編集日記  

2005年の日記



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[2005年12月31日]
 いよいよ大晦日。今年最後の編集日記です。新しい出会いもあり、別れもあり、今年も1年間いろいろなことがありました。皆さんにとってどんな1年だったでしょうか?僕にとっては、結構良い年だったような気がします。ま、今年がどんな1年だったとしても、もう過ぎたこと。紅白歌合戦でも見ながら、笑い飛ばして、来年に向けて頑張りましょう!一年間ありがとうございました。\(^o^)/

[2005年12月30日]
 今日は餅つきであった。目覚めたときには、もうほとんど終っていて、杉山(母親の実家)三姉妹が餅を揉んでいた。さっそく出来立てのアンベンを食べた。なかなか美味しかった。(^u^)
 いくらなんでももう年賀状を作ろうと思って、午前中から制作に入った。夕方にやっと終った。夕方の定期船がでヒロシと川本が帰省して来た。夜、3人で蓬莱館に集まって飲んだ。今年もあと1日である。

[2005年12月29日]
 「27日の日記が消えてるよ」というみっちさんからの携帯メールで起こされた。昨日は眠りながら書いたので、誤って消したのだろう。ということで27日の日記は全面改訂。ついでに昨日の分も加筆した。(^_^;)今年も残すところ明日と明後日の2日間。今年唯一目標達成できそうなのが、この編集日記を毎日書くことである。あとは・・・。(ーー;)
 午後から親父と一緒に山に行って、松竹梅の枝を取ったりした。山に登る道から海を見ると、ヨボシの灯台の周りにはたくさんの漁船が釣りをしていた。正月用の魚を獲っていたのだろう。今月はシケ続きだったので、今日は漁師さんたちはだいぶねばっていたようだ。

[2005年12月28日]
 昨日のカレーが残っていたので、朝食はカレーパン、昼食はカレーうどんだった。
 みち哲さんが柳井に果物をたくさんおいて行ったらしいので、上関に出る前に取りに行った。ヒロコさんのところに行くとでっかいダンボール箱が置いてあり「これ持って帰って」と言われたが、他にも荷物があったので、どう考えても持ちきれないと思って、3分の1くらい袋に入れてもらった。「あま王」という超高級イチゴもあったようだが、これは1粒しか食べさせてもらえなかった・・(~_~;)。でもさすがに超高級品だけあって美味しかった!みち哲さんありがとう〜!(^O^)/
 夕方の定期船で島に帰ってきた。このまま正月明けまでは祝島にいるつもりである。夕方の「いわい」はだいぶ混んでいた。
 夜、橋部さんと木村先生と僕とで蓬莱館でなんとなく集まって飲んだ。はやくも正月モードに突入?(^_^;)

[2005年12月27日]
 お客さんのところに訪問するのは今年は今日が最後。まだホームページ更新などの仕事は残っているが、あとは祝島に帰ってからでもできるので、とりあえず仕事納めだ。
 夕方、柳井からの帰りに風邪引きのCさんに会って、ユンケルをプレゼントしておいた。早く治って欲しいものだ。かわりにニンジンをもらった。オイラは馬かい!?(ーー;)
 アパートに帰って、カレーを作ろうと思ったら橋部さんから電話がかかり、それが終ったと思ったらユウサアから電話がかかり、それが終ったと思ったらヒロコさんから電話がかかり、なかなかカレー作りが始められず、結局10時のニュースを見ながらようやくカレーライスにありつけた。(^_^;)柳井のヒロコさんのところにはみち哲さんが急にやってきたようで、どうやら忘年会をしているようである。行きたかったが、こっちもカレーを作る気満々だったので、断った。今日は夕方まで柳井にいたので、もうちょっと早く連絡してくれればよかったのに・・・。

[2005年12月26日]
 午前中は公民館で観光マップ制作の打合せ。だいぶ出来上がってきた。
 午後からイラストレータの松浦氏と一緒に平家塚と行者様へ行った。その後、うちの段々畑でヤブをかき分けながら(~_~;)キウイなどを収穫。ダイダイもキウイもこないだの雪でだいぶやられていたようだ。来年こそは畑仕事もしようかと思う。思うだけかもしれないが・・・(^^ゞ
 夕方の便で島を出た。本土でもうちょっと仕事する予定。今年もあと5日。そろそろ自分の年賀状も作らねば・・と思う。

[2005年12月25日]
 昼便で島に帰って来た。今日はこの時期には珍しくベタ凪であった。船から上がると、朝市をやっていたので、夜食にしようと西山さんの手作り蒸しパンを購入。イモパンとかぼちゃパンの2個入りで100円は安い!(^u^)林のおばちゃんからはクリスマスプレゼントにコッコーの実をいただいた。「来年は結婚せんさいよ!」というキツ〜イ一言がオマケで付いていた・・・^_^;
 さて、今日は有馬記念。最近はあまり競馬には気合が入らず、今年はたしか4回くらいしか馬券は買っていないが、それにしてもいまだに未勝利であるので、今日はなんとしても当てたいところである。ディープインパクトが無敗のグランプリホースになるか注目されたが、結果は2着。勝ったのはハーツクライ。そして僕の馬券は・・・当ったり〜!!\(^o^)/はははは・・いや〜、やっと当りました。あれこれ買ってたので、儲けは少ないけど、当りは当りである。これで気持ちよく年が越せる。気持ちいいついでに蓬莱館の大掃除もした。

[2005年12月24日]
 年末の挨拶を兼ねて、久しぶりにK医院に首を引っ張りに行った。久々のせいか、15kgの牽引力がきつく感じた。看護婦さんに祝島カレンダーをあげたら、殻付きカキを一袋もらった。まるでわらしべ長者である。そのカキを木村亭に持っていったら、先生が「特製木村流こだわりのネスカフェ」をご馳走してくれた。(^_^;) 違いのわかる男の作るこだわりのネスカフェは、どこか違うのだ。
 夜はクリスマス・スペシャル鍋を作ってみた。いつもの材料だけではクリスマスらしさが出ないので、スーパーで探した豆苗のグリーンとカニカマの赤で雰囲気を醸し出してみた。味付けは「マルコメのダシ入り味噌」に「森永のおいしい牛乳」、そして先日Mちゃんからアドバイスしてもらったバターを入れると、それはそれは美味しいスペシャル鍋が出来上がった。今シーズン最高の出来栄えであった。\(^o^)/ しかし、これをクリスマス・イブに一人で食べるのもなんだかなぁ・・・である。(ーー;)

[2005年12月23日]
 上関の松浦氏と打合せ。来年以降の業務提携の話だ。今は自分のことだけで精一杯だが、これから上関や祝島にも若い人がUターンして仕事できるような、そういう環境を作って行きたいと考えていて、まずはこの業務提携がその第一歩になればと思っている。
 夕方、柳井のデオデオに行ったら、清水家のメンバーが全員集合していた。木村先生も書いていたが、陽子ちゃんはずいぶん感じが変わっていた。ついでに木村邸に寄ろうかと連絡したら、先生と奥さんはどこかでデート中ということであった。どうやらお邪魔虫のようなので、しかたなく室積に帰って、鍋料理を作って、一口二口食べたところで、今度は親類のミドリちゃんから電話があり、「うちの筆王の様子がおかしい・・・」と30分くらいしゃべったので、せっかく作った鍋料理はすっかり冷めてしまった。(ーー;)
 先日、マットさんから送られてきた”人生のどんな問題も解決する知恵「鏡の法則」”を読んでみた。えらく感動した。読みたい人はこちらをクリック。マットさんは明日の朝、田布施を出発し、世界へ旅立つようである。どうかご無事で!

[2005年12月22日]
 またしても積雪。今日は午前中に周南市に行く予定だったので、ノーマルタイヤでチェーンも装備していないワゴンR号は大丈夫かいな?と心配していたが、さすがに国道は車の交通量が多いので、僕が出る頃には、もう車道はほぼ普通の状態に戻っていた。
 午後から旧大和町に行ったので、帰りに久しぶりに田布施の「少年少女の船」の事務所に寄って話をしていたら、そこになぜか熊毛南の一期生というおじいさんがやって来て、何かを必死で訴えているのだが、僕にも事務所のMさんにもなかなか話が理解できなかった。地元の僕にも理解できないのに、県外出身で年齢も若いMさんには、もっと分からない話だったろうが、それでも一生懸命に話の真意をくみ取ろうとするMさんの姿勢に、僕はちょっと感動した。おじいさんが帰ったあと、Mさんは力を使い果たしたのか、お腹をグ〜っとならしていたので(^_^;)、一緒に柳井まで広島風お好み焼きを食べに行くことにした。
 柳井からの帰りに、室積半島に大きなツリーのイルミネーションを発見したので、あの木はどこにあるんだろうと思って、探してみたら、そこはなんと墓場の横であった。\(◎o◎)/!たぶんお寺の木なのだろう。お寺もクリスマスやるんだろうか?(ーー;)

[2005年12月21日]
 夕方の便で島を出ようと思っていたが、天気予報で「午後からシケてきて、波も50cmのち2m!」とのことで夕方はヤバそうなので、午前中にできるだけ用事を済ませて、昼便に乗った。昼便が上関に着いた頃から、もう雨が降り出し、風も強くなってきたので、賢明な選択だったようだ。
 柳井港のボート屋に行って、譲渡証明書に判を押してきた。ハッピーアイランド号は陸揚げされていた。これから整備されて、新しい持ち主の元で第2(第3?)の人生を歩むことになる。
 ヤフー・オークションで中古のISDNルータを2600円で落札。こないだの雷で壊れたヤツの代わりだ。ISDNの装置なんて、もう電気店では売っていないし、新品を買っても高いので、こういうものはオークションで見つけるに限る。蓬莱館のインターネット環境も年内には復旧できそうだ。(^_^;)

[2005年12月20日]
 駐在さんに呼ばれて祝島に帰ってきた。と言っても、何か悪さをした訳ではない。一ヶ月以上前から年賀状印刷を頼まれていたのだが、なかなか会う機会がなかったので延び延びになっていたのだ。今週から小中学校の授業がないので、時間にちょっと余裕があり、他に用事もあったので帰ることにしたのだ。駐在さんは気を使ったのか、波止でアジを釣って、うちに持ってきてくれた。(^_^;)
 夜、駐在さんの年賀状を印刷していたら、みっちさんから「NHKみて!」と携帯メールが入った。テレビをつけてみると、昔の紅白歌合戦で森進一が「襟裳岬」を歌っていた。みっちさんもいろいろと気を使って(?)くれているのだ。感謝。紅白の「襟裳岬」もいいが、僕の記憶ではレコード大賞を獲ったときの「襟裳岬」の方が印象に残っている。この歌を作曲した吉田拓郎がジーンズ姿で授賞式に登場したのが、とても颯爽としてカッコよかったのである。あぁ懐かしい。この頃のレコード大賞受賞曲は本当に名曲が多いと思う。最近の歌は、どうもよくわからない。こないだラジオで、「今年一番売れた曲は・・」って流していたが、僕は聴いたことなかったし、歌っているグループ名すら知らなかった。(ーー;)

[2005年12月19日]
 今日は一日中柳井にて仕事。昼食時に舌をかんで、いまだにしびれている。(*_*; 帰りにTさんのところにお歳暮代わりにカレンダーを持っていったら、ちょうどよかったと仕事を頼まれ、ついでに晩御飯も一緒にということになり、またまたよばれることになった。今日もNちゃんが来ていて、手料理を作ってくれた。ちなみにTさんもNちゃんも熊毛南出身である。熊毛南出身者には親切な人が多い。(^_^)
 柳井港のボート屋さんから電話が入った。どうやらハッピーアイランド号を欲しいという人が現れたようである。

[2005年12月18日]
 朝、目覚めると、窓の外がいつもより白く感じた。予想通り雪が積もっていた。そんな中、島のオバサンたちの声が家の外で響いていた。今朝は善徳寺の「オコウ」と呼ばれる行事があったようだ。どんな行事かは僕は全然知らない。それにしても島のオバサンたちは元気である。
 雪が融けないうちにと、服を着込んでデジカメをさげて外に出た。ひらぎから学校に上がった。誰の足跡もついていない真っ白い運動場を歩くのは、なんとなく気が引けて、隅の方を歩いた。白クマの池は、北極グマの池になっていた。

[2005年12月17日]
 夕方の便で島に帰ってきた。今日は大シケかなぁと覚悟していたが、この時間にはまだ思っていたほどではなかった。しかし、さすがにハナグリからはだいぶ揺れた。今朝は7時ごろ祝島では強烈な雷の一撃があったらしい。「どこそこの家は洗濯機が動かんようになったらしい」とか「電気ポットがめげたらしい」という話を聞いた。うちの親は「爆弾が落ちたんかと思うた」と話していたので、かなりすごい音がしたのだろう。僕は朝は室積で8時半まで寝ていたので、まったく気付かなかったのだが・・・。(^_^;) で、うちは何も被害がなかったのかと思っていたら、なんと蓬莱館のISDNルータが完全にやられて電源が入らなくなっていた。よりによって一番肝心なものがやられたものである。これじゃインターネットも電話も使えないので、はて、どうしたものか・・と思ったが、古〜いターミナルアダプタがあるのを思い出し、とりあえずそれでダイヤルアップ接続することで急場をしのいでいる。またしても痛い出費が・・(ーー;)。
 夜になると天候はかなり荒れてきて、雨やら雪やら風やら強烈に吹きつけてきた。フィギュアスケートをみていたら、肝心のミラクル真央ちゃんが登場したとたんに停電になるし、大変な状況になった。幸い、停電は短時間で終わり、真央ちゃんの演技の途中からは見ることができた。(^_^;)

[2005年12月16日]
 ワゴンRの前輪のベアリングを交換してもらい、だいぶ静かになった。(^_^;)しかし約1万5千円の出費。痛いなぁ・・。 修理を待っている間、新型ワゴンRを貸してもらい、柳井港へ。今日は同級の川本くんが法事のために1日だけ島に帰るのだ。僕は明日の夕方に島に帰る予定なので、島ではすれ違いになる可能性が高く、今日柳井港で会っておくことにした。会ったと言っても、別にたいした話をするわけではないのだが、同級生が帰って来ると、とりあえず顔くらいは合せておきたいのだ。だいたいは「相変わらずだなぁ」という印象を受けるのだが、やはり今日もそんな感じだった。

[2005年12月15日]
 今日も寒い一日だった。午後はみぞれ混じりの冷たい雨になり、上関海峡では海から湯気のように水蒸気が上がっていた。たしか、水温より気温の方が極端に低くなると発生すると聞いた覚えがある。この週末はさらに寒くなるらしい、ひえー\(◎o◎)/!
 寒さのせいかワゴンRの調子も悪く、今週に入ってから、やけに前輪からうるさい音がすると思っていたが、整備工場でみてもらったら、ベアリングから音がしているようである。もう10年以上乗っているし、10万キロも超えたので、もしかしたら寿命かもしれない。にもかかわらず、ここのところ毎週500キロ近く走っていたので、ご老体にだいぶ無理をさせてしまったのか・・・。とりあえず、そこの部品を交換することにしたが、そろそろ買い替えも検討せねばなるまい。
 夕方、KRYの「熱血テレビ」を観た。橋部さんもみさきちゃんも、すっかりテレビカメラ慣れしてきた感じだ。

[2005年12月14日]
 今日は上関中で今年最後のパソコンの授業。康っちゃんはこんなシケの日も祝島からちゃんと通ってきていた。エライなぁ・・。
 さて、12月14日といえば赤穂浪士の討ち入りの日である。が、今日に限れば、耐震強度偽装問題の証人喚問の話題一色であった。辛うじてNHKで、「討ち入り派」か「第二の人生派」かという番組をやっていた。どちらに共感するかと言われても、どっちにも共感してしまうのである。僕が赤穂浪士なら「せっかくの機会なので、しばらくは諸国漫遊の旅にでも出よう」などと、不届きなことを考えるような気がする。(^_^;)

[2005年12月13日]
 またしても寒波襲来。山口県東部は雪が降っていないが、他のところは雪のようだ。風も強い。188号線を走っていると海岸から吹き上げてくるシブキがかなり車にかかった。おかげでワゴンR号はだいぶサビている。(ーー;) 沖の方を見ると、祝島の方はかなり時化ていそうだった。

[2005年12月12日]
 仕事で大島に行ったので、帰りに先生のところにカレンダーを持って行こうかと思ったが、夕方5時前だったので、まだ先生は学校じゃろうと思い、柳井のヒロコさんのところに持って行ったら、先生は学校をサボってそこにいた(じつは代休だったらしい)。寒い中をアパートの駐車場で3人で「みち哲さんは来週島に来るんじゃろうか?朝便じゃろうか?昼便じゃろうか?」という話をした。

[2005年12月11日]
 昼便で島を出て、玖珂に行って仕事。帰りにジュンテンドーに寄ると土鍋が安かったので買った。早速使ってみたが、やはりアルミ鍋よりも土鍋の方が雰囲気が出る。(^_^;) 明日からはまた寒くなるようである。しばらくは鍋ブームが続きそうだ。

[2005年12月10日]
 昼便で島に帰ってきた。今日の「いわい」はだいぶお客さんが多かった。早速、カレンダーの組み立て作業をやったが、今日は作業員が少なく、手伝いは橋部さんだけであった。(ーー;)ビールで一杯やりながら作業した。途中で、蛭子のおじさんがパソコンをみてくれと言うので作業は中断。夜もやったが、1人では飽きてしまって気合が入らず、他にもすることがあったので、明日の午前中に残りをやることにした。明日の昼便には乗らないといけないので、なかなか忙しい・・・(*_*;

[2005年12月9日]
 こう寒いと、鍋が美味しい。ここのところ、アパートで食べる晩御飯のおかずはいつも鍋である。いつの間にやら白菜が冷蔵庫の中の常備品となった。手軽に作れて体が温まるうえに食費が安上がりだ。(^_^)
 明日は昼便で島に帰って、祝島ネット21で毎年制作しているカレンダーの組立作業をやろうと思う。手伝いたい人はぜひご一緒に!

[2005年12月8日]
 夕方あたりからだいぶ風邪の症状が軽くなってきた感じだ。帰りにユンケルも買ってきたので、寝る前に飲んでおこう。
 今日はみっちさんの○○歳の誕生日らしい。メデタイ、メデタイ。ちなみに4日後の12日は、うちの親父の誕生日である。たぶん(^_^;)85歳になる。

[2005年12月7日]
 風邪引きのため、午前中はお休み。上関中はテスト期間中のため今日はパソコンの授業がなくて助かった。午後から熊毛と光で打合せを2つだけやったが、頭はボーっとするし、ノドはガラガラするし、なかなか大変である。やはり健康が一番である。帰りにユンケルを買って帰ろうかと思っていたが、これまた頭がボーっとしていて、すっかり忘れていた。(~_~;)

[2005年12月6日]
 上関小の授業は今日から1年生の授業になった。子供たちはものすごく元気であった。授業のあと、「今日はきなこパンなのでぜひ」ということで給食をよばれた。きなこパンはなかなかの美味だった。(^^) 夕方、由宇町で仕事していたらTさんから緊急ヘルプの電話があり、帰りに柳井のTさん宅に寄った。「今日はNちゃんも来ているので一緒に食事を・・」ということになり、ここでもまたよばれることになった。
 Tさん宅からの帰り、なんか車の中が臭うなぁ・・と思っていたが、途中でメガマートに買い物に寄ったときに調べてみると、運転席の床に何やら怪しげな物体が・・・。どうやらTさん宅の玄関から車までのほんの数歩の間に、Tさんところの犬のクッキーちゃんのウンコを踏んでしまったらしい(ーー;)。今日は食費ゼロでついていると思ったら、最後にこんなオマケまで付いてきた・・。おかげで、この寒空の下、車の窓を全開で走る羽目になった・・・。

[2005年12月5日]
 昼便に揺られて島に帰ってきた。着いたらすぐに観光マップの打合せをやって、昼メシを食べる時間も無く、また昼便に乗って島を出た。(~_~;)西風が強くて、島の海岸通りでは、西を向いて歩けないほどであった。柳井で仕事の合間に、ヒロコさんのところに団栗亭からのお土産を持っていった。
 それにしても寒い!たまらん!早速風邪気味だ!

[2005年12月4日]
 昨日は広島県湯来町に大森神楽団の太刀納めを見に行き、団栗亭のマスターの家に泊めてもらった。夜中の1時前まで神楽が舞われ、酒を酌み交わしながら楽しむのである。なかなか良い風習である。(^^)この夏に大森神楽団は鹿児島県の霧島に遠征したらしく、今回はその霧島の神楽団の皆さんがバスを仕立てて観に来られていた。まさるさんとみち哲さんは霧島の皆さんの世話係になっていたようで、今日は僕も一緒に宮島にお参りした。宮島で焼きガキとカキ丼を食べた。なかなか美味であった。
 明日の午前中に祝島の観光マップの打合せがある予定なので、夕方の便で祝島に帰っておこうと思っていたが、今日もかなりのシケで、明日は大シケの予報なので、明日の昼便が欠航になったら午後からの仕事に支障が出るため、とりあえず今日は帰るのをやめ、明日の昼便が出れば帰ることにした。明日は大揺れになるのを覚悟して乗らないといけないようだ。(ーー;)

[2005年12月3日]
 これから湯来町へ神楽を見に・・と言うか飲みに行く。途中、柳井の木村亭でモイカを預かっていく予定。

[2005年12月2日]
 今日がここのところの忙しさのピーク。朝から夜までたっぷり仕事した。我ながら、褒めてやりたいほどである。(^_^;) 移動中に車の中で「冬のリヴィエラ」を繰り返してかけていたおかげで、そらで歌えるようになった。明日は夕方から広島に神楽を見に行く予定だ。みち哲さんたちに会って、ちょっと息抜きせねば。( ^^) _U~~

[2005年12月1日]
 今日から師走。最近、上関小や室津小では業間(2時間目と3時間目の間)に先生も児童も走っているようである。文字通り師走である。今日は室津小は持久走大会。僕も付き合いたかったが、他の仕事が詰まっていたので、授業が終ったらすぐにそっちに向かった。夕方には岩国まで行った。僕はたいして走っていないが、ワゴンRは良く走っている。

[2005年11月30日]
 今日は移動中に車の中で森進一のCDを聞いた。「襟裳岬」と「冬のリヴィエラ」と「港町ブルース」がお気に入りだ。
 昼に室津の「スーパーいたの」に弁当を買いに行ったら、いたののオジサンは次回の不老長寿マラソンに出る気満々であった。来年が楽しみである。上関大橋の砲台跡で海を眺めつつ、「いたの」の弁当を食べながら聴く「襟裳岬」は最高であった。(^o^)

[2005年11月29日]
 今朝、牛乳を飲もうとしたら、ヨーグルトみたいになっていた・・(~_~;)。賞味期限をたった3日過ぎただけなのに・・。祝島に帰っていた3日間の間に冷蔵庫の中で何が起こったのだろうか?謎だ。見た目はうまそうだったのだが、さすがに食べてみる勇気はなかった。

[2005年11月28日]
 ハッピーアイランド号で最後の航海。柳井港まで2時間ちょっと(「ことしお」と同じだ!)。最後にして最長の航海になった。今日は天気も良く、波もそれほどなかったので、わりと快適な旅であった。で、どうして最後かというと、早い話が手放すことにしたのだ。今日決めたのだが、僕の時間と天候とどっちも良さそうな日が年内にあるとは限らないので、もう今日のうちに柳井港の店まで持っていくことにしたのだ。3年余りという短い時間だったが、貴重な体験をさせてもらった。楽しいこともあったが、船の維持・管理がどれだけ大変か、身に染みた・・・(^_^;)。特に台風の度に避難させるために島に帰るのは、スケジュール調整がかなり大変だったのだ・・。
 さて、明日からしばらくは仕事の方がハードスケジュールになるが、がんばろっと!(^O^)/

[2005年11月27日]
 ポッポかミニケルかわからないが、ネズミを捕ったらしい。それはいいのだが、その死骸をわざわざ蓬莱館の入り口の前に置いておくのは勘弁してほしい。(~_~;)成果を自慢したかったのか、それともプレゼントのつもりだったのだろうか? あとでどうにかしようと思っていたら、向かいの槌谷のオジサンがどこかに捨ててくれた。
 同級生のカズヒサのお父さんが何か教えて欲しいというので、夜になって行ってみたら、カズヒサにもらったパソコンで将棋をやりたいのだそうだ。一度教えてもらったらしいが、もうすっかり忘れたようである。^_^; しばらく練習していたが、パソコンでやるのが面倒くさくなったのか、本物の将棋板と駒を持ち出してきて、僕に「相手をしろ」と言い出した。オジサンは今でも県内のアマチュアの大会で上位になるくらい強いのだ(パソコンの将棋の設定も最初から「二段」なのだ!)。こちらは小学校や中学校のときに遊びでちょこっとやった程度なので、とても相手にならない。僕が変な手を打つと「そりゃあ違う!」とか「その手は何の意味があるのか」と手厳しく怒られたり、教えられたりしながらやった。オジサンは一手たりとも無駄な手は打たないし、僕にも打たせてくれないのだ。てきとうに駒を動かすと、何度でもやり直させるのだ。おかげで、一手の大切さ、一駒の「歩」の重要性はなんとなく理解できた。でも2局目の途中で僕があんまり長く考え込んだので、オジサンはついに眠ってしまった・・・。(^_^;)

[2005年11月26日]
 午前中にKRYで人間魚雷回天の特集番組をやっていて、見ていたらなんだかブルーな気持ちになってきたので、気を取り直そうと、掃除・洗濯に精を出した。夕方の便で島に帰り、届いていたカレンダーの確認用原稿をチェックして、相撲を見た。朝青龍が魁皇に勝って7場所連続優勝。琴欧州も千代大海を軽くひとひねりして、大関昇進をほぼ確定的にした。今回は月曜まで島にいる予定。その後は12月10日頃までは島に戻って来れないかも知れない。最近Y社の仕事が増えて月初めがやけに忙しいのだ(@_@;)。したがって、カレンダーの組み立て作業は10日、11日あたりになりそうである。

[2005年11月25日]
 今日はなんだが大変な一日で疲れたので、仕事帰りにちょっとリラックス?しようとK医院に首を吊りに行ったが、看護婦さんと婦長さんが漫才のような会話をするので、おかしくてさんざん笑いながら引っ張ったためアゴが痛くなった(ーー;)。
 琴欧州が朝青龍を破って10勝の大台に乗せ、大関に一歩近づいた。横綱を破った1勝は大きい。でも不戦勝の1勝もあるので、できれば大関を1人は破って、文句なしで大関昇進してもらいたいものだ。ガンバレ琴馬珍・・じゃなくて琴欧州!(^O^)/

[2005年11月24日]
 室津小の授業が終った後に、家に電話してみると、もう横断隊は祝島に着いて、順番にうちの風呂に入りに来ているとのことであった。1週間の長旅、本当にご苦労さんであった。今日はカヤック隊のゴール以外にも、神舞の受賞(また何か受賞したらしい)のお披露目イベント?などもあり、橋部さんから「帰って来い」と昨日電話をもらったのだが、仕事をサボるわけにもいかず、僕はどちらも欠席であった。残念!

[2005年11月23日]
 午前中に木村先生に連絡してみると、周防大島の上荷内島で11時頃に瀬戸内横断隊と合流予定とのことだったので、12時頃には上関海峡を通るかもしれないと思って、上関大橋まで行ってみたが、カヤック隊らしき姿は見当たらず、午後からの仕事に備えて、室津半島を東側の海岸沿いに柳井に向かって走りながら海を見ていたが、結局見つからなかった。どうやらどこかの島に上陸して昼飯を食べている時だったようだ。夕方、仕事が終ってからマット隊員から「中の浦でキャンプ」との連絡を受け、イズミで差し入れの焼酎とおでんを買って中の浦へ。6時頃に到着したら、隊員のみんなはそれぞれ夕食を作って食べてたりしていた。9時ごろまで一緒にいて、内田隊長の「All for one, One for all」の話や、ユージ隊員の詠む山頭火の句に感動したりした。陸上部隊となったマット隊員も「One for all」の精神でみんなの世話をしていたようだ。いよいよ明日は最終日、ゴールの祝島まではあとわずかだ。がんばれカヤック隊!

[2005年11月22日]
 「山口県少年少女の船」の事務局に行き、ホームページの話をした後、土曜日曜学校の舞台となるキャンプ場を見せてもらった。そして、会長の玉木さん、事務局の大谷さんと、夜遅くまで飲んだ。玉木さんはマット氏のブログにも登場しているが、なかなかすごい人である。熊毛南の出身なので大先輩でもある。お二人とも夢を追って生きている感じがして、すばらしい人たちである。

[2005年11月21日]
 珍しくヒロシから電話があった。今日は休みだったようだ。ヒロシのところにも藤井先生からお礼のハガキが届いたようで、「字が懐かしいのう〜」と言っていた。が、僕は正直言って、先生の字まではよく覚えていない。ヒロシはこういうどうでもよさそうなことを記憶する能力は抜群なのである。
 今日は東京から島巡りツアーの人たちが来ていた。チャーター船で瀬戸内の島をいくつか見て回るようだ。天気も良かったので、祝島を堪能できたのではないだろうか。

[2005年11月20日]
 女子マラソン、高橋尚子が東京で感動の復活V!・・・だったのだが、いらんことをしていて見逃した。(ーー;)テレビをつけた時にはもう優勝インタビューをしていた。
 久しぶりに島で時間があったので、山に上がってみた。今は山でも人家でも、いたる所でツワ(ツワブキ)がきれいな黄色い花を咲かせている。カタアの方に上がってみたら、今日は見通しが抜群で、四国や九州もバッチリ見えた。周防大島の沖家室島も今日はよく分かった。国東半島の向こうに高い山が見えたのは、阿蘇山かと思ったが、帰ってから地図を見たら、その手前の久住山や由布岳も結構高いようなので、そっちかも知れない。
 瀬戸内横断隊はもう広島と愛媛の間を漕いでいるようである。マット隊員は本日、無念のリタイヤとブログに書いてあった。残念!だが、やはりこの旅は相当キツイのだろう。

[2005年11月19日]
 午前中だけ仕事して、夕方の便で島に帰ってきた。久しぶりに普通の土日のような気がする。
 蓬莱館でみかんを食べながら女子バレーを見た。中国相手にようやく1セットだけ取った。こないだから、全日本チームに誰かが足りないなぁ・・と思っていたら、shiba妻さんにソックリの高橋選手がいないのに気付いた。彼女は今年からイタリアかどっかのプロチームでプレーしているので、今回はメンバーに入っていないのだろう。それはさておき、日本は他チームに比べてサーブが弱いなぁと思う。もっとジャンプサーブを鍛えねば。そういえば中学校のときジャンボ・ノンブーのドライブサーブはすごかったが、最近はドライブサーブなんて打つ選手を見たことないのだが、もう古い打ち方なのだろうか・・・。

[2005年11月18日]
 上関小や室津小の先生と一緒に、ある教育用ソフトのデモンストレーションを見に、平生小におじゃました。ソフトの説明をしてくれたのは温品先生。名前を聞いて「もしかしたら」と思っていたのだが、説明会が終ったあとで尋ねてみたら、やはり8年前に四代小学校に赴任されていた温品先生だった。先生は、当時できたての祝島ホームページに祝島小と四代小の集合学習の様子を提供してくれていたり(記事は97年のトピックスにまだ残っている)、四代小の道徳の教材?に祝島ホームページを使ってくれたりと、このホームページとの関わりが深いのだが、実際に会ったのは今日が初めて。8年後にこんな形で出会えるとは思いもしなかった。人間の縁というのは不思議なものである。
 話は変わるが、瀬戸内カヤック横断隊は今日小豆島を出発したようだ。詳しくはマット隊員のブログで。ファイトバクハツ!ガンバレ横断隊!(^O^)/
 首の方は「(アガリスクではなくて)アガリクス」(^_^;)と「ドデカミンV」のおかげで少し回復した。

[2005年11月17日]
 今朝、朝食を食べ終わって、「さーて行くかぁ〜!」と背伸びをした瞬間、首がグキッ(◎o◎;)となって変な感じになった。「ヤバイッ!」と思って、恐る恐る動かしてみた。それほど痛みはないものの、ひどい肩こりのような状態である(ーー;)。心配なので昼前にいつものK医院に行って、診てもらったが、それほど深刻ではないようである。
 アパートに帰り、身体にいいものを・・と思って、先日某キノコ会社でもらった「アガリスク100%エキス」を飲んでみたら、これがマズイこと!1本50ml入りなのだが、3分の1くらい飲むのがやっとだった。いくら身体に良くても、飲めないくらいマズイものを商品化するのはいかがなものか・・・(~_~;)。仕方ないので、近くのスーパーで「ファイトバクハツ!ドデカミンV」っていうこれまた怪しそうな炭酸飲料を買ってきて、これで残ったアガリスクエキスを割って、ようやく飲み干した。

[2005年11月16日]
 だいぶ寒くなってきて、街路樹も紅葉している。北海道・宗谷岬肉牛牧場の氏本さんからメールが届いた。牧場の近況の画像を宗谷黒牛ホームページに掲載しているとのことなので、早速覗いてみると、もうすっかり雪景色である。寒そう〜(~_~;)。
 国道188号線が光市内で工事をしており、夕方下松からの帰りに渋滞にまきこまれた。こちらにUターンしてからは最もひどい渋滞だったと思う。この程度の渋滞は首都圏などでは日常茶飯事のことに違いないが、山口県内では珍しく、だいぶストレスが溜まった。(ーー;) しかし、女子バレーで日本が韓国にストレート勝ちして、ストレス解消してくれた。\(^o^)/

[2005年11月15日]
 今日は朝から晩までなかなか楽しい一日であった。午前中は上小で2年生のパソコンの授業。子供たちは元気一杯で賑やかであった。午後からは某プロジェクトのホームページがだいぶ出来たのでそちらの打合せ。それが終って室積に帰りかけたところで、マット先生の紹介で「あすの山口を創る県民会議」の事務局の大谷さんから電話がかかり、そのまま田布施へ。2時間くらいホームページの話をして、ついでにオレンジシャワーという店で一緒に「しょうが焼き定食」を食べながら、彼女たちのいろいろな活動の話を聞かせてもらった。地域の子供たちのために土日にキャンプなどいろいろな活動をしているようだ。ここが企画する「第32回山口県少年少女の船」の参加者を現在募集中らしい。募集人員は小学1年〜中学3年までの少年少女300人。来年の春休みに1週間かけて北海道まで航海するとのこと。いろんな体験ができると思うので、この年頃のお子様のいる人は、ぜひ参加させてみてください。お問合せは事務局0820-52-3082まで。・・・と、いちおう「しょうが焼き定食」のお礼に宣伝を(^_^;)。アパートに帰ると女子バレーのグランドチャンピオンシリーズが始まっていた。初戦、日本は惜しくも負けたが、いい試合だった。

