◆祝島日記(11)〜(20)
祝島日記(20) 「ちょっと山彦」 夏が峠を越した頃、熟れる木の実が「ウシビタ」(イヌビワ)です。 不老長寿マラソンコースにたくさん落ちていた木の実もこの「ウシビタ」です。ただ、あのときのは、ほとんどが、完熟しない種類の「ウシビタ」だったように思います。熟れるのと熟れないのがあります。この「ウシビタ」の木も祝島には多い木です。特別大きな木は見かけません。 8月26日に、子供とウシビタを採りに行って、ジャムを作りました。 イチゴの何倍も種が多いのですが、野生の木の実ジャムと思って食べるとうまいものです。
セミの声は、クマゼミよりミンミンゼミが優勢になってきました。ツクツクホウシはまだのようです。 <2001年8月27日 木村 力> |
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祝島日記(19) 「ちょっと海彦」 第一回祝島不老長寿マラソンが終わって、久しぶりに海彦になって、釣りに出てみました。 いよいよヤズのシーズンです。この日は、わずか一匹でした。他の船はもっと釣れたようです。 沖の方を走っていると、シイラの小さいのが一匹来ました。なんとなく太平洋を感じます。 波止に帰って、シタビラメをNさんから貰いました。波止の中の大漁です。 盆魚(ぼんざかな)です。
<2001年8月22日 木村 力> |
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祝島日記(18) 「ネムノキ」 祝島にはネムノキがかなりあります。 あまり強い木ではないようで、特別大きな木は見かけませんが、道ばたに結構たくさんあります。 六月の下旬が満開のようです。 ネムノキの幹の心材はチョコレート色です。花の色はイチゴのかき氷の色です。 新潟県の出雲崎のあたりに、ネムノキの街道があるように聞きましたが、今はきっときれいでしょう。
<2001年7月1日 木村 力> |
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祝島日記(17) 「波止の中の大漁」 海に出てもなかなか魚が釣れない日があります。 つれなかった六月のある日、波止の中に帰って、家に帰ろうとすると、Nさんに呼びかけられて、大きなハゲ(ウマヅラハギ)を3匹もらいました。 六月のハゲのメスには、大きな「まこ」(卵巣)があります。ハゲの肝も、好きな人にはこたえられないものです。 このように、海で釣れない日に、波止の中で大漁する時もあります。
<2001年7月1日 木村 力> |
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祝島日記(16) 「サクランボ」 山桜のサクランボが熟れ始めました。採取して苗を作ろうと思っています。来春には芽が出ると思います。祝島は山桜が多い島です。昔はもっと多かったようです。祝島は蔓草もよく育ちます。蔓草に巻かれて枯れた桜の木もよく見かけます。 桜の木を増やし、桜に巻き付いた蔓を切る作業を進めたいと思います。この冬から春にかけて、100本足らずでしょうか、桜の木の蔓を切りました。少し桜の木に元気が戻るかなと楽しみです。
<2001年6月12日 木村 力> |
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祝島日記(15) 「海彦・山彦」その5 この前から丸アジが釣れ始めたと聞いていたので、出てみました。出てすぐは釣れないで、しばらくしてから釣れ始めました。いよいよ夏が近づいたようです。
午後は山にビワの様子を見に行きました。我が家の茂木ビワは、収穫にはまだ少し早いようでした。
祝島の山は、あちこちに見られた桐の花が落ちて、代わって今は淡い紫のセンダンの花が満開です。モンシロチョウが密を吸っていました。 <2001年5月28日 木村 力> |
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祝島日記(14) 「小祝島」 祝島の属島として小祝島があります。祝島の人は「こいおう」と言います。火山島と言うことですが、私はまだ火口を見たことがありません。標高は209mです。 5月26日に子どもたちと山頂に上がりました。総勢14人の登山隊でした。「小祝島明神(こいおうみょうじん)」の少し東側から登りました。登り2時間足らず、下り1時間余りの行程でした。傾斜がかなり急で、みんなのズボンのお尻辺りは、かなり滑った様子で、泥が付いていました。 子どもたちは、三浦から小祝島までカヤックでの往復でした。
<2001年5月28日 木村 力> |
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祝島日記(13) 「くいでのこうろく」 こうろく(合力)と言うのは祝島での一種の奉仕活動です。人手を必要とするとき、知り合いに声をかけて肉体労働と精神活動をお願いしたら、応じてくれて(ちょっと無理してでも)、一緒に(無料で)作業をする事を「こうろく」と言うそうです。 最近の「こうろく」は、祝島小・中学校の草刈り、草取りの作業です。5月15日に、運動場とその周辺を、児童・生徒・職員・保護者、老人クラブの皆さんで草取り・草刈りをしました。
「こうろく」には、「くいでのこうろく」と言うのもあるそうです。「手弁当持ちのボランテア」ということです。 <2001年5月18日 木村 力> |
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祝島日記(12) 海彦・山彦その4 久しぶりに祝島の山と海を楽しみました。5月12日の祝島は五月晴れでした。午前中は山道を歩いてみました。「森」(山の地名)から「門の谷」(山の地名)までの道がはっきりわからなかったのが、なんとかわかってすっきりしました。途中にツツミ(人工のため池)が三つありました。田を作っているときは毎年整備をするらしいのですが、今は荒れています。でも水は貯まっているから、大したものです。ツツミを支えているのは石垣です。ツツミの石垣を積むのは特別気を配ったこととしのばれます。人家から一時間余りの所です。
午後は息子と磯を散歩しました。年に一度、この時期にやって来て楽しむ散歩です。今年はホンダワラが長く伸び、まだ切れないで沢山残っています。ジュウタンのようです。
<2001年5月13日 木村 力> |
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祝島日記(11) ユリ根の解禁 5月10日ユリ根掘りの口開け(解禁)がありました。島のおばさん達が早速掘りに行っています。祝島で片栗粉というのは、ウバユリの根から採ります。上質のでんぷん粉です。祝島では子どもの頃風邪をひいたりすると、家のものがこの片栗粉を湯でといて食べさせてくれたという経験を持っている人が多いと思います。(最初に少しの水でといて次に湯を注ぎながら混ぜ、砂糖で味付けです。)このゆり根は、島の人は何処で掘ってもいいのです。島の人の共有の財産というわけです。十分に育った頃に、祝島自治会が許可を出すのが「口開け」です。
山の枯れ木も「口開け」はないけと゛、島の人は何処のでも薪として持ち帰っていいという了解があるのです。その方が風通しも良くなり、山にとってもいいことかも知れません。海藻のワカメ、テングサ、ヒジキ、アオサなども育ち具合を見て、漁協の方から「口開け」の知らせがあります。祝島ならではの自然とのつき合い方です。 <2001年5月13日 木村 力> |