編集日記  

2004年〜



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[2004年12月31日]
 今年も今日で終わり。1年間ありがとうございました。今年はだいぶ真面目に編集日記を書いたような気がする。編集日記のファイルサイズは177KB。1文字2バイトで計算すると88000文字。400字詰め原稿用紙220枚分にもなる。つまらない話だが、我ながら良く書いたなと思う。
 来年もがんばって書くことにしよう。皆さん、良いお年を。

[2004年12月30日]
 同級生がだいぶ帰って来た。蛭子は意外と早く。一登は今日の昼便で。博と和久は晩便で帰って来た。夜、蓬莱館に集まって飲む。途中で雄三から電話がかかった。
 午後3時頃にようやく今年の仕事が終わり、自分の年賀状を作り始めた。なんとか今年中に島を出そうだ。

[2004年12月29日]
 昼便で島に帰って来た。冬らしい天気になって、ハナグリから祝島の間はそれなりに波があったが、正月の魚を獲っておくためかどうか、意外と漁船が多かった。
 広島のF氏より祝島のH氏に、例の写真が届いていた。昼間はあれこれと仕事があったので、夜になって恐る恐る(^^;見に行った。自分のかしこまった写真を見るのはかなり恥ずかしいものであるが、撮ってしまったものは仕方ないので、H氏のところとK先生のところで品評会を行ない、大いに盛り上がってしまった。明日の夜はヒロシたちと盛り上がることになるだろう。ヒロシにもとりあえず写真を撮れと、勧めてみたいと思う。(^^)

[2004年12月28日]
 今日で年内の本土側での仕事は終わり。明日は昼便で島に帰る予定。明日は祝島で仕事、そしてやっと自分の年賀状を作ろうと思っている。明後日の夕方には同級生が帰ってくる。

[2004年12月27日]
 ようやく新しいサーバへの移行作業が終った。旧サーバの契約は今月末までだったので、結構ギリギリであった。ホームページのデータだけならまだ楽なのだが、CGIやらメールやらメーリングリストの設定やら、なかなか大変であった。
 昨日、インドネシアで大地震が発生。その時の津波でインド洋沿岸では甚大な被害が出ている。親類の家の娘がモルディブあたりにダイビングに行っていたようだが、幸い無事だったらしい。しかし母親は昨晩は眠れず、今日も連絡が取れるまでは気が気ではなかったらしい。マレーシアに行くと話していたマット先生のことも心配であったが、木村先生に電話したら、スケジュールでは地震発生時はまだマレーシアに向けての飛行中の予定らしく、おそらく大丈夫だろうとのことで少し安心した。無事帰国を祈りたい。

[2004年12月26日]
 午前中、えべすのパソコンのメンテ。ノートパソコンの画面にはカズマくんが(ボールペンで!)描いた絵がくっきりと残っていた。なかなか腕白で手を焼かせているようだ。(^^;
 昼便でまた島を出る。たぶん、これが今年最後の本土行きとなるだろう。今年はなんだか日曜日にあれこれと忙しくてあまり競馬を見る機会もなかったが、最後の有馬記念くらいは見ようと、室積で観戦。その甲斐もなく外れた。結局今年は一度も当らなかったような気がする。(T_T)

[2004年12月25日]
 昼便で島に帰って来た。木村先生のパソコンのウイルス駆除やパーティション変更などの作業にほぼ半日かかった。夕方の便でマーティンさんが親戚の人を連れて島にやって来た。夜、ウイルススキャン中の待ち時間に「はまや」さんにお邪魔して、マーティンさんと従兄のベンさんと一緒に飲んだ。マーティンさんの元彼女の話で盛り上がる。やはり人のことになるとなぜか面白い。(^^;その後、木村先生の家に戻って、ウイルス駆除の続き。酔っていたわりにはちゃんと駆除できて、めでたしめでたし。

[2004年12月24日]
 例年のことだが、年末になると仕事が結構忙しくなる。今日はクリスマスイブにもかかわらず、夜遅くまで仕事・・・のはずであったが、夜のレッスンがキャンセルとなり、ポッカリと空いてしまった。しかし特に予定もなかったので、一人淋しく豪華なククレカレーを作って食べた。(-_-;)
 有馬記念が近づいてきた。今年はあまり競馬には気合が入っておらず、秋競馬も1回しか馬券を買っていない(しかもハズレだ)。せめて今年の最後を飾る有馬記念くらいは当ててみたいものだ。買おうと思っていた年末ジャンボは買い忘れたし・・・。

[2004年12月23日]
 トム・ハンクス主演の「ターミナル」という映画を観に行った。ほのぼのとした感じで良かった。映画館に観に行くのは久しぶりだ(たぶん数年ぶり)。高校時代以来となるテアトル徳山はガラガラだった。(^^; 対照的に駅前は「ツリーまつり」で大賑わい。寒かったが「ふぐの味噌汁」が美味しかった。

[2004年12月22日]
 話題を変えて、ウオノメの話。僕の左足の裏には10年以上前からウオノメが出来ている。中指の付け根から1.5cmくらい後ろのあたりだ。このところずっと「ウオノメコロリ」を付けているのだが、一向にコロリといく気配が無い。普段歩いていてそれほど痛い訳ではないが、点字ブロックの丸い山のところなどにちょうど乗ったりするとさすがに痛いのだ。健康サンダルはブツブツが当って痛くて、僕にとってはちっとも健康ではない。どなたか効果的なウオノメの治療法を知っている人はぜひ教えて欲しい。

[2004年12月21日]
 例のキャンペーン企画(~_~;)で広島のF氏の写真スタジオへ。おみやげに、石豆腐入りの煮しめを持参していく。撮影中は「もうちょっと右向いて」「背筋は伸ばして」「あごは引いて」「手は握って」・・・・と、F氏より矢継ぎ早に注文がつけられ、こちらは高見盛のようなぎこちない動きになってしまった。なんせ写真館で写真を撮ってもらうことなど、初めてのことである。緊張して、モデルのような活き活きした表情などできるはずがない。F氏の腕でカバーしてもらうしかない。
 撮影を終えて、昼飯を食べにF氏と一緒に広島で流行っているといううどん屋へ。人気の「釜たまうどん」にはたまげた。うどんの麺に生卵を絡ませて、それにネギとだしをかけて食べるのである。ものすごく意外な食べ方ではあったが、これが食べてみると結構美味いのだ。うどんの世界が広がったような気がした。
 それにしても、この半月くらいの間に、いろいろなことが起こって、僕の周りの環境が、渦を巻いて変化しているような気がする。それはそれで良いことかもしれないのだが・・・。

[2004年12月20日]
 島に一日しかいないと、なんだか慌しい。細かい用事があれこれあって、サーバの引越し作業も中途半端なままだ。
 こんな状態のときに東京のF氏から電話があり、「再来年の大河ドラマは山内一豊なので、それを記念して、再来年の春に高知城を発着点として2daysマラニックをやろうと思うが、それの運営責任者をやってくれ」との話。年内でさえやることが山積みで、どうしようかと思っているのに、再来年のことなどとても考えられない。「何で僕がやるん?」と聞くと「お前の方が近い」との答え。確かに直線距離では東京よりは近いが、何という乱暴な理論じゃ! たまにお世話になっているので、無下に断ることもできず、とりあえず「検討する」ということにしておいた。
 明日はめずらしく朝便で出るので、今日は早めに寝ることにしよう。

[2004年12月19日]
 夕方の便で島に帰って来た。帰る前に、木村家で宴会をしているという電話連絡が入っていたので、船が祝島に着いたらダッシュで木村家まで行った。広島の哲ぼんさんとミッチさんが来て、宴会をやっていた。昨年の今頃に初めて祝島に来て1周年記念の宴会とのことだ。夕方の便で帰るとのことだったので、20分間一緒に飲み、出港ギリギリに「いわい」に乗る二人を見送った。

[2004年12月18日]
 Mさんの紹介で徳山でSさんに会い、夕方まで話す。Sさんはなかなか前向きな人で、とても刺激を受けた。その後、防府に住む同級生のKくんのところに行き、一緒に晩飯を食べてからパソコンのメンテ。「今まで見たことの無い画面が出てきて、マウスも動かない」と話していたので、どんな状況かと思っていたが、確かにその言葉通りだった。結局、原因がよくわからなかったので、最後の手段で、リカバリー作業を行い、ソフトインストールやインターネットの設定など、すべてやり直し、夜中の2時ごろにようやく元に戻った。しばらく話をして3時前にKくんのアパートを出て、室積に戻ったのは3時半くらいだった。
 Kくんは胃潰瘍を患っていたらしく、痩せていて心配だ。このところ僕の同級生の間では、体調が悪かったり、会社を辞めたり、工場が閉鎖になったりと、あまり良い話題がない。たまには明るい話題が欲しいものだ。

[2004年12月17日]
 新品の腕時計を購入した。数ヶ月前に今まで使っていた腕時計のバンドが切れ、アロンアルファで貼り合わせて、せこく使っていたのだが、今日また切れた。もうすぐ正月だし、思い切って(というほどのことでもないが・・)新調することにした。新しい腕時計は電波時計なので、いつも時刻は正確だ(たぶん)。これで、遅刻しても「時計が遅れていた」などという言い訳はできなくなった。
 深夜にNHKの夜ドラ「I'm home」を1週間分まとめて観た。今週は飲む機会が多く、ずっと見逃していたのだ。今週が最終週。最後は時任三郎の記憶も戻り、ハッピーエンドであった。めでたし、めでたし。スバル役の娘は「なっちゃん」のジュースのCMで見たときは、単なる普通の女の子という感じだったが、このドラマの中では、なかなか光っていた。じつは時任三郎の実の娘らしい。笑顔がとても良かった。将来が楽しみだ。

[2004年12月16日]
 結婚キャンペーンの話は、あまりにも盛り上がり過ぎなので、ほとぼりが冷めるまで水面下で密かに活動することにして、松村企画さんにも掲示板にその話は書き込み禁止令を出したが、いつまで効果があるかわからない・・・。(~_~;)
 午前中、マーティンさんの年賀状を印刷してあげて、代わりにLoriからの手紙を訳してもらった。ちょっと英語の勉強になった。手紙と一緒に送られてきて何に使ったらいいのかわからないプレゼントの正体がやっと分かった。
 昼便で島を出た。室津の漁港に車を5日間も置いておいたら、カモメのフンの洗礼を盛大に受けていた。クッソー!!

[2004年12月15日]
 昨日見た明るい流星は「ふたご座流星群」だったようだ。オリオン座の少し右側から祝島の山の方向に向かって流れた。さっき調べたのだが、流星の軌跡を遡ると確かに「ふたご座」が放射点になりそうだ。
 今日は最後のPスポ(PTAスポーツ交流会)であった。涼くんも康ちゃんも、ソフトバレーがこの1年くらいで急速に上達した。祝島にUターンして以来、PTAでもない(ほんのちょっとだけTをやったが・・)のに参加させてもらって、とても楽しかった。運動不足解消やストレス(あまり無いが・・・)解消にも、島の若い衆の交流の場としてもとても貴重なひとときであった。校長先生はじめ、この4年間に祝島に来られた先生方に感謝!m(__)m 尚、申請すれば体育館は使わせてもらえそうなので、これからは別の形でぜひ存続させて行きたいと思う。

[2004年12月14日]
 夕方の定期船でフォトコンテストの審査委員長を務めてくれた広島の藤本さんがやってきた。民宿で橋部さん、木村先生と一緒に飲む。あれこれといろんな話が出たが、僕を結婚させるという話が結構長くて困った。酒の勢いとはいえ「おらがホームページ」と「祝島フォト情報」のホームページでキャンペーンをやるとか、藤本さんのスタジオに見合い写真を撮りに行くとか、とんでもない話が飛び出した。さて、どうしようか・・。(-_-;)
 飲み会が終るとすぐに、小田原にいた頃に親しく付き合いしていた諏訪さん一家から携帯に電話がかかってきた。家の中だと電波が弱いので、外を歩きながら話した。海岸に出ると星空がきれいで、流れ星も見えた。防波堤に腰掛けて、波の音を聞きながら星空を見上げるのも、なかなかオツなものだが、さすがに冬は寒くて長時間は無理だ。

[2004年12月13日]
 蛭子のおじさんのパソコンのメンテをやっていたら、サトシくんがカキ鍋を作るから一緒に・・ということになって、よばれることになった。蛭子家は子供が3人もいて、とても賑やかだ。特に一番下のカズくんは、やることなすこと怒られっぱなしで、傍から見ているとほほえましいのだが、これが毎日続くと、家族はきっと大変だろう(^^;。おまけに、僕達が飲んでいるビールやら焼酎やらをときどきチビチビ飲んで、平気な顔をしている。かなりの酒豪になりそうだ。

[2004年12月12日]
 橋部さんが新しいパソコンを購入し、午後からパソコンの設定やら、周辺機器の設定やら、データのコピーやらで夜中までかかった。今はたぶん橋部さんのパソコンが祝島では最強だ。
 マーチンさんと久しぶりに会ったが、今日はお互いに忙しくて、少ししか話ができなかった。マーティンさんも、今回は2週間の滞在の間にあれこれと調べなければいけないらしく、大変そうだ。

[2004年12月11日]
 今日はメンテナンスのために室津の鉄工所にあずけていたマイボートに乗って島に帰って来た。この時期にしては海も凪で温かくて助かった。家に帰ってきたら、ヒラギが賑やかだった。エベスの子供と善徳寺の親子と涼くんがカン蹴りをしていた。エベスの子供たちの行動範囲がだんだん広くなって、最近は蓬莱館のところでもよく見かける。
 家にはLoriから手紙と写真が届いていた。紙一面にビッシリと英語が書かれており、目がクラクラした。幸いなことに2・3日前からマーティンさんが島に来ているようなので、明日にでも訳してもらおう。(^_^;)
 夜、テレビで「相田みつを物語」を見て感動した。久々の薬師丸ひろ子が良かった。ちなみに、相田みつをを演じたとんねるずの木梨くんは僕とまったく同じ昭和37年3月9日生まれだ。

[2004年12月10日]
 今年最後(たぶん)の散髪をした。室積にアパートを借りてからは、室積海水浴場の近くにある「スマイル」という散髪屋にお世話になっている。ここの従業員のHさんは釣りが好きで、祝島にもよく釣りに来るようになり、今では「民宿くにひろ」の常連さんになってくれている。Hさんの話では、他の場所に比べると、祝島はまだまだ魚が多く、良く釣れるそうだ。
 散髪といえば、祝島にも浜崎理髪店があるが、僕は小さい頃に行った記憶が少しあるだけだ。なぜなら小学2年生の時から坊主頭にしたので、それから中学校を卒業するまでは家で親がバリカンで刈ってくれていたのだ。浜崎さんのところは、今はテッちゃんと奥さんがやっているが、僕の小さい頃はまだジロさあがやっていた。当時の記憶の中で、ジロさあの店で「骨まで愛して」という歌が流れていたことだけが、何故か印象に残っている。子供心には歌詞が強烈過ぎたのか・・・(^^;

[2004年12月9日]
 今年もあと3週間になった。ついこないだ神舞だったような気がするが、もう正月がやってくる。歳をとると本当に月日の経つのが早い。困ったものだ・・・。正月には同級生の川本が久しぶりに帰ってきそうだ。ヒロシは他に行くところも無さそうなので、たぶん帰ってくるだろう。

[2004年12月8日]
 2週間前に5冊も借りた本を明日は返さないといけない。結局、読めたのは1冊とちょっとだった。(^^;