[2005年11月14日]
 Windows98のパソコンを使っているお客さんから「韓国のブログを見れるようにして欲しい」という依頼があり、対応に行った。話を聞くと、友達の家のPCで見た韓国のブログの中に素敵な曲が流れていて、それを聴きたいということであった。Windowsアップデートのサイトから韓国語表示サポートファイルをダウンロードして、無事に韓国語を表示できるようになったのだが、問題はその後で、お客さんはハングル文字がわかるのかと思ったら、そうでもないらしい。当然僕もまったくわからない。画面の方は「Yahoo!Korea」を表示したとたんに(当然だが)ハングル文字だらけになっており、はて、目的のブログまでどうやってたどり着こうかと途方にくれた。ヒントはお客さんが友達のところでメモしてきたハングル文字のキーワードのみ。まるでパズルをしているように二人で目を皿にして画面を見つめてメモと同じハングル文字の単語を探した。(◎_◎;) ・・・が、結局途中であきらめて、ハングル文字が分かるという友達に電話して、向こうでも同じ画面を出してもらって、「画面の右側の青い四角の中の、上から何番目をクリックして・・」と電話で教えてもらいながら、ページをたどり、ようやく目的のブログに行き着いた。やれやれ。(^_^;
 ひと月ほど前に日記に書いた米ドルの小切手がようやく日本円になって僕の口座に振り込まれた。全部で約12800円だったのだが、手数料を2300円も引かれていた・・・。(ーー;)

[2005年11月13日]
 やはり・・と言うべきか、朝起きられず、昼便で島に帰った。(^^; 昼便が着いた時には、もう朝市は終っていて、かたずけをやっていた。
 家に帰ると、一週間分の郵便物の中に、藤井先生からのハガキが入っていた。台風被害の義援金のお礼のハガキであった。ハガキの裏に美川中学校の台風被害の様子や地元のお祭の写真がプリントされており、そこに写っている人々の中に、たぶんこれが藤井先生だろうと思われる姿があった。懐かしいなぁ。
 室津にある町の総合体育館で、今日まで川口健治さんの風景画展が開かれており、これを観たかったので、祝島−大島航路の不定期便「五月丸」に乗せてもらい、途中の室津で下ろしてもらった。夕方の定期船で出たのでは展示会に間に合わないので、昼過ぎに祝島を出ようとしていた木村先生に、僕の用事が済む3時ごろまで待ってもらったのだ。僕を待つ間、木村先生は島の近くで釣りをしていたようで、大きなタイを釣っていた。よかった、よかった。
 川口健治さんの展示会には、体育館一杯に200点余りの作品が展示されていて、なかなか見ごたえがあった。作品の中には、祝島の風景画も何点かあった。

[2005年11月12日]
 昨日とはうって変わって、朝から良い天気になった。夕方の便で島に帰ろうと思っていたが、午後からの田布施での仕事が微妙に延びてしまって、船に間に合わない時間になってしまったので、明日の朝便か昼便で帰ろうと思う。いちおう朝便の予定だが、起きられるかどうか・・・。
 島では明日は久しぶりに朝市があるようだ。天気も良さそうでよかった。(^_^)

[2005年11月11日]
 今日は一日中雨。夕方には横殴りの雨であった。アパートに帰って来てから、買い物に行くのも面倒だったので、適当に冷蔵庫の中などにあるもので夕食を済ませた。おかげで冷蔵庫の中はだいぶカラッポになった。
 チエミさんが送ってくれた祝島小学校校歌のギターコードをライブラリーのページに入れておいたので、ギターを持っている人はぜひ弾いてみてください。中学校の校歌も近いうちに掲載予定です。

[2005年11月10日]
 室津小学校でのパソコンの授業、いつもは3時間目なのだが、今日は参観日で講演会等の行事があるため2時間目になった。パソコンの授業が終って、せっかくなので3時間目の講演会を一緒に聞かせてもらった。講師は海外青年協力隊でパプアニューギニアに行っていた経験を持つ周防大島町の山本さん。なかなか興味深い話だった。パプアニューギニアには道路があまりなく、徒歩かカヌーが主な移動手段らしい。また、部族間の交流が少ないため、各部族ごとにまったく違う言葉を使っているらしく、400くらいの言葉があるようだ。主食はナントカ(もう忘れた^_^;)という木の幹から取れるデンプンらしい。あまり美味くはなさそうであるが、試しに一度味わってみたい気もする。

[2005年11月9日]
 祝島ネットで作る来年のカレンダーを発注した。カレンダーに入れるキャプションについて、午後から橋部さんと電話とメールを使いながら決めた。こういうやり方ができるのもインターネットのおかげである。刷り上りはおそらく12月初め頃になると思う。刷り上ったら、また蓬莱館に集まって、組み立て・袋入れ作業があるが、こういう作業を皆で集まってワイワイ話しながらやるのも、結構楽しいものなのである。
 こないだ祝島ネット21のメーリングリストで祝島小中学校の校歌のギターコードを誰か作れないかと聞いてみたら、チエミさんの旦那さんがチエミさんの歌でギターコードを作ってくれて、今日それが届いた。先日からちょっと練習している下手くそなギターで弾いてみたら、それなりに校歌に聞こえた。まだFとかDのコードが苦手なので、とぎれとぎれではあるのだが・・・(~_~;)。春には北野に集まって花見宴会をするという計画があり、そこで大合唱といきたいので、それまでに練習しておこうと思う。酒に酔っていれば少々ウソを弾いてもみんな気付かないだろう。

[2005年11月8日]
 夕方、仕事の前にちょっと腹が減っていたので、柳井のセブンイレブンでパンと「復刻堂」のホットコーヒーを買い、駐車場の車の中で食べていたら、何やら周囲が物々しい雰囲気に・・。気が付いたら、右にも左にも後にもパトカーが停まっている。「でぇ〜!わたしゃ何も悪いことしてませんで〜!」と思いつつ、しばらくキョロキョロしてみたが、事故車があるわけでもなく、捕り物が始まるわけでもなさそうで、もちろん車を取り囲まれて「おとなしく出て来い!」と言われるわけでもなさそうだったので、不思議に思いながらその場を後にしたのだが、あれはいったい何だったのだろう? まさか「おにぎり」を買いに来たわけじゃ・・・。(ーー;)

[2005年11月7日]
 昼便で島に帰ってきた。西が強くて、ハナグリが見え出すあたりからだいぶ揺れた。昼前にひらぎに出たら木村家の前にバイクが置いてあったので、家をのぞいて見ると、先生が帰ってきていた。木村先生はこの波の中を五月丸で帰ってきたようだ。おそれを知らん人だ。
 祝島ネット21で毎年作っているカレンダーの製作申込期限が迫ってきているので、夜、橋部さんのところに行って一緒に相談しながら5時間くらいかけてカレンダー用の写真を選んだ。夜中の1時ごろまでかかった。橋部さん、ご苦労様!

[2005年11月6日]
 旧大和町の束荷という所に初めて行った。山の中の里という感じの静かな所である。このあたりは紅葉が始まっておりちょっときれいだった。熊毛南時代の同級生のMくんは、こんな遠くから毎日自転車で通って来ていたのか・・と、今更ながら感心した。仕事の時間にちょっとだけ余裕があったので、伊藤公記念公園に行ってみた。ここ束荷は初代総理大臣・伊藤博文の出身地なのである。記念公園には、彼が生まれた生家や自身が基本設計をしたという伊藤邸、そして資料館などがある。伊藤邸に入ってみると、中には誰もおらず、シーンと静まり返っており、何か出てきそうな雰囲気だったので(~_~;)、さっさと各部屋を回って外に出た。資料館を観る時間はなかったので、また今度行ってみようと思う。仕事で行った家でMくんを知っているか聞いてみると、たまたま近所の家だったらしく、Mくんは去年、玖珂の方に養子に行ったと教えてくれた。若者が一人減ったと残念がっていた。
 明日は祝島に帰る予定なので、冷蔵庫の中の白菜の残りを全部食べようと、青りんごさんが井戸端会議に書き込んでくれた「白菜の塩っぺ和え」を作ってみた。千切りというには余りにも大雑把な切り方ではあったが、一夜漬けみたいな感じになって結構イケた。ドンブリ一杯あったが、完食した。

[2005年11月5日]
 今日仕事で行った家にはウルトラシリーズのおもちゃが山のようにあり、訪問したときも子供たちがウルトラマンマックスを観ていた。マックスが最新のウルトラシリーズらしいが、レッドキングやピグモンなど昔なつかしい怪獣たちも登場するらしく、お父さんも喜んで観ているそうである。どうやら30代〜40代のお父さん世代も番組のターゲットのようだ。仕事中も僕の後で子供たちは「ガイアー!」とか叫んで元気に遊んでいた。(~_~;)
 マーチンさんから久しぶりにメールが届いた。「先月オックスフォード大学に入学し・・・」と、なにげなく書いてあったが、とんでもなく凄いことであると思う・・。ウルトラマーチンなのだ。

[2005年11月4日]
 一昨日、なんとなく鍋物が食べたくなってスーパーで白菜を買ったのだが、一度には食べきれないので、夕飯は3日連続鍋料理となった。まだ白菜は残っているので、明日も鍋料理であろう。飽きないように、少しずつ具を変えたりスープにコンソメを使ってみたり、うどんダシを使ってみたりして楽しんでいる。以前に祝島に来ていた山脇駐在さんが冬には毎日鍋料理と話していたが、なんとなく気持ちが分かる。切って、煮て、適当に味を付けたら出来上がりなので、意外と面倒くさくないのだ。味も自分で食べるだけなので本当にいい加減だ。ただ、鍋がアルミの鍋なのがちょっとわびしいので、今度土鍋を買おうと思う。

[2005年11月3日]
 今日は「文化の日」で祝日である。にもかかわらず、仕事である。自由業のつもりが、実際は結構不自由だ・・(-_-;)。だが、悪いことばかりではない。3軒目に訪問したお宅のオバサンが親切で、帰りには柿をたくさんくれた。(^_^;) ここのお宅は、高校時代に僕が毎日通った通学路のすぐそばにあり、娘さんは熊毛南の卒業生のようなので後輩だ。おまけにオジサンには、大工で祝島出身の田中○○さんを知ってるか、と聞かれた。同級生の田中のヨッちゃんにたしか弟がいたような気がするので、彼のことではないかと思う。

[2005年11月2日]
 午前中、仕事で鳩子てんぷらの原田さんのところに行った。昼ご飯を一緒にということになり、原田さんの息子さんの手料理をいただいた。原田さんの息子さんは兄弟で柳井に「美食倶楽部はらだ」というお店を出している料理のプロなのだ。ちなみにこの兄弟のお兄さんの方は僕と同級である(学校は違うが)。柳井のこの店は女性に人気があるらしい。小規模の忘年会などにはおすすめのお店である。
 昼から柳井で仕事した後、また室津まで戻ってきて、橋部さんと一緒に明日開催されるアイランドフェア(上関町民の文化祭)の展示準備。祝島の歴史写真を展示した。盆に祝島で展示した写真の中からセレクトしたものだ。橋部さんは先日韓国で開かれた朝鮮通信使のイベントの写真も展示していた。みさきちゃんの運動会の絵も展示されていた。
 1ヶ月ほど止まっていた某プロジェクトが動き出した。止まっていた分だけ急いでやって欲しいということである。昨日一息ついたばかりだが、また忙しくなった。(ーー;)

[2005年11月1日]
 今日から11月。今年もあと2ヶ月だ。たまりに溜まっていた仕事やら会報作りやらがようやく一息ついた。ヤレヤレ。( ^^) _U~~ 昨日と一昨日の日記をみると、我ながらよほど余裕が無かったと見えて、あっさりしたものである。(~_~;)
 2月から車の中で聴き続けて来たプリンセス・プリンセスのCDにもようやく飽きてきて、何か他のCDを・・と思っていたら、100円ショップで日常英会話のCDを見つけ、ちょっとこれを聞いてみることにした。この中で面白かったのは、「慣用句」コーナーで、「秋の日はつるべ落とし」とか「井の中の蛙、大海を知らず」とか、日英の対訳が出てくるのだが、たいてい英語はじつにシンプルな表現になり、逆に日本語の表現力の豊かさを感じてしまう。たとえば「あとの祭り」を英語で言うと「It's too late.」なんとも味気ない。

[2005年10月31日]
 ようやく会報が完成。午前中一杯かけて印刷、午後から発送作業を行った。夕方の便でまた島を出た。

[2005年10月30日]
 昼便で島に帰ってきて、会報の編集作業を続けている。さすがにここまで追い込まれると気合が入ってきて、だいぶ進んだが、あと少し残っている。今晩中にはなんとか編集を終えて、明日、印刷と発送をやろうと思っている。

[2005年10月29日]
 車のタイヤがパンクした。1軒目のお客さんの所から2軒目のお客さんのところに行こうとしたところで気付き、ヤバイなぁ・・と思ったが、幸い近くに小さなガソリンスタンドがあり、そこに駆け込んだ。夫婦で経営しているような小さいスタンドで、ちょうど昼飯中だったらしいオヤジさんが駆けつけてくれた。圧巻なのはそれからだった。ほんの5分あまりの時間で、タイヤに刺さったクギを抜き、パンクを修理して空気を入れてくれた。最後にタイヤにツバをペッペッと吐きつけ、空気の漏れがないか確認するあたりがいかにも熟練の技術者らしくてカッコよかった。プロの仕事を見せてもらった気がする。
 明日は昼便で島に帰り、いよいよ会報編集の最後の追い込みだ!

[2005年10月28日]
 この頃は日が暮れるのが早くなった。このあたりでも夕方5時半にはだいぶ薄暗くなっている。就職して関東に行ったときには、冬になると夕方5時には外は真っ暗になっていてビックリした記憶がある。ところで、夏の間は日没後もしばらく明るいのに、冬には日没後にすぐ暗くなるのはなぜだろう?ふと疑問に思った。

[2005年10月27日]
 今月は祝島ネット21の会報発行月なのだが、まだ編集途中である。そろそろヤバイなぁ・・と思いながらも、なかなか気合が入らず、今日も途中で散髪に出かけたりした。今月はあと4日しかないのだが、まだ精神的に本当に追い込まれていないのだろう。僕はかなり追い込まれないと、なかなか動かないタイプなのである。
 話は変わるが、散髪屋に行って、待ち時間に久しぶりに新聞を読んだ。ニュースなどはテレビやインターネットでいくらでも見ることが出来るので、ここ数年は新聞は購読していないのだが、紙面を開いてみると新聞の下のほうにある広告欄は見ていて結構面白かったりする。折込チラシも見るのは結構好きである。ホームセンターや家電店の広告などはついつい隅から隅まで目を通してしまう。月300円くらいで、新聞の折込チラシだけ配達してくれるサービスがあれば申し込むのに・・。

[2005年10月26日]
 昼便でさんちゃんが島から出てきた。上関で出迎える予定だったが、中学校での仕事が延びて、ちょっと待たせてしまった。さんちゃんの祝島の感想は「異次元の世界みたいな場所だった」というもの。やはり祝島は何かが違うのだ。
 そのさんちゃんが昨日「いわい」に乗る前に、妙な発見をした。(昨日書こうと思っていたが、すっかり忘れていた。(~_~;))「いわい」のキップをよーーく見ていると、キップの模様の中に文字らしきものが見えるというのだ。たしかによーく見ていると文字に見えてきた。キップをあっちに向けたりこっちに向けたりしていると何種類かの文字が見えてきた。そして、それらの文字を組み合わせると、アッと驚く言葉になったのだ!!上関の待合室で、僕と上関航運の長谷川さんとで、「オーッ!オーッ!こりゃあ大発見じゃあ!」とやけに盛り上がってしまった。その言葉は、あえてここには書かないので、「いわい」のキップを買ったら、じーっと見つめてみて欲しい。気付いた時にはちょっと幸せな気分になれるかもしれない言葉なのである。(^^)

[2005年10月25日]
 最近188号線を走ると、セイタカアワダチソウの黄色い花が目に付く。特に平生近辺の道路脇の空き地や休耕田には、見渡す限りのサイタカアワダチソウが咲き乱れている。最近ノドの調子がおかしいのはコイツのせいではないだろうかと思う(ーー;)。平生町の農家の皆さん、なんとかしてくれ〜!
 上関小に行く前に、上関の桟橋で昼便に乗るさんちゃんを見送った。今日はさんちゃんは祝島に泊まっている。果たしてどんな感想を持つだろうか。

[2005年10月24日]
 十何年ぶりにさんちゃんに会った。たいして変わっていなかった。瀬戸内海の景色がきれいに見えるところに行きたいというリクエストにお応えして、一緒に大星山に登ると、偶然ステファニーさん(上関町の小中学校の英語の先生)たちも来ていた。さんちゃんは360度の展望に結構感動してくれた。その後、室積の「かんぽの宿」の展望風呂へ。展望風呂からは祝島もバッチリ見えて、気持ち良かった。入浴料は500円とたいして高くないし、景色もいいのでお勧めである。

[2005年10月23日]
 菊花賞。注目のディープインパクトが強さを見せつけ、シンボリルドルフ以来の無敗の三冠馬となった。その歴史的レースをN社時代に仲の良かったさんちゃん(明石家さんまにちょっと似ているのだ)が見に行ったらしい。さんちゃんは皐月賞もダービーも見たらしいので、こちらもある意味で三冠達成である。そのさんちゃんが京都競馬場に行ったついでに祝島まで来るらしい。ついでがずいぶん遠いような気がするが・・・。残念ながら僕は仕事のため島を案内することはできないが、明日の昼頃に、大島に仕事に行った帰りに大畠で合流することになっている。何年ぶりかわからないくらい久しぶりに会うので楽しみである。
 風呂上りに、こないだマット先生からもらった田布施名物の「いちぢく酢」でドリンクを作って飲んでみた。が、作り方を読まないでビンから適当にコップに流し込んで水で割ったら、「いちぢく酢」の量が多すぎたようで、強烈な味であった。あとで作り方の説明書を読むと、「大さじ2杯程度を300ccの水で割る」と書いてあった。どう考えても大さじ10杯分くらいは入れたような気がする・・。まさにディープインパクトな「いちぢく酢ドリンク」であった。(~_~;)

[2005年10月22日]
 午後から仕事で周防大島の久賀へ行った。この久賀には、町内で神様を1年ごと持ち回りで家に祀る風習があるらしい。秋にお祭をやって、次の家に神様が引っ越していくのだそうだ。神様を送り出す家の人は、次に祀る家のために新しいしめ縄を作ることになっているらしく、たまたま今日訪ねた家が、その家で、滋賀県からお嫁にやって来たという若奥さんが慣れない手つきでしめ縄を編んでいた。なんでも、その家でしめ縄を編んだ経験があるのは、その奥さんだけだそうで、それも小さい頃にちょっとだけ習ったことがある程度だそうで、なかなか苦労していたようだ。変わった風習ではあるが、これも技術の伝承に一役買っているのではなかろうか。

[2005年10月21日]
 ちょっと用事があったので、昼便で島に帰って夕方の便でまた出た。明日から来週土曜日まで仕事が詰まっていて帰れそうにないのである。夕方、島を出る頃にはずいぶん曇っていて、気温もだいぶ下がっていた。一気に秋が深まったような感じだ。
 夜、NHKの「ふるさと発スペシャル」を見た。鳥取の某企業の社内ベンチャーの責任者で薬師のいーちゃんが登場した。なかなか頑張っているようだ。テレビでもしゃべりは祝島なまりであった。(^_^;)
 小田原にいた頃に24時間リレーマラソンとかでうちのチームに入ってくれていたレイナちゃん(当時は中学生〜高校生だった)から、来年5月に横浜の「みなとみらい」で結婚式を挙げるので出席してくれとの電話があった。彼女は広末涼子に似ていて、我がチームのマスコット的存在であったのだが、時の経つのは早いものである・・・。

[2005年10月20日]
 今日は残念なニュースとうれしいニュースが一つずつあった。残念なニュースは上関原発共有地訴訟で、原発反対側住民が逆転敗訴となったこと。当然、最高裁に控訴することになると思うが、いずれにしても原発という時代遅れのやっかいもののために、これからも苦労しなきゃいけないことに変わりはなく、なんとなく気が重いのである。
 一方うれしいニュースは、吉田拓郎とかぐや姫が来年、つま恋でコンサートをやるらしいという話を聞いたことである。詳細は未定のようだが、やる日は9月23日と決定しているようだ。これは何があっても行かねば!! 75年のつま恋オールナイトコンサートにはまだ中学生の時で行けなかったが、ラジオ放送でもその興奮が伝わってきたものだ。その後、79年の篠島、85年のつま恋と拓郎のオールナイトには付き合ってきているのだ。来年がオールナイトなのかどうかも分からないが、体力的にこういうビッグイベントはこれが最後かも知れないし・・(~_~;)とにかく絶対に行こうと思う。

[2005年10月19日]
 今週金曜日の夜のNHK(中国地方)の番組に祝島出身の薬師のいーちゃんが出るらしい。調べてみたら。「ふるさと発スペシャル「景気回復は本物か」〜中国地方・各県からの報告」という番組のようだ。いーちゃんは鳥取に住んでいるので、鳥取代表で出るのだろう。いーちゃんのことだから祝島弁でしゃべってくれそうで、期待している。(^_^;)
 「ためしてガッテン!」で、有酸素運動が活性酸素を押さえる酵素を作り出すような話をしていた。最近、体のあちこちで老化現象と思われる症状が起こっているのも活性酸素のせいのような気がするので、さっそく久しぶりのジョギングをしてみた。これで少し若返っただろうか。夜空を見上げると、月と火星が仲良く並んでいた。

[2005年10月18日]
 パソコンテレビ「GyaO」(アドレスはhttp://www.gyao.jp/)という無料動画サービスをご存知だろうか。USENが運営するWebサービスなのだが、ニュースやドラマ、映画などを無料で視聴することができる。「冬のソナタ」などの韓国ドラマも観ることが出来る。ただし、動画なのである程度の回線速度が必要で、残念ながら祝島ではスムーズな映像を観ることはできない。今日、「あしたのジョー」の第32話「輝くリングへの道」を観て気付いたのだが、「あしたのジョー」のテーマソング(曲の最後に「あしたはどっちだ〜♪」っていうやつ)の作詞は寺山修司だったのだ。リアルタイムでテレビ放送を観ていたのは、たぶん30年以上も前の小学生の頃なので、当時は寺山修司という詩人など知らなかったが、今になって気付いてみると寺山修司っぽい詩であるなぁ。

[2005年10月17日]
 昼便で島に帰ってきた。午前中は観光マップの打合せ。午後から橋部さんとアイランドフェアでの写真展示の打合せ。
 ミチコさんから祝島ネット21会報のさし絵にする新しいイラストのシリーズを受け取った。これが結構笑えるのだ。ホームページで紹介したいところではあるのだが、グッと我慢して、会報の発行を待っていて欲しい。
 今夜は月食が見られるというので、9時ごろ外に出てみると、もう月は少し欠けていた。ひらぎに天体望遠鏡を持ち出し、しばらく眺めた。

[2005年10月16日]
 昨日は広島県湯来町の大森神社の秋祭りで奉納された神楽を見に行った。午後6時ごろ現地に到着。さっそく会場入りして、宴会が始まり、開演の8時には、もうみんなすっかり出来上がっていた。みち哲さんが舞台のすぐ前に場所を取っていてくれたので、今回もかぶりつきで見ることが出来た。
 神楽団では若手メンバーもだいぶ育っていて、立派に神楽を演じていた。しかし、やはりベテランメンバーの神楽を見ると迫力が違う。さすがである! 神楽の途中で登場した2歳か3歳の「お豆ちゃん」もとても可愛くて、ヤンヤの喝采を浴びていた。神楽が終ったのは夜中の1時頃。それから「どんぐり亭」のマスターの家に戻って3時ごろまで2次会。朝起きたら、マット先生はもう高松へ旅立っていた。
 湯来町からの帰りにみち哲さんの家に寄って「トングリ虫」の観察をしたりしてウダウダとしていたら、夕方の定期船に間に合わない時間になっていた。島には明日の昼便で帰ることにした。

[2005年10月15日]
 今日泊めてもらう「どんぐり亭」のマスターとみち哲さんへお土産を買いに室積の昔の商店街へ行った。中野昌晃堂という老舗のお菓子屋があり、「鼓乃海」という銘菓があるのだ。このお店は、何代も前(江戸時代?)に祝島の蛭子家と繋がりがあるらしい。店のおばあさんにきいてみたが、もうかなり昔の話で、よくは分からないようであった。この「鼓乃海」は、ニッキが効いていて、なかなか変わった味だが、やみつきになる美味さなのだ。昔、毛利藩主が食べて、たいそう気に入ってこの名を付けたのだそうである。
 これから柳井の木村家に寄って、先生と一緒に湯来町に向かう予定。天気の回復が遅いけど、メンバーがメンバーだけに仕方ないところだ。台風が来なかっただけでもマシである。今日は飲むどー!(^^)

[2005年10月14日]
 10月1日に「やない地域生活支援センター」がオープンした。地域の人々の心のケアをサポートするために作られた施設だ。僕も仕事柄この施設の立ち上げに少し関わった。主な目的は精神障害者の日常生活支援や自立・社会参加の促進などであるが、一般の方の悩み相談などにも応じてくれるようだ。また、施設は地域交流活動や、研修等にも利用できる。僕も仕事に疲れたら?ここに癒されに行こうと思う(^^)。まだオープンしたばっかりで、スタッフの皆さんは施設の広報活動をがんばっているようなので、僕も一役買おうと、とりあえずここで宣伝してみた。ぜひご利用下さい。問合せは電話0820-22-1205へ。
 さて、明日は広島の湯来町に大森神楽を見に行く日だ。今日は夕方から大雨になったが、明日は午後から天気は回復するようなので、たぶん神楽は大丈夫だろう。神楽は夜7時頃から夜中の12時過ぎまで行われるようである。明日の夜に備えて、朝は遅くまで寝ていることにしよう。(^_^;)

[2005年10月13日]
 仕事で大島に行った帰りに柳井を通ったので、ついでに久しぶりに首を引っ張りに行った。珍しく先客がいて待つことになった。待ったと言っても5分程度であるが・・・。本当はもう一人おばあさんが首を引っ張る予定だったが、おばあさんには赤外線治療を先にやってもらって、その間に僕が首を引っ張ってもらった。小さい医院だと、こういう融通がきくのがいいところだ。赤外線治療も見ていると気持良さそうであった。冬になったら暖かそうでなお気持ちよいであろう。一度試してみたいものだ。
 雑誌「Tarzan」にカヤッカーの内田さんが連載コラムで上関原発と祝島のことを書いている、という知らせを原さんからもらったので、ヤマダ電機にパソコンを買いに行った帰りに明屋書店に寄って読んでみた。(買わずに立ち読みするところがセコイ!(^_^;)1ページまるまる原発の話で、かなり気合の入ったコラムであった。原さんにしても内田さんにしても本当に心強い助っ人である。

[2005年10月12日]
 最近、夜に弱くなった。歳のせいであろうか。12時頃には眠たくてしかたない。以前は12時頃から目が冴えてきていたのに・・・。(ーー;)
 この編集日記を書かないうちに眠ってしまって、3時頃にハッと目を覚まして、日記を書いてまた眠るということも多い。じつは今日もそうだ。目を覚ましてはみたものの、たいした話題がないので今日はここまで。(^^;

[2005年10月11日]
 「発見!ふるさとの宝」に小田原の紙製甲冑が登場。そういえば毎年5月の小田原北条五代祭には自作の甲冑をつけている人たちが行列になっていたなぁ・・と懐かしかった。時代物の行列といえば、小田原のお隣の箱根でも江戸時代の参勤交代を再現する箱根大名行列という祭がある。たしか毎年11月の初めだったので今年ももうすぐだろう。僕はこの行列に出てみたくて応募したことがあるのだが、あえなく落選した。応募と言っても、殿様役やら「下にぃ〜。下にぃ〜。」とたける旗持ち役などという重要な役は絶対に回ってこなくて、せいぜい荷物持ちか何かなのであるが・・(~_~;)
 話は戻るが北条五代祭の楽しみは北条のお殿様の行列以外に、小田原城の公園で開催される和太鼓選手権(正式な名前はたぶん違う)であった。関東一円から終結した和太鼓のクラブ?の発表会なのだが、これがすごくカッコよかったのだ。広島で盛んな神楽もこれに通じるものがあるのだ。今週土曜日は広島県湯来町の大森神社のお祭で大森神楽があるらしいのでみち哲さんに誘われて見に行くことになっている。またしても大雨三人組&台風男が集結する予定である。台風20号もスタンバイしている?(~_~;)

[2005年10月10日]
 体育の日。みさきちゃんたちはお店の工事の足場を使って鉄棒の練習をやっていたが、僕はあまり運動しなかった。昼前に橋部さんのところに行き、橋部さんのホームページのメンテナンスをちょっとやったついでにあれこれと話をした。平さんの石垣の草刈は来年になってからにしようかということになった。白崎あたりは暖かいので、年内いっぱいはハミが活動しているらしいのだ。(~_~;)
 夕方の船で島を出た。だいぶ波があった。木村先生はこの波の中を五月丸で大島まで帰ったらしい。かなり揺られたのではないだろうか。台風20号が発生。来なけりゃいいが・・・。

[2005年10月9日]
 今日は久しぶりに祝島でのんびり過ごした。というか、昨日の飲み過ぎで、あまり何もしたくなかった・・・(ーー;)
 昼前に道端で写真を撮っていると、山本のモイチーさあが山からテーラーで帰ってきた、すれ違いざまに「われも早よー嫁をもらえよ!」と気合を入れられた・・・。夕方になって、運動不足解消に三浦まで自転車で行ってみた。途中、通り矢にある「桂木大明神」の祠が夕陽を浴びてオレンジ色に染まっていた。なんとなく御利益がありそうなので、お願いしておいた。こうなったら神頼みしかないのである・・・。(~_~;)

[2005年10月8日]
 いや〜、今日は飲んだ飲んだ。たかしくんの披露宴、5時半から始まって、何次会かわからんけど、夜中の2時まで飲んでました。以上!

