(山彦の愛用具)

<2001年3月20日 木村 力>

   祝島日記(4)  「三角点」

 国土地理院の地図では、祝島の一番高い処は357.4mで長見山というところにあるようです。 今日行ってみました。
 誰かが、通れるように道を作ってくれていました。 三角点の標識があり、すぐ側に幹の回り2mあまりのタブの木が立っていました。 近くには幹回り2mを越えるくらいのイタジイの木が2〜3本ありました。 タブの木とイタジイの木は常緑樹で、祝島では大きくなる木の代表的な木です。 台風による風のためでしょう、かなり大きな木が数本倒れていました。

三角点 三角点とタブの木

 帰り道、ビワに袋を掛けた畑がありました。

ビワの袋掛け

 祝島の人家から、長見山の三角点まで徒歩で約1時間です。

<2001年3月18日 木村 力>

   祝島日記(3) 「海彦・山彦」

 祝島は、前は海、後ろは山。海彦・山彦の体験ができます。今日は、朝早く海彦になり、船で釣りに出ました。この頃は漁がないようで、潮は良いのにメバルが2匹でした。魚も寒すぎて食欲が湧かないようです。
 釣りから帰り、早い昼食をとって、山彦になり山道を歩きました。「アオキ」が花芽をつけていました。「アオキ」は常緑樹で日本海側にもあるそうです。暖流の行く海の近くの林の中にあるようです。祝島では竹藪や林の暗い中に、よく見られます。
 何年か人が歩いていないような杉林の中には、杉の落ち葉が積もっていました。今は松が少なくなりましたが、松の落ち葉を祝島では「すくず」と言います。「すくず」は風呂を沸かすときの焚き付けにしていました。
 山から帰り、もう一度海彦になって磯を歩いてみました。旧暦の18日で、春になると良く引きます。潮だまりに、ワカメが良く伸びていました。瀬の上にはフノリも伸びています。フノリは干してさらして煮ると糊(ノリ)になります。ナマコも獲れました。潮だまりの主のような赤と、黒のナマコがいました。これは潮だまりを守ってくれるように置いてきました。瀬の上で牡蠣を打っている人もいました。(牡蠣はトビグチという道具で打ってとるので牡蠣をとることをかきをうつといいます。)春の磯はにぎやかになっています。

<2001年3月12日 木村 力>

アオキの芽 アオキの実 ワカメ干し ナマコ

   祝島日記(2) 「ツワ(ツワブキ)」

 祝島はツワブキが結構あります。これも暖かさの恵みでしょう。秋には黄色の花で斜面をかざってくれ、春には新しい茎が食材になってくれます。フキより柔らかく、独特の風味があります。この頃山道を歩くと、ちらほら新しい茎が出ています。豆腐や、アブラゲ、(上関の)てんぷらと一緒に煮てもいいし、メバルの煮付けに入れてもいいし、いりこだしでツワだけでもいいです。「イリダイ」に入れるとなかなかです。(イリダイとは豆腐を具の主にした超濃いいみそ汁のようなもの)
 皮をむくとき、あくで指先や爪が茶色になります。理髪店の奥さんの話では、固めに煮て冷凍しておくと夏でも食べられるそうです。てんぷらにして食べる人もいるということです。重宝な野の食材です。理髪店には収穫して、皮をむき、あく抜きのため水に入れたのがありました。

<2001年3月4日 木村 力>

ツワの花(10月〜1月) ツワの新しい茎(芽)(3/4)

   祝島日記(1)

 2月中旬から下旬にかけて春のような天気が続いた。
 25日に寒気が来て、西風が吹き、山の上では雪がちらついた。大工小屋に行って、ストーブを囲んだおじさんから、島のいろいろな言い回しを聞く。春になると西風が長く続かないので、「春のひとい西」と言うとか、「松地の三合引き」といって松地では潮が三割引いた頃が釣り時だとか。山の話しも聞いた。「とうげ」 〜「辻」〜「北野」の上までは広々としているということである。またいつか行って見たい。祝島は前に海がある。海があれば、後ろには山がある。漁師さんは山についても結構詳しく、また農業をしている人も海にかなり詳しい。祝島には山の地名が百近くある。呼び方についても聞いてみた。「庄台久保」(しょうだがくぼ)とか「肥木」(こいのき)とか。話を聞いたあと東の方の山に行くと、ミカン畑に「ホトケノザ」らしいのが咲いていた。

<2001年2月25日 木村 力>



ホトケノザ