[2004年12月7日]
 タカ坊さんからボジョレーヌーボーが届く。みんなで集まった時に飲むことにしよう。
 下薬師のオジンの具合が悪くなって、岩本の船で病院に連れて行った。ここ数日風邪を引いていたらしい。大事にいたらなければいいが・・・。
 僕も夕方の便で島を出る。船でマット先生、トーリさんと一緒になった。

[2004年12月6日]
 今日は朝から晩まで一日中カレンダーの発送作業をやっていた。おかげで昨日買った矢野絢子のアルバム『ナイルの一滴』を何度も聴けた。「てろてろ」は前からお気に入りだが、初めて聴いた「夕闇」という曲もいい歌だ。高知に行く機会があったら、「歌小屋の2階」で彼女のライブを見てみたいものだ。
 もう1枚、蓬莱館でかけていたのは「KAUSALGIE」というバンドの自主制作CD。何度繰り返して聴いても飽きない音楽だ。じつはこのバンドのドラムは祝島出身の村岡PMANさんだ。詳しくは(というほど詳しくないが・・(^^;)こちらをご覧下さい。

[2004年12月5日]
 湯来南小学校体育館で行われた大森神楽団の「太刀納め」を見てきた。「太刀納め」はその年の最後の公演。相撲で言うと千秋楽、競馬で言うと有馬記念、笑点で言うと大喜利にあたる。地元の人も、はるばる遠くから来た神楽ファンも入り乱れ?、土砂降りの雨の中にもかかわらず体育館は満員で、熱気でムンムン。神楽は夜7時から始まり、夜中の12時半まで大熱演が続いた。絢爛豪華な衣装、ド迫力の演技、すばらしい公演だった。
 神楽団の一員でもある「レストラン団栗亭」のマスターの家に泊めてもらい、大変お世話になった。マスターの娘さんたちは、みっち&哲ぼんに連れられて、今年の春に祝島にキャンプに来ていたということに、帰る間際に気付いた。哲ぼんさんにはおみやげにイチゴをもらった。
 柳井まで戻って、木村先生がゆめタウンで買い物をしている間に、カンズーさあのところにカレンダーを持って行って、そのあとデオデオで矢野絢子のファーストアルバムを買って帰った。夕方の便で祝島に戻ったが、海はかなりのシケであった。

[2004年12月4日]
 今日はこれから広島県の湯来町に神楽を見に行き、泊まりになるので、めずらしく昼間に日記を書いておくことに。木村先生からの情報では、神楽は午後7時から湯来南小学校の体育館であるとのこと。柳井で木村先生と待ち合わせ、途中で広島のみっち&哲ぼんさんと合流する予定だ。久しぶりの旅行だが、外は風雨が強まって荒れ模様だ。(~_~;)

[2004年12月3日]
 祝島ホームページのサーバを今月中に引っ越すことにした。今のレンタルサーバ会社との契約が今月末で切れるので、別の会社に変えることにした。サーバの引越し作業は家の引越しと一緒で、なかなか面倒なので、できればあまりしたくない。しかし、今のサーバは250MBで月々4700円、2〜3年前ならこれでも安い方だったのだが、この業界の変化はとても早くて、今はもっともっと安い会社が出てきている。面倒くさがり屋の僕だが、経費削減のために仕方ない。(~_~;)
 特に面倒なのが、カウンタや掲示板や投票システムなどのCGIと呼ばれる部分。新しいサーバの仕様に合わせてプログラムを一部書き換えないといけないし、新しいサーバにデータも引き継がなければならない。僕の場合、今のサーバには祝島ホームページだけでなく、祝島ネット21をはじめ数個のホームページを置いているので、全部が引越しになる。できれば12月15日くらいまでにやり終えたい。ちなみに、アドレスが変わるわけではないので、読者の皆さんが何か設定を変えないといけないということはありません。でもサーバ切り替え時にはうまく表示できない部分がでてくるかも知れないので、いちおう予告しておきます。祝島メールを使っている人は、メールサーバの設定が変わりますので、これは別途個人的にお知らせします。

[2004年12月2日]
 この土曜日には広島県の湯来町というところに木村先生と一緒に神楽を見に行くことになった。みっち&哲ぼんさんのおすすめなのだ。広島では今、神楽が大変盛んなのだそうだ。木村先生は2度目だが僕は始めてなのでとても楽しみだ。
 台風27号がやって来ている。今のところの予想では本土上陸はなさそうだが、12月に台風とは・・・。温暖化の影響で冬が暖かくなるのは個人的には歓迎だが、台風がたくさん日本にやって来るようになるのは困りものだ。今年のような状況が毎年続いたら、たまったものではない。

[2004年12月1日]
 今日から師走。早いもので今年もあと一ヶ月だ。でも12月にしては温かくて、寒がりの僕としては、とても助かる。昼便で島を出たが、とても凪だった。祝島にいる間に有森裕子の本を読み終えた。それで刺激を受けた訳ではないが、夜に久しぶりにジョギング。室積のアパートから「光青年の家」の前までの往復。測ったわけではないが、たぶん距離は往復で3kmくらいだろう。祝島だと長磯の電話局と小山の間で折り返したくらいの距離だ。
 これまた久しぶりにクイーンの曲を歌詞カードを見ながら聴いたおかげで、長年の謎が1つ解けた。先日祝島に来たLoriと一緒に6年前に駅伝に出たときにLoriのインタビューが地元の新聞に載って、その中に "We had a ball" という表現があり、「玉を持っていた?何のこっちゃ?」と、どうしてもその意味が分からなかったのだ。そのままウヤムヤになっていたが、クイーンの「DON'T STOP ME NOW」という曲の中に "I'm having a ball" という歌詞を発見!その部分の日本語訳を見て「なーるほど、そういう意味だったのか〜!」と、やっとスッキリした。

[2004年11月30日]
 卓上カレンダーを祝島ネット21の会員の皆さんに発送。会員数がジワジワと増えてきて、一人では封筒の封をするだけでも大変な作業なので、郵便局に手提げ袋2つ分の郵便物を抱えていって手伝ってもらった。
 今日は鼻風邪を引いて、くしゃみと鼻水が止まらなかった。夜には症状がだいぶ治まった。

[2004年11月29日]
 昨日と今日とで、「2005年版祝島卓上カレンダー」の組立作業を終えた。今日は、木村先生、ミチコさん、ルミちゃんと僕の4人でやったので速かった。僕と木村先生はビールを飲みながらの作業であった。カレンダーの中にピーナツが紛れ込んでいなければいいが・・・。(^^; 今回のカレンダーはフォトコンテストの入賞作品も使わせてもらっているので、なかなか出来栄えがいいと思う。数量限定販売なので、欲しい人は通販コーナーでお早めにお申込み下さい。祝島では、明日から蛭子商店で販売してもらいます。
 カレンダー組み立て中の無駄話の中に出てきた「さくい」と「そーら」を祝島弁辞典に追加した。

[2004年11月28日]
 夕御飯を食べに家に帰ったら、ダイドックの原さんが来ていた。なんと、瀬戸内横断カヤック隊で小豆島まで行った後、独りで祝島までカヤックを漕いで帰ってきたそうだ。日焼けした顔や腕が一段と逞しくなっていた。家で一緒に朝青龍−魁皇戦を見た。なかなかの大相撲。今日は魁皇が勝ったが、横綱昇進は来場所に持ち越された。原さんと一緒にいると、なぜか格闘技系の話になってしまう。親父までが「曙が、どーのこーの・・・」と話していた。瀬戸内横断カヤック隊の記事は雑誌「ターザン」の1月号に特集されるらしい。楽しみだ。

[2004年11月27日]
 午前中は徳山の桜ヶ丘高校の近くの家に仕事で行く。昨夜、灘波のタカ坊から柳井まで来ているという連絡が入ったので、午後から久しぶりに柳井にいるカンズーさあに面会に行く。夏に折れた骨は治っていた。あまり痛みはなかったらしく、本人は「ホントに折れちょったんかのう?」とトボケていた。
 夕方の便で島に帰った。「いわい」で灘波のカズ坊と一緒になった。夜、蓬莱館でちょこっと飲んだ。

[2004年11月26日]
 中学駅伝は田布施と平生ががんばっている。20日の県予選大会で男子は田布施中、女子は平生中が優勝して全国大会に出場することになった。彼らがそのまま地元の熊毛南高校に進学してくれると、熊毛南も駅伝が強くなると思うのだが・・・。
 本日、東京FMの番組内で祝島ホームページが紹介された。朝遅くに(^^;目覚めた後、「6Sense」のWebサイトで聴いた。パーソナリティの七尾さんは、朝5時に掲示板に書き込みまでしてくれていた。早朝からの番組、その前の打ち合わせと、大変そうだ。祝島の漁師さんと同じような時間帯で生活しているのだろうか。

[2004年11月25日]
 久しぶりに図書館(光市の図書館)に行って、本を5冊も借りた。もちろん2週間で全部は読めないのだが・・・。有森裕子の本を半分くらい読んだ。
 祝島でも公民館の二階が図書室になっていて、支所に行けば本が借りれる。ただ冊数は少ないので、たいがい取り寄せになる。島の人は年寄りが多く、みんな早く寝るので利用者は少ないようだ。町の中央公民館にもない本は、買ってもらえる。今度利用してみようと思う。

[2004年11月24日]
 仕事先のある人から「國弘さん、瀬戸内カヤック横断隊に参加したんかね?」と言われた。中国新聞の記事を読むと、祝島の人が1名誰か参加したようにも受け止められるようだ。僕が参加したのは前日の飲み会だけだ。(^^;
 最近お気に入りのテレビ番組はNHKの夜ドラ「アイム・ホーム」。時任三郎が久しぶりの主演だ。バブル期にはリゲインを飲んで24時間戦っていた彼も、最近あまり見ていなかった。

[2004年11月23日]
 昼便で島を出た。上関で薬師3兄弟と別れる。今度会えるのは来年の夏か・・・。
 話はコロッと変わるが、「ドラえもん」の声が来年春から替わるらしい。ドラえもんだけでなく、のび太くん、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫と、主要メンバーを演じてきた声優の皆さんがそろって交代するとのことだ。漫画では若々しい声だが、実際は皆さん70歳近い方ばかりらしい。長年親しんできた声が替わるのはちょっと淋しい気もする。新しいドラえもんはどんな声になるのだろうか?

[2004年11月22日]
 薬師3兄弟と一緒に平さんの石垣を見に行く。3兄弟はほとんど花見気分で、学校の上のテーラー道で早くもコップ酒を飲み始めた。酔っ払って途中で崖から落ちないか心配したが、薬師3兄弟の運動神経は昔から抜群で、絶妙のバランス感覚で斜めになった道を通り抜け、なんなく平さんの棚田までたどり着いた。平さんはよそに行っていていなかったが、勝手に小屋の前にブルーシートを敷いて、かんぴょうやら寿司やらで酒盛りが始まった。今日は小春日和で最高の天気だった。海を眺めながら「こがいなところにおったらストレスもたまらんじゃろうのう」と達ちゃん(長男)がしみじみと話していた。ちなみに達ちゃんは、祝島中学校の先輩でもあるが、熊毛南高校の大先輩でもあるのだ。野球部で3番を打っていたらしい。

[2004年11月21日]
 なんと、東京FMで「祝島ホームページ」を紹介してくれることになりました!\(^o^)/ 「怪我の功名」とはこういうことを言うのでしょうか。放送は11月26日(金)の朝7時52分頃、「6Sense(シックス・センス)」という番組の「Catch the World」というコーナーです。関東地方の皆さんはぜひ聴いてください。残念ながら山口では放送はありませんが、放送後に番組のホームページで聴けるようです。

[2004年11月20日]
 12時に柳井港にユウサアを迎えに行き、柳井で買い物をして、夕方の便で一緒に帰って来た。今日は凪かと思っていたら、ハナグリから波が少し強くなった。冬場の本格的なシケに比べればたいしたことはなかったが、一番前に乗っていたのでちょっと揺れた。ユウサアは恐れて後ろの席に移動していた。
 夜、薬師家に行って飲む。薬師3兄弟に「はよう結婚せえ!」と説教され、窮地に追い込まれた。(~_~;)

[2004年11月19日]
 東京FMの人から電話がかかってきた。どうやら24日の放送での「かけっこ.com」の登場は中止になったらしい。(-_-;)・・・というか、じつは既に8月に登場していたとのこと。10月に番組リニューアルで担当者も変わったらしいのだが、前の担当者が8月に取り上げてくれていて、重複してしまうので今回は中止ということで、わざわざ電話をかけてくれた。新旧二人の担当者が注目してくれたということは、僕としてはとてもうれしいことだ。担当の方は「もしかしたらそのうち、「祝島ホームページ」の方を取り上げさせていただくかも・・・」と言ってくれたが、まあ、気長に待つことにしよう。いちおうホームページの方は見てくれたらしい。「リンク先の中学校のホームページも面白いですね」と話していた。できれば、東京FMで祝島のホームページ総出演特集でもやってくれると面白いのだが。(^^)
 明日は、東京から同級生のユウサアが帰ってくる。一緒に夕方の便で島に帰る予定。

[2004年11月18日]
 昨日久しぶりに運動したので、ちょっとフカヤが出た。昼便で島を出て大島に行った帰りに、柳井港と柳井の間の国道沿いに新しく出来たショッピングセンターに寄ってみた。まだマックスバリューとナフコしかないが、ナフコがかなり広くて、店内をウロウロするのは楽しかった。

[2004年11月17日]
 カヤック隊を見送ろうと、朝7時40分に東の波止に出てみたら、もう姿はどこにも見えず。昨晩、内田さんが「日の出と共に出発する」と話していたが、まさか本当にその時刻に出発するとは思わなかった・・・。まさにプロ!「立つ鳥後を濁さず」という感じで、何の痕跡も残さず旅立って行った。あとで木村先生に聞いたら、7時頃に出発したらしい。ということで、トピックスの記事の写真は木村先生に提供してもらった。
 フォトコンテスト入賞者の皆さんに賞状と賞品を発送。発送準備のため足の踏み場もなかった蓬莱館が、ようやく片付いた。夜は久しぶりのPスポで汗を流した。その後、懇親会。毎度のことだが、この懇親会のときは「島おこし」の話題で盛り上がる。ここはアイデアが生み出される場でもあるのだ。

[2004年11月16日]
 瀬戸内カヤック横断隊の皆さんがやって来た。隊長?の内田さんはじめ、普段はカヌーツアーのガイドをやっているプロの皆さんが結成したチームなので、本当にすごいメンバーなのだ。そういう人たちと年に1回でも、木村先生の掛けたモイカで一杯やりながら交流が持てるチャンスはそうあることではない。祝島に住んでいることのメリットの一つだ。メンバーの原さんは、民宿くにひろにも泊まったりして、もうおなじみである。彼は、櫛ヶ浜にショップを持っているが、上関に移りたいという希望を持っているようだ。上関町はカヌーフィールドとしては本当に素晴らしいとのことだ。ぜひ実現して欲しいと思う。

[2004年11月15日]
 今日は「冬近し」といった天気。風も出てきたし、寒くなってきた。蓬莱館の入り口にはミニケルが丸くなっていて、僕がドアを開ける度に、めんどくさそうに逃げていく。ミニケルはだいぶ大きくなって、もうミニケルとは呼べなくなってきた。
 昨日書き忘れたが、僕が時々パソコンを教えに行くSさんが「しそジュース」をわざわざ島まで持って来てくれた。夕方の便で来られて、家まで運んで来て5分ほど話して、またその便で帰っていった。ありがたいことだ。「しそジュース」は田布施の特産品で、結構美味しくて健康にも良さそうだ。