[2005年10月7日]
 衣替えの時期である。朝晩の気温は下がってきたが、まだ昼間の気温は高いので、僕はまだ外に出るときは夏と同じ格好である。こないだ学校に行ったら、中学生はだいぶ冬服に着替えている生徒もいたが、暑そうであった。たしか小中学校や高校では、10月の最初の1週間は夏冬どちらの服でもよかったような気がする。来週からみんな冬服になるのだろう。僕もそろそろ秋らしい服装に変えねば。
 明日はたかしくんの結婚披露パーティーがあるので、夕方の便で島に帰る予定。島では久しぶりのおめでたい話題だ。

[2005年10月6日]
 柳井での仕事の後、午後3時直前に山口銀行に駆け込んで、ようやく例のドル小切手の払い出し手続きができた。が、入金されるのは1ヶ月先になるらしい。そういえば申請用紙には「この人(会社)があなたにこのお金を払う理由は?」という質問まであってビックリ。小切手なるもの、なにやら面倒くさいものだ。気がついたら銀行のシャッターは全部閉まっていて、手続きをしてくれた行員さんが裏口(と言うのだろうか?)から出してくれた。
 そのあと、木村先生に頼まれていた理科の実験道具をヒロコさんのところに預けに行き、アパートの階段でしばらく世間話。なんとなく「ひらぎ」での立ち話の雰囲気を醸し出していた。

[2005年10月5日]
 先日、老人介護の仕事をやっていた友人に久しぶりに電話をしてみると、最近その仕事はやめたらしい。この仕事を始める若い人は多いらしいが、2〜3年でやめていく人も多いらしい。やめる理由は給料が安いからかと思ったら、それよりも体力的にかなりきついのだそうだ。中途半端な体勢で老人を抱えあげたりすることが多く、腰痛になる可能性が高いらしい。どんな仕事も大変なんだなぁ。
 そういえば、昨夜、台所で食器を洗っていると、突然腰の辺りに鈍い痛みが・・・。「うっ、もしかしてギックリ腰?」と思ったが、なんとなく違和感がある程度で、痛くて動かせないというほどの痛みでもないし、とりあえずほうかっておいたら治った。いったいあの痛みは何だったのだろうか?気になるなぁ・・。(ーー;)

[2005年10月4日]
 昼便で島に帰って、夕方の便で出た。ここのところ祝島にいる時間が短い。(ーー;)
 久しぶりにミチコさんに会うと、練り塀のミニチュアを作っていた。祝島の浜や畑で拾った石と紙粘土で作ったらしいが、これがなかなか良く出来ていて笑える。石の積み方は平さんに聞いたり、実物を観察したりして研究したらしいので、ミニチュアとは言え、本格的なのだ。瓦の部分が缶ビールの缶でできているのにはたまげた。さすがに器用だなぁ・・と感心する。
 郵便局に新しい局長さんが来られていたが、残念ながら今日は話す機会がなかった。
 夜中になって、見積もりで1万7千円かかると言うので、修理せずに昨日返してもらったデジカメの外科手術をしてみた。なんとか撮影できる状態になったので、いちおう手術は成功ということにしよう。(~_~)

[2005年10月3日]
 昨日は原さんたちと一緒に焼肉を食べ、生ビールを飲む、という集まりだと思っていたのだが、行ってみると何やら青少年たちの企画するイベントの打合せであった。周南市で何か青少年のイベントをやるらしい。僕と木村先生とカヤッカーの太田さんは青中年なので、なんとなく場違いのような気もしたが、その割にはあれこれ口出ししたような気がする。ま、酒の席だし・・。(~_~;) とにかく、青少年達にはしっかりがんばってもらいたい。
 櫛ヶ浜にある原さんのショップ・ダイドックで一泊させてもらい、早朝に室積に帰った。7時の電車に乗り、普通の通勤・通学の雰囲気を久しぶりに味わった。

[2005年10月2日]
 今日は上関小学校の運動会。祝島からみさきちゃんと蛭子一家そして応援団?も参加した。祝島のおばさんたちの陣取ったテントは人数少ない割には一番賑わしく、運動会を盛り上げていた。(^_^;)祝島のおばさんたちはどこに行っても祝島流を貫き通す。さすがである。みさきちゃんもその応援に応えるように、一生懸命頑張っていた。短い練習時間で団体演技もちゃんとこなしていた。僕も先生役(いちおう先生なのだ)で何種目かに出してもらって楽しんだ。(^o^)
 上関小も今回が最後の運動会ということで、昼休み前に地域の人も全員で運動場に出てきて記念撮影をした。なんと僕は撮影のために高〜い木の上に登ることになった。「下りるときにビビッちょったのう」と後で言われたが、あれはビビッていたからではなくて、木の枝がシャツに引っかかっていて、なかなか下りられなかったのだ。でもじつはちょっとだけビビッていた。(;一_一)
 3週続いた秋の運動会シーズンも今日で終わりである。夜はシーカヤッカーの原さんたちと飲むために徳山へ。

[2005年10月1日]
 仕事で大島の伊保田(大島の一番シッポのあたり)に行った。仕事は午前中で終ったので、午後はあちこち回ってみた。まず行ったのは伊保田にある陸奥記念館。戦時中に伊保田の沖で謎の爆発・沈没をした戦艦陸奥のいろいろな資料を展示している立派な記念館だ。戦時中のことはあまり知らないので、勉強になった。学習コーナーにおいてあった山口県の歴史をまとめた何冊かの本をめくってみると、祝島の神舞の歴史や戦時中に祝島と上関の学徒が光工廠で爆撃に遭い犠牲になったことなども書かれていた。神舞の歴史の中には安土桃山時代から江戸時代にかけて祝島が「岩見島」と呼ばれていたことも書かれていて、これまた勉強になった。明治の初めに島民が嘆願して「祝島」に戻してもらったらしい。
 次に陸奥記念館のすぐ近くにある「なぎさ水族館」へ。小さい水族館だが、結構面白かった。1階は身近な瀬戸内の魚が展示されていて、カラッコーやネーピーもいた(^^)。子供たちがこぶって遊べる池もあり、なかなか賑わっていた。さすがにその池にはカラッコーは泳いでいないようであった。田ノ浦で発見されて話題を呼んだナメクジウオも見ることができた。2階は珍しい生き物が中心の展示。中でも流氷の天使と呼ばれるクリオネが目玉だ。なかなか可愛らしかった。
 最後に行ったのは沖家室。3年ぐらい前に祝島に来られた松本さんのところを訪ねた。松本さんは「民宿鯛の里」を経営されており、沖家室のホームページも運営して、地元のPRに頑張っているのだ。3年前に「今度は僕が沖家室に行きます」と言っておきながら、ずーっと行っていなかったので、やっと約束が果たせた。
 室積に戻ってくると、ホームページのアクセス数が20万を超えていた。記念すべき日となった。皆さんのおかげである。

[2005年9月30日]
 朝早くに中学3年のときの担任の藤井先生から電話がかかってきた。中学校を卒業して以来、約30年ぶりである。当時とあまり変わらない懐かしい声であった。数日前に美川町の台風災害の復興の義援金を祝島中卒の同級生数名でまとめて送り、そこに手紙を添えていたので、そのお礼の電話だった。前にも書いたが、現在、藤井先生は美川中学校の校長先生をやられている。学校もかなり被害を受けたようである。だいぶ片付いてきたらしいが、まだ復興作業は続いているようである。久しぶりに目にする教え子の名前に、先生もとても懐かしく感じたようで、今度ぜひみんなで集まる機会を作って欲しいと話されていた。先生にそう言われては、何かやらないわけにはいかないだろうと思っている。

[2005年9月29日]
 午前中は室津小で1・2年生の授業。子供たちはパソコンに少し慣れると、手当たり次第に画面のボタンをクリックしまくり、次々に新しい技を発見していく。好奇心のかたまりである。1・2年生の手にはマウスが大きすぎて、使いづらそうな感じではあるが、それでも楽しんでいるようである。
 午後からは柳井で仕事。時間があれば山口銀行柳井支店に行って、米ドル小切手の処理をやるつもりだったが、残念ながらまったく時間が無く、またしても先送りになった。デオデオから、先日頼んでおいたデジカメの修理費の見積もりの連絡があり、1万7千円!\(◎o◎)/!かかるとのことである。悩む余地もなくアッサリと修理は断った。自分でなんとかしてみよう・・・(ーー;)
 夕食にエリンギ丼を作ってみた。じつは昨日も作ったのだが、味が濃すぎてイマイチだったので、1本余っていたエリンギで再挑戦。昨日の反省点を活かして、今日はまずまずの味であった。

[2005年9月28日]
 久しぶりに平日に時間があったので、例の米ドルの小切手を現金にしようと思い、徳山の都市銀行に向かったが、途中気が変わって山口銀行の光支店に寄ってみることにした。窓口で聞いてみると、どうやらここでも現金にできそうな感じであったが、自分の口座を持っている支店に行かないと駄目だということになり、もう少しのところで現金化できず、明日柳井支店に行くことにした。銀行員が「シティバンクの小切手なので、どーのこーの」と話していたが、とりあえずそう簡単には日本円にしてもらえないようである。こういう面倒くさいものは大嫌いである。そういえば、小切手には有効期限があることも初めて知った。有効期限は発行から6ヶ月間らしく、今回はまだ間に合うようだ。
 夕方になって、哲ぼんさんから「柳井に集まろう」という連絡が入り、柳井の木村邸に「怪しい中年隊」(^_^;)が集合し、何やら怪しい会合を開いた。

[2005年9月27日]
 アパートが室積なので、柳井方面に行くにしても、下松方面に行くにしても188号線の海岸線をドライブすることになる。柳井方面の場合は祝島も良く見える。海を眺めながら車を走らすのはなかなか気持良く、運転しながらも顔は海の方を向いていることが多く、ちょっと危ない(^_^;)。夕方、日が沈む頃などは、もっとゆっくりと眺めていたいと思うことも多いのだが、海岸線は信号機もなく、みんな結構飛ばすため、トロトロしていると、すぐ後に付かれてしまうので、そうのんびりもできないのが残念である。今日も、柳井からの帰り、象鼻ヶ岬の向こうに沈む夕陽がきれいで、「正平さんもこんな夕陽を見て、祝島に来てみたくなったのかなぁ・・」と思った。

[2005年9月26日]
 昨日思いっきりストレスを発散した代わりに、今日は思いっきりストレスを吸収した。(ーー;)人生楽あれば苦ありである。
 ビデオに録画しておいた昨日の「新日曜美術館」をあらためて見直した。正平さんが祝島の波止で絵を描いているシーンが出てきた。こんな映像があったんだぁ、と感激した。貴重な映像である。最後の字幕に「みさき旅館」さんと「木村力」さんも流れた。

[2005年9月25日]
 室津小の運動会へ行った。来年から統合小学校になるため、室津小としての運動会は今年が最後ということで、地域の方やOBの方がたくさん来られていた。子供たちも元気一杯がんばっていた。結構面白い競技が多かった。運動場が狭いので直線が短いかわりに、徒競走などは1人が1周半くらい走るので、どこで見ていても目の前を走るというメリットはある。橋部さんは来賓で来ていた。河村のヨッチーさんもなぜか観客席でビールを飲んでいた。僕は「つり名人登場」「わたしはだぁ〜れ?」「男女対抗綱引き」に出て、楽しませてもらった。(^^)
 朝、入場行進の時間にギリギリだったので臨時駐車場から急いで学校に向かっていたら、浅海駐車場のオバサンが「ここを通って行きんさい。すぐ階段があるけえ、そこを上がったら近いよ」と教えてくれたので駐車場の中を通って裏道に出たら、なるほど階段があったので、そこを登ったのだが、ずいぶんヤブになっていて、「えらいヤブじゃのう。本当にこの道でえいんじゃろうか?」と思いながらイバラに引っかかりつつ上まで上がると「室津中学校」と書いた門があり、小学校の運動場の上の方に出た。教頭先生にはちゃんと見られていて「なんであんなところから登場するんじゃろうか?」と思ったそうである。後で確認すると、僕が登った階段のすぐ近くに、小学校の運動場に出てくる別の階段があった。(~_~;)イバラに引っかかって腕から血を流した替わりに室津中学校跡地を発見した。
 運動会が終ってアパートに帰ると、ちょうど琴欧州vs千代大海の一番が時間になっていた。ここでは琴欧州が勝ち、朝青龍との優勝決定戦になり、おおいに盛り上がったが、決定戦は朝青龍の圧勝であった。また来場所に期待しよう。

[2005年9月24日]
 久しぶりに祝島でのんびり過ごし、夕方の船で島を出た。そのまま柳井のデオデオに行って、デジカメを修理に出した。いくらかかるのだろうか・・・(ーー;)
 琴欧州は2連敗で、ついに朝青龍に並ばれてしまった。「琴馬珍」などと書いてから調子が悪くなったようだ。悪いことをした。明日は千秋楽、がんばってもらいたいものだ。できれば本割では両者共に勝って、優勝決定戦で琴馬珍・・・じゃなくて琴欧州が勝ってくれると盛り上がるのだが。

[2005年9月23日]
 昼便で島に帰ってきた。今日から3連休ということで、「いわい」にはよそから来た人がたくさん乗っていた。木村先生は同じ長屋(職員住宅)の河野さんはじめ大島の若者達と一緒に乗っていた。河野さんとは前に一度一緒に飲んだことがあるのだが、すっかり忘れていて、顔はどこかで見たことがあるんだが・・・・となかなか思い出せなかった。(~_~;) 船を下りると、えべす商店が改装工事中であった。どんな姿に生まれ変わるのであろうか。楽しみである。
 中郷の国広のおばちゃんがいらないアンテナ線を切ってくれというので、切りに行った。先週アンテナ取り付けに行ったときに、裸足で屋根に上がったら、何かのトゲが足の裏に何本かささったので、今日はクツを履いて上がったが、今度は手にトゲがささった。どうやら屋根瓦の上から塗っているグラスファイバー?の繊維がささっているようである。片手ではトゲがうまく抜けないので、木村先生のところに行って、よく目が見えそうな大島の若者に抜いてもらった。助かった。
 デジカメの調子がずっと悪かったので、直してやろうと思って、ドライバーでつつきまわしていたら、壊れてしまった。いや、壊してしまった。いらんことをするのではなかった・・・(ーー;)。

[2005年9月22日]
 今日の午前中は室津小へ。今日は運動会の練習と聞いていたので、気合を入れて体育の服装で登校したら、運動会の練習は1・2時間目だけで、10時に行ったらすぐに終ってしまった。気合が空回りであった・・・(ーー;)
 昨日インストールした「POPFile」はなかなか優秀だ。たった1日でほぼ実用レベルまで学習して、迷惑メールとそれ以外のメールを自動で仕分けしてくれるようになった。迷惑メールで困っている人にはおすすめのソフトである。しかも無料だ!ダウンロードしたい人はこちらから。このソフトの統計によると、昨日から届いた56通のメールのうち41通、じつに73%が迷惑メールである。この状況を変えるには法的措置(つまり罰金)をとらないとおそらく無理であろう。若い新人国会議員の皆さんにがんばってもらいたい分野である。

[2005年9月21日]
 以前から迷惑メールは来ていたが、今年になってからものすごい数になっている。今は届いたメールの8〜9割は迷惑メールではなかろうか。ムカつくなぁ(`´)。一度、メールサーバの自動フィルタリング機能を使ってみたが、何人かの友人のメールがフィルタにひっかかってしまって、大変な目に遭ったのですぐにやめた。で、今まではしかたなくメールソフトのメッセージルールで対応していたが、迷惑メールの方は手を変え品を変え送ってくるので、いくらルール設定してもモグラたたき状態できりがないので、困っていた。今日は午後から少し時間があったので、「POPFile」というフリーで使えるフィルタリングソフトをインストールしてみた。最初のうちは、「これは通常のメールで、これはスパム(迷惑)メールで・・」と教えてやらないといけないが、だんだん賢くなっていくのが実感できて、これは使えそうだという気がする。近いうちに効果を報告できると思うので、迷惑メールで困っている皆さんは参考になるかも。
 大相撲は新関脇の琴欧州が初日から破竹の11連勝で単独トップ。これは意外であった。なんとなくマーチンさんを思い出させる顔つきである。さて、あと4日間、どうなるだろうか。

[2005年9月20日]
 上関小で4年生の授業。点字について調べて発表するためにインターネットを使った。点字については僕もあまり知らなかったので、勉強になった。子供たちはすでに教科書などでいろいろと調べており、フランスのルイ・ナントカさん(もう忘れた(ーー;))が発明したのだと子供たちが教えてくれた。6つの点の配置(サイコロの6の並び)が基本になっているようだ。
 授業が終って港に出ると、ちょうど「いわい」が入ってきた。誰か乗っているかなぁ?と思って港から見ていると、前の客室にサトシくんたちが乗っていた。カズマくんも窓から覗いていたので、手を振ってやったが、いつもと違ってネクタイをしていたので気付いてもらえなかったようで、「だれ?(・.・;)」という顔で窓からこっちを見ていた。サトシくんが横で「今日は変身しているがクニヒロのオジサンじゃ」と説明してくれたのか、「いわい」が出る間際に、ようやく手を振ってくれた。(^_^;)

[2005年9月19日]
 昨日から睡眠不足であったが、カヤッカーの原さんがツアーで島に来ているという連絡を昨晩受けていたので、早起きして朝一番の船で島に帰った。家に着いてから1時間ばかり眠る。その後、原さんたちと話をして、10時前に東波止で出発を見送り。それからまた1時間ほど眠って、酒井さんの家のアンテナ工事。部品がなくてとりあえず応急処置をしておいた先週の続き。少し遅い昼御飯を食べて、また1時間ほど眠り、今度は中郷の国広さんの家のアンテナ工事。夕方の便で島を出て、柳井でひと仕事。アパートに帰ってウトウトしていたら、同級生のユウサアから電話。それが終って、またウトウトしていたら、今度は上関のHさんから、プリンタがおかしいと電話。とにかく眠い一日だった。(-_-)zzz

[2005年9月18日]
 今日は防府市の甥っ子の運動会へ。毎年恒例のカメラマン役である。Uターンして以来毎年行っているが、いつも甥っ子を探すのに苦労する。徒競走などの個人競技の場合は、スタートラインに並ぶときに注意して見ていればいいのだが、大変なのはダンスとか組み体操とか、そういう団体競技のときである。今ここにいたかと思うと、クモの子を蹴散らすように、動き回るし、展開の先が読めないので、とにかく見逃さないように追い続けるしかない。しかし、二人が(二人兄弟なのです)同時に出ているダンスなどの時は、一人だけを追い続けるわけにはいかないので、運動場の周りをあっちに行ったり、こっちに行ったり、駆け回って探す羽目になる。カメラマンもけっこういい運動になる。(^_^;)

[2005年9月17日]
 仕事で岩国市のちょっと山奥の方に行った。今日行った場所は先日の台風14号の被害はあまりなかったようであるが、錦川流域は大変な被害になっているようだ。山陽道が崩れて通行止めになっているうえ、一般道もだいぶ通行止めがあるようで、2号線をはじめ岩国市の渋滞は相当ひどいようである。帰りの車の中で、中学時代の担任だった藤井先生がこのあたりの中学校の校長先生になっているという話を重村の雅之から聞いたのを思い出し、家に帰ってから調べてみると、やはり今回大きな被害を受けた美川町の美川中学校の校長先生だった。学校もかなり被害を受けているようである。「美川町災害ボランティアセンター」のブログを見つけたが、まだまだ復旧作業は続いているようで、今からでも何かできないかと思う。

[2005年9月16日]
 柳井のイズミの中のうどん屋で昼食を食べていたら、立道のおばちゃんが店に入ってきた。朝便で島を出て、周東病院に行った後だったらしい。祝島から周東病院に入院したり通院したりしているお年寄りは多く、誰それが一緒だったとか重村さんは退院したとか、いろいろと情報を教えてもらった。
 中国電力が陸上のボーリング調査で県に提出した環境保全措置と違う方式で調査をしていた事件で、綿谷副知事が「あなた方の姿勢はまったく地に落ちた。」と中電の副社長を叱りつけていた様子がニュースで報道され、少しだけ胸のつかえがスッキリした。これで詳細調査は当面の間ストップしそうである。

[2005年9月15日]
 大陸からやってきた乾いた高気圧に覆われて、朝から爽やかな晴天となった。188号線から眺める祝島も、なんとなく秋の雰囲気である。室津小に行くと、秋空の下で運動会の練習の真っ最中であった。運動会まであと10日ということで子供たちも先生方も、かなり気合が入っているようだ。来週は運動会直前なので、パソコンどころではなさそうである。僕も来週はジャージを着て行こうかと思う。パソコン教えるよりそっちの方が楽しそうだ。(^^;
 そういえば今日は9月15日で敬老の日なのになんで休みじゃないんだろう・・・と思っていたら、いつの間にか敬老の日もハッピーマンデーに組み込まれていて、今年は19日になっていた。僕はハッピーマンデー制度はあまり好きではない。どちらかというと大きなお世話だと思っている。祝日にはそれなりに意味があって、その日に決まったんだろうし、毎年コロコロ替わられては、その意味が薄れるような気がするし、覚えにくいではないか。連休を取りたければ堂々と有給休暇を使って連休にすればいいのだ。それに、飛び石連休の隙間を有給休暇で埋めて長い連休にする楽しみがなくなってしまうではないか?今回も15日が休みなら16日を有給休暇にすれば4連休になるのである。ま、脱サラした今となっては、休日はあまり関係ないし、有給休暇というものがないので、どーでもいい話になってしまったのだが・・。

[2005年9月14日]
 今夜の「その時歴史が動いた」の主役は二宮金次郎であった。あまり知られていない大人になってからの二宮金次郎の話だった。何年か前の日記にも書いたかもしれないが、僕が小田原に住んでいたときの住居は、二宮金次郎の生まれた栢山村のすぐ近くだった。せっかくご近所なので彼のことを書いた本も読んだことがある。彼を育んだ酒匂川にかかる報徳橋(彼の報徳の教えにちなんだ名前だ)を毎日渡って会社に通っていた。酒匂川の土手には今でも彼が子供時代に植えた松が何本も残っており、その横のサイクリングコースを僕はよくジョギングしていた。足柄山の向こうに富士山も見えて、なかなか風光明媚で、好きな場所であった。今日の放送に見たことのある風景も映っていて、ちょっと懐かしかった。あれからもう6年が経つが、感覚的にはまだ2〜3年前のような気がする。バブル期だって、そんなに昔じゃないと思っても、もう20年近く前の話である。そう考えると、太平洋戦争終結から僕が生まれるまでわずか17年しか経っていなかったということはとても不思議である。生まれてからずっと、戦争は遠い遠い昔のような気がしていたからだ。時代感覚というものはじつに不思議なものである。

[2005年9月13日]
 久しぶりに上関小に行ったら、先生方は運動会の準備で忙しそうだった。運動会と言えば、紅白の得点表の周囲を飾る”ちり紙で作った花”を覚えているだろうか?(入学式や卒業式のときに胸につけたりもする学校行事には欠かせないアレである。)世の中には面白いものを考える人がいるもので、あの”ちり紙の花”を作る機械を考えた人がいるらしく、それをまた物好きで買った人がいるのだ。考えた人は誰か知らないが、買った人は熊南時代の同級のO田先生である。「花子さん」という商品名で8千円くらいしたらしい。せっかくなのでどうやって花を作るのか見せてもらったが、プリントゴッコ程度の大きさの装置にちり紙を挟んでガチャっとやると、アラ不思議!見事なお花の出来上がり!\(◎o◎)/!・・・となるのかと思ったら、世の中そんなに甘くはなくて、「花子さん」は、ちり紙を蛇腹状に折り曲げるところまでやってくれる機械で、その後の工程(真ん中を輪ゴムでとめて、花のように開いていく)はご自分でやってください、というなんとも中途半端な機械であった。(ーー;)どちらかというと、「花子さん」の後の工程の方がめんどくさいような気がするのだが、O田先生にとってはご自慢の一品であるようで、じつに楽しそうに実演してくれた。(^^)
 そういえば、残念ながら今年は祝島では運動会はやらないようである。みさきちゃんは上関小と一緒に運動会をやるようで、9月に入ってから何度か練習のために上関小に来ているようである。上関小の運動会は10月2日(日)。皆さん、みさきちゃんの応援に駆けつけましょう!

[2005年9月12日]
 台風のあとテレビが映らなくなった家は結構あるようで、昨日飲んでいるときにSさんが「でんでん映らんけえみてください」と言って来られたのだが、さすがにあの泥酔状態で屋根に上ったら、間違いなく落ちるじゃろうと思い、「明日行く」と返事をしたので、今日は午前中からSさん宅の屋根に上がってみた。昨日にもまして太陽光線が強くて、屋根の上はジリジリと焼け付くようであった。分配器が潮水でやられていたのと、アンテナが少し回っていたのが原因であった。Kさんも見てくれと言ってきたが、こっちはアンテナそのものがだいぶボロボロになっていたので、新しいのを買うことにした。祝島ではアンテナの寿命は短い。
 バーベキューで盛り上がって酔っ払っているうちに、選挙は自民の圧勝に終わり、大相撲は朝青龍の黒星スタートで幕を開けていた。マット先生は昼便で島を離れ、僕は哲ぼんさんにもらったリンゴとナシをかかえて夕方の便で島を出た。

[2005年9月11日]
 「マット氏を囲んでバーベキューをする会」を開催。今日は近年まれに見る楽しい一日であった。台風男(マット氏)や大雨三人組(みち哲&クニヒデ)という強力メンバーが集結したわりには、昨日の大雨から一転して良い天気に恵まれた。今日は飲むぞ!というみんなの気合いが雨雲を押しのけた格好になった。その気合どおり、石井波止を舞台に「俺たちの旅」的な青春ドラマが展開された。みっちさんたちが買ってきてくれた肉の他、釣りたての魚や獲りたてのカタガオなど祝島らしい食材も揃い、さんざん飲んで食ったあげく、男たちはパンツ一丁で泳ぎだし、疲れて波止に上がって、いつのまにか眠りこけ、全員が「どーするアイフル」的日焼けになった。(^_^;)それぞれ青春の1ページとして胸に強く刻まれたに違いない。

[2005年9月10日]
 今日は仕事で大島へ行った。仕事が終って、「さーて帰ろう!」と思ったら、車のキーがない!「もしかして・・」といやな予感がしたが、その予感通り、キーは車の中にぶら下がっていた。つまりキーを中に入れたままでロックしていたのだ。その家の人が、薄い板状の物をあれこれ探してくれ、僕がドアのガラスの隙間から突っ込んでたつってみたものの、結局ドアを開けることが出来ず、自動車修理工場の人を呼ぶことに・・・。修理工場のオジサンがやってきて2〜3分で開けてくれたが、これで作業費2500円也である。うっ、今日の儲けが飛んでいく・・・。(T_T)
 「いったいこんなところまで何をしに来たんじゃろうか」と後悔しながらも、「せっかく大島に来たので」と思い直し、大島の知人のところに寄って少し話しをして、夜7時過ぎに帰ろうとしたら、今度は大雨になり、大島大橋を渡るころにはものすごい土砂降りになった。ワイパーを全速で動かしてもほとんど前が見えず、大変な目にあった。今日は本当に散々な一日であった。(ーー;)

[2005年9月9日]
 朝便で島を出ると、一日中なんとなく眠たくて頭がスッキリしない。おまけに今日はずっと忙しかったので疲れた。仕事帰りに久しぶりに首を引っ張りにK医院へ行った。治療中、台風の話で盛り上がったが、しゃべりながら引っ張ったので、今日はだいぶアゴに負担がかかったようだ。(ーー;)日曜日に祝島で「マット先生を囲んでバーベキューをする会」を開催するため、ナフコで炭を買って帰った。
 晩飯を食べてちょっと横になって気付いたら夜中であった。ヤバイ!明日の仕事の準備が・・・(@_@;)

[2005年9月8日]
 夕方の便で島に帰ってきた。明日の朝便ではまた出るので、短期のプチ帰島?である。何のために帰って来たかと言うと、主には中波止に避難させていたボートを東波止に戻すためだが、同級生のユウサアから家を見てきてくれという話もあったし、今週は土曜日も仕事で帰れそうになかったので、とりあえず一旦帰ってきた。
 祝島では台風の被害はあまりなさそう・・・と昨日は書いたが、まったく被害が無いわけではないようだ。まずハエの方の道は崩れてテーラーは通れないらしい、三浦の方の海岸の道路も一部で崩れているらしい。どっちも実際に見たわけではなく、聞いた話なので詳しいことまでは分からない。それから、東方の方は特にだが、海水(飛んできたシブキ)をかぶって、畑などの植物はほとんど枯れている。今度の台風は雨台風ではあったが、風がおさまる前に雨があがったので、降りかかった海水が流されずに、そのまま残ってしまったのだ。祝島ではこのパターンが多い。ときには雨がまったく降らず、海水だけが降ってくる場合もある。こればっかりはどうしようもない。
 話は変わるが、本日、衆議院選挙の期日前投票をしてきた。その時の会話。「まず小選挙区の投票を」「はいはい」サラサラ(投票用紙に書いている音(~_~;))・ストン(投票箱に入れた音(^_^;))、「次に比例区の投票を」「はいはい」サラサラ・ストン、「次に・・」「まだ何かあるの〜?!」「最高裁判所の・・・」「そんなの分からないよ〜!」ストン(サラサラが抜けてるところがミソ)。ということで、あの最高裁判所の裁判官の信任投票って、意味あるのだろうか?誰がどのような事件でどのような判決を下したなど、ほとんどの人は知らないであろう。やるのなら、国会議員の選挙とは別の機会を設けて、ちゃんとテレビなどでも判例などの紹介をしてくれないと、分からないよ〜。

[2005年9月7日]
 祝島は台風の被害はあまりなさそうでホッとした。岩国の方は結構被害があったようで、錦帯橋の橋脚も一部が流されたようだ。午前中188号線を走ったら、海岸沿いはまだ波が打ち上げていてワゴンR号は少ししぶきをかぶった。そのワゴンR号は本日10万キロを達成!川崎から小田原に引っ越したときに買って以来、よく走ってくれている。小田原にいるときは週末の買い物にちょこっと乗るだけだったが、最近は仕事の関係で週に500キロくらい走っている。ガソリン代の値上げが痛い!(*_*)

[2005年9月6日]
 ついに台風がやってきた。今日は予定通り、一歩も外に出ていない。家で仕事をしていたが、つけっぱなしのテレビから流れる台風情報が気になって、あまり仕事ははかどらなかった。朝はパン、昼食はチャーハン、夕食はギョーザを作った。ギョーザは焼くだけだが、火が強すぎてコゲてしまった・・(ーー;)。チャーハンはまずまずの味であった。
 朝からずーっと雨、昼から雨はさらに強まる。夕方からかなり風も強くなり、夜に入って停電も繰り返すようになった。祝島も停電を繰り返しているようだ。長い停電に入らないうちに日記を書くことにした。

[2005年9月5日]
 明日の台風接近に備えて食料を買い込んだ。明日行く予定だった上関小も休校になったようでキャンセル。これで明日は一歩も外に出なくても大丈夫である。去年の経験が活きているのか、みんな台風に備えて食料を買い込んでいたため、近所のスーパーではパンなどは見事に売り切れていた。売り場に1個も商品がないことなど滅多に見られるものではない。ラーメンなどもだいぶ売れたようである。僕は普段あまり買わない野菜なども買った。使うかどうかわからないコンソメスープまで勢いで買ってしまった。停電になったらレンジでチン!ができないので、それなりに料理をせねばなるまい。
 今度の台風は強いうえに速度が遅いので祝島は心配である。昨年のような被害がでなければいいが・・・。うちもこないだ付けたばかりのアンテナが倒れるくらいならまだいいが、やっと直した実家がまた壊れたらショックである。被害が少ないことを祈るしかない。

[2005年9月4日]
 朝から蓬莱館の戸板をたてたり、家の雨戸を閉めたり。蓬莱館は雨戸をつけるスペースがなかったので、合板で台風対策の特注の板を作ってもらっているのだ。昼便で木村先生が帰ってきたので、東の浜に残されていたカヌー2艇を一緒に学校まで運んだ。かなり重かった・・(^_^;)
 夕方には風や波が強くなるかもしれなかったので、昼便で島を出た。今度島に帰るのは台風後である。泣いても笑っても今度の台風は来そうなので、皆さん、充分な備えを!

[2005年9月3日]
 夕方の便で島に帰って来たら、もう中波止も西波止も避難した船でほぼいっぱいになっていた。みんな昨日のうちに避難させたようだ。いつもボートを避難させる場所も他の船で入れなくなっていて、かなりアタフタした。東の波止に行くと、もうアビキが打ち寄せていて、波止の石の隙間から波止の中の方に潮が噴き出していた。急いでボートを動かして、中波止に入れた。他の船でボートの通り道が狭くなっていたのでサトシくんに手伝ってもらって、なんとか奥の方の少しだけスペースのあった場所に入れた。出田さんや三井さんや松村さんが心配して「あそこに入れえ」とか「もちっと沖に綱を張れ」とかアドバイスをしてくれた。散歩途中の北川ハナさんと村岡ハナさんの90代ハナハナコンビも道路横の階段に座って作業を見守ってくれていた。
 作業が終って帰る途中、エベスの前で木村先生に用事を思い出して電話したら、エベスのカズマくんが携帯に興味を持ったようで、「カシテ」とか「カケテ」とか話しかけてくるので、しばらく携帯を見せて遊んでやると、そのうち満足したのか、ニッコリ笑って「バイバイ!」と言ってくれた。今日はやけに素直で可愛いカズマくんであった。(^^♪

[2005年9月2日]
 アメリカではハリケーンの被害がかなり出ているようだが、今度は日本に非常に強力な台風14号が近づいている。明日の夕方の便で島に帰って、ボートの避難やら家の雨戸や蓬莱館の戸板をたてたりしておこうと思う。室積のアパートも心配だ。ベランダに雨戸が付いてなくて、去年の台風18号の時は、1時間くらいベランダのサッシを内側からずーっと押さえ続けていたが、何か物が飛んできて当ったらひとたまりもない状況だった。何か対策しておかなければ・・・。(ーー;)

[2005年9月1日]
 今日から9月。夕方、仕事を終えて室積に帰る途中、ワゴンRの窓から西の空に明るい星が見えた。たぶん宵の明星・金星だろうな・・と思ったが、いつもと違って、すぐ上にもう一つ星があった。見たところ恒星のような感じだったが、水星が金星より外側に見えることはなさそうだし、まさか金星の月があんなに光って見えることもなさそうで、気になっていた。アパートに帰って調べてみると、どうやら木星のようであった。今、金星と木星が接近しているのだそうだ。(接近と言っても、地球から見てそう見えるだけで、実際にはものすごく離れている。)そして、ちょうど今日が金星の真上あたりに木星が見える日だったようだ。今日・明日が一番接近するらしく、ラッキーであった。もうしばらくは金星と木星のランデブーが見られるようなので、仕事帰りのひと時、西の空をちょっと眺めてみてはいかが? 時間は夜7時〜7時半ごろがいいらしい。
 尚、エヘン虫はまだ活動中だが、ユンケルが効いたのか、今日はだいぶ具合が良くなった。

[2005年8月31日]
 今日は近くのドラッグストアーに「ユンケル黄帝液」を買いに行った以外は外に出ず、アパートの部屋で過ごした。ガラガラ虫はだいぶエヘン虫に成長?しつつある。
 台風13号は台湾から中国大陸の方に行きそうだが、14号は今のところ微妙なコースである。「今年はハチが高いところに巣を作っているので台風は来んかも知れん」と7月に島のおじさんが話していた。ハチが高いところに巣を作る年は台風が来ない、という言い伝えがあるらしい。実際、これまでは祝島に直接影響のある台風は来ていない。これからもそうであって欲しいが、果たしてどうなるだろうか?毎年20数個の台風が発生しているので、これから10月の終わり頃までは毎週1個の割合で発生する計算になる。今まで大きな被害をもたらした台風はだいたい15〜20号の間ぐらいなので、これからの台風は特に注意が必要だ。

[2005年8月30日]
 ここ数日少し体調が悪い。ノドにエヘン虫に似たガラガラ虫が住み着いている(今のところ咳は出ないのでエヘン虫ではない)。午前中、田布施での仕事が早めに終ったので、平生クリニックに行って診察してもらった。受付に行ってから、待つこと数10分、ようやく診察の順番が回ってきて、先生と20秒くらい話をして、「はい、口を開けて、アーと言って」「ア〜〜〜」「はい、いいですよ。ちょっと赤くなってますねぇ。薬を出しておきましょう。おだいじに。」診察は約1分間であっけなく終った。薬を4袋ももらった。トローチが結構美味しい。(^_^;)
 衆議院選挙が告示され、テレビや新聞は選挙の話でもちっきりである。小泉首相は「今回の選挙は郵政民営化の是非を問う国民投票だ」と話しているが、やはり政治家個人としての人間性は重要だし、地域地域でかかえるさまざまな問題もあるので、実際にはそうはならないだろう。例えば山口2区なら、上関原発や岩国基地の問題の方がよほど重要な課題なのだ。今は国民投票の制度がないが、これを機会に国民投票の制度を作ってはどうだろうか。つまらない言葉のやりとりに終始する国会で下手に時間を費やすより、国民投票にかける方がよっぽどスッキリする。それから、総理大臣もぜひ国民投票で決めるようになって欲しいと思っているのは僕だけではあるまい。

[2005年8月29日]
 新しい祝島の観光マップを作る話が進んでおり、午前中、イラストレーターの松浦さんたちと打合せをした。午後から松浦さんは祝島の路地をあちこち見て回り、イメージを膨らませていたようである。出来上がり予定はちょっと先になるが楽しみである。
 話はころっと変わるが、エベスのカズマくんにはなかなかヒヤヒヤさせられることが多い。今日も店のサッシに金槌とノミで彫刻をしようとしていた。(~_~;)サトシくんがあわてて止めたので何事もなかったが、一歩間違うと・・・。あちこちぶつかったり落ちたりしても大した怪我もしないので、たくましいと言えばたくましいのだが・・・。
 水曜まで祝島にいる予定であったが、急に仕事が入ってしまい、夕方の便で島を出た。夕方の便はなぜか「龍丸」であった。

[2005年8月28日]
 昼便で島に帰ってきた。今日の昼便は僕を入れて乗客3名。ガラガラであった。日曜日で荷物もずいぶん少なく、船長さんもせえがなさそうだった。
 島に着いてすぐにボートを移動させた。台風11号に備えて、1週間前の日曜日から漁協横の波止の中に繋ぎこんだまま島を出ていたのだ。隣に船を繋いでいる浜崎さんはずいぶん船の出し入れがやりにくかっただろう。台風のたびに迷惑をおかけしてます。m(__)m
 午後からはうちのアンテナの付け替えとテレビの調整や、松井のおばんに頼まれたゴーヤの収穫(高いところになっているので、おばんは手が届かないのだ)など。そういえば、昼便を下りたときに駐在さんに言われたのだが、誰かがインターネットで買った魚群探知機の使い方を教えて欲しいと言っていたらしい。表示が英語で書かれているらしく、わからないらしい。が、僕は魚探そのものを使ったこともないうえに、英語もいい加減なので、分かるかどうか。あまり期待はしないほうがいい・・・(~_~;)。

[2005年8月27日]
 夕方、下松のヤマダ電機に行ったら、駐車場に「ボンジュール神戸」の移動メロンパン屋さんがやって来て、いい匂いをさせていた。腹も減っていたので1つ買って食べてみた。皮?はサクサク、中身はふんわりで、なかなか美味しかった。車の中でモグモグやりながらあたりを見回すと、他の車の中でもモグモグやっている人を見かけた。ヤマダ電機の駐車場は車がいっぱいだったので、結構売れたのではないだろうか。ちなみに僕はスタンダードなメロンパンを食べたが、他にストロベリー、抹茶、あん入りなど、何種類かのメロンパンがあった。
 明日は昼便で祝島に帰る予定である。

[2005年8月26日]
 昼過ぎに室津小で講習の準備をしていたら、灘波のカズ坊から電話があり、「おもいっきりテレビに八島が出る」との連絡を受けた。他の先生方も見たかったようで、準備を休んでテレビを見た。先日、祝島の「かすどろ」が紹介されたあのコーナーであった。「油めし」と「さつま汁」が紹介された。どっちも祝島では見たことのない料理であった。同じ町内でも食文化は違うもんだなぁ。それにしても「さつま汁」はどう見ても「さつま丼」と呼んだ方がよさそうな気がしたが・・・。
 講習の後、柳井の周東病院に寄って、M村のおじさんとS村のおじさんを見舞った。二人とも思ったより元気そうであった。それにしても僕は病院が苦手である。自分が病気とかで行くときはそうでもないのだが、自分が元気なときに行くと、しばらく病院の空気を吸っていると、なんとなく病人になったような気がしてきて気分が悪くなるのである。特におなかが空いている状態のときが良くない。もう20年近く前になるが、会社が終ってから食事をせずに先輩の見舞いに行って、病院のベッドの横で先輩の手術の話を聞いているうちに倒れたこともあるのだ。あれには自分でもたまげた。(^_^;)だから、見舞いは早めに切り上げなくてはいけない。

[2005年8月25日]
 今日の仕事先で働いているF村さんは日韓交流大使か何かに選ばれたようで昨日のローカルニュースに登場していた。一ヶ月間韓国に行って、仕事に関係する介護関係の方と現状を話し合ったり交流をするそうである。当然韓国語もできるらしい。想いもよらぬ一面であった。同じ職場で昼休みにM本さんと話していると、「祝島と言えば、柳商のバレー部に橋本さんというすごい明るい先輩がいた」とのこと。どうやら橋本のカコネエのようである。世間は狭い!
 夜、久しぶりにCさんと食事に行った。というか居酒屋に行った。平日の夜ということで店はガラガラで、おかげで頼んだ料理が次から次へと一気に出てきて、食べるのが間に合わない程であった。メニューをぱっと見たときに「アナゴのひまつぶし」という料理が目に付き、「面白いネーミングだなぁ。どういう料理なんだろう?」(・・?と興味津々だったが、よく見ると「アナゴのひつまぶし」(^_^;)(おひつの中にご飯が入っていてアナゴが乗ってタレがかかっている。要するに「うな重」の重箱がおひつに代わって、ウナギがアナゴに代わったようなもの。)だった。せっかくなのでそれを頼んだら、これがなかなかの美味であった。(^o^)

[2005年8月24日]
 ここのところずいぶん涼しくなってきた。窓を開けたまま寝ていると、朝方は肌寒いくらいである。おまけに虫の音も聞こえ始め、夏から秋へ季節は徐々に変わり始めている感じである。今までの忙しさも一息ついて、ちょっと余裕のあるここ数日である。
 最近、携帯メールを使う機会が増えた。以前は文字を打つのがめんどくさくて、だいたいは「了解」「パス」「行く」「行かん」・・・などと、できるだけ3文字以内の短い単語で済ましていた返事も、だいぶ我慢して長文を打てるようになった。それでも、パソコンのキーボードに比べるとやはりめんどくさい。特に、入力しようとした文字を通り過ぎたときに、もう一周しないといけないのが腹が立つ。一周して目的の文字で止まればまだいいのだが、また通り過ぎたりして、何周も回るはめになることがよくある。一つ前の文字に引き返す方法はないのだろうか?マニュアルをほとんど読んでいないので、もしかしたらあるのかも知れないが、マニュアルを読むのもこれまためんどくさい。知っている人がいたら教えて欲しい。ちなみに僕のはauの携帯でメーカーは東芝だ。

[2005年8月23日]
 台風11号は、どうやら東に曲がり、祝島ではそれぼど吹くことはなさそうな感じだが、これから台風が向かいそうな近畿から関東にかけてにお住まいの皆さんは充分注意してください。
 夕方、散髪に行った。髪を切り、イスを倒して顔を剃ってもらっているうちに気持がよくて眠ってしまったようで、イスを起こすときはまだ頭が寝ボケていた。頭を洗うのに、普通はイスに座ったままで頭を前に突き出せば洗面台に届くのであるが、何を思ったか一度立ち上がって、お尻を浮かしたまま中腰で洗面台に頭を出していた。洗ってもらっているうちに、「どうもフラフラするなぁ」と何かいつもと違うことに気付いたが、まだ理由には気付かなかった、そのうち徐々に足(腿のあたり)がしんどくなってきて、さすがに「あれ?何でお尻が浮いているんだろう?」と理由には気付いた。そのまま腰を落として座ってしまえばいいのだが、まだ寝ボケていたのか「もしこのまま腰を落として、イスにお尻が届かなかったら、ひっくり返るし、カッコ悪いなぁ・・」と、訳の分からない心配を勝手にして、それでも足は震えだしてその格好に耐えられなくなってきたので、我慢しながら少しずつ腰を落として、ようやくイスにお尻が着いたときはホッとして、ようやく頭も通常に戻っていた。わずか3〜4分の出来事であろうが、散髪屋さんは僕の異常な行動に気付いただろうか?気付いただろうなぁ・・。(~_~;)

[2005年8月22日]
 仕事で由宇に行く途中で、たまたま大畠のジョイフルに昼御飯を食べに入ったら、なんと前の祝島中の中原校長先生ファミリーと一緒になった。校長先生もどこかに行った帰りにたまたまジョイフル入って、たまたま隣のテーブルに座っていたのだ。偶然とは怖ろしいものである。中原校長先生に会ったのは6月の「マット先生を励ます会」以来だが、元気そうであった。
 マラソンの仕事は終ったと思っていたら、マラソンの話題で町の広報に掲載する記事の原稿を頼まれた。長い文章も苦手だが、250文字以内っていう制限があると、その文字数でうまいことまとめるのも意外と難しいのである。ちなみに今日の日記でいうと、「・・・その文字数で」のところまでで250文字である。

[2005年8月21日]
 佐世保から来たK先生は朝食を食べた以外は昼までほとんど寝ていたようである。よほど疲れていたのか、寝心地がよかったのか、どっちかだろう。僕はその間に、橋本のヒサ坊と蛭子のサトシくんに手伝ってもらって、マラソンのときに三浦に設置していた簡易トイレの片付けをした。去年までは三浦には自治会が設置したトイレがあったので、それを使わせてもらっていたのだが、去年の台風で跡形も無く消えてしまったらしく、仕方ないので神舞用のトイレを借りていたのだ。シゴは先日木村先生がやってくれていたので、僕達は軽トラでそれをスイサンカの倉庫まで運んだ。これでマラソン関係の仕事はほとんどおしまいである。考えてみたら4月〜8月まで5ヶ月間あれこれやってきたことになる。いろいろな人が手伝ってくれて、とても感謝している。
 K先生は昼便で佐世保に帰ったので、それを見送った。昼便が出る頃は雨がだいぶ降っていた。K先生は3回祝島に来て、すべて雨だそうだ。さすがマット先生の友達である。2時ごろにはその雨も上がった。台風はまだどのコースを通るかわからないが、僕は1週間は島に帰れそうにないので、ボートを漁協横の波止の中に避難させておいて、夕方の船でまた島を出た。波止に出るのが今日はいつもにもまして時間ギリギリだったので、藤永のおばさんは上関までのキップとおつりを持って、波止の途中で待っていてくれた。港に出る途中で僕を自転車で抜いていった善徳寺さんが、藤永のおばさんに僕が出てくるのを話してくれていたようだ。島の人はたいてい早めに船に乗るのだが、僕も善徳寺さんもちょっと都会人?なので結構ギリギリに乗るのだ。

[2005年8月20日]
 夕方の便で島に帰ってきた。今日はかなり波が高く、いわいは揺れに揺れた。僕は後部客室の一番後ろに座ったのでまだよかったが、前の客室にいた人は大変だっただろう。その船で佐世保からK先生が来た。マット先生の友達だけあって、「大波を呼ぶ女」かも知れない。(^^;K先生は祝島は3回目。マラソンのときにボランティアで来たいと話していたが、学校の研修等で都合が悪くなり来られなかったのだ。だが、今日来てもまだボランティアの仕事はあったのだ。ランナーの皆さんに送る写真を仕分けする仕事。11時過ぎまで手伝ってもらい、とても助かった。
 K先生が来たせいでもあるまいが、台風11号が発生。こちらに向いている。今度はなんとなく近くを通りそうな感じである。明日はボートを避難させておこう。

[2005年8月19日]
 N社にいたころの同僚のWくんが盆休みで実家の大竹に帰省中とのことで、夕方に光まで訪ねてきた。一緒に夕食を食べてあれこれと話をした。WくんはまだN社の関連会社で働いているのだが、数年前にゼンソクにかかり、呼吸困難で倒れたこともあるらしい。一人暮らしなのによく発見してもらえたなぁ、と不思議に思っていたら、倒れる前に自分で119番に電話して、救急車が来るまでもたなかったのだそうで、やって来た救急隊員に発見してもらったようである。なるほどである。Wくんは3日間意識不明だったらしいが、意識不明中もなんとなく周りで話しかけられる声は聞こえていた気がするらしい、よくドラマなどで医者が患者の家族に「意識はなくても話しかけてあげてください」と言う話をしたりするが、あれは本当なのである。
 話は変わるが、みっちさんは昨日から研修でそのN社に行っていたようだ。みっちさんからのメールによると研修はN社のスーパータワーであったようで、なんとなく懐かしかった。もう10年以上前になるだろうか、このビルに初めて行ったときは、当時の上司と二人でビルの中で迷って会議に遅れそうになり、走り回った想い出がある。(~_~;)
 ホームページのアクセス数がいつのまにやら19万人になっていた。\(^o^)/

[2005年8月18日]
 朝っぱらから「ひろしです」というメールが携帯に入り、「いったいどこのヒロシじゃ!」と思ったら、甥のヒロシ(小3)であった。夏休みの自由研究で「宇宙」について調べるので、インターネットの使い方を教えて欲しいということであった。明日以降は僕は当分予定がビッシリなので、仕方なく1時間ばかり車を飛ばして教えに行った。だいたい、ついこないだ祝島に来ていたのだから、その時に聞いてくれたらよかったのに・・。きっと祝島では遊ぶことしか頭に無かったに違いない。(^^;

[2005年8月17日]
 昼便で薬師のユウサアが帰っていった。これでたぶん同級生はみんなそれぞれの場所に戻っていったはずである。午後から蓬莱館の片づけをして、僕も夕方の便で島を出た。いわいの中は冷房が効いて気持ちよく、雑誌を1ページも読まないうちに眠っていた。気付いたら上関大橋の下であった。今日まで夕方の便が柳井港まで運航するとのことだったので、もうちょっとで大変なことになるところであった。

[2005年8月16日]
 午前中、写真展の片付けをやった。ユウサアとイーチャンが手伝ってくれた。片付けている最中にも何人か見る人が来ていたので、トータルではずいぶん見に来てくれたのではないかと思う。
 夜の蓬莱館は灘波のカズ坊とカズ坊の同級生の藤井さん、そして薬師ユウサアと異色の?顔合わせだった。藤井さんの話では18才のときに同級生で三浦に行って「じょうりかくし」をやったらしい。もしかしてこれが「じょうりかくし」の最年長記録ではないかと思うが、もし18才以上の歳で「じょうりかくし」をやったという人は名乗り出て欲しい。(^。^)
 今日は盆山も片付けられて、なんとなく淋しくなった。そろそろ夏の終わりも近づいた。

[2005年8月15日]
 久しぶりに雨が降った。昼過ぎからずっとカミナリがゴロゴロ鳴っていたが、3時過ぎから土砂降りの雨となった。夕方の便に乗る頃はちょうど大雨のときで、今日帰る人たちは大変だったようだ。船が出る10分くらい前に一旦雨は上がり、東の空に虹も見えていた。その大雨の最中にヒロシは船に乗ったらしい。
 ひらぎで超久しぶりに木村のチエさん(チンエーマルと言ったほうが分かりやすい?)に会った。30年ぶりぐらいであったが、チエさんは中学校の頃のイメージと余り変わっていなかった。僕の方のイメージはずいぶん変わったらしく、「あんたがオセになったのや」と言われた。30年も経てばイヤでもオセになる。(^_^;)
 ひらぎと言えば、「ひらぎのサル」はここ数ヶ月間行方不明であったが、昨日、東の墓に上がる階段で薬師のイーチャンに発見され、無事ひらぎに帰ってきた。いったいどうやってあそこまで行ったのであろうか。不思議なサルである。

[2005年8月14日]
 「昔なつかし写真展」は、今日はなかなかの盛況だった。おばあさんたちが来ると、「こりゃあどこそこの誰それ」と写真の中で並んでいる顔を全部説明してくれた。旭分団の集合写真に杉山のオジンが写っていて、それが今の顔からは考えられないような美男子で、これには本当にたまげた。(^_^;)
 タカシくんが企画したビデオ上映会も満員で、大成功であった。盆おどりも最近踊り手が少なかったが、今日はかなりたくさん踊っていて、盛り上がったようである。何にしてもこうして祝島が盛りがるのは嬉しいことである。

[2005年8月13日]
 今日は西風が強い一日だった。東の波止の中で泳いでいる子供たちも、浮き輪が風に吹かれてだんだん東の波止の方に流されていた。
 午前中は写真展のポスターを作って、島の要所要所や「いわい」に貼ったりした。開催日になってからポスターを作るのであるから、のんびりしたものである。(^^;
 夕方の便で同級生のユウサアも帰ってきた。また賑わしくなった。

[2005年8月12日]
 夕方の便で島に戻り、夜7時頃から写真展の準備。エベスにヒロシにカズトにカズヒサと同級生が手伝いに来てくれた。カズトの嫁さんまで手伝わして、夜11時ごろにようやく準備が終った。というか、ま、この辺でよかろう!ということにした。本当は写真の説明などちゃんと掲示したかったのであるが、とてもそんな余裕はなかった。(~_~;) 橋部さんも帰省したばかりの同級生のみんなもご苦労さん!

[2005年8月11日]
 「祝島歴史写真展」は「祝島昔なつかし写真展」に名前を変えた。役場のマサミさんに看板を頼んでいたら、勝手にそういう名前で書いたようなので、そうすることにしよう。たしかにこの方が親しみやすくセンスがある。(^^) その写真展は13日からの予定であるが、展示の準備は明日の夕方に島に帰ってからである。またしてもギリギリの作業になるが、同級生も明日はだいぶ帰るようなので、手伝ってもらおう。
 柳井での仕事の後、久しぶりに首を引っ張りに行ったら、看護婦さんに「カザリカボチャ」という変わったカボチャの実をもらった。上半分が黄色で下半分が緑色のカボチャである。世の中にはなかなか変わった面白いものがある。人間も変わった人が多い方が面白い。

[2005年8月10日]
 今日も暑い一日だった。ミニケル一家は蓬莱館の前でダレきっている。マラソンの会計処理をやった。残ったTシャツが全部売れたら収支トントンというところか。まだ写真のプリントと郵送が残っているので、なんともいえないが・・・。
 島にはすでに子供たちがたくさん帰省してきて、大阪の自然学校の子供たちもやってきていて、ずいぶんと賑やかである。子供たちにとって、祝島の夏はどんな夏なのだろうか。きっと楽しい思い出として大人になっても記憶に残るに違いない。
 夕方の便で同級生のベイビーが戻ってきたようだが、僕は仕事のため夕方の便で島を出て、すれ違いになった。残念!

[2005年8月9日]
 柳井での仕事を終えた後、夕方の便で島に帰ってきた。ネクタイ姿のままで島に上陸したら、えべすの子供たちに気付かれなかった。(^^;
夜、村岡さんと麻衣ちゃんが蓬莱館に来て、一緒に飲んだ。一年ぶりに顔を会わせた。村岡さんも中学時代に石丸先生に怒られて「こえかえ」をさせられたことがあるらしい。チエミさんと一緒である。よほど悪いことをしていたのだろう、かなりの極刑である。(~_~;)

[2005年8月8日]
 マラソンから一夜明けた。さすがに疲れていたのか、昨晩はめずらしく10時過ぎには眠った。今日の午前中はなんとなく体がだるかったが、これは疲れもあるが飲みすぎのせいもあろう。残っていた片付けやら支払いやらを済まして、夕方の便で島を出た。まだランナーの皆さんに記録集や写真を送ってあげるという仕事が残っているが、これはのんびりとやることにしよう。
 昨日が立秋だったようで、暦の上では秋になった。祝島も急にアブが少なくなったような気がする。アブは季節に敏感なのだ。暑中見舞いのハガキを買ったまま、まだ1枚も書いていない。(~_~;)もう残暑見舞いになってしまった。

[2005年8月7日]
 祝島不老長寿マラソンは無事終了した。多くの人がボランティアとして大会をサポートしてくれて、島のお年寄りのみなさんも一生懸命応援してくれて、ランナーの皆さんもがんばって走った。善徳寺のヒロ君・サト君の選手宣誓もすばらしかった!大健闘で2位に入った8歳のミサトちゃん、ゴールと同時に泣き出した最年少4歳のコウセイくん、13kmで最長記録?を出した最年長79歳の小野田さん、みんなみんなよく頑張りました。感動しました。ありがとうございました!
 夜、光市の花火大会を祝島の波止場から見た。心地良い疲れの中、ビール片手に潮風に吹かれながら見る花火は格別なものであった。帰り道に見上げた夜空に広がる天の川がとてもきれいだった。

[2005年8月6日]
 午前中は学校で会場の設営、午後はコースの設営、そして夕方にはもうランナーの皆さんがやって来られて、いよいよ本番である。ランナーの皆さんとコース下見ジョグをしたあと、蓬莱館にボランティアが集まって、打合せ・・・と称してちょっと飲みながらバカ話に花が咲いた(^^;。チエミさんの「こえかえ」事件は最高であった。
 明日は早朝から「いわい」と「龍丸」でランナーの皆さんがドットやってくる予定だ。ランナーの皆さんの健闘を祈る!

[2005年8月5日]
 惠美代さん、寿代さん、創生くんが手伝ってくれたおかげで、参加賞の袋詰めと仕分けは午前中に終了。午後からはコースの草刈に行った。4人で軽トラに乗り、北野道を通って三浦まで行ったが、島の農家の人たちが、大会のためにそれぞれ自分の畑の近くのコースを自主的に草刈をやってくれたらしく、ほとんどの場所はすごくきれいになっていた。感謝感激!本当にありがたいことである。思えば第1回大会の時は僕と木村先生と亡くなった益田さんの3人で刈っただけなので、今回のコース状態に比べるとヤブの中を走らせたようなものである。ゲストできてくれた宇佐美さんが「クロスカントリーと言ってもいいようなコース」と話していたのも無理はない。(^^;
 明日は朝から会場設営、給水所の設営、コースの整備など、最後の準備だ。夕方にはランナーの皆さんがやって来て、いよいよ本番である。
 今日の夕方、ひらぎの角を通ると、善徳寺から元気な声が聞こえてきた。ヒロくんとサトくんが選手宣誓の練習をしていたようだ。どんな宣誓をやってくれるか、こちらも楽しみである。(^^)。

[2005年8月4日]
 午前中の仕事がキャンセルになったおかげで?全員分の完走証が出来上がった。夕方の「いわい」に乗ると花田さんたちが帰ってきていた。スタッフの顔ぶれがだいぶそろってきて、心強くなった。台風もどうやら中国側を通りそうなので、このままなら開催はできそうである。競馬で最後の直線コースで自分の買っている馬が先頭にいたら「そのままーっ!」とよく叫んでしまうが、今は台風の進路予想を見ながら「そのままーっ!」と叫びたい気分である。(^^;
 夕方、産直グループに頼んでおいたビワ茶150人分を取りに行ったら、途中までみさきちゃんがネコ車を押して手伝ってくれた。

[2005年8月3日]
 午前中、ひさしぶりにヒロコさんに会った。元気そうであった。これからマラソンの準備でしっかり働いてもらわないといけない。昼便で島を出て、ちょっと仕事。夕方から完走証作りに励む。もうすぐ12時だが、印刷はまだしばらくかかりそうだ。台風9号は相変わらずヤバイ位置にいる。進路予想の左端のコースを通ってくれたら開催できそうだが、右端のコースで来たら中止かな?という感じである。(ーー;)

[2005年8月2日]
 仕事が終ったあと、マラソン準備のためにまた島に帰ってきた。「いわい」には、えべす一家の子供たちや他の帰省した子供たちが乗っていて、とても賑やかだった。給水用のミネラルウォーターが大量に届いて、今、家は水だらけである。

[2005年8月1日]
 なんと台風9号が発生!しかもコースもタイミングも微妙である。数日は気がせんない日になりそうだ。(ーー;) しかし、やっておくべきことはやっておかないといけないので、弁当の発注やマラソン保険の契約などの手続きをやって、昼便で島を出た。夜、大会のウグイス嬢に開会式・閉会式・その他の放送係のシナリオを送った。

[2005年7月31日]
 昨日酔っていて書けなかったこと。離島青年会議に衆議院議員・山口二区の平岡秀夫さん(民主党)も出席されていて、夜の交流会で話をすることができた。平岡さんは離島振興の活動もされており、会議のときも熱心にメモをとられていたが、交流会でもいろいろな島の青年達と話をされていたようだ。僕は交流会の司会だったので第1部では話す機会がなかったが、だいぶ酔いがまわった第2部でしばらく話せた。祝島に限らず、離島のインターネット環境のブロードバンド化について民間にまかせていてはいつまで経っても進まないので、政府や行政でなんとかして欲しいとお願いしておいたが、果たしてどう動いてくれるだろうか。期待したい。ちなみに平岡議員の秘書のNさんは熊毛南の2年後輩と聞きビックリした。面識はなかったが、一緒に熊南体操をした仲間なのであった。
 今日は朝方はドシャ降りだったが、10時頃には雨はあがり、木村先生と一緒に学校に行って、校長先生に協力してもらってマラソン大会のときに必要な機材を確認しておいた。原さんの書いた雑誌の記事を読んで祝島にカヤックでやってこられた大阪の松岡さんと話しをしたり、万葉の会のツアーで奈良からやってこられた荒川さんとも少しだが会うことができた。

[2005年7月30日]
 山口県離島青年会議、いいですね。こういう集まりはとても刺激を受けます。飲み過ぎました。(~_~;)

[2005年7月29日]
 マラソン大会のオリジナルTシャツが出来上がった。なかなかいい出来である。デザインしてくれた村岡さん、プリントしてくれた岩本さん、ありがとうございます!
 みのもんたの「おもいっきりテレビ」を見た。バアさんたちは大ハッスルであった。(^^)実際には、夏にはあまり「かすどろ」は食べないと思うが、まあいいだろう。うちの「かすどろ」は、テレビに出た「かすどろ」よりもサラッとしている。家庭ごとに違いがあるのだろう。

[2005年7月28日]
 今日は土用の丑の日であった・・らしい。仕事先から「うな重」の差し入れがあり、晩飯に食べた。これでスタミナ万全!\(^o^)/・・・か?
 週末の天気が悪そうだ。離島青年会議のときに外でやる予定の交流会(バーベキュー)は、雨の場合いったいどこでやることになるのであろうか。心配である。

[2005年7月27日]
 今日は日差しは暑かったが、意外と湿気が少なくて、影に入ると過ごしやすかった。朝、まずはボートを東波止に戻してから(潮が満ちていて、ボートを中波止から出すのにひと苦労であった)、会報の印刷に取り掛かる。午前中一杯で印刷完了。印刷しながら祝島のメンバーや役場などに配達。午後から会員への発送作業を行い、会報の仕事は無事に終了。その後、島内回覧用のマラソンのチラシを60部制作して役場に回覧を依頼。いわゆる回覧板である。大会で道路を使用する時間の通知や、出場する祝島出身者などの紹介、そして応援の呼びかけをするための回覧である。祝島では回覧は毎週金曜日に役場をスタートして各家庭を巡っていくのである。えべす商店に大会のドリンクの発注をしたところで時間が無くなった。明日・あさっては本土で仕事のため、夕方の便で島を出た。大会まであと10日。まだやらないといけないことが山ほどある。準備が間に合うのか、だんだん不安になってきた・・・(^_^;)

[2005年7月26日]
 昨日に引き続いて祝島ネット21の会報の編集作業。台風は遠くを通ったが、それなりに風が吹き、時々ボートを見に港へ出た。一番階段寄りに係留しているので、潮が満ちたときに風で少し横を向くとスクリューが階段に当たりそうになっていて、時々ロープの調整をした。あまり短くすると潮が干ったときにボートが宙ぶらりんになるし、この辺の加減がなかなか難しい。夕方から公民館で、週末に行われる山口県離島青年会議の打合せ。僕はいつの間にやら交流会の司会をすることになっていた。(~_~;) 若手には何らかの役をやってもらおうという話なので(これでも若手なのだ!)、人数が少ないのでみんなが何かの役をやることにはなるのだから、しかたあるまい。夜から再び編集作業。夜中の2時を過ぎてようやく仕上がった。熊毛南は3回戦で敗れた。

[2005年7月25日]
 台風7号は、どうやら祝島からは逸れそうである。今日は朝から祝島ネット21の会報の編集作業。そんな中、同級生のOから、ABC放送のラジオ番組がWebで聴ける、しかも道上洋三が熊毛南の校歌を高らかに歌い上げている、というメールが届いた。早速聞いてみた。放送ではピアノの伴奏入りで歌ったようだが、Webではアナウンサーの声しか聞けないので伴奏なしであった。が、感動的であった。金曜日の放送分だったので、県予選の1回戦突破記念と話していたが、すでに2回戦も勝ち、明日は3回戦である。今度勝ったら、校歌を4番まで歌うのではないかと期待している。

[2005年7月24日]
 「おかやま桃子」を涼くんにおすそ分け。涼くんはだいぶ背が伸びたような気がする。柳井で久しぶりに同級生のMくんと会った後、島に帰って来た。さっそく台風に備えてボートを漁協横の波止に避難させた。夜はHさんのところにパソコンの設定に行き、また飲む。昨日・今日とちょっと飲みすぎである。

[2005年7月23日]
 五日市のコイン通り祭りに行き、みち哲さんのところにお泊り。かなり飲んだ。おまけに「おかやま桃子」をいただいた。

[2005年7月22日]
 今日はあれこれと思い通りにはいかないことの多い一日であった。たまにはこんな日もある。(ーー;) おまけに台風7号まで発生して、憂鬱な気分に輪をかけた。台風は発達しながら来週にはやって来そうなので注意しましょう。

[2005年7月21日]
 午前中は島であれこれと用事を済ます。午後から本土に渡り、仕事。外は猛暑であるが「いわい」の中は冷房が効いていて快適で、ついつい眠ってしまう。あやうく上関で寝過ごすところであった。
 さて、いよいよ夏休み。そして、夏の甲子園を目指す県大会も今日開幕した。われらが熊毛南は早くも登場。昨年敗れた下松工に2−1で勝ち、雪辱を果たした。この調子で勝ち進んで欲しいものである。ガンバレ熊毛南!(^o^)/♪いーざ行け〜や熊毛の戦士ィ〜♪おーっ!!

[2005年7月20日]
 体調はわりと早く回復した。ちょっと用事があって、夕方の便で島に帰った。ミニケルは暑さでダレきっていた。夏休みに入ったみさきちゃんは、ゴキゲンな様子で弟達とシャボン玉で遊んでいた。もうすぐ島にはあちこちから子供たちが帰省してきて、賑やかになる。

[2005年7月19日]
 朝からなんとなく体調が変であったが、夕方には頭がクラクラしていて、夕食の後、少しだけダウン。季節の変わり目に時々出てくる唇の下の吹き出物も出てきた。梅雨明けで本格的な夏の到来に身体が順応しきれていないのかもしれない。夜遅くになってからちょっと持ち直した。

[2005年7月18日]
 今日も朝からマラソンの準備。善徳寺のヒロくん、サトくんも満を持して?の初出場。楽しみである。
 夕方の便で島を出て、夜は女子バレーの応援。残念ながら中国に敗れたが、かおる姫は活躍した。(^^;柴田先生の奥さんにソックリの高橋選手もすばらしい選手だと改めて思った。前から応援している大友選手はサーブがイマイチであったが、今の全日本は彼女を中心とした攻撃パターンのチームなので、さらに成長してくれることを期待したい。
 今年になってPスポが無くなってストレス発散の機会が減った。たまにはバレーボールをやりたいなぁ・・。

[2005年7月17日]
 今日は朝からセミが鳴き、いよいよ夏本番と実感させられる暑い一日であった。昨日遊んだ分、今日は朝から夜までマラソンの準備。申込者のデータを整理し、参加ランナーの皆さんに送るゼッケン引換券や交通案内などを準備した。夜には木村先生やミチコさんも手伝いに来てくれた。結局、参加者は130名に達した。大会当日の朝便はボランティアも含めると「いわい」だけでは乗せきれないような気がする。「龍丸」の出動も頼んでおこうか。祝島出身者やその子供達も何人か参加申込みがあったので、楽しみである。最年長は79歳、最年少は4歳である。

[2005年7月16日]
 久しぶりにカヤックに乗った。ダイドックの原さんたちが田ノ浦までカヤックで来られるということなので、一緒に漕ごうという企画であった。10時前に島を出発して、1時間弱で田ノ浦へ、白井田から出発する原さんたちが少し遅れているとのことなので、白井田方面まで漕いで行き、白井田の手前で合流。そこから一緒に田ノ浦まで漕ぐ。合流地点ですでに8km近く漕いでいたうえに、みんなはシーカヤックで僕だけ川用のファルトボートだったので、スピードがえらく違い、付いていくのに必死で漕いだ。田ノ浦で昼御飯を食べ、少し泳ぐ。今年の初泳ぎであった。木村先生は大島から五月丸で島に帰ってから、カヤックを漕いで合流。「がんばれ祝島」の旗を立てての登場であった。田ノ浦では原さんのセルフレスキューの模範演技を見せてもらった。みんな「ホーッ!」と感心しながらも、「自分には無理だなぁ・・」と心の中では思っていたに違いない。(^^;しばらく田ノ浦にいた後、原さん御一行は白井田に向けて、僕と木村先生は祝島に向けて出航。4時前に祝島に着いた。久々に「今日は遊んだなぁ」と実感できる一日であった。

[2005年7月15日]
 夕方の便で島に帰ってきて、倉庫に3年間眠っていたカヤックを引っ張り出し、石井の波止のところで組み立てた。止め金具が1本無くなっており、クギを短く切って代用した。鍛冶屋のおじさんのところにクギを持っていくと、あっという間に切ってくれた。祝島のような小さいコミュニティだと、困ったときにすぐに助けてくれる人を見つけられて、とても便利である。おかげでカヤックは途中中断も含めて1時間ばかりでなんとか組みあがった。だいぶ暗くなっていたし、腹も減っていたので、進水式は明日にする。

[2005年7月14日]
 マラソン大会の受付はいよいよ明日が締切日。駆け込みの申込が多いようで、参加申込者は100人を超えたようである。ありがたいことである。
 女子バレーは昨日から決勝ラウンドが始まった。日本は初戦イタリアに完敗だったようだが、今日の第2戦オランダ戦は粘りに粘って、見事な勝利であった。晩御飯を食べるのも忘れて応援してしまった。(^_^;)

[2005年7月13日]
 NHKの「ためしてガッテン」で顎関節症について放送していたが、たぶん僕は顎関節症であろう。アゴが「コキコキ」音を立てるし、口を開いたときに指を縦にして2本しか入らない(正常な人は3本か4本入るようである)。首を引っ張るときにアゴに引っ掛けて引っ張るのが良くないと思っていたが、意外なことにパソコン作業もかなり影響するらしい。パソコンは首にも悪いと言っていたし、これは困った問題である。できるだけ仕事をしないようにしなくてはいけない。(^^;
 そういえば、もう一つ困っていることがある。先日アメリカからドル建ての小切手(らしきもの)が送られてきたのだが、これはいったいどうすれば現金(日本円)に替える事ができるのであろうか?知っている人はぜひご一報を!