[2004年11月14日]
 夕方の定期船で島に帰って来た。16日には原さんたちカヤック隊がやってきて一緒に飲むことになっているし、17日にはPスポがあるので、木曜日の午前中までは島にいる予定。その間に、できればフォトコンテスト入賞者の皆さんに賞状と賞品を発送しようと思っている。
 今日、島では朝市があったようだが、昨日・今日とお葬式があった関係で、小規模な出店だったようである。

[2004年11月13日]
 今日は、フォトコンテストの賞状作り。これが簡単なようで意外と難しかった。文面のところには、賞状独特のルールがあるようだ。句読点は使わない・字下げはしない・単語の途中で改行をしない・・・等。今までもらったことが少ないので(-_-;)、全然知らなかった。できたら夕方の便で島に帰ろうと思っていたが、まったく間に合わなかった。

[2004年11月12日]
 櫛ヶ浜の原さんから連絡が入る。今年も瀬戸内海横断カヤック隊が結成されるらしい。来週木曜あたりに祝島を出発して、1週間かけて小豆島まで行く予定とか。雑誌の取材もあるようだ。昨年は北風が強くて大変だったようだが、今年は天候に恵まれることを願いたい。

[2004年11月11日]
 仕事でおじゃました先の社長が、「ヤドカリを落札した」と言ってニコニコしていた。ヤドカリって、あのヤドカリ?とビックリしたが、あのヤドカリなのだ。インターネットオークションではいろいろなものを売っているが、ヤドカリを売っているとは思わなかった。生きたままで送れるらしい。魚のフンとかを食べて水槽の中をきれいにしてくれるので、海水魚を飼っている人に売れるのだそうだ。しかも、きれいな色のヤドカリは結構な値段がつくらしい。祝島にもヤドカリはたくさんいるが、きれいかどうか、あまりじっくり観察したことがない。ついでに、オークションをいろいろ見てみると、「ヤドカリの引越し用の貝殻10個セット」とかも売られていて、思わず笑ってしまった。

[2004年11月10日]
 東京FMの朝のラジオ番組「6Sence」(月〜金 6:00-9:00)で、僕が作っているホームページを紹介したい、という話が数日前に舞い込んできた。といっても、「祝島ホームページ」ではなくて、「かけっこ.com」の方だ。「祝島ホームページ」ほどの気合は入れていないものの(^^;、なぜか既に37万人を超えるアクセス数があるのだ。
 いちおうアンケートみたいなのがあって、作ったきっかけとか、そういうことを書いて送ったのだが、その後先方から連絡が無いので、「やっぱり、やーめた!」ということにならなければいいが・・・(-_-;)と思っている。予定では11/24(水)の朝7:52ごろ、「Catch the World」というコーナーで登場する予定らしい。残念ながら山口県では放送していない。

[2004年11月9日]
 来年のカレンダーの発注締切りが迫ってきた。昨日と今日とで、あせって準備。来年は「祝島の神舞」というタイトルで制作する予定です。フォトコンテストの入賞作品の中からも何枚か使わせてもらいます。お楽しみに!

[2004年11月8日]
 祝島郵便局でお金を下ろしたら、新札を出してくれた。野口英世さん、樋口一葉さんとは初対面だ。新しい福沢諭吉さんとはまだ会っていない。使うのがもったいないので、しばらく持っておこう。(^^;そういえば二千円札にはもうずいぶん会っていないような気がするが、こんなに使われないお札もめずらしいのではないだろうか?今回の新札発行に合わせて廃止されたのではないかと心配だ。
 夕方の便で島を出て、室積へ。光市の市議会議員選挙が始まって、選挙カーがうるさい。大和町と光市が合併したことに伴う選挙だ。熊毛郡の中では熊毛町が周南市へ、大和町が光市へ合併した。残る平生・田布施・上関は当分そのままの様子だ。この3町、どこもワガママそうだ。

[2004年11月7日]
 明日から、フォトコンテスト受賞作品を祝島郵便局のロビーに展示させてもらうことになりました。スペースの関係で、3点づつを週替わりで展示しようと思いますので、まだご覧になっていない方は、祝島郵便局へ! まずは神舞部門の金賞・銀賞受賞作品から展示します。

[2004年11月6日]
 夕方の便で島に帰って来た。今日も凪だった。昨日から櫛ヶ浜の原さんがカヌーで来て、民宿に宿泊していたようだが、残念ながら入れ違いで会えなかった。近いうちにまた来るらしい。
 お待たせしました!という感じですが、フォトコンテストの受賞作品の写真を掲載しました。いかがでしょうか。すばらしい写真を応募してくださった皆さん、本当にありがとうございました。m(__)m

[2004年11月5日]
 天高く馬肥ゆる秋。まさに今日はそういう天気だった。一昨日から、ほとんど室積のアパートにこもってあれこれやっていたが、さすがに我慢できなくなり、1時間ほどアパートの裏山を歩いた。アパートから5分も歩くと、象鼻ヶ岬の向こうに祝島が見える。30分くらい歩くと「かんぽの宿」の上の方にある「筆掛の松」という場所にたどり着く。そこからは、象鼻ヶ岬に囲まれた御手洗湾、室積の町並み、そして周防灘が一望できて、なかなか気持ちいい場所なのだ。もちろん祝島もバッチリ見える。やはり、たまには太陽光線を浴びて体を動かさないと、精神的にもよろしくない。

[2004年11月4日]
 米大統領選挙は結局ブッシュが勝ち。これからの4年間が思いやられる。日本もアメリカ追随ばかりするのなら、いっそのことアメリカの州になった方が逆に影響力が大きくなるのではないかと思う。人口によって大統領選の選挙人の数が決まるので、たぶんジャパン州がアメリカで最大の選挙人を抱える州になることだろう。北朝鮮だって、日本相手だとタカをくくってかかってくるが、アメリカになってしまえば、そうもいくまい。・・・というようなことを、ふと考えてしまう秋の夜長である。

[2004年11月3日]
 米大統領選挙は今回も大接戦。結局今日は決まらなかった。「愛ランドフェア」の展示を片付けに行ったついでに、今日まで上関の川口先生の家にいるマーティンさんに会いに行ったら、朝から選挙のテレビ報道をずっと見ていて、各州の結果が出るたびに一喜一憂して、だいぶ疲れているようだった。川口先生のお母さんもあきれていた。マーティンさんは当分祝島には来ないのかと思っていたら、12月にはまた来るらしい、それならわざわざ会いに行かなくても良かった・・・。(^^;ちなみに川口先生の家で飼っている犬はタミちゃんという名前らしい。もしかして、あのタミちゃんからとった名前? 一緒にテレビを見ながら出雲大社の「縁結び餅」をいただいて食べる。御利益があればいいが・・・。
 携帯電話の問題、平生警察署もはりきって監視しているようだ。今日、室津に行く途中に警官が3人立っていた。危ないところだった・・・。(~_~;)

[2004年11月2日]
 今日は橋部さんと二人で「愛ランドフェア」の神舞コーナーの準備。フォトコンテスト入賞作品や出田さんの作品(神舞の時にも展示されていた)、そしてわざわざ伊美別宮社から借りてきた、神舞に使うお面を展示。夕方に写真家の岩谷昇平さんが来られて、ご自身で撮影された神舞の写真を展示された。最後に切り飾りを飾ると、だいぶ雰囲気が出てきた。
 岩谷さんが展示準備をされている間に、いろいろとお話を伺い、大変勉強になった。準備の途中で岩谷さんに電話が入り、今日、大島に「日本丸」が入っているとのことであった。明日の朝早くに撮影に行かねば・・というような話しをされていた。こういう情報網を持っていることもいい写真を撮る条件だろう。ちなみに岩谷さんもフォトコンテストに応募してくれる予定だったらしいが、締切りを間違えていて、間に合わなかったようだ。残念!

[2004年11月1日]
 フォトコンテストのホームページに受賞作品のタイトルと受賞者を掲載しました。受賞作品の写真は近日掲載予定です。お楽しみに。また、受賞作品は祝島のアピールのために、各地にて展示させていただく予定です。まずは11月3日(祝)に上関総合体育館で行われる「愛ランドフェア」で展示します。お近くの方はぜひ鑑賞に来てください。

[2004年10月31日]
 祝島万葉祭当日。昼便でようやく写真のフレームが届く。橋部さんが軽トラで体育館まで運び、ベトナム、カンボジアから来た人も巻き込んでの展示準備に取り掛かった。11時から劇の直前練習の予定だったが、写真展示の準備に押されて11時半からになり、全体の流れをざっとやるだけになってしまった。全員がそろうのは今日が初めてなのだ。12時からいよいよ万葉祭が開幕。総合的学習の発表、英語暗唱、国語弁論、音楽演奏など、見事にこなしていく中学生2人に比べ、黄門一座はセリフ忘れが続出し、アドリブだらけ、それでも「カッ!カッ!カッ!」と明るく笑い飛ばす黄門様に場内大爆笑のドタバタ劇であった。
 僕達が劇のリハーサルをやっている間に、橋部さんたちががんばって、フォトコンテストの展示も間一髪セーフで開演に間に合った。来場した島民の皆さんの投票により、島民特別賞3点が選ばれた。

[2004年10月30日]
 昨日の夕方の便でマーティンさんが島にやって来たようで、午後からはマーティンさんが入って水戸黄門の2回目の練習。それから、フォトコンテストの作品展示の場所決め。本来なら今日、展示を行う予定だったが、なんと展示用のフレームが届くのが明日の昼便ということで、明日の開演直前の作業になってしまった。
 学校から下りて、祝島ネット21の会報の編集の残りをやった。午後4時になんとか完成。これまた締切りギリギリであった。ジェルジェットプリンタを購入したおかげで、印刷はなんと3時間で60部を刷り終えた。今まではインクジェットプリンタ2台使って、たっぷり半日かかっていたので、それに比べるとかなり速くなった。しかも自動で両面印刷された状態で出てくるので、とっても楽チンだった。
 夜に入ってから、明日の写真展示のタイトル表示や、投票用紙などの準備。作業は夜中までかかった。
 朝便で田尾のユキネエと和子さんが島に帰ってきた。

[2004年10月29日]
 昼便で祝島に帰って来た。こまごまとした用事を済ませて、祝島ネット21の会報を編集中。あまり余裕が無い。(^^;

[2004年10月28日]
 11月から車を運転中に携帯を手に持って話すと違反になるらしいので、柳井のMr.Maxでハンズフリーの装置(マイクとイヤホンがコードで携帯につながるヤツ)を買った。早速、車の中で装着してみたが、これがじゃまでじゃまでたまらない。運転中に電話がかかってくることも結構あるのだが、ずーっと装着しておくとコードがじゃまで運転しにくい。だからと言ってイヤホンとマイクの部分をはずしておいて、電話がかかってきた時だけ装着しようとしたら、これまたコードが絡まって片手では装着するのに苦労する。困った。(-_-;)これでは携帯電話を手に持って話をする方がよっぽど安全だ。こんな中途半端な規則を作るくらいなら、いっそのこと運転中は携帯電話の使用は一切禁止にしてくれた方がいいような気がする。それか、携帯そのものに手ぶらコードレス電話みたいな機能を付けるのを義務付けるのはどうだろうか。11月以降、かえって交通事故が増えなければよいが・・・。
 本日、ホームページのアクセス数が14万人を突破。\(^o^)/ 明日は昼便で祝島に帰る予定。今月中のネット21会報発行、果たして間に合うのだろうか。万葉祭での写真展示の準備もせねば。助さんのセリフも覚えねば。こりゃあ大変じゃ。

[2004年10月27日]
 地震に見舞われた新潟県の長岡市に、前の会社で同期入社だったKくんが住んでいるのを思い出し、メールを出してみたら、無事のようであった。ひとまずホッとしたが、かなりの被害で復旧は大変そうだ。
 夜10時前に、平生の国道を走っていたら、検問をやっていた。警官が10人くらいいたので、祝島に来ていた駐在さんがいるかと思ったが、暗くてよく見えなかった。飲酒運転もスピード違反もしていなくて良かった。(^_^;)

[2004年10月26日]
 3時半に体育館に上がって水戸黄門のリハーサル。みんななかなかの役者だ。練習やりながら、面白くてゲラゲラ笑っていた。(^^) が、まだ誰もセリフを覚えていない。(~_~;)これから数日間の勝負だ。今日、練習に参加できない人がいたので、もう1回土曜日あたりに練習やることになった。
 夕方の便で島を出た。船で英語の先生のトーリさんと一緒になった。トーリさんはオーストラリアのパース出身らしく、僕もパースには行ったことがあるので、「いわい」の中で話が弾んだ。(もちろん日本語で!)
 夜、橋部さんから電話があり、ビデオ上映会の様子を聞かせてもらった。橋部さんも、西田太郎万さんも、小松崎次郎万さんも、みんな大変だったようだが、大成功でよかった。夜中に西田さんが上映会参加者のアンケートをメールしてくれた。橋部さんの解説がとても良かったという回答が多かった。さすが橋部さん!!

[2004年10月25日]
 朝便でローリーが祝島を旅立って行った。彼女は父親には帽子を、母親には目覚まし時計を、僕にはド派手なランニングシャツをプレゼントしてくれた。「祝島の人はみんなフレンドリーですばらしい!」と話していた。これから、飛騨高山と上高地を周って東京に行くらしい。土曜日の飛行機で帰国するようだ。僕はおとといの夜からサバイバル英語で、普段使わない脳味噌を酷使して疲れた。しかし、もしかしたらこの生活を1週間くらい続けていたら、英語が少しは上達するのではないかという気もする。ま、気がするだけだろうが・・・。
 ホッとしたのもつかの間、今度はマット先生から電話があって、明日の夕方に水戸黄門の劇の練習をするとのこと。しかもこれがたぶん最初で最後の練習らしい。まだセリフも全然覚えてないので、あせってシナリオを1回通して読んだ。本番までに覚えられるかなぁ・・・。少し気がせんなくなってきた。(^^;

[2004年10月24日]
 今日は朝からローリーと行動を共にした。午前中、重村さんのところに立ち寄ったが、いつも饒舌な重村さんも、日本語が通じないということで言葉少なげであった。平さんの棚田まで行ってランチ(といっても大津で買ったパンとポカリだが)を食べた。海を見ながらローリーは感動している様子だった。山から下りて、今度は三浦までサイクリング。道がなくなるところまで行き、小島の前まで歩いて行った。ローリーはアメリカ代表だけあって、体力は並外れているので、この程度の運動は「It's so easy!」なのである。僕のサバイバル英語も一日中使っていると、結構さまになってきた・・かもしれない。と言いながらも、夕方の「いわい」でマット先生が帰って来たらラッキーっと思って見に出たりした。残念ながら帰って来なかった。(^^; 彼女は明日の朝便で祝島を発つので、夜、木村先生の家に挨拶に連れて行ったら、ご夫婦そろって変な英語混じりの日本語でしゃべっていて、結構笑えた。(人のことはあまり言えないが・・・。)