[2005年7月12日]
 午前中、上関小でパソコンの授業。午後からも用事があったので、学校の給食を食べさせてもらった。今日のメニューはアメリカンドッグと、やけに短いスパゲッティ、リンゴサラダ、そして牛乳であった。
 夜はCさんと一緒にお好み焼きを食べに行った。下松の「こんにちは」というお店に行ったのだが、ここのお好み焼きはかなり美味しかった。おすすめの店である。
 今日は、めずらしくグルメな一日であった。

[2005年7月11日]
 昼便で島に帰って来た。家に帰るとチョンギーの声がするので、キョロキョロしてみると、軒先にチョンギーの入った虫カゴが吊るされていた。祝島ではなぜか夏には軒先にチョンギーを吊るす風習がある。風鈴の音ほど「涼」を感じる音でもないし、アルファー波が出そうな繊細な音でもないが、チョンギーの声を聞くとなんとなく「夏」を感じる。
 写真展の打合せに役場に行く途中にえべすに寄ると、オバチャンが「今日はみさきはチンカラ拾いに行っちょるんよ」と話していた。「チンカラ拾い」・・・なんと懐かしい響きであろうか。もちろん先生方は「チンカラ拾い」などとは言わず、「海岸のクリーンアップ」と話していたのだが、やはり夏を迎える前は、単なるクリーンアップではなくて、スペシャルな「チンカラ拾い」なのである。

[2005年7月10日]
 早朝6時頃の雨とカミナリがものすごかった。カミナリで目が覚めることなど初めてである。それにしても、ここ数日は雨が降るときは豪雨で、いかにも梅雨末期の天気らしい。そろそろ梅雨明けも近いのだろうか。
 今日は日曜日にもかかわらず仕事で周東町と柳井へ。明日の朝便か昼便で島に帰ることにする。

[2005年7月9日]
 午後1時半頃に仕事が終わり、このときはかなり疲れていたが、髪を切って気合を入れて、夜は女子バレーを応援した。その甲斐あって、日本はアメリカに勝利!その瞬間にみっちさんからお祝いの?メールが入った。まさにクイック攻撃である。
 マラソンの受付締切まであと1週間になったが、今日は散髪中に何本も電話があった。後でかけ直したら、熊毛南高校にかかったりしてビックリした。(~_~;)島内の宿泊施設はほぼ満員になった。

[2005年7月8日]
 今週は土曜日も日曜日も本土で仕事となってしまった。特に明日は、まだ見たこともない機器の接続をしなくてはいけないので、準備が大変である。夜になって、女子バレーを横目で見ながらあれこれと準備をした。応援に力が入っていなかったせいか、日本はポーランドにストレート負けを喫してしまった。バレーは終っても準備は終らない。これからもうちょっと勉強していかなければならない。昔からそうだったが、いまだに一夜漬けのクセが抜けない・・・(~_~;)
 あ、そういえば今日、はるばるグアテマラからメールをもらった。祝島出身のMさんからのメールである。意外にもグアテマラは結構住みやすいらしい。

[2005年7月7日]
 今日は七夕である。が、特にそれらしい行事をすることもなく一日が終った。車検に出していた旧式ワゴンRが帰って来た。柳井に車を取りに行ったついでに2週間ぶりに首を引っ張りに行った。久しぶりの再会を果たしたのは織姫とではなく、K医院の耳の遠い婦長さんとであった。(ーー;)
 本日、ホームページのアクセス数が18万人を越えた。今日唯一のめでたいことであった。

[2005年7月6日]
 久しぶりに晴れ、久しぶりにジョギングした。走りながらいろいろなことを考えていると、ふと面白いことに気付いた。頭で何を考えていても身体は勝手に動いている。走り出す前は、それなりに「今日は走るぞ!」と、少しは気合がいるのだが、走り始めると身体は勝手に動く。逆に「止まるぞ」と思わなければ、いつまでも止まらないのだ。物理で出てきた「慣性の法則」はどうやら人間にも当てはまるようだ。何かをやりたいと思っていても、いつまでたってもそれが実現できない理由は、「いつまでたってもやり始めないこと」であることが多い。やり始めさえすれば意外と物事は進むものである。僕も、どれだけ「やり始めていないこと」が多いことか・・・。(ーー;)
 一方、公共工事などにも、この「慣性の法則」は当てはまるようで、一旦やると決まった工事は勝手に動き出し、途中でどんなに不要なものだと分かっていても、これを止めるにはものすごいパワーが必要なようである。

[2005年7月5日]
 土曜日に重村さんのところに寄った時に、「徐福松針」というネーミングのお茶をもらった。中国から送られてきたお茶らしい。ネーミングからすると松の葉っぱのお茶のようであるが、まだ飲んでいないので詳細不明である(アルミのパックに入っているので中身が見えない)。近いうちに飲んでみようと思う。
 本日2回エンスト(~_~;)。いずれも発進のときにギアをローに入れたつもりが3速に入っていたのが原因。オートマに慣れるとマニュアルはめんどくさくて仕方ない。普段使わない左手と左足が忙しい。

[2005年7月4日]
 今日も一日中雨が降ったりやんだりの天気。それにしても降るときはドバドバと豪快に降ってくるものである。夕方の船で島を出て、MYワゴンRを車検に出すために柳井へ。対応してくれた店員さんの家は南町の方らしく、昨日はヒザまで浸かってコブって歩いたそうである。車検に出した旧式ワゴンRに代わって、最新式のワゴンRを貸してくれた。さすがに最新式らしく装備がだいぶ豪華になっている。マニュアル車に乗ったのは久しぶりで、しかも土砂降りでだいぶ暗くなっていたので、ちょっと緊張した。そんな緊張感の中、サイドミラーが電動になっているのに気付き(電動ミラーは初体験である(~_~;)、試しにドアについているそれらしいボタンを押してみると、変な方向を向いてしまい、適当にまた押すとますます変な方に向いたのであきらめてそのまま室積まで走った(田布施から室積までは信号がないので止まるタイミングがないのである)。アパートの駐車場に車を止めてからいろんなボタンを押してみて、ようやくミラーの動かし方を理解した。

[2005年7月3日]
 午前中はかなり雨が降っていたが、午後には上がった。日曜日なのに朝から夕方まで仕事。夕方、民宿の客室にあるテレビで、テレビ愛媛がうっすらと映ることを発見し、女子バレーを見た。日本は惜しくも世界ランク3位のアメリカに敗れたが、結構いい試合をしていた。祝島の家でも映りは悪いながらフジテレビ系の番組が見れることが分かったのは収穫であった。夜になって、橋部さんのところで、お盆に予定している祝島歴史写真展の打ち合わせ。夜中の1時頃まで集めた写真を見ながらあれこれと話をした。橋部さんお疲れ様でした。今日は朝から晩まで忙しい一日であった。

[2005年7月2日]
 夕方の便で島に帰って来た。今日は意外と波があった。サトシくんはボート免許取得のために上関に講習に通っているようだ。港に着くとエベスの子供たち3人が迎えに来ていた。ひらぎで木村先生に会う。僕は船の中で本を読んできたので気付かなかったのだが、五月丸で帰って来る途中で僕の乗った「いわい」に追い抜かれたらしい。「いわい」でも結構揺れたので、五月丸はだいぶ揺られたのではないだろうか。なかなかタフである。
 こないだ平生警察署に提出しておいたマラソンの時の「道路使用許可申請」が通って、今日駐在さんが持ってきてくれた。準備が少しずつ進んでいるが、考えてみたら大会まであと1ヶ月ちょっとしかない。これから徐々に忙しさが増してくる。

[2005年7月1日]
 仕事で由宇町に行った帰りに、柳井の県総合庁舎に立ち寄り、4階の土木建築事務所にマラソン大会の道路占有届けを出し、1階の税務署で船舶用の免税軽油の手続きをした。船舶用の軽油は自動車税がかからないぶん安く買えるのだが、免税券をもらうのに、それなりに手続きが面倒くさい。前年分の使用実績(何月何日にどれだけ使ったか)なども提出しないといけない。そう簡単には税金を引いてもらえないのだ。ちなみに漁協の組合員の場合は、漁協が手続きを代行してくれると思うので、たぶん楽なのだろう。
 夕方から久しぶりに本格的な雨となった。このまま雨が降らなかったら大変なことになるなぁ・・と思っていたので、ひと安心といったところだ。雨にもかかわらず嬉しい気分になるなどということは珍しいことである。まあ、久しぶりの雨ということ以外にも嬉しいことがあるにはあったのだが、ここでは秘密である。(^^; とにかく、普段はうっとうしい雨だが、やはり降るべきときには降っておいてくれないと困るのだ。

[2005年6月30日]
 今日は初めて小学校1・2年生に教えた。子供たちは授業の前に一人ひとりが大きな声で自己紹介をしてくれた。もう可愛くて可愛くてたまりませんねぇ。(^^;そんな子供たちは、好奇心のかたまり。目を輝かせて教えたことをどんどん吸収していく。すごいです!
 さて、今日で今年も半分終わり。ちょっと振り返ってみると、この半年は本当にいろいろなことがあったなぁ・・と思う。皆さんはどうだろうか?

[2005年6月29日]
 最近ボチボチとジョギングをするようになった。首や肩の具合もまあまあ良くなったし、夏に向けて体力を付けておかないといけない。何はなくとも健康な身体がなくては夏を楽しめない。暑い日々が続いているが、夜10時を過ぎると外は涼しくなるので、走りやすい、・・・室積では。祝島では夜10時を過ぎるとみんな寝ていてシーンと静まり返っているので、そんな時間にドタドタ走っていると、何だ?と思われるし、道も暗いのでモチドより先の方まで走るのはバケが出そうで怖ろしい。走るとしたら朝か夕方になるが、僕は朝はまったくダメなので夕方だ。夏は日の入りが7時頃なので、この時間に合わせて走ると、きれいな夕陽を見ることが出来るので、おすすめである。

[2005年6月28日]
 上関小にパソコンの授業に行ったついでに、児童たちがこないだ祝島まで来て描いた絵の完成品を見せてもらった。祝島ならではの「練り塀」や「石垣」の絵が多かった。みんな、なかなか味のある絵を描いていた。一度塗った色をわざと薄めていくなど、画家・川口健治さんにいろいろと技を教えてもらったようである。その川口健治さんの絵画教室が7月31日に上関町中央公民館で開催される。主に子供が対象のようだが、親子での参加や、一般の人の参加もOKのようなので、興味のある人はこの機会にぜひ参加してみてはどうだろうか?まちづくりの基本は人材育成。このような機会をどんどん活用していきたいものである。問合せは上関町教育委員会へ。

[2005年6月27日]
 東京新聞のHさんが棚田の石垣を見たいとのことなので、午前中案内した。2週連続で平さんの石垣まで行くことになった。棚田に着くと、大阪の自然学校の若者が先客として来ていた。夏休みに子供たちを連れてくるための準備で来ていたようだ。彼らと一緒に平さんの話を聞いた。平さんは見に来る人たちのために石垣の草刈りをしているようで、道の横の石垣は先週よりずいぶんと石が見えるようになっていた。ご苦労様である。
 Hさんは先日の原発反対運動のテレビ報道を見て、「2年前に走った祝島だ!」と思って、急遽原発問題の取材に来られたそうである。今回の取材の記事が新聞に掲載されれば、より多くの人々に上関原発問題を、そして、ここで闘い続けている人々がいることを知ってもらえるだろう。そういう意味では、マラソンだろうが釣りだろうが観光だろうがどんな目的であろうと祝島にまず一度来てもらい、祝島を身近に感じてもらうことが、長い目で見て反原発運動に繋がっていくような気がする。上関町民の何%が実際に祝島に来たことがあるのだろうか?上関町民が一人残らずこの現場を見て、そして補助金を得るためだけに、本当にここに原発を建てるべきなのかどうか考えて欲しいものである。
 不老長寿マラソンの参加申込者は80名を越えた。・・・が、相変わらず女子13kmの部は、完走さえすれば入賞できる程度の人数である。大会名を「不老長寿美人マラソン」とでもしてみようか・・・(^_^;)

[2005年6月26日]
 みち哲さんが大島でキャンプしているというので(昨日誘われたが、女子バレー見たさに断った(^^;)、午前中柳井で仕事した後、電話してみたら、まだ大島にいるらしく、せっかくなので昼食を一緒にと言うことで、柳井ポートビルで待ち合わせした。どこに食べに行こうかと話していたら、みち哲さんの車の中にキャンプの残りのカレーヌードルがあり、柳井の木村亭でお湯をもらって食べようということに話がまとまった。木村亭にはヒロコさんとナッちゃんがいて、お湯を提供してくれた。カレーヌードルを食べながら、ここには書けない怪しげな話をして、盛り上がった。ハハハ・・(~_~;)
 一旦室積まで帰り、また上関まで出て、夕方の便で島に帰ってきた。用があって「いわい」の船上から原さんに電話すると、佐合島でカヌーを漕いでいる最中のようであった。「いわい」がハナグリの横を通るとき、田ノ浦沖に設置されたボーリングの台船が見えた。家に帰ると、東京新聞の記者のHさんが待ち構えており、夜は蓬莱館であれこれと話をした。Hさんは2年前に不老長寿マラソンにも参加してくれていた。記念すべきマラソン初出場が祝島だったらしい。光栄である。\(^o^)/

[2005年6月25日]
 午前中、KRYラジオを聴いたら、祝島不老長寿マラソンを3分間でコンパクトにまとめて紹介してくれた。さすがアナウンサーである。僕が出演して15分間も下手な説明をするよりはうまくまとまっていたかも知れない・・・。(^^;感謝! 萩往還マラニック実行委員長の田布施の小野さんから夕方電話があり、今年も参加してくれるとのことである。
 夜、周防大島で撮影されたドラマがNHKで放映されたが、見逃した。この時間見ていたのは女子バレーの日韓戦である。両チーム共、北京五輪に向けて新しいチームで臨んでおり、全日本チームにも知らない選手がだいぶいた。メグ・カナという大砲を怪我で欠く中、僕の好きな大友選手はチームの中心として活躍したが、それ以上の活躍を見せたのが、今回初めて全日本入りした菅山選手である。身長169cmながら、切れ味のいいスパイクをビシビシ決めていた。レシーブもすごかった。実業団ではリベロというレシーブ専門のポジションらしいが、その彼女をアタッカーとして起用した監督の眼力はなかなかのもので、その期待に応えた菅山選手もすばらしい!今後の活躍が楽しみである。

[2005年6月24日]
 ダイドックの原さんたちと徳山のビアガーデンで飲むため、めずらしくバスと電車に乗った。室積からバスで光駅に着くと電車は「65分遅れ」との表示があり、ありゃー困ったなぁ・・と思ったが、10分後には65分遅れの電車が来たので、僕にとっては別に影響なかった。電車に乗り込むと、木村先生夫妻の乗った車両とドンピシャであった。
 徳山で原さんと合流して、ホテルサンルートのビアガーデンへ。ビアガーデンで飲むのは何年ぶりであろうか。なかなか気持ちの良いものである。ヒロコさんは生涯で2回目らしく、僕よりももっとウキウキしていたようである。原さんは先日カヤック隊を率いて抗議行動に参加してくれていたので、感謝の気持を込めて乾杯。そのあと平生町のFさんもやってきて楽しく飲んだ。Fさんは4月に原さんと一緒にカヤックで祝島にやって来て、民宿に泊まってくれていたのだが、ちょうど僕がいない時だったので、今回が初顔合わせだ。なかなか素敵な人であった。
 今日の話題はやはり原発のことがメインであった。どうしたらもっと世論が動いてくれるのか、みんなそれぞれいろいろと考えているのであった。

[2005年6月23日]
 原発問題についていろいろな人が掲示板に書き込んでくれたり、メールを送ったりしてくれた。ありがたいことである。夕方、室積のスーパーに入ろうとしたところで、東京に住んでいる同級生のYから携帯に電話があり、中電に対してかなり憤慨しているようであった。が、僕(の電話)に向かって怒られても困るし、こっちもイラついているので、声が大きくなり、スーパーの入り口でヤイヤイと言い合いをして、周りにいた人は何事かと思ったに違いない。レジに並んでいる時でなくてよかった。(~_~;) 言い合いと言っても、喧嘩しているわけではなく、二人とも中電に対してヤイヤイ言っているのであるから、妙な状況である。冷静に考えると電話代の無駄遣いと言えないこともない。しかし、考えると腹が立ってくるのであるから、仕方ない。
 ところで、土曜日に予定していたラジオ生出演は中止になった。今、祝島があまりにホットな状態なので、マラソンの話題とは言え、この時期の祝島からの生出演には、さすがにラジオ局側も二の足を踏んだようだ。番組の趣旨として、原発問題のようなシビアな内容を扱う番組ではないので、この判断も仕方あるまいと思う。その代わりに、別枠の情報コーナーでマラソン大会の紹介をしてくれるようなので、それで良しとしよう。女性ランナーがあまりに少ないので、その点をぜひ重点的に呼びかけてもらいたいものである。女性の皆さん、走れば誰でも入賞のチャンス大ですよ!(^^;

[2005年6月22日]
 昨日、「全国ニュースではまったく取り上げられなかった」と書いたら、大阪では放送していたとか、徳島の人が見たらしいとか、東京でも今日やってたという連絡が入ってきた。夜になって僕も「ニュース23」で放送されたのを見た。これで全国の人にこの問題を少しは知ってもらえたと思う。しかし、状況は非常に厳しいと思う。中電側が仕事としてやっているのに対して、反対住民側は仕事を投げ打って抗議行動をやっており、しかも高齢者が多い。消耗戦になると明らかに不利である。何か良い方法はないものだろうか?

[2005年6月21日]
 上関原発で中電による海上でのボーリング調査が今日から予定されていたが、祝島を中心とする原発反対住民などの阻止行動で今日のところは中止になった。山口県内の各放送局の夕方のニュースでは大きく報じられていたが、全国ニュースではまったく取り上げられなかった(全チャンネルを見たわけではないのだが・・)。一方で、光高校の爆発事件は連日大きく取り上げられ、事細かに報道されている。ホリエモンのニッポン放送買収事件のときなどは、どうでもいいようなつまらない内容の報道が延々と繰り返されていた。取り上げるべきニュースは他にもたくさんあるだろうに、どうもマスコミの報道は偏りすぎている。上関原発予定地が瀬戸内海の玄関口にあり、どれだけ豊かな自然が残されているところかを、そして原発という国策がどれだけ地域社会破壊の上に成り立っているか、もっと報道してくれたら、反対運動ももっと全国的に広がるのに、そして国策を変えていく力になるのに・・と、ふと思った。

[2005年6月20日]
 マラソンコースを自転車で視察し、2年前に道路脇にペンキで書いておいたキロ表示位置を探したが、山の中の道路は落ち葉や雑草で隠れてしまって、1箇所も見つけられなかった。今度は竹ぼうきやら鎌やらを持っていかねば。
 早鞆高校の先生が描かれた祝島の人家の絵が、宿泊されていた「みさき旅館」に100枚も(すべて違う絵です!)送られてきたとのことで、どこを描いた絵かを教えて欲しいと役場の支所長から依頼があり、午後から公民館に集まって、えべすのオジさん、通子さんと一緒に絵をみながら地図上に記録していった。とても雰囲気のあるすばらしい絵であった。東方や中郷はほとんど分かったが、西方の家や道は、あのへんだろうとは思っても、なかなか正確な位置を断定できなかった。うちの家もヒラギから見たのと、井戸端から見たのと2枚描かれていた。
 夕方、田ノ浦の海岸を眺めると、カヤックらしきものが見えたので、もしかして原さんたちか?と思い、ボートを走らせて挨拶に行った。近づくとやはり原さんたちであった。中電が原発の詳細調査(海上でのボーリング調査)を始めるとのことで、阻止行動に協力してくれているのだ。たのもしい助っ人である。祝島でも今日は緊張した空気が漂っていた。

[2005年6月19日]
 広島から来られたOさんと一緒に平さんの棚田に行った。Oさんは弁当を持って来られていたが、僕は食べ物がなかったので、山に上がる前に500円持って「えべす商店」にパンと飲み物を買いに行ったら、買いすぎて30円足りず、ツケにしてもらった。(~_~;) Oさんは81歳ということだが、普段から山歩きをしているようで、棚田までスイスイと歩いて行かれた。途中、バイクに乗った木村先生とすれ違った。棚田に着くと平さんが小屋におられたので休憩を兼ねて、しばらくいろいろと話を聞かせてもらった。棚田を見せてもらった後、平さんはカタアまでテーラーで行くというので、荷台に乗せてもらった。平さんのテーラーは意外と乗り心地が良かった。
 山から下りて、Oさんと一緒に重村のオジチャンのところに話を聞きに行った。最後にコッコーの木を見せてもらったら、もう小さい実をつけていた。
 夜、Oさんと一緒に食事をしながら、79歳でギターを習い始めたと聞き、僕も負けないように頑張らねば、と決意を新たにした。が、いつも決意どおりにはなかなか行動が伴わない・・・(^^;

[2005年6月18日]
 仕事で伺った家の奥さんが熊毛南高校出身で、しかも僕より2学年上であった。ということは、熊南体操を一緒にやった間柄であり、高校生の時に遭遇している可能性は充分ある。が、お互いにまったく知らなかった。しかし、祝島出身という話をしたら、山根真太郎は同じクラスだったらしい。また、「シゲムラというヤクザみたいなのもいたねぇ」と話していた。たしかに・・・。(~_~;) 昨年、高校野球で「熊毛南がもしかしたら甲子園に行けるかも」騒動(?)の時は、ここでもやはり盛り上がったようである。弱小チーム時代を生きてきただけに、想いは同じ「生きているうちに一度でいいから甲子園に行って欲しい」のだ。
 さて、今年も夏が近づき、夏の高校野球県予選の組み合わせが決まった。我らが熊毛南の一回戦の相手は、ヒロシの出身校・下松工である。昨年は下松工に敗れて甲子園の夢を絶たれただけに、雪辱を果たしてもらいたいものである。

[2005年6月17日]
 久しぶりにマーティンさんからメールが届いた。元気でやっているようだ。5月からアメリカの方に行っているようである。祝島にいた当時、「日本語で文章を書くのはかなり大変です」と話していたが、だいぶ長い日本語のメールだった。ずいぶんがんばって書いてくれたようだ。ちょっとたどたどしい表現もあるが、そこがまた彼の一生懸命さを感じさせてくれるところである。

[2005年6月16日]
 祝島不老長寿マラソンの参加申込者が50人を超えた。女子ランナーも数名申込みがあったが、まだ全員入賞できる程度の人数である。(^^;
 山口放送ラジオから、不老長寿マラソンの話題で出演依頼があった。女子ランナーを中心に参加を呼びかけることにしよう。6月25日(土)の午前中の生放送だ。前日に木村先生やダイドックの原さんと飲む予定になっているので、二日酔いにならないように注意しなければ・・・。(~_~;)

[2005年6月15日]
 昼頃に上関の港の前を通ったら、西山のオジサンをみかけた。上関町議会の傍聴に来たようだ。「めばえ食堂」に祝島のオバサンたちがいるとのことなので、今日は「めばえ食堂」で昼食を食べることにした。オバサンたちには島でいくらでも会えるので珍しくもないのだが、よそで祝島の人に会うと、なんとなく嬉しくなるのは僕だけであろうか?「めばえ食堂」で食べるのもずいぶん久しぶりである。おそらく30年ぶりぐらいだろう。食堂のおかみさんに話を聞くと、開店したのは上関大橋が出来たときらしい。

[2005年6月14日]
 昨日書き忘れた情報。益子直美さんが島を離れるとき「いわい」で流れていた曲は、鳥羽一郎の「兄弟船」であった。
 こないだ橋部さんから借りた「役行者ものがたり」を一通り読み終えた。行者様の命日は西暦701年6月7日とされているようだ。東京の花田さんから「行者様の本を送ります」と返事が来たのも6月7日。何か因縁めいたものを感じる。しかし、命日と言っても、行者様の人間としての寿命が尽きた日であり、仙人として永久の寿命があるようなので、今も仙人としてどこかで生きているのである。もしかしたら、「お前はワシのことをあんまり知らんくせに、願い事だけはあれこれとせるのう。叶えて欲しかったら、ちっとはワシのことを勉強せえ!」と言っているのかも知れない。(^_^;)

[2005年6月13日]
 ようやくうちの畑のビワもぎをした。今日は5〜6回ほど至近距離で爆音を鳴らされたので、耳が少し遠くなったと思う(*_*;。うちの畑はテーラーで途中までしか行けないので、「おいこ」かネコ車でカタアの整理に行く道路まで運び出さないといけない。数十年ぶりに「おいこ」を背負って、収穫したビワを運んだ。
 夕方の便に乗ろうとしたら、ちょうどロケを終えて帰る益子直美さんと一緒になった。船内でここぞとばかり、船員さんに頼んで2ショットで写真を撮ってもらったが、あとでパソコンで見たら、だいぶピンボケであった。(ーー;)。益子さんはお疲れのところだったろうが、気軽にサインまでしてくれた。ラッキーであった。ちなみに益子さんの現役時代、僕は益子&斉藤コンビのファンだった。今の全日本のメグ・カナ以上の人気者だったのである。このサインは間違いなく我が家の家宝になるだろう。

[2005年6月12日]
 そろそろうちのビワも熟れた頃だろうと山にもぎに上がったら、先に上がっていた親父が「もちっと熟れさせた方がよさそうなじゃけえ、明日にしょうええ」と言って、早くも帰り支度をしていた。山小屋の前でつっ立って話していたら、すぐそばに仕掛けてあったカラス脅しの爆音器が突然轟音を轟かせ、命が縮みそうであった。しばらく耳の中でキーンという音が鳴り続いていた。この爆音器はプロパンガスで鳴らすのだと初めて知った。子供の頃、時々島にも来ていたポン菓子器と同じような原理であろうか?
 話は変わるが、昨日から行者様の研究をしている。行者様はうちの畑のすぐ上にあり、毎年正月にはお参りして身近な存在でありながら、「えらい修行僧であった」という程度の知識しかないことに気付き、東京の花田さんに関連図書を送ってもらい、橋部さんからも「役行者ものがたり」という本を借りて、読んでみることにした。三分の一くらいまで読んだが、どうやら僕が考えていたよりもずっとすごい人のようだ。人というよりは仙人、スーパーマンも真っ青の超能力者だったのだ。なんせ五色の雲に乗って空を飛ぶこともできたらしいのだ。生まれたのは今の奈良県の葛城山の付近。大峰山は行者様が開いた修験道の発祥の地で、今でも修行の本場らしい。奈良県に住んでいる人は、ぜひ行者様ゆかりの地を訪ねてみて欲しい。

[2005年6月11日]
 寝不足だったが早起きして、NHKの「西日本の旅」を見た。祝島ののんびり感が出ていて、いい感じだった。みさきちゃんはなかなかいい表情で映っていた。むしろサトシくんやオバちゃんの方が緊張していた感じであった。蓬莱館の前でくつろぐミニケル一家まで出演していて、たまげた。(^_^;)
 昼過ぎに「マット先生とカレーを食べる会」のために田布施まで行ったら、なんと!カレー屋は「6月5日をもって閉店」されていた。(~_~;) しかたないので急遽「マット先生とうどんを食べる会」に変更した。うどんを食べた後、マット先生は学校に帰り、僕は平生のメガマートに買い物に行った。マックスバリュの前に献血車が来ており、夕方の便まで時間があったので、高校の時以来25年ぶりに献血をしてみようかと思ったが、寝不足で頭が少しフラフラしていたので、倒れるとマズイと思ってやめた。

[2005年6月10日]
 柳井クルーズホテルで「マット先生を励ます会」という催し物があるという話を聞きつけて、飛び入り参加した。マット先生は祝島で楽した分、田布施で苦労しているようである。「人生楽ありゃ苦もあるさ」である。そんなマット先生を励まそうと集まったメンバーは、数ヶ月前まで祝島中学校におられた先生方である。マット先生は痩せ細っているというほどのことはなく、見た目は元気そうであった。しかし、祝島で見せていた豪快な食べっぷりは影を潜め、この辺りに日頃の苦労がにじみ出ていると言えるかも知れない。明日は田布施で「マット先生とカレーを食べる会」を催すことになった。

[2005年6月9日]
 小さい子供ほど感じたことを素直に表現してくれる。今日は小学3・4年生にWordで文字の大きさや書体を変更する方法を教えた。ただ文字が大きくなるだけなのに、「あーっ!大きくなったぁ!」と目を輝かせて興味を示してくれる。教えている方も、これだけ反応があるとやりがいがある。(^^)
 夕方、予定通り仕事で大島に行き、その後、木村先生の部屋でビール風味の飲み物を飲んだ。途中から隣の部屋のK先生も加わり、マラソンの話やら、沖浦の小中学生の話やらでずいぶん盛り上がり、気がついたら深夜12時前であった。僕は沖浦の子供達には会ったことがないが、話を聞くと、なかなか個性的なようである。そのうち、沖浦中にも顔を出してみようと思う。

[2005年6月8日]
 最近(というか、2月頃からずっと)、車の中ではプリンセス・プリンセス(プリプリ)のベストアルバムを聴いている。「ダイアモンド」と「M」という曲が特に好きである。彼女達の現役時代は特にファンというわけではなかったが、4ヶ月近く聴き続けていると、たいしたことないと思っていた曲までが、なんとなくいい曲に思えてくる。不思議なものである。プリプリの歌は、明るく元気なところがいい。1月頃は1ヶ月間くらいクイーンのベスト版を聴いていた。クイーンの曲も好きなのだが、彼らの曲は結構ヘビーなので、何度も続けて聴くと疲れる。その点、プリプリの曲は何度繰り返してもわりと疲れない。さすがに歌詞もだいぶ覚えた。一方、クイーンの曲は、歌詞を覚えるどころか、歌詞カードを見ながらでさえ着いていけない。中学1年の最初のテストで、数字の2のつづり”Two”を”Tow”と間違えて以来、ずーっと英語は苦手だ。

[2005年6月7日]
 昼便で上関小の子供たちが祝島に絵を描きに来たので、迎えに出た。有名な川口健治さんが指導にこられていた。なかなか豪華な講師だ。子供たちは島のあちこちに散らばって、川口先生の指導で細い竹の枝とインクで絵を描いていた。子供に聞いてみると「描きにくい」と話していたが、竹の枝を使うことで、きっと独特の画風が生まれるのであろう。今度完成した絵を見せてもらおう。ちょうどビワの時期なので、何人かの子供は絵を描いていた近くの家のオバサンからビワをもらって喜んでいたようである。
 午後から仕事のため、昼便で島を出た。エベスの男の子2人は保育園に行くということでサトシくんと一緒に船に乗っていた。二人とも元気一杯であった。

[2005年6月6日]
 台風の動きが遅く、方向もあまり定まらないようで、ボートを避難させるかどうか悩むところである。明日は島を出ないといけないので、明日の朝の天気予報で決めよう。
 うちのビワ畑もようやくカラス脅しの爆音器を取り付けた。今、人家でときどき「ドーン!」と聞こえるのは、たぶんうちの爆音器である。夜はちゃんと止まるので、しばらくの間、ご辛抱を。m(__)m
 夕方になって、夕陽を写しに通り矢のあたりまで自転車で出かけた。ちょうど潮が満ちていたので、海岸道路には海から這い上がってきたスナボーがじゅうたんを広げたように群がっていた。いったい何匹、いや何十匹、轢きつぶしただろうか?(~_~;)スナボーくん、ゴメン!

[2005年6月5日]
 今日も良い天気。昼便でみち&哲さんがやってきた。民宿のお客さんもやってきた。懐かしい高月先生も周東町の学校の子供たちを連れてやってきた。ビワもぎツアーの人たちも別便でやってきた。みんな島の1日を満喫したようである。
 僕は民宿のお客さんを案内して島内を巡った。三浦に行くと、今日は国東半島の方まで良く見えた。周東町の子供たちが軽トラの荷台で歓声をあげながらビワ畑から下りてきた。三浦から帰り、午後3時ごろから、例によって木村家で飲み会をしているみち哲さんたちと合流。みち哲さんが密造したらしいコッコー酒を持ってきていたので、それを試飲。なかなかの出来栄えであった。木村家の畑でとれた白ビワも試食。とても甘かった!あとで聞いたら、うちの畑にも白ビワがあるらしいが、藪の中で、ほうかっているようである。
 夕方の便でみんなを見送る。賑やかだった一日が終わり、島は静けさを取り戻した。・・・と思ったら、エベスの子供たちにからまれた(^^;。

[2005年6月4日]
 今日は重村芝郎さんの四十九日。早いものである。お昼頃に納骨を済ませ、そのあと重村家でよばれ、夕方まで延々と飲んだ。夕方の便で帰る人たちを見送りに出たら、エベスの子供達がいて、船が出た後しばらく一緒に遊んだ。3人が相手だとさすがに疲れる。(^^;だいぶへばった頃にちょうどタカシくんがやってきたので、チャンスとばかりに後をまかせて帰宅した。
 台風4号は右に逸れると思っていたら、7日に進路を変えてこちらに向かってくるという予報になっていた。しかもかなり強力な台風である。この時期から直撃されてはたまらないが、こればっかりはどうなるか分からない。おまけにBSで「パーフェクト・ストーム」という映画をやっていて、ついついこれを見てしまい、ますます気がせんなくなってきた。(ーー;)

[2005年6月3日]
 久しぶりに首の牽引をしてもらって、夕方の便で帰って来た。上関で危うく船に乗り遅れるところであった。車を置いてからかなりダッシュした。
 島に着いたら、NHKの取材陣が3日間の取材を終えて帰るところであった。ギリギリでなんとか藤原アナウンサーに会えてよかった。(^^) サトシくんの話では、みさきちゃんはどうやらテレビカメラが苦手のようである。何度もNGを出したらしい。(^^; 入学式で取り囲まれたのがショックだったのかもしれないし、もしかしたら島のオバサンたちに似てきたのかもしれない。これが「ウラウラウラ」言うてカメラから逃げ出したら、もうオバサンたちと一緒である。

[2005年6月2日]
 室津小に光市から劇団「たね蒔く人たち」の人たちがやってきており、せっかくなので僕も子供達と一緒に演劇を見せてもらった。さすがにプロだ、祝島のドタバタ水戸黄門とはレベルが違う。(^_^;) 途中に歌のコーナーがあり、手話付きの歌を教えてもらった。おかげで、手話をほんの少しだけ覚えることが出来た。「歩く」「走る」「山」などは身振りだけで想像できる。「明日」「未来」「過去」などは説明してもらえば、なるほどと思う。僕が一番印象に残ったのは「夜明け」である。この身振りは夜明けのイメージを見事に表現していると感心した。手話を考えた人は、ものすごく想像力の豊かな人なのだろう。

[2005年6月1日]
 上関中に行った後に、たまには「瀬里家」で昼食を食べようと思って行ったら、満員で入れなかった。こうなると「スーパーいたの」の弁当の出番だ。弁当とお茶を買って、おなじみの上関大橋の展望台に行って、「さーて食べよう!」と思ったら、なんと!箸がない!\(◎o◎)/! 仕方なく、そこらへんで折れた木の枝を拾って、ナイフで削って箸を作った。枝が少し曲がっていたので、最初は食べにくかったが、そこはさすがに「お箸の国の人」である。食べ終るころには、それなりに使いこなしていた。ただ、散歩に来た近所の犬がオシッコをかけた枝でなければいいが・・・という不安が少し残った。

[2005年5月31日]
 上関小に行く途中、上関大橋の下では巡視艇やらゴムボート数隻やらが出動し、橋の上にも警官隊がいて、ものものしい雰囲気であった。いったい何があったのだろうか?
 このところ天気のよい日が続いており、ワゴンR号は窓やら天井(サンルーフ)やら全開状態で走っている。なかなか気持ちよいのだが、今日はさすがに暑かった。考えてみたら、明日から6月。衣替えである。

[2005年5月30日]
 うちのビワはまだ熟れていないが、親類や近所の家のビワはもう熟れて出荷もしている。そこの家の人がクズビワ(キズが付いていたりして出荷できないビワ)を持ってきてくれるので、島に帰るとビワは食べ放題である。昔からビワはタダで食べるものと思っているので、人に頼まれて買ってあげたりすると、高いなぁ・・と思ってしまう。今日は夕方の便に4箱かかえて乗った。そのうち1箱はK医院の看護婦さんに頼まれていたクズビワだ。クズビワと言っても、少しキズが付いているだけで、味は遜色なく、むしろ裸ビワ(袋掛けしないで育ったビワ)も混ざっていて、じつはこっちの方が味はいいのだ。こういう売り方は普通しないので、値段も適当に決めてもらったが、普通のパック詰めしたものより量も多く、値段も安いので超お買い得であった。農家の方も助かるようである。

[2005年5月29日]
 夜、サトシ君から電話がかかり、NHKの人が来ているので、一緒にどう?という誘いの電話。NHK山口放送局のディレクターさんと一緒に飲んだ。撮影はこれからなのだが、6月11日(土)の朝放送の「西日本の旅」に祝島が登場する予定なのだ。「西日本の旅」と言うだけあって、山口県内だけでなく、西日本一帯で放送されるようなので、西日本に在住の皆さんはお楽しみに!

[2005年5月28日]
 夕方の便で島に帰って来た。善徳寺さんが一緒だった。家に帰ると、善徳寺のサトくん(小2)が野球をやろうと誘いに来た。4月から島に帰ってきても涼くんがいないので、サトくんはさみしそうにしていたが、どうやらこちらに矛先が向けられたようだ。しかも、家に来て僕のことを「ヒデちゃん野球やろう!」と呼ぶのである。まるで同級生扱いである。(~_~;) 学校に上がって、善徳寺さん親子と一緒に野球をやった。グローブをはめたのは何年ぶりであろうか。

[2005年5月27日]
 夕方まで柳井で仕事。その後、小型船舶免許の更新講習のため上関町中央公民館へ。小型船舶免許の更新は5年毎。5年前は祝島にUターンして間もない時だったが、当時はまだ本土にアパートは借りていなかったので、夕方の講習の後、国広のターケンさあの国宝丸に乗せてもらって、夕暮れの海をビールを飲みながら祝島まで帰ったのをよく覚えている。あれからもう5年経ち、そのターケンさあも今はもういない。5年と言う時の流れは短いようで長い。
 小型船舶の免許制度もあれから変化して、今回の更新で僕の免許は4級から2級に格上げされる。いままで5トン未満だったが、新免許からは20トン未満の船まで乗れることになった。

[2005年5月26日]
 光の明屋書店に行って、ランニング雑誌「ランナーズ」と「クリール」に祝島不老長寿マラソンの情報がちゃんと掲載されているのを確認した。おかげで、郵便や電話での問合せが増えてきた。現在、参加申込は16名。毎回のことながら女性ランナーは少ない。というか現在ゼロ(ーー;)。求む!女性ランナー!

[2005年5月25日]
 上関中に行った。いつもはだいぶ余裕を持って行くのだが、今日はいつもよりちょっと余裕がなく、あせっているように見えたのか、玄関のところで3年生の女子(なんとなく同級生の原田ひとみに似ている。親戚か?)から「なんとか間に合ったねぇ」と声を掛けられた。先々週、教室に行くのが遅れそうになったので、またか?と思われたのだろうか。先々週のは、学校に着くのが遅かったのではなく、校内で迷っていたせいなのだ。(ーー;)
 雑誌「ランナーズ」が発売され、それを見て、不老長寿マラソンの電話問合せが増えてきた。愛知県の方からも申込書を送って欲しいという電話があった。雑誌を見てから、地図を開いて、祝島がどこにあるのか一生懸命探したそうである。(^^;

[2005年5月24日]
 上小での授業が終って、昼食を食べようと思って「瀬里家」に行ったら休み。じゃあ「スーパーいたの」で弁当でも買おうと思ったらシャッターが閉まっていた。結局、「恵村商店」でパンとコーヒー牛乳を買い、上関大橋の展望台のイスに腰掛けて海を眺めながら食べた。天気がいいときは、外で食べるとなかなか気持ちの良いものである。
 それにしても、上関や室津は祝島に比べて人口が多い割には店が少ないような気がする。不便ではないのだろうか?コンビニが1軒くらいあってもいいのにと思う。

[2005年5月23日]
 1週間ぶりに首を引っ張りに行った。今日は牽引中に祝島のビワの話題であれこれ話しながらだったので、牽引力の加わり方が、首よりもアゴに集中していた。あまり治療にならなかった気がする。(ーー;)変な引っ張り方をして「クシャオジサン」のようにならないように気をつけねば・・・。

[2005年5月22日]
 山にびわの摘果と草刈に行こうと思っていたが、雨なので中止。ひらぎで五月丸で帰って来た木村先生とばったり会い、ちょっとだけ立ち話。今年のマラソンは大島からの参加が増えるかもしれない。五月丸に臨時便を頼むことになるかも(^^;。
 夕方の便でまた島を出た。意外と乗客が多かった。夜、3キロばかりジョギングした後、アパートの横の登り坂でダッシュ3本して気合を入れた。明日から土曜日までは仕事がビッシリだ。ホームページのカウンターは17万人になっていた。
 そういえば、うわさによると近いうちにNHKの「西日本の旅」とかなんとかいう番組に祝島が登場するということである。乞うご期待!

[2005年5月21日]
 夕方の便でまた島に帰って来た。松井のオバンが作ったカンコロの残りがタッパに入っていたので食べてみた。久しぶりの懐かしい味だった。夜になってサトシくんと子供達が蓬莱館に入学式の時のビデオを持ってきてくれたので、それを見た。入学式は僕が撮影したのであるが、見るのは初めてだ。入学式の映像の後に、家で3人が遊ぶ映像が延々と映っていたが、3人とも一瞬たりとも動きが止まらない。子供は本当に良く動くなぁ。気のいいリュウマくん、ジラ坊主のカズマくん、そんな2人をリードするミサキちゃん。三者三様で、見ていてとても面白い。

[2005年5月20日]
 午前中、重村さんのところに寄ったら、シローさんの形見のネクタイとベルトをいただいた。僕の持っているどのネクタイよりも高級品だ。似合うだろうか?
 昼前に峠のうちの畑に上がり、ビワの袋かけをしたが50枚もかけないうちに飽きてしまった。というか、このペースでやっても絶対に終らないと悟り、作戦を変更し、袋かけはもうやめて、「ビワ狩りツアー」でも企画して、よそからもぎに来てもらおうと考えた。そのためには、このヤブをなんとかせねばと思い、鎌を振り回してビワ畑の草刈りに精を出した。鎌を振ると、このところずーっとシビレている指先が、ますますジンジンしびれた。困ったものだ。草刈もこれだけヤブになっていると、グラウンドの草刈で鍛えた熊毛南卒業生でもなかなかシンドイ。
 山から下りて、着替えて夕方の定期船に乗るために港に向かって歩いていたら、途中でタミちゃんたちがたむろしていたので、マラソンのときの協力をお願いしようと声を掛けたら、「明日は土曜じゃに行くんで?」「デートじゃあなあか?」「あんたーなんぼうになったんかのんたぁ」「43」「へー、はようヨメをもらわんにゃー」「あんたらの組にもヨメに行ってないのがよけえおろーで」「もっと若あのがよかろう」「ほいじゃがあんまり若あのは、とーで(飛んで)逃げたりせるけーのんたぁ」「30から35ぐらいが落ち着いてよかろう」・・・と、話は限りなく発展していった。僕がしゃべったのは「43」だけである。(ーー;) 船の時間が迫っていたのが救いで、そうでなければ話がどこまで続くかわからなかった。
 本土に渡って、一旦室積のアパートまで帰り、広島の兄貴のところにパソコン1台を出前した。アパートに戻ったのは午前1時半を過ぎていた。ハードな1日だった。

[2005年5月19日]
 室津小へ。今日は参観日だった。参観日と言っても僕達の子供の頃のように、教室の後ろに普段より「よそ行き」の格好をしたお母さん方がズラーっと並んで授業を見る、といった感じではなく、学校が1日中開放されていて、親は自分の好きな時間に自由に見学に来るといったシステムになっていて、もともとクラスの人数が少ないので、パソコン授業中にやってきたのは普段着でやって来た4〜5名のお母さん達であった。しかも、先生もお母さん方も教室をウロウロしながら子供達のパソコンを覗き込んで子供と話しながらの授業なので、とても気楽な雰囲気であった。その数名のお母さんの中に、熊毛南の3年の時の同級生がいた。
 夕方の定期船で島に帰ったら、船は満員で、エベマンと浅野先生と3人で船の後ろの荷物置き場にずーっと立っていた。上関小との交流学習だったミサキちゃんと、柳井の病院に行ってギブスを外したリュウマくんも後ろの荷物置き場に座っていた。昨日がシケで昼便も夕方の便も欠航だったため、島に帰れずに本土に泊まった人が溜まっていたようだ。

[2005年5月18日]
 今日は上関中へ。途中、室津の港に龍丸が停泊していた。昼便は欠航だったようだ。康ちゃんは朝便でかなり揺られて学校に来たらしい。海が荒れた時は本当に大変だ。
 夕方、平生のKさんがアパートにやってきた。ホームページ制作の話がメインではあるが、仕事の話の後でジョイフルに一緒に食事に行き、地域おこしの話を3時間近くした。Kさんは木炭や竹炭を利用した地域おこしを目指していて、祝島でもそういう話があればすぐに応援に行くと言ってくれた。山口県内では近年、竹の繁殖による被害が深刻になっていて、その対策の1つとして竹炭利用には県も力を入れ始めているようである。祝島でも雑木林や畑を竹ヤブがかなり侵食してきており、重要な課題の1つだと思う。

[2005年5月17日]
 上関小にパソコンを教えに行った。6年生の担任は熊毛南時代の同級生のN本。熊毛の同学年の中では頭の良さはトップクラスだった。まさか、25年後にコンビで子供に教えることになるとは、思いもしなかった。人生、どこでどう転ぶかわからない。そこが面白いのであるが・・・。それにしても今日はハプニング続出でハラハラした。それでなくても慣れないMacでドキドキしているのに・・・。(^_^;)
 夜、なにげなくテレビを観ていたら、NHKの「発見ふるさとの宝」に、沖家室島の古いピアノが宝として登場し、そのピアノの復活の立役者として石井のオジイサンが登場してビックリ!石井さんは(たしか)4年前に「鯛の里」の松本さんと一緒に祝島に来られて、うちに宿泊されたのだ。その夜は重村さんや蛭子のオジサンもやってきて、祝島の歴史の話を夜中まで話したのだ。石井さんはなんと76歳でパソコンを覚えたらしい。そして石井さんのパソコンの先生が「民宿鯛の里」の松本さんなのだ。テレビで見た石井さん、元気そうで何よりである。「また続きを聞きに来ますよ」と話していたがまだ実現していない。僕も「今度、沖家室に行きます」と言ったのだが、これまた実現していない。(^^;

[2005年5月16日]
 みちこさんに色付けしてもらったマラソンのポスターを島内の人が集まりそうな場所に貼ったり配ったりした。リピーターのランナーからはもう何人か参加申込みが届いている。
 祝島の新しい観光マップ制作の打ち合わせが公民館であり、参加した。町役場の人たちが来るのを待つ間、公民館に設置してある血圧計で血圧を測ってみた。最高血圧123mmHg、最低血圧83mmHg、脈拍数69bpm。なかなかいい数字だ。が、以前にくらべると最高・最低共に10くらい高くなっている。これでちょうど良くなったと見るか、老化現象と見るか、・・・。(^_^;)

[2005年5月15日]
 今日は祝島でビワの袋かけ。だいぶやったなぁ・・と思って畑を見ても、たいして進んでいない。なかなか大変な作業だ。
 夜、久しぶりに余裕があったので、今頃になって年賀状の整理をした。(^^; 正月には忙しくて、内容もパラパラっとしか見ておらず、ずーっと机の上に置いてあったのだが、これでようやくスッキリした。あらためて読んで、メールで返事を書いたりした。「○○のこと、もう忘れたやろなぁ」と書いてあったので、「何のことか?」とメールを出すと、「忘れた」と返事がきた。(ーー;) 歳は取りたくないものである。
 昨日と今日は室積市。今年は行けなかったが、気になる「イチ飴」の消息について、昨日、龍丸で一緒になった山根のオバンから有力情報を得たので報告を。どうやら「イチ飴」を作っていたお店の人が高齢になり、次世代の作り手がいないということらしい。室積市のみやげのトップブランドだった「イチ飴」も高齢化の波には勝てなかったのか。残念!

[2005年5月14日]
 午前中、大畠の「うずしお祭り」へ。会場でみっちさんたちと合流。大森神楽団の出番は11:30からだが、僕達は10:30頃からステージの一番前に陣取った。神楽の前の出し物でフォークダンスが始まり、これにはまいった。フォークダンスに合わせたチロリアン風(と呼ぶのかどうかわからないが)の衣装で登場したのは、地元のフォークダンス倶楽部のオバサンたち・・と言うか、どちらかと言うとオバアサンたち。最初は「こんなもの見たくない!」と思っていたが、我慢して見た。2曲目はなぜか「よさこい音頭?」で踊りはどう見ても盆踊りだ。衣装はチロリアン風のままで、異様な雰囲気に包まれた。3曲目はモダンジャズ風の音楽でスイングダンス、と呼ぶのかどうか知らないが、まさしく「Shall We Dance?」の世界。楽しげに踊っているではないか、こちらも危うく体をスイングして踊りそうになった・・が、我慢した。(~_~;) 大畠の皆さん、美容と健康のためにフォークダンス倶楽部へ入ろう!

[2005年5月13日]
 柳井の某病院で夕方まで仕事。帰りに中国新聞社柳井支局にマラソンの大会要項を持って行き、記事の掲載をお願いした。中国新聞は以前から祝島に対してとても友好的で、なかなか良い記事を書いてくれている、と僕は思っている。平さんの棚田が有名になったのも、中国新聞に掲載されたのがきっかけだ。

[2005年5月12日]
 室津小に行った後、町役場に行って広報6月号に載せる不老長寿マラソンの記事の件で打ち合わせした。打ち合わせ中に祝島から電話があり、参加申込みの第1号が届いたとの知らせがあった。
 平生のアップルの会員カードの更新をしたら、レンタル1本無料になったので「スパイダーマン2」を借りて観た。「1」は数年前に蓬莱館で当時の島の駐在さんからDVDを借りて観た。子供向けかと思ったら、これが結構面白かった。「2」もなかなか面白く、最後のシーンから「3」もありそうな雰囲気なので楽しみだ。

[2005年5月11日]
 今日は上関中に行ったが、校舎の中で迷子になった。(ーー;) いつも担当の先生と一緒にパソコン教室まで歩いて行っていたのだが、今日は先生が用事があって先に行っていたため、一人で教室に向かった。職員室から出て、すぐの階段を上がってしまったのがそもそもの間違いで、上の階に上がると、どうもいつもと違う雰囲気。授業開始の時間は迫るし、あせって校舎の中を行ったり来たり、上がったり下がったりして、なんとか教室にたどり着いた。
 夕方、めずらしく明るいうちにジョギング。室積海岸のそばの道路は車もあまり通らず、なかなかいいジョギングコースだ。夕陽が笠戸島あたりに沈むのが見え、きれいだった。今週の土日が室積市(むろづみいち)らしい。

[2005年5月10日]
 「かけっこ.com」の掲示板のデータが消えているのに気付き、あたふたとしたが、覆水盆に返らず・・消えたデータは復活できない。原因は分からないが、お詫びの書き込みをしたら、掲示板の常連の皆さんが暖かい言葉をかけてくれて、ちょっと感動した。普段僕が掲示板に登場することはないので、「こんなことでもないと管理人さんと話せない・・」(^^;と前向きに考えてくれたようだ。やはり走っていると考えが前向きになるのだなぁ、と感じる。
 久しぶりにK医院に「首吊り治療」に行ったら、看護婦さんから「祝島のビワを持ってきて!」と頼まれた。「家で食べるものなので、大きさはそろっていなくてもキズつきでもいいから美味いヤツを頼みます。」との注文付きだ。持って行かないと、思いっきり首を吊られそうなので、持って行くしかない。(^_^;)

[2005年5月9日]
 今日から不老長寿マラソンの受付を開始した。前回参加したランナーの皆さんには申込書を送付した。140人近くに郵送しようとすると、大会要項を三つ折りにして封筒に入れるだけでも、ずいぶん手間がかかる。午前中一杯かかった。
 昼便で出て、1週間ぶりに本土に渡った。定期船は今日から「龍丸」だ。やはり「いわい」に比べると乗り心地はイマイチである。「いわい」の定期検査は約2週間かかるようだ。

[2005年5月8日]
 午後からうちの山へビワの摘果に行った。今年は父親の体調がイマイチなので、ビワ畑が荒れ放題だったのだ。本当は袋掛けをしたいのだが、半日しか時間がないので、とりあえず小さい実は摘み取って、大きめの実が育ちやすいようにした。うちの畑は行者様のすぐ下で、島でも一番高い所にあり、北向きなので、ゴールデンウイークくらいから袋掛けを始めても大丈夫なのだ。早いところは5月中旬から収穫だが、うちは6月中旬からになる。
 今日、ユリの口開けだった。ビワの作業中に行者様の方でどこかのオバサンの声がしていたが、帰り道に道端を見ると、あちこちでユリ根を掘った後があった。うちは去年のカタクリが残っているし、シゴが大変なので、今年は掘らないことにした。

[2005年5月7日]
 薬師のユウサアかたの屋根の修理を手伝った。昨年の台風で壊れた屋根を直しにイーちゃんが帰ってきていたので、手伝おうとは思っていたのだが、連休中何かと忙しく、最終日になってようやく手伝うことができた。夕方、うちの前で木村先生の奥さんと会う。ずいぶん久しぶりのような気がした。夜、イーちゃんと蓬莱館で飲んだ。イーちゃんが鳥取名物の「とうふ竹輪」を持ってきてくれた。これからは定年後に祝島に帰ってくる人も増えてくるんじゃないかと言う話をした。そうなることを願いたい。

[2005年5月6日]
 2日の夕方に島に帰ってきたので、今日で4日間ほど島にいるわけだが、ものすごい長い期間いるような気がする。島に帰省したヒロシなどは結構のんびりかも知れないが、僕の場合は普段の生活の中に同級生たちと飲んだり、お客さんと一緒に遊んだりということが追加されるので連休はのんびりではなくて、返って普段より忙しいのである。それでもあっという間とは感じずに、ずいぶん長い時間が経ったような気がするのは、島の持つ独特の時の流れによるものかも知れない。
 今日は昼間はホームページ制作の仕事をやって、夕方4時ごろから雅之と4時間くらい飲み、その後で西山さんのところにパソコンの講習に行くという、ちょっと異常なスケジュールであった。当然西山さんのところに行ったときはかなり酔っていたのであるが(^_^;)、島の中ならそれでもOKなのである。西山さんのところに行くと、講習の後で必ず手作りパンの試食会がある。西山のオバチャンの手作りパンは朝市で人気商品なのである。今日は初めて作ってみたというメロンパンの試食であった。いつもかなり美味いのであるが、食べた後は何か感想を述べる約束になっているので、素人なりに「皮の部分に、もう少し甘味があった方がよい」などと一丁前のことを言ったりするのである。その意見を参考に西山のオバチャンは味付けの修正をするので、西山パンの人気に、いちおう僕も少しだけ貢献しているのである。

[2005年5月5日]
 午前中、ヒロシ達が別便で帰るというので、見送りに出た。その後、久しぶりにボートで釣りに出たがスラをこいだ。午後からは風がかなり強まった。
 祝島不老長寿マラソンのホームページやパンフレット・申込書を作った。来週から受付を開始するので、これまたギリギリで間に合った。

[2005年5月4日]
 今日もお客さんを連れて平さんの棚田に行った。広島から来られた4人組でその中に「みっちさん」がいてビックリした。お馴染みの「みっちさん」ではなくて、「”若い”みっちさん」だった。(^^; 途中で木村の畑を通ったときにオバチャンから甘夏と伊予柑をもらった。美味しかった。ヒデコが帰ってきて畑仕事を手伝っていた。平さんにはビワをもらった。まだ少し早いが、それでもかなり美味しかった。双眼鏡を覗いていると海面にスナメリが泳いでいるのが見えた。今日は平さんの棚田の後に行者様にも行ったので、かなり歩いた。
 4人は夕方の定期船で帰るので、見送りに出ると、国広のヤッコネエも船に乗るところで、河野のアッちゃんも見送りに来ていた。ヤッコネエから「以前、編集日記に河野のチッちゃんゆうて書いちょったが、ありゃーアッちゃんの間違いじゃあゆうて、アッちゃんがはぶてちょったよ」と指摘された。二人が並ぶとアッちゃんとチッちゃんの見分けはつくのだが、どちらか一人だけ見るとアッちゃんだかチッちゃんだかイマイチ分からなくなる。(~_~;)とりあえずお詫びして訂正をしときます。(いつの記事か忘れたが・・・)

[2005年5月3日]
 今日はさわやかな五月晴れであった。午前中はお客さんを案内して平さんの棚田へ。田んぼには水を張っていた。もうすぐ田植えのようだ。
 夜は蓬莱館でヒロシ、灘波のカズ坊と飲んだ。ついでに二人に祝島ネット21の会報を発送用の封筒に入れるのを手伝ってもらった。単純な作業なのだが、数が多いと一人でやるのは結構大変なのである。

[2005年5月2日]
 昼に室積を出る前に、NECで同期入社だったカンちゃんが帰省しているというので、室積の実家に寄った。カンちゃんとは寮も隣の部屋だったので、かなり仲が良かった。会ったのは会社を辞めて以来だ。カンちゃんはあまり変わっていなかった。
 夕方の便にはヒロシも乗っているはずなのでビールを買って乗る。予想通りヒロシは船で飲んでいた。僕も鳩子てんぷらを肴に飲んだ。夕方の「いわい」は帰省客で満席であった。小学校の浅野先生とみさきちゃんも乗った。今日は遠足で長島の山に登ったらしい。柳井の病院に行ったという蛭子のリュウマくんは先生をオジサン呼ばわりしてサトシくんに怒られていた。島に着くと、港は出迎えの人たちでかなり賑わっていた。夜、民宿に宿泊していた女の子とヒロシとヒロノリと5人で蓬莱館で飲む。と言っても女の子達はジュースで、酒を飲んでいたのは僕達3人だけである。女の子たちは2日間島にいる間にすでにヒロノリとは知り合いになっていた。とりあえず楽しい一日ではあった。

[2005年5月1日]
 早朝から目覚めたが、やはり雨であった。寂地山行きはあっさり中止が決定。山登りの代わりに甥を連れてボーリングに行った。ボーリングが初めてという甥は、G(ガーター)をずらーっと並べ、3点という見事な得点をたたき出した。(^_^;) そういう僕もやっと100点を超えた程度で、たいしたことはない・・・。(~_~;)

[2005年4月30日]
 今回も締切ギリギリで祝島ネット21の会報が出来上がった。印刷が終ったのは、夕方の定期船が出る15分前であった。夕方の便で島を出た。明日は甥を連れて哲ぼんさんたちと寂地山に登る予定なのだが、どうやら雨のようだ。雨天中止の可能性が高い。昔から「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、哲ぼん&みっち&クニヒデの場合は「三人寄れば大雨」である。(ーー;)

[2005年4月29日]
 昼便で島に帰って来た。今日からゴールデンウィークということで、帰省客も多かった。薬師のいーちゃん(同級のユウサーの兄)も帰って来た。昨年の台風で壊れた屋根を直す予定らしい。昼頃に薬師に様子を見に行ってみると、テレビの前で寝ていた。夕方もう一度行ってみると、どうやって直そうかと頭を抱え込んでいた。(~_~;) かなり大変そうだ。
 今日はとてもいい天気だったが、こんな日に限ってやることがある。祝島ネット21の会報が、もう締切直前なのだ。今日中に編集作業を終えようとだいぶ頑張ったが、あまりにいい天気だったので、ついつい気分転換にと久しぶりに三浦まで自転車で出かけた。おかげで、今日は編集が終らなかった。(^_^;) もう明日の午前中に掛けるしかない。

[2005年4月28日]
 こないだからアゴの付け根の具合が悪い。ユウサーのようにアゴが外れる訳ではないので、まだマシなのだが、なんだか噛み合わせ?が悪くてコキコキ音がする。特に口を大きく開くと具合が悪く、マクドナルドのハンバーガーなどは今は食べる気にはならないのである。原因はおそらく、首の牽引治療だろうと思う。アゴに引っ掛けて引っ張るので、だいぶ負担がかかるのはたしかだ。おまけに牽引中に話をすると、ますます変な力が加わって、悪影響があるような気がするので、できるだけ牽引中は黙っているのだが、誰かに話し掛けられたりすると、ついつい話してしまうのである。

[2005年4月27日]
 今日は上関中でパソコンの授業(3年生の技術家庭科)。前回は担当の先生との打ち合わせだけだったので、上関中での授業は今回が初めて。教室に行くと、祝島から通学している清水くんがビックリしていた。こんなところに僕が現れたのにタマゲタのか、めったに見ないネクタイ姿がショックだったのか・・・(^_^;)。
 話は全然変わるが、源義経の顔(大河ドラマのタッキーではなくて、昔から伝わっている肖像画)が、同級生の河村のカッツーに似ていると思っているのは僕だけだろうか(~_~;)。

[2005年4月26日]
 昼便で雅之と一緒に島を出た。雅之はさすがに元生徒会長だけあって、いまだに先生方との繋がりがあるようだ。僕達が中3の時の担任だった藤井先生は、今は美川町の中学校の校長先生になっているらしい。坊主頭になっているそうだが、なかなかイメージできない。一度会ってみたいものである。
 祝島ネットの会報の原稿が出揃い、いよいよ編集作業も本格的にやらないといけない。29日に発行、30日に印刷の予定である。今回も締切りギリギリだ。

[2005年4月25日]
 朝一番に携帯に「重村芝郎」さんから電話が入りビックリ!もちろん本人からではなかったのだが、もしかして「ありょう忘れたけえ、持ってきてくれえ」と本人から電話がかかったのではないかとちょっとビビった。そのあと重村さんの家にいって「おはようございます」と玄関を入ると、中から「おー」と芝郎さんの声が聞こえ、またビビる。声の主は弟の雅之だったのだが、あまりに似ていて心臓に悪い。
 夜、蓬莱館にて雅之、通子さん、郵便局の留美ちゃんと一緒に飲む。芝郎さんの思い出話(たいがいはバカ話)をして、笑ったり泣いたり(ほとんどは大笑いしていた)。悲しみを乗り越えるには笑うことが必要だと人は本能的に感じているのかも知れない。

[2005年4月24日]
 同級生のイサオが帰って来た。イサオの親類の浜崎のオジサンが亡くなって、今日が葬式だったのだ。大阪から日帰りだったようで、昼便で島に帰ってきて、夕方の便で出て行った。朝、4時起きで家を出て、帰り着くのは夜11時頃になるらしい。さすがに日帰りは大変そうだ。せっかくだから、もう少しのんびりすればいいのに・・・。イサオは昔から虫獲り名人で、噂によると夏に帰って来たときは、いまだにカブトやらクワガタやらを獲りに行くようである。今はまだ虫はいないので、島にいてもすることがないのかもしれない。今度は盆に帰って来ると言っていた。

[2005年4月23日]
 重村さんの葬儀に参列した。高校(熊毛南)時代からの友人の送る言葉が涙を誘った。
 夕方の便で島に帰り、部屋にあった熊毛南の卒業アルバムがふと目に留まり、ながめてみた。こいつ今何をしているだろうか?とか、この子は可愛かったなぁとか思いながらページをめくった。運動会で全校生徒で「熊南体操」をしている写真はじつに壮観である。はじめは、「こんな恥ずかしい体操いやじゃー!」と思ったものだが、結局3年間みっちり踊った。が、もう忘れた。重村さんや木村先生のいた時代にも熊南体操はあったのだろうか?そして今でもあるのだろうか?割合若いマット先生なら、まだこの体操を覚えているかもしれない。

[2005年4月22日]
 重村さんの通夜が柳井であった。祝島の関係者もたくさん弔問に来ていて、久しぶりに会う顔も多かった。ジッタくんなど雅之の同級生も何人か来ていた。通夜振る舞いの席では、保育園の時の槌谷先生と一緒になり、とても懐かしかった。槌谷先生は、子供の頃の僕がこまかったのをちゃんと覚えていてくれた。林のオバちゃんと坂本のオバちゃんは、ここでも賄い役でまめに動き回っていた。祝島のオバサンたちはよく働く。
 そのあと、柳井の木村家に行き、こないだやり残したパソコンの設定をして、ついでに柳生十兵衛を見た、が、途中でみっちさんからメールやら電話やらが入り、気が散って十兵衛の話はうわの空であった。

[2005年4月21日]
 今朝、郵便局長の重村さんが亡くなった。ついこないだまで祝島で一緒に話をしていたのに、信じられないような気持だった。入院してわずか3週間、あまりにも突然の出来事だった。僕が祝島にUターンして以来ずっと、それまでほとんど面識のなかった僕に対して、島に住む仲間として、先輩として、そして友人として、いろいろな面で支えてくれた。あらためて感謝の気持を込めて「ありがとう」という言葉を送り、ご冥福をお祈りしたい。

[2005年4月20日]
 上関中にて担当の先生と打ち合わせ。3年生の技術家庭の時間にパソコンの授業をやるのだ。先生から教科書を借りて見たが、なかなか高度な内容なのだ。来週から授業が始まる。
 上関中に保健体育の先生として赴任している高校時代のクラスメートのK内くんと少し話す時間があった。「高校の時とあんまり変わってないねぇ」と言われたが、それはお互い様である。男子は当時とあまり変わっていない。

[2005年4月19日]
 今日は熊毛南1年A組Dayであった。上関小に行ったら、O田くんとN本さんが教師として赴任していた。教頭先生と一緒に上関中に行ったら、今度はK内くんがいた。3人とも高校1年のときのクラスメイトだ。なんという偶然!
 夕方、仕事で周防大島に行った。せっかくなので、大島の環状線?をショートカットで一周した(島のしっぽの方までは行っていない)。観光地としての施設はかなり整備されているし、田舎らしいのんびりした雰囲気も自然も残っており、なかなかいいところだなぁと感じた。道の上から見下ろした沖浦中学校(木村先生の赴任先)の木造校舎は、なかなかの存在感があり、すぐにそれとわかった。

[2005年4月18日]
 山口市に取材に行って、帰ってくると、もうMacが届いていた。早すぎる! とりあえず箱から出して動かしてみた。置き場所がないので、Macが入っていた箱をそのまま机代わりにしている。マウスがまだ届いていなので、ノートPC(Windows)で使っているマウスを接続してみると、とりあえず動いた。これならマウスは購入しなくても良かった・・とも思うが、やはりMacにはMac用のお洒落なマウスを付けてやりたい・・と思わす何かがある。

[2005年4月17日]
 午前中、久しぶりにボートを動かした。東の波止に戻って、ボートの修繕などやっていたら、近くを小アジが群れでウヨウヨ泳いでいた。後で中郷に行ったら、中波止にも小アジがウヨウヨいたので、きっとスナメリか何か大きい魚から避難していたのではないだろうか。
 今日は天気も良く、ちょっとだけ時間に余裕があったので、久しぶりに少しのんびりした。夕方の定期船で木村先生と一緒になり、マラソン大会の打ち合わせなどを少しした。1ヶ月くらい前にYahooBBの設定の仕事で伺った家の人も祝島に遊びに来ていたようで、船で一緒になった。平さんの田んぼまで歩いたらしい。室積に戻り、久しぶりにジョギングをした。

[2005年4月16日]
 今日は島に帰るかどうか、ちょっと悩んだが、天気も良かったし(^^;夕方の便で帰って来た。民宿の客室のテレビの調整というちょっとした用事もあったし・・・。今日で3日連続、明日も乗るので4日連続で「いわい」に乗ることになるが、このところ凪なので、全然苦にはならない。ただし、船賃はかかる。いくら乗ってもマイルは貯まらない。(ーー;)
 練習用の中古iMacを探そうと、一昨日からYahooオークションをウォッチしていたが、今晩、本体+キーボードを7350円、マウスを1100円で落札した。まだ実物を見ていないので、なんとも言えないが、送料を入れても約1万円で入手できることになったので、とりあえず良しとしよう。

[2005年4月15日]
 昨日の夕方の便で島に帰り、小学校のパソコンのインターネット接続などの設定をやった。まだ開校したばかりで、いろいろなものをゼロから立ち上げていかなければいけないので(しかも先生は二人だけなので)本当に大変そうである。
 不老長寿マラソンも5月の連休明けから募集開始なので、こちらも準備が忙しくなってきた。とりあえず大会要項案を作り、「ランナーズ」にも5月発売号に掲載する原稿を送り、室津の埋立地を臨時駐車場に使えるように役場に申請書を出しておいた。
 昼便でまた島を出て、下松へホームページの取材に行った。夜、NHKの金曜時代劇「柳生十兵衛・七番勝負」を見る。結構お気に入りの番組なのだ。

[2005年4月14日]
 今日は室津小学校への初登校で、なかなか新鮮な体験をした。校庭に入ると、ちょうど休み時間で運動場で遊んでいた子供達が元気にあいさつしてくれた。職員室で先生方にあいさつを済ませ、二階の教室に上がる階段を何気なく歩いていたら、僕の前を子供達はちゃんと右側通行を守って一列に並んで歩いているのに気付き、僕もセンターラインをはみ出さないように気をつけて歩いた。(~_~;)
 教室に入ると、なんとiMacがズラリと並んでいて、Macをほとんど使ったことのない僕は「うわっ!ヤバッ」と思ったが、こうなったら覚えるしかない。練習用として、今年1月の発売時から意味もなく欲しかったMacミニを買ういい口実ができたのだが、先日デジカメを買ったばかりで財政難なので、とりあえず中古のiMacを物色してみようと思う。もし「使わなくなったiMacあげます」と言う人がいたら、大至急ご一報を!