[2004年10月23日]
 東京での神舞ビデオ上映会はどうだったろうか?芸能協会の西田さん(と思われるアドレス)から「大成功!」という一言だけがメールで入ってきた。上映会開始直前に新潟での大地震があったので、ちょっと心配ではあった。
 祝島ネット21の会報の原稿がほぼ集まり、今日から編集を開始。今月末までに発行予定だ。
 夕方の便でついにアメリカからLoriがやって来た。1998年に参加したオレゴン駅伝でのチームメイトなのだ。彼女は足がブチ速くて、フルマラソンを2時間30分そこそこで走る。オリンピックのアメリカ代表選考会に今年もチャレンジしたらしいが代表の座は惜しくも逃したようだ。17日に開催された環日本海新潟駅伝でアメリカ代表チームの一員として来日した。そのついでに(ずいぶん遠いついでだが・・・)祝島に来たわけだ。彼女は日本語がほとんどしゃべれず、早口英語でペラペラしゃべってくるので、こちらはものすごく集中してやっと一言二言聞き分けることができるレベル。とても疲れる。(^^;頼みの綱のマット先生はいないし、マーチンさんが来るのは来週だし・・・。ここはとにかく得意の?サバイバル英語で乗り切るしかない。

[2004年10月22日]
 昼便で帰ってきた。「いわい」の中で校長先生から「水戸黄門(完結編)」のシナリオを渡された。31日の祝島万葉祭(文化祭)での劇のシナリオだ。今年は校長先生の手によってストーリーが全面的に書き換えられている。はっきり言って、かなり面白い!問題はセリフを覚えられるかどうかだ(^^;。僕は今年も助さん役。出番が多い割にはセリフは少なめでちょっと安心。でも、例の決め文句「この紋所が目に入らぬか!」を今年は助さんがやることになっている。これだけはビシッと決めねば・・・。駐在さん(お奉行役)はかなりセリフが多く大変そうだ。皆さん、この劇を見るだけでも万葉祭に来る価値はありますよ。

[2004年10月21日]
 今週月曜日から今日まで4日間、山口放送の深夜に「サボテン・ジャーニー」という小林聡美主演のドラマ番組があった。日産の新車ティーダの宣伝のようなドラマではあったが、なかなか面白かった。僕は小林聡美のファンなのである。美人でもないし可愛くもないのだが、独特の雰囲気がある。特に彼女が深夜に出てくるときは面白い。かつての「やっぱり猫が好き」という番組も深夜の番組で異様に面白かった。日産もこういう形で宣伝するとは、なかなかやるもんだ。日産の復活は本物か。僕のワゴンRもだいぶガタがきているので、ティーダが欲しいなぁ。 明日、昼便で島に帰る予定。

[2004年10月20日]
 台風が通過。今回は東側を通ったので、北から北西の風になった。僕は室積にいたが、18号の時の様に1時間くらいベランダの窓を内側から押さえつけておくといった事態にはならなかった。停電も無く、特に被害もなさそうだ。
 祝島はどうだったのだろう? とりあえず朝から停電はしていたようだが、祝島では台風の時は大抵停電するので、これくらいで済めばいい方だ。北台風なので、中郷から西方の海岸の近くの家はだいぶ潮をかぶったかもしれない。中波止の船は大丈夫だろうか?この辺が一番心配だ。

[2004年10月19日]
 台風23号が近づいてきた。山口県への最接近は明日の昼頃ということだが、超大型というだけあって、もう今日の昼過ぎから風がだいぶ吹いてきた。波も明日は瀬戸内海で5mという予報。かなり荒れそうだ。被害がなければいいが・・・。
 「特特上牛肉」のショックで昨日は書き忘れていたのだが(^^;、昨日島を出る直前に鍛冶屋のおじさんのところに「秋祭りの音頭」をプリントして持っていってあげたら、おじさんは節を覚えていて唄うことができた。踊りも覚えていた。足が悪いので腕の動きだけだが見せてくれた。今度、ぜひ録音させてもらおうと思う。ちなみに「秋祭りの音頭」は鳥居山の「くどき」なのだ。

[2004年10月18日]
 昼便で祝島を出て、広島で行うことになったフォトコンテストの1次審査会へ。西広島駅で橋部さんと合流し、藤本さん(審査委員長)のスタジオへ。応募作品をズラ〜ッと並べたところは、なかなか壮観だった。審査にはかなりの時間がかかったが、無事に終了。まだ31日の2次審査で決まる賞もあるので、正式発表はその後ということで。
 で、審査会の後、藤本さんおすすめのお店へ3人でシャブシャブを食べに。メニューにものっていないような「特上」の上にもう一つ「特」の付いた「特特上牛肉」を注文した。食べてみると本当に口の中でとろけるような肉で、それはそれは美味しい肉であった。おそらくこれまでの人生で食べた中で一番上等な肉だろう。あー、満腹。(^u^)

[2004年10月17日]
 またしても台風がこっちを向いている。今日はかなり波があったので、夕方、潮が干って波が少しおさまったら避難させようと思っていたが、思いのほか他の船が早く避難しだしたので、あわててボートを中波止に廻した。途中、北からの波が結構高くて、横波を受けてひっくり返りはしないかとヒヤヒヤであった。中波止に入って、漁船とオカのせまい隙間を苦労して通していたら、サトシくんが乗り込んで手伝ってくれた。ミサキちゃんも一緒に乗って手伝って?くれた。(^^; 傍で見ていた漁師さんから「だいぶ繋ぐのが上手になったじゃあなあか」と冷やかされた。これだけ台風が来ると、さすがに少しは慣れてくる。僕の後から山田のタッちゃんが船を入れてきた。「山から戻ってみたら他の船はおらだった!」と、やはりあせって船を廻したようだ。僕よりもさらに狭いところを苦労して通していたので、少し手伝った。
 フォトコンテストの応募作品数をちゃんと数えてみたら、なんと131枚もあった!見た目の感覚で80枚を少し超えたくらいかなと思っていたのだが、思ったより多く集まっていてたまげた。明日の審査会は時間がかかるかも。うれしい悲鳴だ。

[2004年10月16日]
 室積のスマイルという散髪屋で髪を切ってから夕方の便で島に帰ってきた。スマイルの兄ちゃんはよく祝島に釣りに来て、民宿に泊まってくれるのだ。夕方の便は釣り客で一杯だった。
 夜、うちから少し浜側に下ったところの品川のカヨちゃん(僕が小さい頃ずいぶん世話になった。今は神奈川県に住んでいる。)から携帯に電話がかかってきた。こないだ神舞ビデオ上映会の案内を送ったので、それのお礼だった。しばらく話した後、母親に代わったら、携帯を顔の正面に持ってきて話そうとしていた。テレビ電話じゃあないんじゃけえ・・・(^^;。ずいぶん懐かしかったんだろう、話が延々と続いていた。

[2004年10月15日]
 フォトコンテストの受付最終日。今日だけで20枚以上の応募作品が届いた。応募していただいた皆さん、本当にありがとうございました。m(__)m 10月18日に第1次審査の予定。
 昨晩はかなり冷えた。ちょっと風邪気味。蓬莱館も冬支度。扇風機をなおしてハロゲンヒーターを出した。仕事のため昼便でまた島を出た。

[2004年10月14日]
 昼便で島に帰ってきた。船に乗る前は晴れてよい天気だったが、昼便が上関を出るころから曇って、海も波立ってきた。午後からは西風が吹いて冬のような天気になった。夕方からはだいぶ冷えてきた。昼前にひらぎを歩いていたら河野のオバちゃんが上を見上げているので、何を見ているのかと思ったら、日食を見ていた。祝島付近では太陽はほんの少し欠ける程度なので、まぶしくて見難かったが、それでもなんとなく欠けているのは分かった。
 午後から中学校でパソコン講習会。家庭教育学級という学校の行事なのだ。PTAの皆さん(といっても数は少ないが・・・)も参加して、スキャナの使い方と、ワードでポスターを作ったり年賀状を作ったりした。皆さんなかなか優秀であった。
 フォトコンテストの応募作品がここ数日の間にかなり届いていた。やはり締切り前の駆け込みが多い。(^^;なかなか良い作品が多くて、審査は苦労するかな?
 表紙(フォトギャラリーNo.045)の写真についてある人から聞かれたので、いちおう書いておくと、この写真は長島(上盛山展望台)から祝島を撮影したものです。ここから眺めると、祝島・小祝島・姫島と並んで見えます。右下にチョボチョボある小さい島は叶(カノウ)島です。

[2004年10月13日]
 昨日、編集日記を休んだら、Yくんから文句が来た。(~_~;)1日くらい休んでもいいじゃん!たまには何も書くことが無い日もあるのだ。
 明日は昼便で島に帰って、午後からは学校でパソコン講習だ。どんな講習になるかなあ。こないだ下見に行ったら、学校のパソコンは台風の被害で調子悪そうなので心配だ。

[2004年10月11日]
 今日は晴れ。午前中、ボートでちょっと釣りに出てみたがスラだった。またしても仕掛けがもつれて、ほどくのに10分くらいかかった。午後から、蓬莱館別館(裏の畑の農具倉庫)の屋根のペンキ塗り。蓬莱館の屋根の余りのトタンで作っていたが、台風18号で飛ばされ、普通の波トタンになった。
 夕方、ひらぎに出たら、善徳寺のサトくんが竹馬の練習をしていた。「乗れる?」と聞かれたので、「そのぐらい乗れる」と胸を張って答えたが、竹馬に乗るのはおそらく30年ぶりくらいなので、最初はすぐに落ちた。(^^;「そうか、竹馬を前に傾けないと・・・」と思い出し、2回目はなんとか乗って、何歩か歩いてみせたら、サトくんの目が尊敬の眼差しに変わっていた。僕も善徳寺一家も夕方の便で島を出た。河野のチッちゃん達も一緒だった。
 室積のアパートに帰る前に柳井の「メガネのパリーミキ」に寄って、メガネを修理してもらった。ようやく目の前がスッキリした。(^^)

[2004年10月10日]
 今日は東京オリンピック40周年ということらしい。当時、僕はまだ2歳だったので、「東洋の魔女」も「アベベ」も当然覚えていない。ところで10月10日は「晴れの特異日」ということで、東京オリンピックの開会式の日に選ばれたと聞いたことがある。その後、「体育の日」として長い間親しまれてきた。「晴れの特異日」だけあって、僕の記憶でも確かに「体育の日」は晴れが多かったような気はする。今は、「体育の日」は10月の第二月曜日ということになっているので、雨の日も結構ある。
 今年に限っては、旧「体育の日」の10月10日は雨、新「体育の日」の11日が晴れという所が多いようだ。祝島も今日は小雨が降ったりやんだりの天気。ミニケルくんは蓬莱館の軒先で退屈そうにして、時々意味もなくミャーミャー鳴いていた。

[2004年10月9日]
 古いメガネも1日かけていると慣れてきた。結構適応能力があるものだ。ただ、レンズに細かいキズがだいぶ入っているので、さすがにそれは目障りだ。
 台風の影響で、山口県の各地では桜がポツポツ咲いているらしい。いわゆるボケ桜だ。お宮の下に行ってみたら、祝島でもやはり咲いていた。台風で葉が落とされると、こういう現象が起こるらしい。でも、今年の台風はあまりにも強力だったので、葉が落ちるどころではなく、木そのものが折れたり、根こそぎ倒されたものが結構あるようだ。

[2004年10月8日]
 昼便で帰ってきた。帰って早々にメガネが壊れた。昨日ならすぐに柳井の店に行って直せたのに・・・。しかたなく古いメガネを探し出したが、度があわず気持ちが悪い。(@_@)
 午後から学校に上がった。来週のパソコン教室や月末の文化祭でのフォトコンテスト入賞作品の展示についての打ち合わせがメインではあったのだが、マット先生に友人のLoriからの英文メールの訳をたのんでおいたのだ。Loriは僕達がオレゴン州の駅伝に出た時のチームメイトなのだ。彼女は昨年に続いて、17日の環日本海新潟駅伝にアメリカ代表チームの一員としてやってくる。今年は大会後に時間がとれるようで、もしかしたら祝島にも来るつもりらしいが、日本語はまったくできない。マーティンさんのように日本語ペラペラだと楽なのだが・・・(^^;
 昭和51年度の卒業文集も見せてもらった、すごく懐かしく、大笑いだった。みんななかなか個性的だ。マット先生が僕の文章を読んで、首をかしげていた訳がわかった。僕も首をかしげた。(^^;一番笑えたのは河村のカッツーの文章だ。ユウサアはさすが学級委員という文章で、他の人とはレベルが違った。とりあえず、他の男子より字がうまい。コウゾウはなぜかランボルギーニの絵を描いていた。みんなの文章も面白いのだが、中学校に入学してからの出来事をまとめた年表がまた面白かった。驚いたことにヒロシが音楽会で指揮者をやったと書いてある。まったく記憶に無いのだが、そういう姿を思い浮かべるとなんだか笑える。(^◇^)
 木村先生に昨日の編集日記の内容を聞いてみたら、木村先生も「神舞じゃから帰る」と言って高校を休んだらしい。(^^;やはり神舞のときは学校に行ってる場合ではないのだ。それから、怖い先輩のナガトシというのは山本のモイチーサーの息子さんだそうだ。こないだからモイチーサーがらみの話題が多い。

[2004年10月7日]
 ニッセイのオバちゃん(と言っても僕よりはだいぶ若い)に誘われて、徳山のファミリーレストランを借り切って開催された食事会に行った。今日は岩国で仕事だったので、徳山まで行くのは面倒ではあったが、ニッセイのご招待でタダで美味しい食事が食べられるというので、ついつい誘いに乗ってしまった。(^^; で、そこで祝島の話をしたら、隣にいたオジさんが、「最近の神舞は早くやるんですねぇ、前は9月だったようだが」と言うので、何で知っているのかと聞いてみたら、高校(田布施農業)の同級生に祝島の人がいて、2学期中に「神舞じゃから帰る」と言って、休暇を取って?島に帰っていたらしいのだ。その同級生は脇田と松本だと言っていた。脇田さんは誰だかよくわからないが、松本さんは松本のヒサボーだった。で、2年先輩にはうちのすぐ前の守田のヨータローさんがいて、もう一人ナガトシという名前の怖い先輩がいたらしい。オジさんが「松本の下宿にはよく遊びに行った」と言うので、「田布施の福田さんのところですよね、そこには僕も下宿してたんですよ」と話すとビックリしていた。こっちもビックリだ。やはり世間は狭い!
 台風22号が大きく成長してしまった・・・。皆さん、ご注意を!

[2004年10月6日]
 台風22号の進路予想がまたしても祝島の方向を向いてしまった。東のほうに逸れると思ったんだけどなぁ。まいったなぁ・・・。(ーー;) 金曜日には島に帰って台風に備えねば。今週は薬師のタッチャンとイーチャンが帰ってくるようだ。

[2004年10月5日]
 午前中、下松の歯医者へ。治療中「痛かったら言ってくださいね。」と言われても、こっちは口を開けたまんまなので「アー」としか言えない。結構情け無いので、少々の痛みは我慢してしまう。(~_~;) ブザーのスイッチでも持たしてくれて、痛かったらスイッチを押すようにしてくれると意思表示しやすいんだけど・・・。
 僕は昔から虫歯が多くて、子供の頃から歯医者にずーっと通っている。自慢じゃないが、治療していない歯はほとんどない。小さい頃はヒラギの橋本のパン屋の下の家に歯医者が来ていて、そこに通っていた。小学校の頃は夏休みになると室津か上関の歯医者に、中学校の頃は柳井の歯医者に行っていた。川崎でも小田原でもなじみの歯医者さんがあった。しかし、いまだにあのドリル?のキィーンという音は苦手だ。麻酔の注射は昔に比べると、ずいぶん痛くなくなった。
 そういえば、室津とか上関の歯医者に行っていた頃は、朝早く起きて1時間「ことしお」に揺られて、ようやく着いたら、治療は5分か10分で終わっていた。その後、昼便で帰っていたのだろうか?それとも晩便まであの辺で1日中ウロついていたのだろうか?何をしていたのか思い出せない。(-_-;)

[2004年10月4日]
 台風22号発生!!\(◎o◎)/ 今年は台風にはもう飽き飽きしたところだが、自然現象なのでしかたない。じつは前の21号がまだ沖縄辺りにいるときに、天気図の一番下にかすかに低気圧がのぞいていて、いや〜な気はしていたのだが、それが熱帯低気圧になったと思ったら、あっという間に台風にまで成長してしまった。日本付近は数日前から本格的な秋がやってきて気温もだいぶ下がってきたが、海水温は気温とは2ヶ月くらいのズレがあるので、まだまだ高い状態なのだろう。台風22号は今はまだ小さいが油断はできない。
 かつて祝島でも甚大な被害が出たことで有名なルース台風も10月になってから来襲した台風だ。調べてみたら、昭和26年10月14日〜15日にかけて日本列島を縦断したとのことだ。

[2004年10月3日]
 車のキズの錆びを落としタッチペンで塗ってみた。イマイチ見栄えが良くないがしかたない。午後から平生のジョイフルで仕事の打ち合わせ。8月・9月は神舞やら台風やらで仕事量が少なかったので、10月はがんばって仕事せねば!!

[2004年10月2日]
 イチローが大リーグ年間最多安打記録を塗り替えた、記念すべき日だった。しかし、それ以外、あまり良いこともなかった。ワゴンRに台風で潮がベットリ付いているようなので洗車しようと思ったら、後部に大きなキズを発見。昨日は気付かなかったのだが、台風の時に何かが飛んできてぶつかったのだろうか? ちっとショック。(-_-;)

[2004年10月1日]
 今日から10月。今年もあと3ヶ月だ。早いなぁ。 田尾のおばさんが亡くなったらしく、ユキネエたちが帰ってきて家の片付けをしていた。田尾のおばさんはとても優しかったのを記憶している。ご冥福をお祈りしたい。午前中は曽田のケンボーが屋根を直しに来てくれたので、その手伝い。仕事のため夕方の船便で島を出た。

[2004年9月30日]
 午後の潮が干った時間を待って、ボートを中波止から東波止へ戻した。ついでなので、途中でヨボシ沖に寄って釣りをしてみたら、アジが5匹釣れた。しかし、途中で仕掛けがもつれて、なかなかほどけず必死になっていたら、船に酔いそうになったので、あきらめて帰った。もつれた糸をほどくのは大の苦手なのだ。ずっと前にパラグライダーの体験講習を受けたときも、着地した後にヒモがもつれて、ほどくのにひと苦労した経験がある。東波止にボートを着けてから30分くらいたつって、ようやくほどけた。(^^;
 「祝島の民謡」に「酒場のもとすり唄」と「秋祭りの音頭」を追加した。これまたどんな節回しか分からないので、歌える人はぜひ歌声を録音させてください。

[2004年9月29日]
 朝便で帰るため、4時に起きて5時過ぎに室津に着いた。が、桟橋に「いわい」の姿は無く、すでに漁船のロープが張られていた。欠航かと思ったが、しばらくすると上関航運の長谷川さんがやって来て「波止の方から出す」とのこと。他に乗る人はいないだろうと思って「無理して出さなくていいですよ」と言ったら、「他にも常連が何人かいる」とのこと。室津漁協の駐車場は土地が低くて、大潮+台風で海水が上がってくるおそれがあるので、とりあえず車を上関まで置きに行き、走って室津に戻っていたら、上関大橋の手前で長谷川さんが迎えに来てくれたので助かった。10分で室津まで戻らなくてはいけなかったので、息が切れるところだった。船に乗ると、確かに知った顔が何人か乗っていた。みんな室津でどこに隠れていたのだろう。波はまだそれほどでもなかった。
 台風は祝島より東側を通ったので、北西の風で、先日の台風に比べたらあまり強くなかったが、雨はかなり降った。祝島では雨での被害はあまり出ないが、学校は窓がない状態だったので、ずいぶん降り込んだに違いない。夕方、台風が通り過ぎた後に外に出てみると、東の方角にきれいな虹が出ていた。長かった今年の台風シーズンの終焉を告げているように見えたが、果たしてどうだろうか?
 「ライブラリー」に祝島の民謡「いわし網の唄」と「えびこぎ唄」を掲載した。が、節がわからない。唄える人がいたら、ぜひ紹介して欲しい。

[2004年9月28日]
 台風21号が意外と早くやって来るとの予報で、あせっている。明日の朝便は出るだろうか?昼便はたぶん無理だろう。ただ、朝便は室津からでないと乗れない。これまた困ったことに、室津漁協の駐車場は低くて、大潮の満潮と台風が重なると海面下に沈みそうなので、車は置きたくない。上関に車を置いてから歩いて大橋を渡って室津に戻るしかなさそうだ。(-_-;)

[2004年9月27日]
 東京での「神舞ビデオ上映会」(10月23日)は、現在予約が半分くらいだそうです。上映会の時は橋部さんの特別講演?もある予定なので、東京近辺にいる人は、ぜひ友人や知人を誘ってご来場ください。当日は「祝島人東京集会」になるかも知れません。(^^;

[2004年9月26日]
 夕方の便で島を出るため、ちょっと早いかなと思ったが、ボートを中波止の蛭子の前に避難させておいた。潮が干っていれば、なんとか一人で一番奥までバックでボートを入れることができるようになった。でも、潮が満ちていたら、途中のロープを水面から思いっきり持ち上げながらくぐらせないといけないので、まだ一人では無理だろう。ということで、避難させるのも東波止に戻すのも、今のところ潮が干っているときを狙ってやっている。台風21号は沖縄近海でしばらく停滞するようだ。その後どういう動きをするか気にかかる。

[2004年9月25日]
 フォトコンテストの応募作品がだいぶ集まってきているので、ひと通り見てみました。なかなかいい作品があります。締切りまであと20日、もっともっとたくさんの応募が欲しいところです。入賞作品は来年のカレンダーに使わせてもらおうと思っています。作品の応募者全員に参加賞としてこの来年のカレンダーをプレゼントする予定です。ネガとデジカメ写真の六つ切りサイズへのプリントはたぶん500円くらいだと思うので、皆さんぜひチャレンジしてください。
 今日は台風18号になぎ倒された畑の垣根を家族で作り直した。もう次の台風が沖縄付近に来ているので、明日はボートを避難させておこう。まだ応急処置しかしていない家が多いので、この状況で台風に来られたらたまったものではない。学校はまだ窓がついていないのに、どうするんだろう。台風21号が近くを通らないように願うばかりだ・・・。

[2004年9月24日]
 午前中は中学校の「運動を楽しむ会」に参加。最近運動不足のためか、最初の準備体操で早くも肩がだるくなった。(^^;中学生二人はやっぱり元気だ。競技に準備に休みなく動いていた。松村杯はぜひ獲りたかったが、残念ながら3位タイ。最後のショットは大逆転のチャンスだったが、惜しくも外れた。

[2004年9月23日]
 昼便で祝島に帰ってきた。今日は一日中雨が降ったりやんだり、土砂降りだったり。雨の合間を縫いながら木村家は夫婦で屋根の修理をしていた。本当にご苦労さんだ。
 僕は今日持って帰ったジェルジェットプリンタをセットアップして、早速試してみた。音と振動はちょっと派手だが(^^;、すごい速い! しかも両面印刷も楽々だ。祝島ネット21の会報10号(全14ページ)を1部印刷してみたら、3分ちょうどで出来た。50部印刷するのに2時間半で済む計算だ。今まではプリンタ2台で半日苦労して両面印刷していたので、それに比べれば嬉しくなるくらい楽になりそうだ。\(^o^)/。ただし、写真印刷はインクジェットの方が綺麗。何にでも一長一短あるものだ。
 そういえば、今日は携帯電話を室積に忘れて帰った。アパートを出る前に、着替えをする間、ちょっとだけでも充電して帰ろうと思ったのが間違いで、そのまま置き忘れてしまった・・・。その間ほんの数分。だいぶ頭がボケてきているのかもしれない。(~_~;) ということで、今日から数日は携帯に電話してくれても、誰もいないアパートで虚しく鳴るだけなので、用がある人はメールか祝島の固定電話にお願いします。

[2004年9月22日]
 今日はだいぶ涼しかった。夜は長袖でないと少し寒いくらいだ。新聞広告に「月刊 松下村塾」創刊のチラシが入っていた。なかなか面白そうである。「幕末を駆け抜けた吉田松陰と志士たちの熱き思い。ビジュアルで魅せるファン待望の全12巻!」という触れ込みだ。定期購読申込書付きであったが、とりあえず創刊号は本屋で読んでみよう。10月27日創刊だ。ほぼ同じ時期に祝島ネット21の会報第11号も発行予定だ。徐々にページ数と発行部数が増えてきて印刷がかなり大変になってきたので、新兵器ジェルジェットプリンタを購入。レーザープリンタ並みの高速印刷で、両面自動印刷にも対応している。「爆笑問題」がテレビでCMをやっている。明日、祝島に持って帰って、早速ためしてみようと思う。
 マット先生から「運動を楽しむ会」のお知らせが届いた。台風被害で中止になった運動会の代わりで24日に開催。「松村賞争奪!祝島スナックゴルフ選手権」という競技が一番最後にあり、これは僕も参加予定。松村賞めざしてがんばろう!(^O^)/

[2004年9月21日]
 カヤッカーの原さんから、某出版社から出版予定の本の中で、「全国のシーカヤックフィールドの紹介で祝島周辺が取り上げられることになった」との連絡が入る。現在情報収集中とのことで、いろいろと質問が来たのだが、結構むつかしい質問で、木村先生に助けを求めた。(^^; 出版されれば全国のシーカヤッカーからも注目を集めることになるかもしれない。
 仕事先で「台風21号が発生したねぇ」と言われ、びびる。この状態で台風が来たら、たまったものではない。頼むから来ないでくれ〜!

[2004年9月19日]
 朝から防府の大道小学校で運動会の写真係。甥(2人)の姿を探してウロウロ。似たような子供ばっかりで、なかなか大変だった。
 夕方、ヒロシとマーチンさんから電話がかかった。ヒロシは明日の朝便で大阪に帰るらしい。マーチンさんは火曜日に祝島に来るようだ。

[2004年9月18日]
 昨日の飲みすぎで二日酔い。朝起きたら、田尾のチョーちゃんたちが帰ってきて家の復旧作業をやっていて、ヒロシもそれを手伝っていた。僕はカズトの家のアンテナを直し、昨日帰省したヒトミちゃんと一緒に学校に上がって、体育館で祝中・野球部の練習の横でハンドボールでキャッチボールをした。ヒトミちゃんは高校のハンドボール部に入っているのだ。奈良県の大会ではベスト4くらいに入る強豪チームらしい。体育館は床がネトネトしていた、台風のときに割れた窓から潮水がだいぶ吹き込んだのではないだろうか。
 午後からは木村先生の家の復旧の手伝い。グラインダーで瓦を切ったりしたのだが、初めての経験で貴重な体験になった。ヒロシは瓦を切るのがなかなか上手だった。明日は防府に行くため、夕方の便で島を出た。東の風が強く、かなり波があって、「いわい」が大きく揺れた。

[2004年9月17日]
 昼便で島に帰った。ヒロシも一緒。ヤッコちゃんとヒトミちゃんも帰ってきた。早速ヒロシと学校に上がって校舎の裏側あたりの片付けをした。午後からは校舎の二階の山側の窓の拭き掃除。泥やら枯葉などが窓にこびりついていた。窓の内側にも潮がベットリ付いていた。壊された海側の窓から吹き込んできたのだろう。中学生時代に掃除をサボっていた分を、今日で取り返したかな?(^^;
 僕達の卒業記念の「未来の祝島」の大きな絵が台風で吹き飛ばされていた。同級生のみんなに「どうする?」とメールを出したが、みんなどんな絵だったかほとんど忘れているようだ(^^;。まだ廃棄はされていなかったので見せてもらったら、枠は外れていたが、絵そのものはそれほど損傷していなかった。絵には明るい未来像が描かれている。その絵によると、将来は祝島にジェット機が就航することになっているのだが、機体には「KOTOSHIO」と書かれていた。やはり「ことしお」が好きなのだ。
 夜は蓬莱館でみんなで飲んだ。かなり盛り上がったので僕はだいぶ飲みすぎた。蓬莱館の冷蔵庫の飲み物が底を付いた。

[2004年9月16日]
 先日の台風18号で車のアンテナが折れたので、今日修理に行った。修理工場で待っている間、事務員さんがアイスコーヒーを出してくれたのだが、その時に「この前ニュースに出ていましたよね」と言われ、ビックリした。話を聞いたら、その事務員さんの旦那さんのお祖父さんが祝島の山本モイチーさあだとのこと。旦那のお母さん(つまりモイチーさあの娘さん)は、祝島のニュースなどがあると火になって見ているらしい(^^;。

[2004年9月15日]
 入船の数日前に櫂伝馬の練習中に太鼓の角で打った左手ひとさし指が、曲げた時に未だに痛みがあるので、今日は病院に行って、いちおうレントゲンを撮ってもらった。それに僕の入っている保険は、たしか骨折すると(ひびでもOK)5万円くらいもらえるのだ。不安半分、期待半分で病院に行ったが、結果は「骨には異常なし」。ホッとした反面、ちょっと残念?(^^; じつは7年くらい前に鎖骨骨折して、一度この保険で5万円もらっているのだが、その時はブチ痛くて、「こりゃ5万円じゃ割に合わんなぁ」と思っていたが、今回は曲げさえしなければ痛くないので、これでもらえればラッキー!という感じであったのだが、世の中そんなに甘くはない。
 「広報かみのせき」の9月号の表紙は櫂伝馬の写真がカラーで載っていて、なかなかいい写真だ。よく見ると被写体が笑える。太鼓の僕を含めて、イサオ、ヒロシ、ユウサーの順に同級生が見事に4人並んでいる。おまけにユウサーの後ろはうちの兄貴だ。入船の時は岸壁側とは逆になって、目立たない筈であったが、一番目立つことになった。(^^; 記念に広報を5人分余分にもらった。

[2004年9月14日]
 家の方の応急対策が一段落したので、今日は学校の手伝いをした。トタンを剥がされた温室の屋根の釘を抜いていると、教室からピアノの音が聞こえてきて、なんとも懐かしく、ちょっと感動的であった。午後からは運動場のガラス拾いを先生や生徒と一緒に2時間近くやった。ガラスは細かい破片になって散らばっているので、全部回収するのはなかなか大変そうだ。目視で見つけるのはかなり困難。太陽の方向を向いて、グラウンドを見ながらゆっくり移動すると、時々キラッと光るので、その光を頼りに探したほうが良さそうだ。ガラスの破片を1つ見つけると、その近くに何個か散らばっていることが多かった。運動場の中央部分はだいぶ回収できていそうだが、山側と海側の草の生えた部分にはまだガラスが残っているような気がする。体育館前や小学校側はまだ手付かずのようなので、島に帰った人はぜひ手伝ってあげて欲しい。

[2004年9月13日]
 台風の影響?で風邪を引いて声が変だ。熱とかは無くて、ノドがおかしいだけなので、それほど辛くはない。
 本日は近所のアンテナの付け替え・調整作業を2軒やった。うちの山小屋の様子が気になるので午後4時前から山に上がってみた。朝方の雨と午後からの暑さで山の中は歩いているだけでメガネが曇るほど蒸し蒸し状態だった。舗装している道を外れると、木が折れていたり、ツルが延びていたりで、登るのにかなり苦労した。ヤブ蚊にもぐれ付かれながら倒れた木の枝を切ったり、倒木の下をくぐろうとして顔中蜘蛛の巣がからまったりして大変だった。山小屋はたいした被害も無く無事だった。どうやらうちの山は台風の風の影になっていたようだ。すぐ上が行者様なので、ついでに様子を見に行こうと思ったが、道にかなり倒れた木が覆いかぶさっていて、たどり着くまでに時間がかかりそうで、暗くなるとまずいので、今日のところは見ずに帰ってきた。

[2004年9月12日]
 今日は朝から復旧作業。家の外壁のトタンを打ったり、木村家の屋根の修理の手伝いをしたり。木村家には広島から祝島ファンのミッチ&哲ぼんさんも手伝いに来ていた。復旧作業であちこちの屋根の上や道端で賑わっている。まるで神舞の準備の続きのようだ。(^^; どこかのオジサンが「どこもワヤワヘイじゃのー」と言っていた。意味は分かるんじゃけど、よく考えてみたら「ワヘイ」は何じゃろうか?「和平」と書くんじゃろうか?
 午後からは、ボートを中波止から東の波止に戻し、ロープの張り直しをした。波止を登ったり下りたりしていたら、波止の石でヒザを打ちにやして、しばらく波止の上でうずくまる。ブチ痛かった・・・(*_*; 夕方、蓬莱館のサッシを洗っていたら同級生のクロイソがやって来て「ひらぎのサルは無事じゃったんじゃのう」と言うので、ひらぎの角を見てみたら、たしかに立っていた。不思議なサルだ。ひらぎは今、蓬莱館の上と橋本の角の街灯がつかなくなっていて、夜になると怖いくらいに真っ暗闇だ。蓬莱館の階段のところにソーラーライトを設置した。意外なところで役に立った。
 夜、クロイソと蓬莱館で飲んでいたら、ヒロシから電話がかかった。来週は3連休になるので、テゴに帰ってくるらしい。「家の方はたいした被害がなかったけえ、学校の片付けのテゴをせちゃろう」と話していた。エライ!!