[2005年4月13日]
 熊毛南の同級生と会った。今年の1年生から学年が120人、3クラスになったらしい。ということはA,B,C組しかない訳で、伝統?の「ダー組」が無くなってしまうわけだ。残念!(この話、熊毛南出身者しか分からないか・・?)
 中国電力が上関原発の詳細調査を始めた。困ったものである。近海にはスナメリがたくさん集まっているようである。これからちょうど子育ての時期になるのである。ボーリング調査などやっては、スナメリは落ち着いて子育てもできまい。調査には周辺環境に充分配慮すると言っていたはずなのに、これでは配慮のかけらも無いと言わざるを得まい。

[2005年4月12日]
 ホームページ制作の取材で、田布施のカレー店Bondyに行った。この店の店員さんは、マット先生が「同級生かもしれない」と以前掲示板に書いていたので、いちおう確かめてみると、やはり田布施中時代の同級生らしい。マット先生のことはなんとなく覚えているそうだ。「頭が良かったような・・・」「学級委員をやっていたような・・・」と、あいまいな記憶ながら、今のマット先生とはひと味違う?(^^;優等生ぶりなイメージが残っているようである。「今度ぜひ一緒にカレーを食べに来てください」と言っていたので、そのうち一緒に行って「食べたお客さんが不機嫌になるくらいの辛さ」だという噂の「大辛カレー」にでもチャレンジしてもらおうと思う。(^^)

[2005年4月11日]
 夕方まで柳井で仕事をした後で、大島の木村先生のところにパソコンをいじりに行った。先生は新しいノートパソコンを買っていた。先生のアパートで一緒にコンビニ弁当を食べながらあれこれ話をした。昨日、祝島から折りたたみカヌーを持ってきたらしい。いよいよ大島での海洋活動が始まりそうな気配である。

[2005年4月10日]
 未明から昼頃にかけて強い東風がビュービュー吹いていた。午後からは雨になりそうだったので、午前中にカメラを持って少し山を歩いた。今年は桜の花が少ないような気がするが、すでに強風でだいぶ散ってしまっていたのかもしれない。目立っているのは菜の花である。あちこちで群生を見かけた。今までこんなにたくさん咲いていたことはないような気がする。
 夕方の便でまた島を出た。みさきちゃんは藤永のオバサンに弟子入り?して、キップ売りの少女になっていた。今日の夕方の便の客は僕だけで、みさきちゃんも藤永のオバサンも「ようよう1人おったー!」と喜んでいた。(~_~;)

[2005年4月9日]
 明日から天気が崩れるということで、今日花見をした人が祝島でも多かったようだ。僕は夕方の便でまた島に帰ってきたが、夕方から花見をする人はさすがにいないようだった。その替わりに民宿のお客さんと飲んだ。「祝島は日本の原風景。ぜひとも島を活性化して、次世代に繋げていって欲しい。」と話されていた。

[2005年4月8日]
 祝島小学校の開校式&入学式に出席した。僕はサトシくんからビデオ撮りを頼まれていたのだ。久しぶりにビデオを使ったが、写真と違って、ずーっと撮らないといけないので、なかなか大変であった。(^^; デジカメも首にぶら下げていたが、ビデオとデジカメ両方を使うのは、かなり至難の業であった。というか、両方同時は無理だ!
 小学校の先生は、校長先生と担任の先生の二人、それに事務のフミちゃんだけなので、赴任してから準備期間も短く、本当に大変だったろうと思う。ご苦労様でした。
 夕方の便でナイル号調査隊がやって来た。明日・あさっての2日間であれこれ調査をするようである。僕はその夕方の便に乗って、また島を出た。本屋に行って「全国シーカヤッキング55map」を探したが見つけられず、たまたま見かけた「あの素晴らしいフォークをもう一度」というNHK趣味悠々のテキスト本を買ってしまった。「紙ふうせんのギター弾き語り入門」なのだ。長年、何か楽器を・・と思い続けているくせに、練習もしないので、何一つ演奏できず、今までになんとかできたのは櫂伝馬の太鼓だけである。(^^;。3年前の木村先生のギター教室も1回行ったきりでサボってしまって、結局弾けるようになれなかったので、今度もあまり期待はできないが、みさきちゃんに負けないように、いちおう今年の目標にしようと思う。

[2005年4月7日]
 久しぶりに島に帰って来た。今日は柳井港付近から「いわい」とほぼ同時にヨーイドンであった。途中、片側交互通行とかあったため、伊保ノ庄あたりでは「いわい」がはるか前方に快調に飛ばしているのが見え、やばいなぁ・・とあせった。そんなときに限って、前にノロノロの車がいたりするもので、ますますあせることになる。世の中はそういうふうにできている。(ーー;) 結局、室津に着いてキップを買ったところで「いわい」が入ってきて、間一髪セーフであった。
 櫛ヶ浜のカヤッカー原さんからの情報では、つい最近「全国シーカヤッキング55map」という雑誌が、山と渓谷社から発売されたとのこと。全国から選ばれた55箇所のシーカヤックエリアの中に祝島(と、その周辺海域)も入っているのだ。記事を書いてくれた原さんのおかげで、祝島から長島にかけての海域が全国のカヤッカーにも注目されるエリアになりそうだ。それだけすばらしい自然環境が残っているという証明でもあり、上関町民はその自然を大切にし、もっともっと全国にアピールすべきなのだ。

[2005年4月6日]
 4月(新学期)から上関中・上関小・室津小でパソコンの授業を担当することになった。今日、教育委員会から連絡があり、来週から火・水・木は学校に行くことになった。子供は物覚えが早いので、どんどん進んで教える方もついていくのが大変だなぁ(~_~;)・・と思う一方で、子供達や先生方との交流はとても楽しみである。
 正月にあちこちの神社に初詣に行って、商売繁盛を祈願したおかげで、今年になって仕事が多すぎて(収入はたいして増えていないが・・)、ほとんどパンク状態で、祝島に居る時間が減ってしまった。嬉しいような悲しいような・・・。誰か祝島(の近く)にUターンしてパソコン関係の仕事をしたい人がいたら、ぜひご一報を!

[2005年4月5日]
 「沈下橋」といえば四国・高知県の四万十川の独特のものかと思っていたが、そうでもないようだ。最近、たまたま山口県東部の2箇所で見かけた。1箇所は光市の島田川、もう1箇所は岩国市の錦川だ。どちらも四万十川の沈下橋とそっくりだった。探せばもっとあるのかも知れない。同じような環境では似たような文化が発生するものなのか。祝島の「練り塀」とそっくりなのが韓国の済州島にあるらしい。きっと同じような風土なのだろう。機会があれば行ってみたいものである。

[2005年4月4日]
 仕事で大島に行ったので、ついでに木村先生の住宅に寄ってみた。まだ引っ越してきたばかりで、中はガラガラの状態であった。祝島に負けないくらい静かなところで、マット先生からもらったらしい時計だけがカチカチと音を立てていた。

[2005年4月3日]
 「大竹市の疫神社で大森神楽団の神楽奉納があるので来んさい」というみっち&哲ぼんさんの招待を受け、会場まで行ったが、開演前の準備中に大雨が降り出し、残念ながら中止となった。大森神楽団の公演を見に行ったのは昨年12月に続いて今回が2回目であるが、2回とも大雨であった。雨男の資格は充分である。(^^; 中止が決定した後、神楽団の本拠地・湯来町まで戻って、公開練習を行うことになったので、ついでにそちらまで見に行った。神楽団より一足先に練習場に行き、小宴会。僕の買っていったセブンイレブンの弁当は「まさるさん」の息子の「こざるくん」に半分食べられ、僕はみっちさん手製の巻き寿司を食べさせてもらった。練習は舞台から10cmの至近距離で見せてもらったので、ド迫力であった。来週は広島の護国神社でやるらしいが、僕は祝島で花見をするつもりなので見れない。5月に大畠での公演が決まったようなので、そっちを見に行こうと思う。

[2005年4月2日]
 午前中、仕事で旧大和町(今は光市)に行った。ワゴンRで三輪小学校の横を通ったとき、高校時代にここの体育館で「高石ともやとザ・ナターシャセブン」のコンサートがあり、クラスメイトと一緒に行ったのを思い出した。夏の暑い時期で、体育館の中に氷柱を何本も立てていた。大和町ということで、当時大ブームだった「宇宙戦艦ヤマト」のテーマソングを歌ったのが唯一記憶に残っている。

[2005年4月1日]
 今日から4月、そして新年度が始まった。今までと違う環境で新しい生活を始める人も多いと思う。祝島でも離れる人あり、来る人ありである。木村先生は周防大島の中学校に赴任することになり、ヒラギが少し寂しくなる。僕も4月からちょっと新しい生活になる予定である。まだ具体的なことが決まってないので詳細は近いうちにまた。

[2005年3月31日]
 下関気象台で桜の開花宣言があった。祝島でもそろそろ咲き始めたかも知れない。残念ながら僕はしばらく島にいないので、橋部さんのホームページを楽しみにすることにしよう。
 今日は花粉症が少し出た。肩の具合がだいぶ良くなったからかも知れない。と、思っていたら、今日からヒノキ花粉の情報がテレビで出るようになった。まだ「少ない」という予報ではあったが、もしかして、僕の花粉症はスギではなくてヒノキ花粉に反応するのか。ちょっと高級な?花粉症だ。(^_^;)

[2005年3月30日]
 室津に留めておいたハッピーアイランド号で島に帰った。昼便の「いわい」より15分早く室津を出発。どこで抜かれるかと思っていたら、なんと逃げ切ってしまった。東の波止に係留しているところで「いわい」が島に到着した。午後から風が出て、白波が少し立っていたので、午前中に乗って帰っておいてよかった。
 島であれこれと用事を済ませて、夕方の「いわい」に乗って、また島を出た。明日から1週間は本土での仕事が詰まっている。今度島に帰るのは、たぶん小学校の入学式直前だ。

[2005年3月29日]
 仕事で柳井に行ったついでに、YouMeタウンでズボンを買ったら抽選券をもらった。今日が抽選会の最終日というので早速挑戦した。昼ごはんにカツ丼を食べていたので、もしかしたらと思ったが、残念ながらスカだった。昔からクジ運は弱い。(ーー;)

[2005年3月28日]
 9時過ぎに室津港でボートの中間検査を受けた。心配していた雨はギリギリで上がった。検査は考えていたより短時間で終った。書類や法定備品がそろっていて、エンジンの始動や航行灯などに問題がなければそれでOKだ。
 午後から上関でマーティンさんと会うことにしていたのだが、検査が早く終りすぎて、マーティンさんはまだ最後の取材をしているようなので、車の中で本を読んだり、電話でできる仕事をして時間をつぶし、12時過ぎから川口先生の家でマーティンさんと会い、しばらく話をし、握手して別れた。マーティンさんも祝島ネット21の会員になってくれたので、会報はイギリスに送ることになる。

[2005年3月27日]
 昼前から雨。わりと暖かい雨だった。テーラー道は、菜の花が満開だ。宮の下の桜はまだまだ莟だった。酒井のオバチャンが岩ガキを持ってきてくれた。石井の波止のところで獲れたらしい。
 夕方の便で、また島を出た。明日の朝、室津でボートの中間検査を受けることになっている。雨が上がればよいが・・。

[2005年3月26日]
 夕方の便で島に帰ってきて、すぐにマーティンさんの見送り。島の人たちから愛されていたマーティンさん、港に出るまでも出てからも多くの人から「また来ませえよ」と声を掛けられていた。下宿先の浜村さんは「あんたらがそがいに言うけえ何回も来るんじゃあ。また来ませえ言うた人が今度は泊めちゃりませえよ!」と笑いながら冗談を飛ばしていた。
 ちょっと裏話。トピックスに掲載した写真。白いテープがやけに太いと感じる人もあろうが、じつはエベス商店に紙テープが2本しかなくて、トイレットペーパーがテープの替わりに代用されたのであった。(~_~;) すぐに切れるかと思ったが、意外と長く伸びた・・。 それから、今日「いわい」で流されていた演歌は「さざんかの宿」であった。曲の内容とかに特に意味はなく、とりあえず演歌が流れていることが重要?なのだ。

[2005年3月25日]
 今年はスギ花粉の飛散量がものすごい。同級生のユウサアなどは大変な状況になっているらしい。しかし、不思議なことに、僕は少し鼻がかゆいと感じることもあるものの、症状としては非常に軽い。近年まれにみる軽さで、もしかして治ってしまったのではないかと思うくらいだ。しかし、何か特別な治療をしたわけでもなく、不思議に思っていたが、どうやら一度にたくさんの症状を出せない無器用な身体であることが理由のように思う。今まで肩や腕が痛い状態が続いていたので、スギ花粉どころではなかったのだ。22日の夜から高熱が出たときは、肩や腕の痛みも感じなくなった。きっとそんなことに関わっている場合ではなかったのだ。熱が下がると、また肩の痛みも復活してきた。ということは、肩の痛みが治ると、花粉症の症状が出てくることになるのだろうか。このまま肩の痛みが続く方がいいのか、花粉症が復活するのがいいのか、悩むところではある。(ーー;)
 今日はホームページのアクセスが16万を突破し、愛・地球博が開幕し、朝青龍が今年になって初めて負け、中電は上関原発の着工目標の1年延期を発表した。僕は久しぶりに首吊り治療に行き、散髪にも行った。話はまったく変わるが、ライブドアとフジテレビに割って入った形のソフトバンク・インベストメントの北尾CEOの話し方を聞いていると、なんとなく「料理の鉄人」道場六三郎に似ていると感じているのは僕だけだろうか・・・?

[2005年3月24日]
 ユンケルが効いたのか、今日は熱も下がり、だいぶ回復した。
 夕方、下松まで買い物に行ったら、途中はボタ雪であった。ちょっとした小高い山は白く雪化粧をしていた。この時期になって雪とは・・・。イルカの「なごり雪」の歌のような情景がきっとどこかで見られたことだろう。

[2005年3月23日]
 昨日の夜から高熱が出て、かなりしんどい。インフルエンザだろうか?どこでもらって来たのだろう。ユンケル黄帝液を飲んで、さっさと寝ることにしよう。

[2005年3月22日]
 酒井さんから頼まれて、卒業写真の拡大写真を15枚作った。酒井さんはうちの母親と同級生。65年くらい前の卒業写真だ。昔の写真を募集したところ、酒井さんがかなりきれいなものを保管していたのだ。しかし、母親に見せても、写真が小さいので顔がよく分からないため、拡大写真を2枚作って、1枚を酒井さんにもプレゼントした。そしたら、「顔が良く分かるので、生存している同級生に配りたいので人数分作って欲しい」との依頼だ。うちの母親も、拡大写真を見て「これが○○の△△ちゃんじゃろう、のう?」と、懐かしそうに眺めている。「のう?」と僕に振られても、わかる訳がない。「○○の△△ちゃん」の名前すらわからない。(^^;母親の顔も教えてもらわないと分からなかった。ただ、僕と同級の吉村のオバチャンの顔だけは、子供の頃と僕達の知っている顔があまり変わっていなくて、僕にもすぐ分かった。酒井さんとうちの母親は仲が良かったようで、写真でも隣同士だった。
 重村さんのところに、うちの父親の組の卒業写真もあったようで、こないだ隣の曽田のオバンが持ってきた。曽田のオバンはうちの父親と同級生なのである。父親がしばらく眺めていたが「オラがおらんのう」と言っていた。僕が見ても分からなかった。顔がボケて写っている何人かの中のどれかなのだろう。女はまだだいぶ生き残っているが、男はあんまり生き残っていないようだ。

[2005年3月21日]
 本日午前中は二日酔いぎみであった。昨日、五月丸に手伝ってもらってハッピーアイランド号のバッテリー交換をして復活! 来週の中間検査にそなえて、室津のM鉄工所まで乗って行った。ハッピーアイランド号は今年になって初めて海を走った。(^^;今日は天気も良く、波もあまりなかったので快適であった。車は上関に置いていたので、室津から「いわい」で上関まで行こうかと考えていたら、ちょうど高校時代の同級生が通りかかり、車で上関まで送ってくれた。友人は大切にしておかねば。

[2005年3月20日]
 広島から「みっち&哲ぼん」さんが来て、一緒にバーベキューをやって、かなり飲んだので、日記を書くのもかなりせんないので、本日はこれまで!

[2005年3月19日]
 仕事を済ませて、K医院で首を吊って、夕方の便で島に帰って来た。家に着くと、先日、民宿に泊まってくれた、黒川伊保子さんから著書が届いていた。「怪獣の名は なぜ ガギグゲゴなのか」と「LOVE brain」の2冊だ。「ガギグゲゴ」の方は本屋で表紙だけは見覚えがある。もう1冊は知らない本だが、蓬莱館で話をしたときに「この本を読んで早く結婚してください」とか何とか言われていたような気がする。いろんな人が心配してくれて嬉しい限りである。(~_~;) とりあえず、黒川さんありがとうございます。謹んで読ませていただきます。m(__)m 第1章は「女の気持ち」か・・・フムフム。

[2005年3月18日]
 昨日、久しぶりに体を動かしたのが良かったのか、今日はずいぶんと肩や腕の痛みが少なくなった。この調子で良くなってくれればいいが。
 今週NHKで放送された、卒業式でよく歌われている歌ベスト5は、結局1曲も知らなかった。(^^; 第4位の「さようなら」は昨日の祝島中の卒業式でも、「涼くん思い出のアルバム」の上映の時に流れていた。
 旅立ちを迎えるのは涼くんだけでなく、マーチンさんももうすぐ日本を離れ、イギリスに帰国する。今日の夕方の便で、一緒に島を出た。マーチンさんが今度島に来るのは、後は26日に半日だけ挨拶に来るだけのようだ。

[2005年3月17日]
 祝島中の卒業式と休校式に参加。卒業式の「仰げば尊し」では、ちょっとウルウルきそうになり、続いて校歌斉唱で胸が熱くなりかけていたところに、ホームページ制作中のH自動車学校から携帯に電話がかかり、いきなり現実に引き戻された。(ーー;) 携帯はマナーモードにしていたし、すぐに「只今出られません」ボタンを押したのだが、せっかく盛り上がった気持ちは、すっかり標準レベルまで戻ってしまった。携帯は切っておくべきだった。それにしても、康ちゃんの送辞、涼くんの答辞は立派なものだった。僕にはあんな立派なものはできないなぁと感心しながら聞いた。
 卒業式に続いて休校式が行われた。会場には歴代のアルバムや卒業文集が並べられ、昨年の台風で壁から落ちてしまった僕達の卒業記念の絵も飾られた。台風のおかげで日の目を見ることになった?
 午後からのお別れスポーツ大会は、雨のため体育館でソフトバレーになった。今年に入ってPスポがなかったため、久しぶりだ。右肩や腕の調子がイマイチだったので、どうかなぁと思っていたが、先日からの首吊り治療の甲斐があって、なんとかやることができた。人生を楽しむには、やはり健康が一番大事である。

[2005年3月16日]
 柳井のK医院にて首を吊ったあと、夕方の便で島に帰って来た。上関で藤重教頭先生と久しぶりに会う。明日の卒業式と休校式に出席するために島に行くようだ。柴田先生の奥さんも船に乗っていた。エベスの子供達も今日は上関の保育園に行ったらしく、船の中は大騒ぎであった。
 リュウマくんが「オジチャン、何歳?」と聞くので、「オジチャンじゃないじゃろ!」と怒ってみせると、しぶしぶ「オニイチャン」と言いなおしたが、ずいぶん言い難そうだった。(~_~;) 僕は「25歳」ということにしたのだが、上には上がいるもので、後ろに座っていたオバチャン(明らかに60歳近い)は「20歳」と答えていた。船室にいた人全員が吹き出すのを必死でこらえていた。(^^;

[2005年3月15日]
 NHKの昼の番組で今週は「卒業式の歌」の特集をやっている。番組は「仰げば尊し」で始まる。この歌を聴くと、なぜか胸がジーンとしてしまう。その後で、最近の卒業式でよく歌われている歌ベスト5を毎日1曲ずつ紹介してくれるのだが、昨日(5位)・今日(4位)共に僕の知らない歌だった。1位は金曜日に紹介される予定だが、僕の予想では「贈る言葉」ではないかと思うのだが、どうだろうか? もしかしたら、5曲とも僕の知らない歌かもしれないが・・・。あさってはいよいよ祝島中学校の卒業式、そして休校式だ。

[2005年3月14日]
 とりあえず確定申告を済ませた。税務署での手続きは2〜3分で終了。まずはひと安心だ。
 その後、今回は間に合わなかったe-taxのために申し込んでおいた住民基本台帳カードと電子証明書をもらいに上関の役場まで行った。役場員が試験的に作ったカード以外では初めてのようで、担当の人もマニュアルを見ながら慎重にやっていた。滅多に動かさないような端末に電源を入れたりなんだりで、結構時間がかかった。カード作製費が500円、電子証明書が500円であった。しかし、まだこれだけではe-taxの手続きは出来ない。電子証明書はICカードの中に入っているため、これを読ませるためのカードリーダーを買わなければいけないのだ、なんというめんどくさいシステムだ!手続き完了までまだ当分かかりそうだ。まあ、今年の確定申告はもう終ったので、来年までにやればいいので、のんびりやろう。
 ついでなので、役場の別の部署に行って、夏のマラソン大会のときの駐車場の件で、室津の埋立地を貸してもらえるようにお願いに行った。そして、3日ぶりに柳井のK医院に行って、首を引っ張ってもらった。今日は牽引力を一気に15kgまで上げてもらった。かなり引っ張られている実感がわいてきた。でも慣れると、返ってこのくらい引っ張ってもらった方が気持がよかった。

[2005年3月13日]
 昔の写真の入力はマーチンさんに任せて、昼便で島を出た。周東町の方で仕事があったためだが、確定申告も締切間際なのでやっておかなければいけない。今年はe−taxってやつを使ってみようと思っていたが、個人の電子証明書がまだ取れていないため、もう手続きが間に合いそうにないので、昨年と同様、税務署に持っていくことにした。夜になって、ようやく青色申告と確定申告の書類を作り始めたが、やることは例年と同じでだいぶ慣れてきたのと、経費や売上などのデータはExcelで入力するようにしているので4時間くらいで書類は全部出来た。あとは明日、税務署に持って行くだけだ。やり出してみれば、わりと早く終ったが、何事も取り掛かるのが遅くて、結局締切ギリギリになってしまう。悪い癖だが、それでもいつもなんとかなっている。(^^;

[2005年3月12日]
 昼便で島に帰って来た。かなり西が強くて、ハナグリからはだいぶ揺れた。前の客室にいた帰省客の子供達はキャーキャー叫んでいた。僕は波が高いのを見越して、マーチンさんと一緒に後ろの客室に乗っていたので平気だった。
 昼からはマーチンさんのパソコンでスキャナが使えるようにした。マーチンさんのパソコンは英語版Windowsなので、キャノンのスキャナはうまく動かず、エプソンのは思いっきり文字化けしながらもなんとか動いた。マーチンさんは西寺先生が提供してくれた写真をさっそく入力していた。その写真は、僕達が中学生のときの秋祭りの写真だった。ヒロシやガジやベイビーなど同級生がだいぶ写っていた。一級上のイサオや一級下のトッチャンなども写っていて、懐かしかった。近いうちにホームページで紹介しよう。
 祝島に帰ってきて、昼メシを食べ、「わかば」を見ながら寝ころがっている間に、肩の具合がなぜかだいぶ良くなっていた。こないだからの首吊りの効果が出たのか、島に癒し効果があるのかわからないが、とりあえず少し楽になった。

[2005年3月11日]
 今朝起きたときは肩や腕の痛みが割と少なかったのだが、車に乗ったとたんに痛みが増してきた。どうやら車を運転する姿勢のときが一番痛みがひどいようだ。
 平生に仕事に行ったついでに、今日も柳井のK医院に行って首を引っ張ってもらった。昨日より引っ張る力がレベルアップされた。どこまでレベルアップできるか妙な楽しみができた(~_~;)。

[2005年3月10日]
 予告どおり、今日は柳井のK医院に行った。わざわざ柳井まで行くのにはちょっと時間がかかるが、K先生には今回の症状について、こないだパソコンの設定に伺ったついでにあれこれと説明してもらった経緯があり、また大きい病院よりも待ち時間が少なかろうと思って、この病院に行ってみることにした。受付に行くと、目論見どおり、待ち時間ゼロですぐに診察室に通された。K先生は「ああ、来たんかね」という表情で、すぐに首吊り器(本当の名前はきっと違うだろう)に行くように指示してくれた。意外と簡単そうな器具だ。椅子に座ると、看護婦さんが頭に器具をセットしてくれて、いよいよ首吊りの始まりだ。少し吊り上げては緩め、また吊り上げては緩める。「なんだこんなもんか?意外と痛くもないし、かと言って気持いいというものでもないな」という感想だが、今日は初めてなので、いちばん弱い力で吊ったらしい。15分〜20分くらいでタイマーが鳴り、本日の治療はこれでおしまい。器具を外してもらうと、頭が重く感じた。ちょうどダイビングで水から上がろうとしたときに、水の中では感じなかったタンクの重さで腰が立たないのに似ている。普段これだけの重さの頭を首が支えているのだ、ということを実感する。
 すぐには効果は出ないようで、「気長にやってください」と言われた。でも、なんとなく昨日よりはマシになったような気がする。気がするだけかもしれないが・・・。毎日という訳ではないが、しばらく病院通いが続きそうだ。

[2005年3月9日]
 治りかけたと思っていた肩甲骨〜右腕の鈍痛が悪化し、スギ花粉も昨日までとは明らかにレベルの違う飛散量を体が感じ、ちょっと憂鬱な誕生日であった。(-_-;)明日は病院に行って肩の痛みを診てもらおうと思う。
 桜の開花予想が発表になった。山口県は4月1日の予定だそうだ。再開校する祝島小学校の入学式の頃は、ちょうど満開の桜になりそうだ。(^^)

[2005年3月8日]
 今日は春らしい陽気だった。午前中はスギ花粉が飛んでいたようで、目が少しショボショボしたが、まだまだ軽い症状だ。明日の花粉予想では「非常に多い」となっており、ちょっと心配だ。いよいよ本格的にスギ花粉の飛散が始まった。
 昼の便でまた島を出た。上関の保育園に行くエベスの子供2人と一緒になった。凪だったので2人とも船の中でご機嫌の様子だった。夕方、ヤマダ電機に行った帰りに、カーラジオから吉田拓郎の「春だったね」が流れてきた。この唄は拓郎の作品の中でも結構好きな唄である。久しぶりに聴いて、少しウキウキ気分になった。

[2005年3月7日]
 昼便で島に帰って来た。河下さんのところにパソコンを持って行って、夜にセッティング。そのまま飲み会へと突入した。サトシくんも合流し、夜中の1時半までウダウダと昔話などをしながら焼酎を飲んだ。僕もサトシくんも河下さんも年代は違ってもみんなUターン組だ。4月からスポーツ倶楽部を作って、月に1回か2回スポーツをして、そのあと飲み会に突入する会を作ろうという話になっている。河下さん宅の部屋にはカラオケが完備されており、ミラーボールまで付いている。祝島のカラオケ店になりそうな部屋だ。

[2005年3月6日]
 初めて伺った家でパソコンの設定をしていたら、横の方で「うちの婿に」などという話がはずんでいて、僕はあせってしまい、パソコン画面もおかしくなってしまった。(~_~;) たまにネクタイなどするとこんな珍現象も起こる。
 昨日も今日も時間に追われ、昼ごはんは車を運転しながらおにぎりを食べた。運転中の携帯電話は違反だが、なぜか運転中のおにぎりは違反ではない。

[2005年3月5日]
 昨日・今日と訳あってネクタイを締めて仕事をしているので、妙に息苦しい。ライブドアの堀江氏が「ネクタイなんて邪魔なだけ」と言っていたが、この件についてはまったく同意見だ。たまに知っている人に会うと、ほぼ100%の確率で「今日は何かあったんですか?」と聞かれる。何かなければこんな格好はしない!(~_~;) ハワイのようにアロハが正装という所がうらやましい。だからと言って、日本らしく紋付・袴を正装に指定されても困るが・・・。 明日もネクタイをしなければいけない。ちと憂鬱。

[2005年3月4日]
 「昔の祝島の写真募集!」という回覧が今日から島で回っているはずである。どんな写真が出てくるか楽しみであるが、一方でスキャナ入力作業をやる暇があるのだろうか?という不安もある。(^^; 目の前に仕事が山積みになっている上に、確定申告の締め切りもだんだん迫ってきた・・・。そろそろヤバイなぁ・・という気になってきた。毎度のことではあるが・・・。
 ついでに書いておくと、43回目の誕生日も迫ってきた。(^_^;)

[2005年3月3日]
 風邪を引いた。(ーー;) ドクダミ風呂が逆効果だったのか、それとも誰かにうつされたのか・・・。

[2005年3月2日]
 午前中は校長先生と打ち合わせの後、町役場の人たちと町の観光パンフレット(の中の祝島の部分について)の打ち合わせ、午後からはマーチンさんと写真募集の回覧作り、祝島のブロードバンド化推進のための資料作り、夕方は某会社と仕事のメールやりとり、Kさん宅のパソコン引取り、夜はNさん宅の電話機取り付けと操作方法説明、Hさん宅でパソコンの設定とアドバイス、と我ながら良く働いた一日だった。祝島にいてもたまにはこんな日もある。
 本日、國弘家の風呂は「ドクダミ風呂」であった。自家製の「ドクダミ茶」がだいぶ余っているので、風呂にでも使ってしまえ!というかなり贅沢な使い方だ。インフルエンザや風邪が流行っているようなので、風邪を引かないようにとの理由だが、たった1日だけで効くものでもあるまいと思うのだが・・。(ーー;)とりあえず、風呂はドクダミのいかにも効能がありそうな色と香りに包まれていた。ちなみに、ドクダミは家と善徳寺の畑とのアイゴに勝手に生えてくるので、毎年梅雨時になるとかなりの量が獲れるのだ。

[2005年3月1日]
 夕方の便で島に帰って来た。船に乗る前に上関でマーチンさんと打ち合わせ。場所は上関の定期船待合室の二階。じつはここも待合室なのだが、あまり知られていない。あるいは知っていても階段を登るのがめんどくさいので誰も上がらないので、いつも空いている。僕はここを時々喫茶店代わりに使わせてもらっている。テーブルと椅子が置いてあって、景色もいいのでわりと快適なのだ。二階は半分が上関航運の事務所になっていて、時々事務員のAさんが、コーヒーを出してくれる。たまには差し入れしておかねば・・・。

[2005年2月28日]
 マーチンさんが福岡を引き払って、上関に戻って来た。あと1ヶ月後にはイギリスに帰国するらしい。3月中旬には祝島で一緒に昔の写真のデジタル化作業をやろうと思っている。日本での残り少ない時間、有意義に過ごして欲しい。祝島中の卒業式と休校式も、約半月後になった。休校式には一般の人も参加できるようだ。もちろん僕も出席するつもりだ。春は旅立ちの季節でもある。

[2005年2月27日]
 大島からの帰りに、柳井の「メガネのパリーミキ」でちょっと調整をやってもらった。この店はなかなか親切で、調整は無料でやってくれる。ところで、メガネ屋さんはどこも上品で、だいたいは客は少なく、店内は静かだ。今日は他に客はいなくて、僕一人きりで、静かなBGM以外はほとんど物音がせず、調整してもらっている間、手持ち無沙汰で仕方なかった。店内をキョロキョロしても、メガネを外しているので、どこもボヤけて見えるし、他にすることもなく、どうも落ち着かない。これが散髪屋なら、たいがいラジオが流れていて、することがなくても、とりあえず退屈はしないのに・・。メガネの調整が終ったら、お礼を言って足早に店を後にした。どうもああいう雰囲気は苦手である。

[2005年2月26日]
 天気は良かったが寒い一日だった。最近になってインフルエンザが流行しているようだ。明日打ち合わせ予定だったお客さんもインフルエンザにかかり、寝込んでいるようで、キャンセルとなった。会社員なら数日間休んでも給料はもらえるが、僕のような自由業・・・じゃなくて自営業の場合は、寝込んだりすると、その分だけ収入は減ることになる。気をつけねば。皆さんもインフルエンザにかからないよう、手洗い・うがいを励行しましょう。
 明日の打ち合わせはキャンセルになったが、大島のS氏よりヘルプの電話があり明日はそちらに行くことになった。もしかしたらパソコンがウイルス感染したかもしれないとのこと。パソコンがウイルス感染する分には僕の仕事が増えて収入も増える。(^^;。

[2005年2月25日]
 ボートの中間検査と登録手続きの申請書類が、なかなか書けなかったが、ようやく今日全部の書類がそろって、郵送した。何事も初めてのことは難しい。初めてのことといえば、税務処理のe-Taxを使ってみようと思って、手続きを進めているが、こちらもなかなか難しい。(Happy Island Letterにも関連記事を書きました。)
 話は変わるが、全国的に出身県へのUターン率がここ数年でかなり上昇しているようだ。特に50代以上で急激に増えているそうだ。リストラや定年で都会での生きがいが見いだせなくなっても、生まれ育った田舎に帰って生き生きとした人生を送れるようになった例が多いようだ。
 明日は柳井で仕事があるため、夕方の便で島を出た。金曜の夕方の便は、島に来ている仕事人の皆さんが帰るので、意外と乗客が多かった。

[2005年2月24日]
 今日は昨日とはうって変わって大荒れの天気であった。雨が強くなったと思ったら、途中から雪も混じるようになり、風もかなり強くなった。夕方の便で帰る予定だったので、どうなることかと心配していたが、夕方にはだいぶおさまっていて、船は思ったほどは揺れなかった。同じ船で『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』という本の著者である黒川伊保子さんをはじめとする6人グループが島にやって来られて、僕はその案内役を頼まれていたのだ。しかし、今日はあいにくの雨模様だったので、練り塀の道を少し歩いた後、重村さん宅に行って、重村さんの名調子を聞いた。夕食の後、黒川さんたちと一緒に蓬莱館で神舞のビデオを見ながら飲んだ。黒川さんはビワ茶がお気に入りの様子だった。

[2005年2月23日]
 関東地方などは予報通りに大変な春一番が吹いたようだが、山口県は穏やかな陽気の一日であった。春霞なのか黄砂なのか、188号線から見る祝島もだいぶ霞んでいた。花粉は思ったほどは飛ばなかったと思うが、昨日までよりは少し増えたようで、体内センサーが少し反応した。それよりも、仕事で訪問した職場でインフルエンザが流行っていたようなので、できるだけ呼吸をしないで仕事したのだが、ずっと息を止めている訳にもいかず、感染していないか心配である。
 兄貴から同窓会の写真が送られてきたので「近況報告」のページに掲載した。兄貴の同級生の男連中はよく家に遊びに来ていたので、顔が良く分かる。シューちゃんやらイク坊やら、僕にとっても懐かしい面々だ。

[2005年2月22日]
 最近、室積のアパートでよく聴いているのはキャンディーズのベスト版だ。彼女達の歌は全般的に明るくて健康的だ。聴いていると気持が明るくなってくる。「春一番がぁ〜♪掃除したてのサッシの窓にぃ〜♪」という歌声に乗って、明日はどうやら春一番が吹きそうだ。スギ花粉もいよいよ本格的に飛び出してきそうだ。(^^;

[2005年2月21日]
 今日は一日中アパートにこもって仕事をしていたので、あまり話題が無いので、ダイドックの原さんの話をちょっと。
 日本で屈指のカヤッカーであり冒険家でもある彼は壮大な夢を持っている。子供達のための冒険学校を作ろうという計画だ。その場所として、長島に注目しているとのことだ。できるだけ何も無いような山の中に、自分達の力で手作りの冒険学校を建てたいと言う。彼の夢に土地を提供してくれるような人がいたら、ぜひ紹介して欲しい。中電に土地を売るよりは、彼に提供した方が、よほど将来に大きな夢と希望が持てるし、上関のイメージアップに繋がると思うのだが、どうだろうか。

[2005年2月20日]
 今日は寒かった!午後からは時々雪も降った。昨日捕まえたシンマキは、瓶の中で必死に逃げようとしていた。逃がしてやろうと思ったが、せっかくなので、善徳寺の子供に、結ぶと自分でほどいていくところを見せた(サトくんは妙に感心していた)あと、エベスの子供にプレゼントした。それにしても、カマキリから出てきたシンマキは、後でまたカマキリの中に戻っていくのであろうか?それとも別の生き方をするのであろうか?興味のあるところだ。
 夕方の定期船で島を出た。乗客は僕一人で貸切状態であった。(^^; 夜にマット先生が佐世保のN子さんからのおみやげを室積まで持ってきてくれた。

[2005年2月19日]
 午後から雨が上がったので、エンジンがかからなくなっていたハッピーアイランド号に「五月丸」を横付けしてもらって、バッテリーをつなぎ、エンジンをかけてみた。見事にかかった!\(^o^)/なんだか、ゾフィーに命をもらったウルトラマンのようだ。
 東波止からの帰り道に、道路の水たまりでシンマキ(と僕らは呼んでいた)を発見!30数年ぶりに見た。捕まえて持って帰り、たまたま通りがかったオバサンたちに、聞いてみたら、みんな名前を思い出せなくて「なんとか言よおったのう」と言っていたが、遊び方?は共通で、みんな結んで遊んでいたらしい。自然にほどけていくのが、子供心には不思議だったのだろう。
 夜、カヤック隊でおなじみのダイドックの原さんと油谷町のユウジさんが孝くんのところに来ていたので、ちょっと飲んだ。二人にこの虫のことを聞いてみたら、「ああ、ハリガネ虫ですよねぇ。カマキリのお尻を水に着けると出てくるんですよ。」とアッサリと答えてくれた。僕は実際にその場面を見たことがないのだが、どうやらカマキリの腹の中に住んでいるというのは本当らしい。

[2005年2月18日]
 昼便で島に帰って来た。北が強くて、祝島の港の前で大きく揺れた。昼飯のときにNHKの「わかば」を観た。「わかば」と「まさや」くんの結婚式の場面。「ちっとは見習え」と母親が言う。こういうのは見習うとかそういう話と違うような気がするが・・・。そこに運悪く?Yさんが郵便物を持ってきた。Yさんも巻き添えをくって「うら、あんたも見習わんにゃあ」と言われていた。Yさんは「わしゃあ、はあえい」と開き直っていた。(^_^;)

[2005年2月17日]
 最近試してみたもの。「ホットみかん」。昔、冬に山に行ったときにオジサンが囲炉裏でみかんを焼いて食べていたのを思い出し、先日やってみた。と言っても、囲炉裏で焼いたのではなくて、レンジで1分間チンしただけだ。見事に「ホットみかん」が出来上がった。味は”暖かいみかんの味”だった。(^^;皮をむくときに熱いので注意が必要だ。マット先生には意外と受けた。
 もう一つ、最近試してみたもの。「納豆カレー」。御飯に納豆(普通にカラシとしょうゆを入れてかき混ぜたもの)をかけて、その上からカレーをかけただけ。納豆の匂いがカレーに消されてわりといけた。栄養面ではただのカレーよりだいぶグレードアップできそうだ。糸の引き方がマイルドであった。

[2005年2月16日]
 午前中、Hさんのところにパソコン講習に行った。お昼にかかったので、食事を出してくれたのだが、「イカナゴの柳川」が登場し、とても旨かった。イカナゴを食べたのは何十年ぶりだろうか。Hさん、ご馳走さま。
 夜、「ためしてガッテン」を観ながら、うどんを食べていたら、緊急呼び出しがかかり、柳井のK医院の院長先生のところへ。9万字の漢字をはじめ、亀甲文字まで入力できる珍しいソフトをインストールした。せっかくお医者さんのところに行ったので、肩や腕の痛みについて聞いてみたら、人体図や骨の模型まで取り出して、詳しく説明してくれた。どうやら、僕の場合は四十肩や五十肩ではないようだ。頚椎(首の骨)の隙間が狭くなったり歪んだりして、そこから肩や腕に延びている神経が圧迫されていたり、擦れていたりしているのが原因だそうだ。基本的には老化現象らしい(ーー;)が、悪い姿勢でパソコンを長時間使ったりしても良くないようだ、やはり僕の場合は仕事のしすぎは体に毒だ!もっと遊ばねば!\(^o^)/ 治すには、頭を牽引するのが結構良いそうだ。間違って首を吊らないように先生に注意された。

[2005年2月15日]
 今日はKRYのK氏と一緒に営業へ。ラジオ広告とホームページのセットものを企画中なのだ(とりあえず1社限定!(^^;)。この試み、うまくいくかどうか、新しいチャレンジだ。
 その後、田布施のBondyという店に一緒にカレーを食べに行った。店の看板娘さんに「祝島ってどこですか?」と聞かれ、ちっとショック。(ーー;) しかし、考えてみると、僕も佐合島が平生町で、馬島が田布施町と知ったのは、Uターンしてからなので、たいして差は無い。看板娘さんの顔を見たい人は、「Happy Island Letter」のページへ!
今日は一日中、右肩と右腕がだるかった。これが四十肩とか五十肩とか言うヤツなのだろうか?経験者はアドバイスを!