[2004年9月11日]
 柳井の仕事が午前中で終わり、ナフコに寄って家の修理用の部材などを探しに行ったら、偶然、熊毛南時代の同級生のカネフクくんに会った。彼は高校時代とあまり変わっていなかった。というか、だいたい男は当時とたいして変わっていないようだ。3年位前に平生にUターンして、毎日広島まで通勤しているらしい。
 室積でマット先生と待ち合わせして、台風直後のデジカメ写真のコピーをさせてもらう。再び柳井に出て、広島から帰ってきた兄貴と合流して、夕方の便で祝島に帰ってきた。台風の後片付けをするため、帰れる人は結構島に帰ってきているようだ。同級生では河村が家の修理に帰ってきている。明日にはベイビーも帰ってくるようだ。今は島の人口が少し増えている。

[2004年9月10日]
 朝便で祝島に帰ってきた。マット先生とも船で一緒になり、台風以降貴重な情報を入れてくれたお礼を伝えた。マット先生のおかげで祝島の外にいる人がどれだけ助かったことか。もしお祖父さんにお会いする機会があれば、「お孫さんのおかげで祝島の人はずいぶん助かりました。」と擁護しておこう。
 家に着くと壁のトタンが広範囲に渡って剥がれていて「ありゃー」と思うと同時に、「トタンを打つ前はこういう板じゃったんかぁ」と昔を思い出した。それから頼まれていた同級生の家を見に行く。どこもある程度被害を受けていた。特に学校の上の河村のところは大変だった。デジカメを持って島内を歩き回る。タミちゃんに「遊んでおらんと、手伝え〜!」と怒られる。(^^; 昼前に学校を見上げると給食室の屋根の応急処置をしていたので、上がって、シートで覆うのを手伝う。1時半くらいに家に帰って遅い昼食を食べ、家と蓬莱館のアンテナを直す。ボートも見に行ったが、後部甲板のフタが外れていただけで、あまり被害はなさそうだ。明日は柳井で仕事があるので、夕方の便でまた島を出た。室積に着いてから、写真のアップ作業。1日にこんなにたくさんの写真をアップしたのは、おそらく祝島ホームページ始まって以来だ。

[2004年9月9日]
 「明日の朝、祝島に帰る予定」と言ったら、今日は同級生などから「うちの家を見てきてくれ」と、電話が何本もかかってきた。おまけに、朝日新聞からも、「明日の紙面に神舞など祝島の記事を載せるのだが、橋部さんはじめ島の方に電話がつながらない」からと質問の電話までかかってきて、電話対応が忙しい夜だった。
 とりあえず、明日の朝便に乗りたいので、明日は4時半起きだ。今日は早く寝ようと思っていたが、仕事の報告書など書いていたら、結局12時を回ってしまった。

[2004年9月8日]
 台風から丸一日たっても電気は復旧せず、室積でも停電が二日目の夜を迎えた。今日は仕事で柳井に行ったが、柳井は割合電気がついているところが多いようだ。室積のアパートでは風呂も焚けないので、柳井の親類の家まで行って風呂に入れてもらった。
 祝島から情報が入るたびに、被害の大きさが拡大している。夕方家に電話したら、うちも大変だけど、善徳寺はもっと大変なので今日は午後から善徳寺の片付けを手伝っていたようだ。「ハッピーアイランド号は?」と聞いたら「そがいなものは見に行っちょる暇がなあ。誰も何も言うてこんけえ沈んじゃおらんじゃろう」と言われた。(^^; 細かいところまではわからないが、噂では、とりあえず浮かんでいるようだ。
 今日買ってきたロウソクの灯りの中で、この日記を書いていたら、夜中の12時を回ったところで電気がついた。室積はちょうど1日半の停電だった。ヤレヤレだ。しかし、テレビのアンテナが飛んだか折れているようで、テレビはまったく映らない・・・。

[2004年9月7日]
 台風18号は強烈だった。祝島では瓦が飛ぶなどの被害がだいぶ出ているようだ。被害状況が気にかかるが、電話も通じない。僕は室積にいるのだが、12時から14時くらいの風はものすごかった。アパートには雨戸が付いていないので、ベランダのサッシがひわって割れそうだった。1時間くらい内側からずっとサッシを押さえていた。停電も12時からずっと、夜になってもまだ復旧していない。祝島では停電はよくあるが、本土でもこれだけ長時間停電が続くということは、相当の被害が出ているのだろう。ラジオでの情報では山口県内では全体の半分にあたる54万世帯で停電したらしい。光市では停電で浄水場も機能しなくなっているらしく、「夜7時からは断水します」と広報車がたけって走っていた。

[2004年9月6日]
 昼便に載せる荷物を持って波止に出るとYABの取材陣が来ていたので、写真を撮らせてもらったら、案内人を頼まれた。最初に行きたいという「万葉の碑」まで連れて行ってあげたら、万葉の歌を朗読させされた・・・。緊張した。(^^;(トピックスの3枚目の写真はこのときの写真) 僕は昼便に乗るため時間がなかったので、案内はここまで。このあと出演者の高木さん、わたなべさんがどこを取材して歩いたかは分からないので、放送を見てのお楽しみだ。ただ、自分の出るところは恥ずかしくてあまり観たくない。かといって、そこがカットされていたらショックでもあるが・・・。

[2004年9月5日]
 台風18号のコースが悪い。松村のおじさん(マット先生ではない)の話だと、下関あたりを通る場合が祝島は一番風が強くて長く吹くそうだ。今回はそのコースを通るかもしれない。しかも相当強い台風だ。できるだけ対策をして、被害が少ないことを祈るしかない。ボートは今朝早くに中波止に避難させておいた。今回も台風の時に僕は島にいない予定。水曜日の夜はお楽しみのPスポ(PTAスポーツ交流会)があるのだが、今回はたぶん帰ってこられないだろう。(もしかするとPスポも台風で中止になるかもしれないが・・・)
 エベスのミサキちゃんは昨日まで自転車にコロをつけて乗っていたらしいが、今日の夕方にはコロ無しで平気で乗っていた。子供の成長力はすごい! そういえば島ネコのミニケルくんも、ここ数日母親と離れて単独行動することが多くなった。

[2004年9月4日]
 今度は台風18号がやって来そうだ。これだけ台風が続くと、本当にイヤになってくる。
 祝島の昔の屋号について、祝島ネット21の歴史研究グループが調べているので、何か情報があったらメールしてください。「この屋号はあそこの家じゃあ」とか、どんな小さいことでも結構です。待ってます!

[2004年9月3日]
 昼間、自転車で三浦の方へ行ってみた。トピックスにも書いたが、三浦の方は台風16号の被害がだいぶあったようだ。稲が吹き倒されたようだが、今日の時点ではもう刈り取りがだいぶ済んでいた。倒れた稲を刈り取るのは大変だったろう。
 親父の話だと、行者様に行く道の途中では、まだ熟れていないウベの実がだいぶボロけていたようだ。このあたりは竹林のシンちゃんが毎年ウベを獲りに来ているところなので、今年は収穫が少なくてかわいそうだ。アケブは実が軽いせいか、ツルが強いのか、あまり落ちていないようである。アケブはあと半月くらいで実が熟れるだろう。

[2004年9月2日]
 同級生のエベスが神舞のときに撮影したビデオをCD-ROMにして送ってくれた。無編集なので、ダラダラと長いのだが、周りの人のしゃべり声などが入っていて、妙な臨場感がある。入船のときの映像で、波止から櫂伝馬に向かって(顔は映っていないが、たぶん櫂伝馬に向かって)「クニヒロ〜!」と叫んでいるヤツがいたが、あれは誰だったのだろうか?「ヒデベー!」と呼び捨てにするヤツは一杯いるが、「クニヒロ〜!」と呼び捨てにするヤツはあまり心当たりがない。今年は兄貴も櫂伝馬を漕いだので、もしかしたら兄貴の同級生なのかも知れない。
 「いわい」の出港の映像も入っていた。入船の次の日あたりか。たくさんの乗客が波止に並んでいた。演歌が流れている。ここ一番という気合が入ったときには、なぜか祝島航路の船は演歌を流す。これは「ことしお」の頃からの伝統だが、しっかりと「いわい」にも引き継がれている。なぜ演歌なのか理由は良く分からないが・・・。(^^;

[2004年9月1日]
 上関で仕事して、夕方の便で祝島に帰ってきた。夜は橋部さんのところで神舞の収支報告書を作る手伝いをした。帰り道はだいぶ肌寒かった。季節は一歩ずつ確実に秋に移っている。

[2004年8月31日]
 仕事で新南陽へ。帰りに櫛ヶ浜を通ったので、カヌーで祝島に何度か来てくれた原さんのお店「ダイドック」はこの辺りじゃろうか?とキョロキョロしながら車を運転していたが、見つからなかった。下松のヤマダ電機にも寄って、貯まっていたポイントで民宿くにひろ用の炊飯器を買った。「大沸騰IHでごはんの持ち味を限りなく引き出す」らしい。これで民宿の御飯が今までよりグレードアップする? 大沸騰IHにプラスして「超音波炊きで甘み3倍」という上位機種もあったが、これは値段がかなり高くてあきらめた。(^^; 明日から9月。食欲の秋がやってくる。

[2004年8月30日]
 台風16号が通過。今回はまともに来た。祝島はどうだったのだろうか? 僕は室積にいたが、こちらもかなり吹いていた。夕方祝島に電話したら、停電になっているらしかった。実家の電話機は昔のタイプなので、停電でも電話ができるのだ。古い物もたまには役に立つ。

[2004年8月29日]
 ゆっくりゆっくりと近づいてきた台風16号がいよいよ明日はやって来そうだ。今回も予想進路のど真ん中に祝島がある。(^^; 後ろからは18号もやってきている。今年は本当に台風が多いなぁ・・・。
 アテネオリンピックももうすぐ閉幕。バレーボールの決勝戦は男女ともすばらしい試合だった。日本は準々決勝で中国に敗れたが、この大会での試合の中では一番いいプレーをしていたと思う。予選で大友選手が故障であまり出られなかったのが残念だった。

[2004年8月28日]
 台風が通り過ぎるまで島にいる予定だったが、急な仕事が入って夕方の便で島を出ることになった。島に帰るのは台風の後になるだろうから、蓬莱館には台風に備えて戸板をたてておいた。
 本当は今日か明日には「祝島から八島までカヌーで渡ろう!」という計画があったのだが、台風のため中止。思うに、某M先生こそが「台風男」ではなかろうか? 前の台風は風女さんのせいにしていたが、たしかM先生の参加企画はこれで3回連続で台風に遭っている。3回とも参加する予定になっていたのはおそらくM先生ただ一人だ。

[2004年8月27日]
 昼便で祝島に帰ってきた。まだ波は高くなかったが、アビキがあるようでヨボシの方ではしぶきが上がっていた。岩国のクニヒロさんというのは、どうやら田尾さんの間違いのようだ。岩国の有名な家具屋さんに嫁いでいるらしい。
 エベスの前の道では、エベスの子供達が小さい剣櫂を持って、ホーランエーを踊っていた。今から練習すれば次の神舞には間に合うかな?(^^)
 今日は祝島でパソコン2台、Windowsアップデートした。1台はだいぶ溜まっていたので、3時間以上かかった。ADSLならたぶん数分から数十分で終わるだろうに・・・。アップデートの間に映画を1本見た。エベスのおじさんに盆前から借りていた「ラスト・サムライ」のDVD。なかなか面白かった。

[2004年8月26日]
 最近、仕事先の人から「焼けたねぇ」とか「わっ、また黒くなった」とかよく言われる。確かに黒い。(^^; 今日は仕事で岩国へ行った。そこの社長さんからも「祭りで日焼けしたんですか?」と言われた。入船・出船でも焼けたが、その前の準備でもかなり焼けた。僕はもともと色白?なので、冬と夏で肌の色がかなり違う。そういえば、先日うちの母親はマーチンさんに向かって「あんたぁひとつも黒ぉならんねぇ」と言ったらしい・・・。(^^;
 話は戻って、その岩国の社長さんの知り合いのお店(岩国では有名らしい)の奥さんが祝島の人らしい。しかも旧姓クニヒロさんとのことだ。どこのクニヒロさんだろう。世間は狭いものだ。

[2004年8月25日]
 神舞に帰ってきたハナダさんから、広島で発行されている「がんぼ」という雑誌に祝島の記事が載っていると教えられ、先日、広島に住む兄に頼んで送ってもらったのだが、今日久しぶりに柳井の明屋書店に行ったら、そこでも売っていた。(^^;
 室積のアパートのルータを高速のものに替えてみた。速度が7Mbpsから12Mbpsに上がった。祝島のISDNに比べると、今までの7Mbpsでも十分速いので、5Mbpsアップしても普通のホームページの表示速度は体感ではあまり変わらないような気がする。でも、元は45Mbpsなので、時間があったら、もうちょっとたつってみようと思う。大畠の人から「ADSLが開通して快適になった」というメールをもらった。そういえば上関もたしか8月10日にADSLが開通したはずだが、まだ誰からも快適になったという話を聞かない。申し込んでいる人が少ないのだろうか? 祝島はまだまだ先の話・・・。

[2004年8月24日]
 午前中、下松の歯医者に行った。じつは入船の前日に歯の詰めものが外れていたのだ。この10日間、歯に穴が空いた状態でちょっと気持ち悪かった。(^^; この歯医者には祝島で一学年上だったヒデコがいる。歯の治療が終わった後で、少し神舞の話をした。ヒデコは出船の時に島に帰っていたので、僕のデジカメを渡して出船神事の写真を撮ってもらったのだ(僕は櫂伝馬に乗っていたため撮れなかったので)。デジカメは初めてだったらしいが、それなりに撮れていた。神舞ドキュメントの出船の日の後半はヒデコが撮った写真だ。
 それで、出船の前の神舞小屋での話を聞いた。伊美から来られた宮司さんが、最後に挨拶で「私もだいぶ歳をとって、あと何回来られるかわかりません。祝島でも高齢化が進む中、大変だったでしょうが、これだけ立派な準備をされて・・・」と言葉に詰まっていたそうです。島の人たちも涙ぐんで聞いていたそうです。その後の出船神事、波止場から見送る島の人々、御座船から手を振る伊美の人たち、共に過ごした5日間の想い出、お互いの苦労をねぎらい感謝する気持ち、感動的な別れのシーンだったようです。「入船も華やかでいいけど、出船の方がずっと感動的じゃねぇ」とヒデコは話していた。神舞が千年以上も続いているのは、こういうことが理由かもしれない。

[2004年8月23日]
 台風16号と17号が南の海上でこちらをうかがっている。特に16号は猛烈に発達していて、これがまともに来なければいいが、と心配だ。祝島の漁師さんたちは早々と台風に備えて船をつないでいる。僕もお昼前にサトシくんに手伝ってもらって、ボートをエベス前の波止場に避難させた。じつは台風が来るのは土曜日くらいになりそうなので、今日の夕方の便で出るのに、今から入れるのは早すぎて気が引けるなぁと思っていて、今日避難させようか金曜日に帰ってからにしようかと迷っていたが、波止場に行ったら、「あんたぁ、まだ船を廻さんので?」と言われ、たまげた。漁師さんたちは、これから台風が通り過ぎるまではずっと天気も悪そうだし、神舞が終わったので、ちょっと休もう、ということかも知れない。
 午後3時半くらいから突然雨になり、4時過ぎにはものすごい土砂降りになった。窓の外が緑色に見えた。雷も近くでピカピカ光っていて、大変な状況だった。ひらぎの道も水深10cmくらいの川になっていた。海岸の道を歩く時は、雷に撃たれないように、できるだけオカベやハマヤの壁伝いに歩いた。夕方の「いわい」に乗るまでには下半身びしょ濡れになった。「いわい」もあまりにも雷が鳴るので、出航を少し遅らせたほどだ。こんなことは珍しい。

[2004年8月22日]
 今日は久しぶりにのんびり。島はすっかり静かになった。虫の音も聞かれ出し、少し秋の気配がしてきた。2〜3日前から唇にデキモノが現れた。僕の唇には季節の変わり目などで体に変化があるときにデキモノが現れるのだ。現れる場所は、なぜか下唇の左側と決まっている。だいたい春と秋の始めに出来ることが多い。今回は疲労もあったかもしれないが、季節の変わり目を察知するセンサーでもある。
 祝島で神舞の出船神事が行われた日、神社本庁が四代正八幡宮の山林を中電に売却することを承認した。つい先日、関電・美浜原発で死亡事故が起こったばかりのこの時期に、いったい何を考えているのだろう。神社地の土地問題で上関原発計画がまったく進まなかった間、町長も変わり、原発推進派と反対派の和解も少しずつ見え始めていただけに、まったくいらんことをしてくれたという気持ちが強い。これでまた町内はもめだすだろう。逆にこれが売却を認めないという決定であれば、原発問題は一気に解決に向かい、いやでも町民一体となって町の再建を進めるきっかけとなったのにと思う。

[2004年8月21日]
 午前中は小屋解き作業。午後から一昨日の台風で少しダメージを受けたマイボートを動かしてみた。エンジンは無事だった。せっかくなので、神舞のビデオ制作に東京から来られている西田さんと小松崎さんを乗せて島を一周した。久しぶりにハッピーアイランド号が役に立った。
 小松崎さんは仕事の関係でNHKの有働由美子キャスターとお知り合いらしい。有働さんファンのマーティンさんが妙に喜んでいた。僕はどちらかというと青山裕子キャスターの方が好みだ。(^^; 小松崎さんは祝島ネット21の会員にもなってくれた。何かの縁で有働キャスターが祝島に来てくれまいか?
 それはさておいて、この夏は蓬莱館が大活躍だった。いったい何人の人が訪ねてきてくれただろうか。飲み会以外にも取材陣の休憩場所や簡易宿泊場所などにも利用された。「おいてあるものは自由に食べても飲んでもいいけど、その代わりに何かを補給しておく」という蓬莱館ルールも結構浸透してきた。神戸商船大の有田くんと久田くんは知らない間に掃除までしてくれていた。なかなか律儀だ。

[2004年8月20日]
 今日は台風一過で良い天気だった。心配された吹き戻しもなくて、海は凪だった。出船神事も無事に終了し、神舞が終わった。祭りの終わりはやはり一抹の淋しさがある。また4年後に開催できればいいなぁ、と心から思う。
 櫂伝馬は神様船を見送った後で、ヨボシに向かって「ヨイサ」で競争した。最後は海に落としあいになり、僕もマット教諭に落とされた。ハッピを着たまま泳ぐのはかなり重たかった。しかし、それはそれで気持ちのいいものだ。(^^)それにしても全部終わって家に帰ったときはクタクタだった。(歳なのかな?)夕方1時間くらい寝て、少し回復した。ここのところ半分眠りながらホームページを更新していたが、今日は早めに更新して、あとは神戸商船大学の有田くんと12時まで飲んだ。明日は朝から小屋解き、もうひとふんばりだ。

[2004年8月19日]
 台風の風は昨夜から今日の午前中にかけて、かなり強く吹いていた。うちの2階は揺れていた。神舞小屋は台風の風にも耐えていた。マイボートは後部の機械部分のフタの留め金が折れていた。イカリも少し移動している感じだ。やはりエベスの前の波止に避難させておいた方がよかったか・・・。(−−;
 神舞は午前中はお休み。午後からお宮参りがあった。ヤブ蚊が多くて、あそこでの神楽はさぞかし大変だろう。夕方のYABのニュースの中で神舞の特集があった、運良く見ることができた。僕は涼くんの映像のオマケで頭だけ映っていた。(^^;夜は村岡のマイちゃんのお別れ会をオカベの前の波止でやった。その後、蓬莱館に戻ってマット先生の友達の風女さん達と飲んだ。

[2004年8月18日]
 台風が近づき、風の強い中での神楽になった。神舞小屋の中では神楽が行われ、外では台風に備える準備が平行して行われた。神楽が夜8時過ぎに終わり、それから飾り付けの取り外しなどの作業を行い、家に帰って夕食を食べて風呂に入ったら、もう11時近かった、ここ数日だいぶ疲れがたまって夜はグッタリ状態なので、今日は早めにホームページを更新して寝ようと思っていたら、12時前になって林のヨシエちゃんから電話がかかり、「若手の里楽師さんたちが集まっているので来ないか」という誘い。なかなか無いチャンスなので、おじゃました。ヨシエちゃんは20数年前に巫女さんをやったので、その時の子太夫さあが若手と一緒にやってきていたようだ。このホームページに時々書き込みをしてくれる里楽師の田中さんや、前回の子太夫さあたちも来ていて、楽しいひと時を過ごした。20数年前の子太夫さあは、僕とほぼ同年代。さすがに今日の長い長い神楽の後で、少々お疲れ気味であった。若手は元気一杯だった。
 明日は台風が最接近。神舞小屋や櫂伝馬は大丈夫だろうか。それより、マイボートは大丈夫だろうか(今回はエベスの前の波止の中に避難するタイミングを逃したので東の波止に停めたままだ)。

[2004年8月17日]
 朝から雨模様だったが、神楽は行われた。子太夫さあは可愛くて舞いも上手だ。午後からお待ちかねの「鬼と太夫さあ」が登場した。祝島ではやはりこの舞いが一番人気がある。この歳になっても、鬼が太夫さあに襲い掛かるときのあの太鼓の響きを聞くとドキドキする。
 苫葺きの屋根にはシートがかけられていたが、それでも雨が強くなると漏ってくる。特に観客席の方は雨を避けながらの見物になる。古来から伝わる神舞小屋に快適性を求めるのは限界があるが、何かうまい方法はないものだろうか。基本的に祝島は晴れた時と雨のときのギャップがかなりある。台風15号が接近中、最後まで無事にお祭りが出来ることを祈るしかない。
 全日本郷土芸能協会の人が、神舞のビデオ撮影に来ている。10月23日に東京・池袋の東京芸術劇場で上映会が行われる予定。定期的に開催している郷土芸能のビデオ上映会の第70回記念特別企画ということで、ぜひ祝島の神舞を紹介したいとのことだ。東京近郊にお住まいの方で、神舞に帰省できなかった人は、ぜひ見に行ってもらいたいと思う。詳しくはまたホームページで紹介したいと思う。まずはいい作品ができることを期待したい。

[2004年8月16日]
 今日は晴天に恵まれて神舞の入船神事が行われた。僕は櫂伝馬の太鼓をたたいた。入船神事で岸壁の大勢の見物人から拍手が起きると、櫂伝馬に乗っている方もとても気合が入る。見る方も演じる方も、気持ちが高ぶり「せえがえいのや」と思う瞬間だ。やはり神舞はいいなぁ。(^^)
 同級生のユウサー、ヒロシ、イサオも櫂伝馬を漕いだ。

[2004年8月15日]
 7時から作業が始まったが、午前中は雨が降ったため、ヤーサーや鳥居山の飾りだけやって、神舞小屋の飾りつけ作業は午後からになった。寝不足だったので、家に帰って1時間ばかり寝る。午後から晴れて、飾りつけ作業は無事終了。切り飾りをつけると、神舞小屋は急に華やかになる。夕方から最後の櫂伝馬の練習。夜は盆踊りを久しぶりに踊った。
 今回、あれこれと神舞の準備を手伝っているが、こうやってみんなでワイワイやりながら準備するのも神舞の楽しみであり、神舞の意義でもあるように思う。神舞の舞台をみんなで力を合わせて作り上げていくことで島民同士のつながりが強くなり、神舞小屋を作る材料をすべて祝島の自然の中からそろえることで島の自然の尊さを知ることができる。苦労はするがそれを楽しみながら準備をして、そして神舞が始まったらそれを思い切り楽しむ。祝島人にとっては神舞の準備をすることや参加すること、そして神舞に帰省してみんなと顔を合わせることが、とても「せえがえい」ことなのである。そして、最も「せえがえい」のが明日の入船神事だ。いよいよ神舞が始まる。

[2004年8月14日]
 午前中は神舞小屋の苫葺き作業。ノボリや吹流しも立って、あとは明日の切り飾りなどの飾りつけ作業を残すのみだ。今年はヤーサーと鳥居山も(展示だけだが)二十数年ぶりにお目見えした。午後からヒロシとイサオとユウサーとヒロシの甥っ子のリュウくんとで、「もちど」にバーベキューに行く。毎年夏にはどこかの磯に行って、潜って獲ったサザエやアワビでバーベキューをするのが恒例になっているが、はっきり言ってこの数年間はあまり収穫がなかったのだが、今日はこの企画が始まって以来の十分な収穫があった。一番近い「もちど」が意外と穴場だった。
 もちどからの帰りに夕方の便で祝島にやってきた井谷将人さんに会った。祝島でライブをやるらしいので楽しみだ。じつは今日も8時頃にオカベ前の道端で1曲だけのストリートライブをやったらしいのだが、僕は神舞小屋で上映された映画「東京原発」を見に行っていたので、ライブの方は見逃した。残念。でも映画もとても面白かった。皆さんにおすすめの映画だ。井谷さんの本格的なライブは16日の夜に神舞小屋であるらしい。今日のライブを見た兄貴の話だと、「CDよりライブの方がいいど!」とのこと。噂では明日もオカベ前でやるとのことなので、明日はぜひ見に行こう。
 オリンピックが開幕し、柔道でヤワラちゃんと野村選手が金メダル。すばらしい出足だ・・・が、じつはまだ開会式の映像を一度も見ていないので、イマイチ始まったという実感がわかない(^^;。

[2004年8月13日]
 今日は踊り手は衣装をつけて本格的な入船のリハーサルを行った。衣装をつけるのと化粧とはだいぶ時間がかかるようだ。引き舟や神様船も、本番でどういう手はずで連ねて、どのくらいのスピードで回るか、やはり実際にやってみないと不具合がないかどうかわからない。ロープの長さやスピードなどに微妙に調整が必要なようだ。明日は苫葺き作業のため、15日が最後のリハーサルになる。櫂伝馬の練習風景は自分では撮影できないので、今日は難波さんに頼んで撮影してもらった。
 夜は同級生5人が蓬莱館に集まって飲んだ。毎度おなじみのメンバーで、たいした話をするわけではないが、やはりいいものだ。

[2004年8月12日]
 ヒロシと一緒に晩便で島に帰った。すぐに櫂伝馬の練習。ヒロシは遅刻しておいていかれた。神戸商船大の2名のうち1名はまだ残っていた。どうやら祝島がすっかり気に入ったようだ。夜は同級生も集まって飲んだ。

[2004年8月11日]
 朝便で島を出た。今日は眠たかった・・・(^^; 夜、めずらしく室積のアパートに東京からお客さんが来た。15年来の付き合いの藤田氏だ。昨年は三遊亭楽松さんの付き添い役で、祝島不老長寿マラソンの手伝いに来てくれた。今回は、明日から長崎・広島ピースランに何人かで参加するらしい。

[2004年8月10日]
 神戸商船大学から2名ほど櫂伝馬に乗りたいということで今日と明日の二日間練習に参加。練習が終わって夕飯後に蓬莱館でミニ神舞講座を開き、神戸商船大学の2名と櫂伝馬の掛け声を復習。というか、復習は短時間で終わり、あとは夜中の1時頃まで延々と飲み会。紅一点のルミちゃんと、今日帰省した同級生の黒磯もやってきて夜中まで盛り上がった。僕は明日は仕事のため朝便で出ないといけないのだが、大丈夫だろうか?(^^;

[2004年8月9日]
 男衆は朝早くから小屋掛け作業。女衆は三浦の草取りなど。一日がかりで神舞小屋が建った。島のおじさん達はロープワークを駆使して組み上げていく。竹を組むだけではなく、重い木を引き上げたり、木を回転させたりするのにも巧みにロープを利用する。この技術は本当にすごい!
 小屋掛けの途中で手が空いている人で盆山も組み立てた。今年は神舞なので、盆踊りは水産科で行うようだ。
 夕方には櫂伝馬の練習。途中、左手の指で太鼓の角を叩いてしまい、ブチ痛かった(*_*;が、途中で止めるわけにもいかず、我慢して叩いた。人差し指が少し腫れた。
 夕方の便でうちも甥っ子が二人帰ってきてだいぶ賑やかになった。

[2004年8月8日]
 昨夜飲みすぎたうえに、蓬莱館で椅子を並べた上で昼前まで寝ていたので、今日は一日中体が変だった。夕方の便で同級生のカズトが帰ってきた。

[2004年8月7日]
 櫂伝馬の練習のあと、久しぶりにジョギング。小山のあたりまで走ったら、ちょうど真紅の太陽が海に沈むところだった。カメラを持って行っていなかったのが残念。
 夜はカヌーでやって来た原さんたちと飲む。かなり飲みすぎた。(-_-;)