[2005年2月14日]
 1月末に行った大腸検査の結果が出たようで、検査で引っかかった人の家には保健婦さんが結果を持って回ったらしい。僕は今回は運よく?検査には引っかからなかった。まずはひと安心。しかし母親は引っかかったようで、家に保健婦さんが来たらしい。ただ、母親は「昨年秋に周東病院で精密検査をして特に問題なかった」と言ったら、改めての精密検査は免除になったようだ。
 ボートのエンジンは昼間の暖かい時間なら、もしかしてかかるのではないかと、淡い期待を込めて東波止まで足を運んだが、その努力も虚しく、今日も「フニュ」で終った。なんとかせねば・・・(ーー;)。
 仕事のため夕方の便で島を出た。夜は数日ぶりにジョギング。今日はちょっと距離を伸ばして冠梅園のふもとまで走った。と言っても、いつもより2〜3百メートル遠くなっただけだ。気分が落ち込んでいるとき、イラついているとき、混乱しているときはジョギングすると良い、ゆっくり走りながらいろいろ考えていると、頭の中がとろけて?走り終わる頃には意外とスッキリする。

[2005年2月13日]
 佐世保のN子さんがマット先生と共に昼便で帰った。また夏に来たいと話していた。楽しみだ。
 夕方、東の波止に出て、マイボートのエンジンをかけてみたら、バッテリーがあがったらしく、キーを廻しても「フニュッ」と言ったきり動かない。ここのところ寒かったうえに2週間もほったらかしだったので、へそを曲げたようだ。困った。とりあえず今日は日暮れ前だったので、バッテリーはそのままにして、ナマコを2匹捕まえて帰った。

[2005年2月12日]
 昨日からマット先生の友達が民宿に泊まっていて、今日は一緒に平さんの田んぼまで行った。ここに書いてはいけないかも知れないので書かないが、貴重な体験をした。(~_~;)
 夜は蓬莱館にてビューティーペア(祝島出身H子さん、佐世保市出身N子さん)を招いて、マット先生、木村先生と集まって遅くまで飲んだ。昨日の変な夢の謎が解けた。何かの虫の知らせであったのだが、その何かは書かないことにする。今日は秘密の出来事が多い。(^_^;)

[2005年2月11日]
 今日は妙な夢を見た。腹が出てダボついていて、困ったなぁ〜、と思っている夢だった。いったい何を示唆しているのだろうか?
 昼便で島に帰ってきて、Mさん宅のBSアンテナをつけていたら、目にゴミが入ったようで、2時間くらい左目を開けることができなかった。いまだに左目に何か違和感がある。

[2005年2月10日]
 お客さんのところに取材に。今日は新デジカメが、なかなかご機嫌だった。夕方の便で島に帰るつもりでいたが、せっかくだからと、あれもこれもと撮影していたら、時間が延びてしまって、夕方の便に間に合わなくなった。(^^; 帰るのは明日の昼便にしよう。

[2005年2月9日]
 今日はだいぶ暖かかった。それはいいが、花粉症の症状も少し出てきた。「人生楽ありゃ苦もあるさ」である。
 漁協の合併問題は、結局合併に参加すると決議したのは34漁協に留まり、県の支援は見送られることになった。そうなると、合併するにしても各漁協(組合員)の負担も大きくなるだろう。まだまだもめることになるかも知れない。この先どうなるのであろうか。祝島漁協は現時点では合併に不参加なので、とりあえずは事態を見守るということになるだろう。それにしても、祝島に説明に来た県漁連?の人の話だと、「あくまでも組合員の皆さんのために合併を進めている」と話していたが、マスコミでは「信漁連救済を目的とした合併」とはっきり言っているではないか・・・。

[2005年2月8日]
 めずらしく柳井で開催された某メーカーの展示会に行った。東京ではこういう機会が結構あったが、山口では滅多にない。今回はたまたまお客さんのところで導入予定の文書データベース関係の展示とデモがあり、メーカーの営業の人に招待してもらった。おみやげにカニ缶をもらった。(^^)
 EOS kissは、ほろ苦いデビューとなった。取材中、どうも調子が悪くて、写真の半分は前のデジカメで撮影した。あとで原因が分かった。バッテリーのフタの閉め方が中途半端だったためだった。お粗末。(ーー;)。取材からの帰り道、気を取り直して冠梅園で試写会を。ここではカメラはすこぶる快調であった。もしかしたら、このカメラ早くも持ち主に似て、仕事をしていると体調悪くて、遊んでいると体調がいいのかも知れない。(^_^;) 今日の冠梅園は、白梅はチラホラ、紅梅は一分咲きくらいであった。見頃はもう少し後のようだ。梅園の横には冠天満宮があり、その下にはミニ動物園まであった。幸運を呼ぶ白鹿(と確かお酒のCMで言っていたと思う)もいた。意外な穴場かも知れない。

[2005年2月7日]
 昼便で島を出た。船で藤本のオバちゃん(よっちゃん)と一緒になり、平生まで一緒にドライブ(^^;。その後、柳井のauショップに修理に出していた携帯を受け取りに行った。電池とコネクタカバー3箇所が新品になった。タダで!
 室積のアパートに戻ると先日「楽天」で注文しておいた新しいデジカメ(配達不在通知)が届いていた。佐川急便に電話すると、なんと3分ですっ飛んできた!さすが飛脚!(配達のトラックがたまたま近くにいたようだ)。で、カメラはCanonの「EOS kiss digital」一眼レフデジカメだ。だいぶ奮発した(でも、4年前に買ったデジカメより安かった・・・技術の進歩に感謝!)。記念すべき1枚目の写真の被写体は、松嶋菜々子(のポスター)だった。前のデジカメを買った時もそうだったような気がする・・・。こちらは進歩がない。(^_^;) 明日はホームページ制作の取材で新デジカメの初仕事だ。

[2005年2月6日]
 今日もわりと暖かかったので、我が家のかねてからの懸案であった、家のペンキ塗りをやった。台風被害で入れ替えた瓦や修理で新しく打ち付けた部分の板などにまだペンキを塗っていなかったので、親父と一緒にその部分を塗ったわけだ。二人とも寒がりなので、ずっと延び延びになっていたのだ。低いところは親父が、屋根の上など高いところは僕が担当。年末からずっと家の一部に工事現場みたいな足場がかかっていたが、これでようやく取り外すことができた。
 3日ほど前から代車ならぬ代携帯を使っている。電波の弱いところで話すとアッと言う間に電池がみてていたので、バッテリーを替えてもらおうと思って、柳井のauショップに持っていったら、「もしかしたらその機種固有の不具合かも知れない」ということで、メーカーに送られたのだ。今日、auショップから連絡があり、無料で直ってきたらしい。購入してから11ヶ月、ギリギリで1年以内の保証期間内だった。前の携帯を海に落としてもうすぐ1年が経つ。
 パソコンの設定でSさんのところに行ったら、ちょうど今年の「ヒジキ」と「寒干し大根」を袋詰めしたばかりだというので、ついでに仕入れてきた。おまけで大ナマコとバウムクーヘンをいただいた。(^^)

[2005年2月5日]
 先月末に大腸検査があった。2日間の便の検査をするのだが、去年はそのうちの1日分が検査にひっかかり、「病院に行って腸カメラで調べるように」と町の保健部から通達があり、柳井の病院までは行ったのだが、先生に検査内容を聞くと、とっても大変そうで、そんな検査をすると病気になりそうなので、腸カメラ検査を辞退したいきさつがある。
 ところが、今日、パソコン講習をしたお客さん(最近、胃カメラと腸カメラと両方検査した人)から話を聞くと、徳山の藤嶋内科医院という病院には、院長ご自慢の(?)世界最小の胃カメラがあり、麻酔の方法も一般の病院とは違うらしく、ちっとも苦痛でなかったらしい。本人曰く「(胃カメラを)毎日飲んでも平気」らしい。腸カメラは胃カメラよりももっと楽だったらしい。どちらの検査もカメラを入れられた本人がモニタを見ながら検査を受ける余裕があったらしいので、本当に楽だったのだろう。どなたか、本当に楽かどうか検査に行ってみてもらえないだろうか。本当に楽だったら、今年の腸検査でもし引っかかったら、この病院に行ってみようと思う。誰か先にお試しあれ。(^_^;)

[2005年2月4日]
 立春にふさわしく、わりと暖かい一日であった。1月中旬からずっと忙しかったが、ようやく一息ついた感じである。たまっていた雑用をあれこれ片付けて、ちょっとスッキリした。でも、暇になった訳ではなく、締め切りに追われて逼迫していた状況を一時的に脱しただけである。ボヤボヤしているとまたすぐに逼迫状態に陥る。「貧乏暇なし」とはこのことだ。(ーー;)
 今年はスギ花粉の飛散量が昨年の10倍〜30倍になるらしい。日本にいたらどんなに対策しても「焼け石に水」かもしれない。あと2週間くらいで本格的に花粉が飛び出すようだ。花粉が飛んでいる間、ハワイとかオーストラリアとかスギ花粉の無い場所に避難して暮らせるような身分になりたいものである。

[2005年2月3日]
 昨日の日記で「明日は立春である。」と書いたが、今日は節分で、立春は明日2月4日である。厄年が1日延びた。
アレェ〜!\(◎o◎)/!

[2005年2月2日]
 明日は立春である。ということは厄年(後厄)もようやく今日で脱出?することになる。おかげ様で厄年の期間中も、それほど大きな厄はなかったように思う。昨日、校長先生から「話があるんですが、明日時間ありますか?」という電話があり、もしかして厄年の最後の日に校長先生に呼び出しをくらって怒られるのかと、ちょっとヒヤヒヤ(^^;していたのだが、単なる相談であった。ホッ。
 昼便で島を出た。上関の漁協横に停めてあった車は、ここ数日間の強風で飛ばされた潮をかぶって白くなっていた。(ーー;)

[2005年2月1日]
 朝目覚めると雪が積もっているかと思ったが、うっすら程度であった。祝島で雪が積み込むときは異様に静かな朝が多いが、今日の場合は昨夜から西風がビュンビュン吹いていて、雪も吹き飛ばされている感じであった。気温は昨日よりさらに冷えて、道も珍しく凍っていた。昼食のときに「かすどろ」が登場した。やはりこんな寒い日は「かすどろ」がうまい!

[2005年1月31日]
 やはり今日は寒くなった。夕方から雪雲に覆われ、夜に入ると時々雪も降り出した。
 最近、エベスに夜食を買いに行くことが多い。祝島では夕食が早いので、夜12時くらいになると腹が減ってしかたないのだ。昨日はパンが売り切れていたので、代わりになるようなものがないかと探していたら、オバちゃんが「シロンボウいうのがあるよ」と出してくれた。「クロンボウ」は昔からあるから良く知っているが、「シロンボウ」は初めてである。どうやら新製品らしい。正式には「みるく棒」という名前だ。今日は夕方の便でパンが来るという情報をサトシくんから教えてもらっていたので、5時過ぎに行ってパンを買った。エベスのオジサンは、この寒いのに裸足にツッカケで平気で外を歩いていてたまげた。どんなに寒くても靴下を履かないらしい。強靭な足だ。
 会報は会員数+αを印刷して、発送の準備が終わりヤレヤレといったところだ。ミチコさんとルミちゃんが手伝いに来てくれた。

[2005年1月30日]
 会報に掲載するヒロシの写真を探しに松村家へ行った。昔の写真を見ていると新鮮な発見がある。僕たちが3〜4歳の頃は、まだオカベの前は波止が無くて浜だったようだ。が、僕にはその記憶がまったく無い。当時の生活の範囲外だったのか、それとも物覚えが悪いだけか・・・。(^^;
 午後から集中して編集作業をやっていたが、マウスの使いすぎ?で夕方には右腕がだるくなってきたので、気分転換に東波止にナマコを獲りに行った。3匹捕まえた。ナマコを獲るのは魚と違って、タマが届けばいいので、とっても簡単だ。夜中になってようやく会報が完成した。

[2005年1月29日]
 午前中、プリンタ用紙を買いに光駅近くの「虹の文具館」に行ったら、店の駐車場の近くで、向かってくる車の中で誰かが手を振っているので、よーく見たら水田駐在さんだった。水田さんは「虹の文具館」にボールペンの芯を買いに来たらしい。こんなところで会うとは、なかなか奇遇である。
 夕方の便で祝島に帰って来た。船で同級の大井と一緒になった。会うのは久しぶりである。船が着くころまでは凪だったが、夜になって風がかなり強くなった。天気予報によると、明日からしばらくは寒い日が続くようだ。これから会報の編集も追い込みである。ヒロシの昔の写真を貸してもらおうと思って、夜8時半頃に松村家に電話してオバちゃんに頼んでおいた。後でヒロシから聞いたら、じつは8時半にはもうオジちゃんもオバちゃんも寝ていたようだった。こんなことで起こして悪いことをした・・(~_~;)

[2005年1月28日]
 この日の日記データ、消えました・・・(ーー;)。
 自分で誤って消してしまったのでしょう。「覆水盆に返らず」。たしか、「昔の写真をFlash Paper形式で掲載しました」みたいな話を書いていたと思います。

[2005年1月27日]
 この3〜4日、右の肩甲骨から首筋にかけて、すこし痛みがある。夏以降、首の痛みがなかったのだが、その前兆でなければいいが。もしかして仕事のし過ぎ?・・・そんなことはないか(^^;。

[2005年1月26日]
 訪問先の職場では最近毎日午後3時にラジオ体操をやり始めたらしく、「一緒にどうですか?」と言われ、一人でボーっと見ているのもマヌケだし、最近は運動不足でもあるので、一緒にやった。ラジオ体操1番、2番と通しでやると結構体も温まって、うっすらと汗をかいた。なかなか健康的な職場である。

[2005年1月25日]
 今日は一日中アパート(お客さんには事務所と言ってある)にて仕事。あまりに体を動かさなかったので、これはヤバイと思って、夜になって「光青年の家」までジョギング。
 祝島ネット21の会報の原稿がだいぶ出揃った。ボチボチ編集作業を始めたが、仕事の方も締切りが迫っているのがあり、少しあせっている。(^^;
 そんな状況の中で、知人(某旅行代理店の社長)から「クニヒロさんと行くオーストラリアの旅」を企画しませんか?という誘いが来た。でも、今はそれどころではない。とは言え、集客ができれば僕の旅行代は無料になる(と思う)ので、ちょっと心を引かれるところもあり、一息つける状況になったら(なるかなぁ)、考えてみよう。
 「かけっこ.com」のアクセス数が40万人を超えた。木村先生のコラムが40万人記念コラムとなった。

[2005年1月24日]
 最近思うのだが、祝島で携帯を使うと電池の消耗が激しい。場所にもよるが蓬莱館の中だと15分も話していると、ピーピー鳴り出して電源切れになってしまう。買ってからもうすぐ1年弱なので、バッテリーがそんなに古くなったとは思えないし、よそではもっと長く持つ。電波が弱いと携帯の方も途切れないように一生懸命がんばっているのだろう。空気の薄い高い山では早く疲れるのと一緒(?)だ。それでも、切れてしまうドコモよりはいちおう話せるauの方がマシではある。
 東の浜の近くでは、民ちゃんたちがヒジキを干していた。同級生のカヨッペのお父さんも船に山ほどのヒジキを獲ってきていた。僕は夕方の便で島を出た。今日はこの時期には珍しくベタ凪だった。

[2005年1月23日]
 下薬師商店のオジンが亡くなって、今日が葬式だった。島を離れていると人の死というのはわりと縁遠いものだったが、Uターンしてからとても身近なものになってしまった。ある意味つらい部分でもある。昨日は照満寺(西寺先生)のお経を聞き、今日は光明寺のお経を聞いた。
 夕方から漁協の合併問題の話し合いがあった。結局、祝島漁協は合併はしないことになりそうだ。(というか時間的にもう4月からの合併には参加できないらしい。)
 夜にはマット先生と蓬莱館でテレビ大分の神舞のビデオを見ながら飲んだ。清水の康ちゃんが「みずぼうそう」にかかったらしい。僕は(たぶん)まだかかったことがないので、移らないようにしなければ・・・。

[2005年1月22日]
 昨年亡くなったトキボーの一周忌によばれたので昼便で帰って来た。モトさん、オカベさん、木村先生と久しぶりに集まって飲んだ。みんなトキボーと同級生で長い付き合いだが、僕だけUターン後の4年間の付き合いだった。でも僕にとってはとてもいい兄貴分であった。久しぶりにアオサ汁とナマコを食べた。
 ヒロシから祝島ネット21の会報の原稿が送られてきた。作文は中学校以来らしいが、なかなかの文才がある・・かもしれない。面白くて一人で笑いこけた。
 祝島HPのアクセス数が15万人になった。15万人目はシャラポワさんかぁ。名前と見た目があまり一致しないのだが・・・。(^_^;)
 23日の午前0時がヒジキの口開けとの島内放送があった。今年はヒジキがたくさん出来ているらしく、例年より口開けが早い。午前0時前になると蓬莱館の前の槌谷さんが自転車を出してゴソゴソ動き出した。真夜中でもヒジキ獲りに行くようだ。

[2005年1月21日]
 下松に行ったついでにサンリブの中のスポーツ店でジョギングシューズを買った。ちゃんとしたジョギングシューズを買うのは5年ぶりくらいだ。最近あまり走っていなかったので、今年は週に2回くらいはジョギングをしようと思う。久しぶりにどこかの大会にも出てみようと思っている。長距離を走るにはシューズはとても重要だ。ちょっとでも具合の悪いところがあると、靴擦れやマメの原因になる。あれこれと履いてみて足に合うシューズを探した結果、ミズノのシューズを買ったのだが、サイズはなんと28.0cm。普段履いている靴は26.5cmだが、このサイズでは足先がきつくて、これで20km以上走ったらきっと親指の爪が黒くなってしまうだろう。それにしても、28.0cmというのは、生涯で最大のサイズだ。足はいまだに成長しているのだろうか?

[2005年1月20日]
 今日は大寒。暦どおりに時折雪の舞う寒い一日であった。上関のHさん宅のパソコン入れ替え作業に行ったら、マーティンさんとバッタリ会った。相変わらず精力的に調査をしているようだった。マーティンさんとは3月に共同で祝島の昔の写真のデジタル化作業を行う予定にしている。ちょうどいい機会だったので、データをどのように保存するかなど打ち合わせをした。2月に入ったらできるだけ多くの写真を提供してもらうため、島内で回覧を廻そうと思っている。どの家に写真があるかマーティンさんもだいぶ調べてはいるようだが、まだまだ隠れた貴重な写真があるかもしれない。
 皆さんも家に昔の写真があったらぜひご提供お願いします。実家にも声をかけておいてもらえると助かります。

[2005年1月19日]
 山口県内のスギ花粉飛散開始宣言が出された。やはり昨日のクシャミもスギ花粉のせいだったようだ。飛散開始は昨年より1ヶ月も早いようだ。今年は大量に飛散するという予測もあり、今からこんな状況ではこの先が思いやられる。(ーー;)
 そろそろ散髪に行こうかと思っていたが、明日から一段と寒くなりそうなので、風邪を引くとまずいので、やめた。

[2005年1月18日]
 昼便で島を出た。昼便にはエベス一家が乗っており、子供達は上関までずっと大騒ぎであった。元気でよろしい!
 上関から平生方面に向かっていると、佐賀東のバス停になぜか母親が立っていた。周東病院から室津に出ようと思ったら、バスが佐賀東止まりだったらしい。ここでバスから降ろされて、次のバスが来るのを1時間以上待っていたようだ。仕方ないので、車に乗せて室津まで後戻りした。その後、ついでに大星山に登ってみた。展望台に上がって写真を撮っていたら、くしゃみが止まらなくなった。もしかしたら早くも花粉症が出たかもしれない。今日はわりと温かく天気も良かったので、山の中では杉花粉が少し飛んでいたようだ。しまった!と思ったがあとの祭り。夜まで鼻がグズグズしていた。(T_T)

[2005年1月17日]
 午前中は快晴だったが、午後からはまた曇ってきた。郵便局に行ったら、お年玉付き年賀ハガキの当選番号の紙をもらったので、早速調べてみた。残念ながら一等のハワイ旅行は当たらず、切手シートが4枚だった。
 今日から「かけっこ.com」のコラムコーナーで木村先生の「おらがトライアスロン」の連載が始まった。毎週更新で約1ヶ月間の連載予定だ。楽しみである。(^^)

[2005年1月16日]
 テレビ大分で1月8日に放送された新春特別番組「大分の祭り再発見 〜ハレの日の祭囃子2〜」のビデオを木村家に持って行って、一緒に見た。1時間半の番組の中で15分間くらいが神舞だった。大トリはケベス祭りで、神舞はその前のトリであった。すばらしい出来栄え!感動的だった。島の人の生き生きとした表情が良く撮れていたと思う。他の祭りに比べると、海の上の入船神事はやはりスケールが大きくて見栄えがするなぁ・・と改めて感じたし、鬼と太夫さあの映像がとても良かった! 祝島に何日も泊り込んでの取材の成果が存分に出ているいい作品だったと思う。

[2005年1月15日]
 パソコン講習で田布施の仮面ライダーさんのところに行き、その後、夕方の便で祝島に帰って来た。午前中は凪だったようだが、僕が帰る頃にはかなりシケていて、「いわい」は四代を出てから祝島までかなり揺れた。僕は蒲井沖で早々と後部客室の一番後ろの席に避難した。
 1週間ぶりに島に帰ると、郵便物が山のように届いていた。その中に、大分からお正月に放送があった大分のお祭りの特集番組のビデオが届いていた。神舞が大トリで登場しているらしい。明日の夜、木村先生たちと一緒に観る予定。楽しみだ。 地方裁判所からの書類も届いていた。ときどき仕事の依頼を受けていた会社が昨年末に倒産して、それの債権の届出書とかが入っていた。こういう事態に巻き込まれるのは初めてなので、どう処理をしたらいいのかかなり戸惑っている。要するに未払いの仕事代を払ってもらえればいいのだが・・・。

[2005年1月14日]
 漁協の合併問題。大畠漁協は合併に不参加を表明した。合併に参加する場合も組合員は1人約60万円の協力金(出資金?)を出さないといけないということへの反発が強かったようだ。山口県は漁協の救済のために、すでに38億円を投入している。今回の合併を条件に、さらに31億円を支援することになっている。山口県の人口は約150万人だから、全県民が漁協のために1人当たり5千円弱ずつ負担するという計算になる。合併する漁協も、しない漁協も、黒字化を目指してがんばってもらわないと困るのだ。

[2005年1月13日]
 寒い日が続いている。今日はホームページ制作の仕事をしていたので、ずっとアパートに篭っていた。夕方、近所のスーパーに買い物に行ったのを除くと、たぶん数十メートルしか動いていない。完全に運動不足だ。
 そういえば、先日祝島のMさんが通販で「ステップなんとか」っていう空中で足踏みするトレーニング機器を購入していた。試しにちょっとやらせてもらったら、3分間もやっていると、膝の上の筋肉にフカヤが出そうな感じであった。僕は寒がりなので、冬はああいうヤツで家の中でぬくぬくと運動するのもいい。Mさん、足踏みに飽きたら譲って下さい。(^^;

[2005年1月12日]
 昨年暮れにお客さんから、「上関の醤油がブチ美味い」という話を聞いて、今度買ってみようと思っていたのをすっかり忘れていたが、今日、「おらがホームページ」の掲示板に哲ぼんさんが醤油の話を書いているのを見て思い出したので、忘れないように日記に書いておこうと思った。

[2005年1月11日]
 スマトラ沖地震の影響で、地球の自転が少し早くなったらしい。1日がちょっとだけ短くなった。
 大相撲初場所3日目、横綱昇進のかかる魁皇は新小結・白鵬に敗れて早くも2敗目。横綱昇進はたぶん無理だろう。一方の白鵬は今年中には大関になりそうな気がする。

[2005年1月10日]
 今日は山口県立美術館にピカソ展を見に行った。さすがに有名な画家だけあって、たくさんの人が来ていた。ピカソは抽象的な不思議な絵で有名だが、他にもデッサンとか写実的な絵とかいろんなタイプの絵を描いていた。と、今日知った。いわゆるピカソらしい抽象的な絵の良さは、僕のようなものにはなかなか理解できないが、サラサラっと書いたデッサンの方が、僕は結構好きだ。一筆書きで描いたカップルなどは、遊び心一杯で、逆にピカソの凄さを感じた。
 山口の街のちょっと裏通りを通った時に気付いたのだが、旗日(祝日)にちゃんと日の丸をあげている家が結構多いことだ。昔は当たり前だったのだが、今は返って新鮮な感じがした。

[2005年1月9日]
 今日は寒い一日だった。ハッピーアイランド号のバッテリーが心配になってエンジンをかけてみたが、無事にかかった。しかし、係留していたロープが1本切れていた。冬になると西風が強くて船が揺られるので、東波止ではロープが波止の石にこすれて切れやすい。
 今日から大相撲初場所が始まった。最近、結構相撲を見るようになった。夕方の便でまた島を出る。ここのところ行ったり来たりの間隔が短くて落ち着かない。「いわい」の回数券が欲しいなぁ。

[2005年1月8日]
 今日は仕事で仮面ライダーコレクターの人の家に行く予定で楽しみにしていたのだが、仮面ライダーがスピード違反で警察から出頭命令をくらったらしく、中止になった。残念! 皆さん、スピードの出し過ぎには注意しましょう。(~_~;)
 昼間、ヒロシから電話があった。やはりあのサエルはヒロシのところに届くことになっているらしい。この時期のヒロシの主食のようだ。
 夕方の便で、また島に帰って来た。夜遅くなって、木村先生のところに行き、人生いろいろ相談?? ナッちゃんは冬休みの宿題が大変そうだった。柳井高校は宿題が多いらしい、熊毛南にはそんなものは無かったような気がしたが・・・。僕も木村先生も「熊毛でよかった!」と意見が一致した。(^^;

[2005年1月7日]
 ヒロシの家の横を通ったら、庭にサエルが干してあるのが目に入り、写真を撮らせてもらった。あのサエルはきっとヒロシのところにも送られるのだろう。美味そうだった。
 漁協のことは気になるが、仕事のため夕方の便で島を出た。「いわい」の中でマット先生に会い、無事を目視確認した。(^^) 今年は学校は10日まで冬休みらしい。休みが長くてうらやましい!

[2005年1月6日]
 公民館で漁協合併問題についての説明会があった。僕は漁協の組合員ではないが、祝島全体に大きく関わる問題なので、組合員以外の人も出席して欲しいとの連絡があったので、参加した。もとはといえば信漁連(漁連の金融部門らしい)が資金運用に失敗して大きな負債をかかえたことに始まった県内一漁協化の動きであるが、祝島漁協は原発問題に関わる裁判等の最中なので、裁判の決着が着いてから合併に参加するという予定で、漁連側も承諾していたらしいのだが、年末になって突然、現時点で合併するか脱退するか態度を決めるように言ってきたらしいのだ。合併すれば原発関係の訴訟の原告である祝島漁協がなくなるわけだから裁判そのものが取り消しということになる。かと言って合併しなければ、信漁連の増資に協力するために信漁連から借りた金が大きな負債として祝島漁協に残ることになるようだ。どっちに転んでも祝島にとっては悪夢のような話だ。しかも自主的な脱退表明の期限は今月10日という、切羽詰った状況らしい。
 ここで合併に参加することは、これまで反原発でがんばってきた祝島漁協とすれば受け入れ難いことだろうし。僕もそれだけは避けて欲しい。しかし脱退すれば「信漁連への増資出資分は15%しか返さないが、信漁連からの借金は全額返せ」という理不尽な理屈で、約7200万円の負債が残る。現状のままでの運営では返済はほぼ不可能。さてどうするか。今、祝島の多くの人が頭を悩ませている。
 1つのアイデアだが、組合員を全国から応募するというのはどうだろうか。正組合員は無理だろうが、年間契約組合員みたいな形で募集して、1人年間5千円を負担してもらえば、3000人集まれば5年間でこの負債は全額返せる計算になる。上関原発には反対している人が多いのだから、このくらいは集まりそうな気がするのだが。どっちみち思い切ったやり方をしないと、この難局は乗り越えられないだろう。

[2005年1月5日]
 夕方の便でまた祝島に帰って来た。夜は祝島ネット21の祝島メンバーで新年会兼今年のイベントなどの打ち合わせ。でも、一番盛り上がったのは、困ったことに僕の見合い写真とか相手の話題であった。(ーー;)

[2005年1月4日]
 午前中に郵便局に行くと、仕事始めの大サービスで先着30名様くらいにスヌーピーの置物がもらえた。僕も1つもらった。午前中は離島振興の打ち合わせ。昼便で島を出て防府天満宮にお参りに行き、商売繁盛の福熊手を購入。天神様は学問の神様だが、まあいいだろう。おみくじを引くとまたしても「大吉」であった。今年はきっと良い事があるに違いない。(^^)

[2005年1月3日]
 年明け3日目にしてようやく日の出を見られた。が、ちょっと起きるのが遅れて、すでに日は少し登っていた。残念!
 昼前には春一番を思わせるような温かい南東風が強く吹いていて、昼便はだいぶ揺れていた。ヒロシと川本と一登は昼便で行ってしまった。ちょっと淋しくなった。夜は黒磯と難波のカズ坊が飲みに来た。

[2005年1月2日]
 今日は日の出が見えるかと思って早く起きて学校で待っていたが、結局今日も日の出は見られなかった。
 昼前にヒロシと一緒に行者様にお参り。おみくじは「大吉」。岩本鉄工おみくじ(行者様に行ったことの無い人はわからないと思いますが・・)は「三吉」であった。
 午後から一登のところに行って、一登の子供(小学生)2人と百人一首(何十年ぶりだろう!)で対決。ユキちゃんには勝ったがミキちゃんには完敗だった。あまりに白熱しすぎて、気が付いたら手の指から血が流れていた。(~_~;) そのあとみんなで坊主めくり。これは一番チビのユキちゃんが三戦全勝の圧勝であった。
 夕方の便で黒磯が戻り、夜は博、一登、川本、黒磯と飲んだ。雄三から訂正情報が入った。アゴが外れたのは紅白歌合戦ではなくてK-1を見ていたときらしい。どっちでもいいのだが・・・。

[2005年1月1日]
 皆さん、明けましておめでとうございます。2005年・酉年になりました。本年もよろしくお願いします。
 今年の「初笑い」は薬師雄三のアゴが外れた話であった。蓬莱館で同級生が集まって飲んでいたところ、年明け早々に本人から電話があり、紅白歌合戦を見ている途中でアゴが外れて、整体に行ったりして大変な目にあったと報告が入った。本人は大変だっただろうが、その話を聞いた同級生連中は大笑いだった。(^o^)
 その後、カズトと一緒に善徳寺の除夜の鐘をつきに行く。善徳寺の本堂には若者達が大勢集まっていたが、さすがに年の差がありすぎて、その中には入るのは遠慮して、鐘を3回ついて蓬莱館に戻って中年組で引き続き飲んだ。
 午後3時頃、みぞれが上がったのを見計らって、お宮に初詣に行く。おみくじは「大吉」であった。今年は良い事がありそうだ。その後で、博と一緒に行者様に参ろうと山を途中まで登ったら雨が降り出し、あわてて引き返した。行者様には明日あらためてお参りしよう。




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