[2004年8月6日]
 室積の散髪屋に行ったら、「肩こりでエレキバンでも貼ってたんですか?」と聞かれた。7月にカヌーで島一周したときに首筋にチタンのパッドを貼っていたのだが、どうやら、その跡が日焼け(日に焼けていない跡)になって残っているようだ。自分では見えないところなので、全然気がつかなかった・・・。今でもまだ自分では見れていないのだが、きっと首から肩にかけて十円玉くらいの白い○が6個並んでいるのだろう。
 夕方の便で島に帰る。船は満員だった。

[2004年8月5日]
 今日は本土にて一日中仕事。上関局のADSLは8月10日開通予定らしい。室積のアパートは昨日からYahoo!BBの45Mbpsに変えてみた。少し速くなった(実質7Mbpsくらい)が、ルータ(スループット9Mbps)がネックになっているようだ。今は時間がないので、神舞が終わったらルータを速いのに変えてみようと思う。たぶん20Mbpsくらいは出ると思うのだが。ただ現状の7Mbpsでも祝島の100倍以上は速いことになる。

[2004年8月4日]
 昼便で島を出る。パソコン講習等の仕事のあと、徳山に花火を買いに行った。入船のときの合図の号砲に使うもので、購入するのに消防署の許可もいるのだ。花火屋さんは丁寧に打ち上げ方を説明してくれた。僕が打ち上げるわけではない(いつも山田さんが打ち上げ係らしい)が、そのうち役に立つときがくるかもしれないのでちゃんと聞いた。花火を打ち上げる前に、ちょっとした細工が必要で、これを忘れると、打ち上げた花火が爆発せずに、そのまま落ちてくることもあるらしい。ソフトボールくらいの玉なので、頭に当るとかなり痛そうだ。(^^;

[2004年8月3日]
 今朝は神舞小屋を建てるための竹切りが行われた。6時過ぎから山に入ったらしい。僕も行こうと思ったが、起きたら8時だった・・・。(^^;
 昼間、マーティンさんがうちに来て両親にインタビューしていた。そのうち祝島のことを一番知っているのはマーティンさんになってしまうかも知れない・・・。
 夕方、櫂伝馬の練習の前に、東波止の海水浴場のパトロール小屋?(日除け)を立てるのを手伝う。そのあと、櫂伝馬の練習。昨日と違って今日は天気が良くて、なかなか気持ちよかった。が、踊る方は暑くて大変だったようで、剣櫂の涼くんは汗だくだった。今日はカメラマンを雇って、練習の模様を撮ってもらったので、トピックスに写真を掲載できた。

[2004年8月2日]
 朝の満潮時に櫂伝馬を海に下ろした。夕方には早速海上での練習が始まった。今日は少しマジが強く、東から西へ向かっては楽だったが、西から東に向かっては大変だった・・・と思う。僕は太鼓なので、漕いでいない。(^^; 漕ぎ手が足りない(特に出船のとき)ため、役場の若手に応援を頼んでいる。約10名が夕方の定期船でやって来て練習に参加された。
 ところで、櫂伝馬に乗るのはいいのだが、困ったことに写真が撮れない。明日から誰かカメラマンを雇わねば・・・。

[2004年8月1日]
 今日は一日中雨が降ったりやんだりで、涼しかった。水不足解消にはよかったと思う。櫂伝馬は明日海に下ろすことになりそうだ。
 午後からマーティンさんが蓬莱館にやってきて、少しだけエクセルの講習。英語版エクセルなので、ちょっとやりづらかった。(^^; マーティンさんはなかなか面白い祝島のデータを集めていた。

[2004年7月31日]
 朝、台風に備えて櫂伝馬を少し上のほうに引き上げた。島の家々も雨戸をたてて台風を迎える準備。午後7時ごろから雨が本格的に降り出す。風はそれほど強くないが、波はかなり高い。天気図を見ると、南のほうに熱帯低気圧があり、これが気になる。神舞の準備に支障がなければいいが。

[2004年7月30日]
 昼便で島に帰って来た。まずはボートを避難させた。台風10号はなんとなく祝島を目指しているようにも見える。(^^;

[2004年7月28日]
 台風10号がやって来そうだ。変わった動きをしている。ボートを避難させるために、明日の夕方の便で島に帰ろうかと思っていたが、仕事の関係で帰れそうにない。幸い台風の速度が遅いので、明後日でもなんとかなるかなという雰囲気だ。
 櫂伝馬を海に下ろすのは台風が通り過ぎてからになるのだろう。

[2004年7月27日]
 会報を発送。夕方の便で島を出る。すいさんかの倉庫で櫂伝馬の奥に格納されていたヤーサーと鳥居山を出したという話を聞いて、すいさんかに行ってみたら、ヤーサーは下半分、鳥居山は台の部分しかなかった・・・。(^^; たぶん修理中なのだろう。

[2004年7月26日]
 昨日から今日にかけて、ずーっと会報の編集作業。今回はボリュームアップで大変だった。1日中動いていたプリンタ2台もさぞかし疲れただろう。夜になって、みちこさん・ルミちゃん・マーティンさんが発送準備を手伝いに来てくれて助かった。みんなでワイワイやりながら作業すると結構はかどる。
 話は変わるが、今年はえべす商店でアイスクリームを販売している。ここ何年かえべすでは販売してなくて、西方の西山商店か、漁協の時間限定販売だけだったので、東方の住民としては、とても助かる。今年は猛暑だし、神舞もあるので、きっと飛ぶように売れるだろう。僕も今日さっそく買いに行った。

[2004年7月24日]
 昼便で島に帰る。今日の昼便は「龍丸」だった。祝島ネット21の会報の編集作業を本格的に始める。今日・明日で編集して、月曜日に印刷、火曜日に発送予定。今回は「神舞特集」。今までよりページ数が増えそうだ。
 夜はホーランエーの2回目の練習。見物人も増え、ホーランエーの掛け声も賑わしかった。指導に来られた岡本さんは、剣櫂・サイ幣・太鼓・トモ櫂と何でもできる。動きも迫力満点ですごい!

[2004年7月23日]
 仕事のため、朝便で島を出た。さすがに朝便で出ると、夜は早く眠たくなる。夜7時過ぎにヤマダ電機に買い物に行ったが、眠たくてフラフラだった。
 昨日の太鼓練習のため、右腕に少しフカヤが出た。

[2004年7月22日]
 昼便で祝島に帰る。「午後4時から櫂伝馬を倉庫から出します」とマイクでたけっていたが、3時半にはたくさん集まって、作業はどんどん進んでいった。こういう集まりの時は祝島人の行動はすばやいのだ。
 夜7時から公民館で櫂伝馬の踊りの練習が始まった。踊る人はみな経験者なのだが、今年は太鼓が新人だ。なんと!僕とサトシくんの二人が太鼓の練習を始めた。踊りや櫂伝馬を漕ぐリズムを決める重要な仕事なのだ。太鼓のたたき方はホーランエー、ホーラホー、ヨイサ、ヤーサホーエイヤの4パターンある。それぞれ櫂伝馬の漕ぎ方が違うのだが、この違いを車のギアに例えると、ロー、セカンド、トップ、バックだ。それぞれで掛け声や太鼓のたたき方が違うのだ。マーチンさんも掛け声をカタカナで書いてもらって、一生懸命覚えていた。

[2004年7月21日]
 高校野球。熊毛南敗れる。全国の熊毛南高校出身者の夢を背負っての戦いは、さぞかし重圧だっただろう・・・か?(^^;
僕達の高校時代の頃までは、県下一二を争う弱小チームだっただけに、ちょっとでも甲子園に行ける可能性があるとなると、ついつい浮かれてしまうのだが、甲子園への道はそう甘くはなかった。しかし、県大会でこんなにワクワクさせてくれるチームに成長しただけでも、すばらしいことだ。マット先生の貢献も少なからず(多からず?)あるだろうから、感謝しなくてはいけない。謝謝。
 夜は「はとこてんファンの集い」でご馳走になる。これまた謝謝。

[2004年7月20日]
 今日も暑い一日だった。昼間は外に出られないくらい暑いですねぇ・・・。
 祝島ネット21の会報の記事に使うため、「やいなりぜんざい」を作ってもらって食べた。冷やして食べると、さっぱりしていて美味しかった。

[2004年7月19日]
 夏の高校野球、いよいよ我らが熊毛南高校が登場!聖光高校を相手に10−0(6回コールド)で圧勝!なかなか良い滑り出しだ。
 夜、飲み会で守田さんと同席し、祝島の伝説をいろいろと聞かせてもらった。石丸左馬頭(さまのかみ)にまつわる話や、祝島の海岸にある岩にまつわる伝説など、すべて守田さんがおじいさんから聞いた話らしい。飲みながらなので、細かいところは覚えていないが(^^;話をちゃんとまとめると本が1冊作れそうだ。

[2004年7月18日]
 僕の知らない間に、うちの母親が橋部さんのホームページに登場していた。しかも広島ホームテレビの取材を受けていたらしい。橋部さんに聞いたら、(たぶん)20日の夕方の番組の中で5分間くらい祝島が紹介される予定らしい。数時間に渡って島内で取材をされたようなので、うちの母親が登場するかどうかはわからないが、広島の方でビデオに録画できる人がいればぜひ録画しておいてください。
 今月は祝島ネット21の会報の発行月。原稿がだいぶ集まってきたので、そろそろ編集の準備にとりかかる。今回は神舞前なので、できるだけ神舞の話題を集めようと思っている。
 夜、マーチンさんが家にやってきて、少し雑談をした。NHKの「のど自慢」が、来週はマーチンさんの故郷イギリスからの生放送ということで、「ぜひ見なければ!」と話していた。イギリスには1年半帰っていないようで、懐かしいのだろう。それに、イギリス人は紳士なので?歌の下手な人は、人前では歌わないらしく、どういう番組になるのかに興味があるらしい。イギリス人にもボーケーがいると僕は思うのだが・・・。

[2004年7月17日]
 夕方の便で島に帰る。夏休み・三連休ということで「いわい」は満員だった。子供連れの帰省客もいて、大変賑やかだった。これから神舞に向けて、島はどんどん賑わしくなってくる。
 家に着いたら、井谷さんのCD「井谷旋風」が届いていた。

[2004年7月16日]
 昨日の日焼けが大変なことになった。朝起きて立ち上がろうとすると、足が痛くて立ち上がれない。ヒリヒリするだけではなくて、足首に血液が溜まって血管が破裂しそうな痛み。我慢してなんとか立ち上がり、足にできるだけ刺激が伝わらないように、一歩一歩痛みをこらえながら、すり足でソロソロ歩く。足だけではなくて、首の方も先日から引き続いて痛いので、なんとも大変な状況になった。まるで寝たきり老人を無理やり立たせたような感じだ。
 痛み止めを飲んで1時間くらいすると、首も足もなんとか動かせるようになった。仕事で柳井に行く前に、平生の病院に寄って診てもらう。「こりゃすごいなぁ」と医者にあきれられ、「これを治すような塗り薬は無いが、2〜3日すればよくなるじゃろう。ラップで巻いて皮膚呼吸ができないようにしておいたら早く治るから、そうやっときましょう。」と言われ、足をサランラップでグルグル巻きにされた。
 夜、シャワーを浴びようと思い、サランラップをはずしにかかったが、テープを剥がすのが痛くて痛くて、大変な目に遭った。

[2004年7月15日]
 中学生2人とマット先生とでカヌー祝島一周の旅。中学生2人は余裕で一周した。たくましくなった。途中、飛び石に上陸して泳ぐ。涼くんは日頃のトレーニングの成果を十分に発揮して、魚を何匹も突いていた。マット先生は噂どおり、カタガワを獲っては生のままほお張っていた。僕の足は日焼けで、カヌーの乗り口の形に、くっきりと日焼け後が付いていた。ヒリヒリする。
 シャワーを浴びて、夕方の便で島を出る。

[2004年7月14日]
 夕方の便で島に帰り、午後7時から体育館でソフトバレーボール。今日はマーチンさんや駐在さんもやってきて、賑やかで、珍しく試合中にローテーションで休憩時間が取れた。首の方は痛み止めが効いていたので、わりと平気だったが、明日の朝が恐怖だ。(^^;

[2004年7月13日]
 井谷将人さん(お母さんが祝島出身)のCDが完成し、今週中に発送予定との連絡が入る。どういう出来栄えになっているか楽しみだ。
 首はあいかわらず痛い。朝晩2回痛み止めを飲む。痛み止めが効いている間は、なんとか普通の生活ができる。

[2004年7月12日]
 梅雨が明けたようだが、こちらは首が痛くてイマイチ憂鬱。4月に病院でもらった痛み止めの薬を試しに飲んでみた。5〜6時間は効いているようだ。それにしても痛み止めの薬はどういう仕組みになっているのだろうか。首の痛みは抑えられているのに、腕をたたいてみるとそれなりに痛かった。(^^;。不思議と言えば不思議だ。

[2004年7月11日]
 昼便で島に帰って、中波止に入れていたボートを東の波止に回す。東の波止の中は浚渫作業が終わり、水深が深くなっていた。木村先生に手伝ってもらって、常イカリを入れたりロープを張りなおしたりした。
 仕事の都合で夕方の便で島を出る。定期船では善徳寺さん一家と一緒になる。ライバル?のサトくんがジャンケン100回対決をしよう!と持ちかけてきたが、さすがに面倒くさいので断った。(^^;
 ヤマダ電機に行って、Yahoo!BB 45Mの申込みをした。といっても、これは室積のアパートの回線である。祝島では当面ISDNのままだろう。室積では45M、祝島では64K、額面どおりのスピードが出たと仮定すれば(たぶん実際は半分くらいだろうが)、じつに700倍のスピード差になる。室積では10秒でダウンロードできるデータが祝島では2時間近くかかるという計算になる。

[2004年7月10日]
 くっ、首が・・・また痛くなった! 今朝、髭を剃っている途中からなんとなく違和感があったのだが、みるみるうちに(実際には見えないが)痛みが増幅されてきて、昼ごろには車が振動しても首に響くような感じになってしまった。困ったなぁ・・・。いよいよ整体に行かないといけないか。(ーー;
 今日、福山市鞆の浦歴史民俗資料館の前館長さんにお会いする機会があったので、資料館で開催中の「瀬戸内の万葉」企画展の関連行事、「船で巡る瀬戸内の万葉故地ツアー」西回りコース(つまり鞆の浦から祝島まで船で往復するコース)の集客状況を尋ねてみたが、あまり集まっていないようだった。参加費28000円だとちょっときついか。

[2004年7月8日]
 今日は少し雨が降ったのでマシだったが、それにしてもここのところ暑い日が続いている。こう暑いと冷たいものや麺類ばかり食べたくなる。室積のスーパーで「辛ラーメン」なるものを見つけて、食べてみた。ブチ辛い!辛いを通り越して口の中が痛い。そういえば同じような痛みを10年くらい前にも経験した。同級生の博と功三と雄三と和久が東京で集まった時。あれも夏の暑い日だった。昼間から新宿で飲んで、道に迷いながら六本木に行って、たまたま入った店がタイ料理か何かの東南アジア系の店で、出てくる料理がことごとく辛くて、口が痛くて大変な目にあった。今日、「辛ラーメン」を食べながらふと思い出した。

[2004年7月6日]
 柳井の税務署へ免税軽油の申請手続きに行った。通常の軽油価格には道路整備の目的で課されている軽油取引税が含まれているが、道路を使わない船の燃料として使う場合などは、この分が免税されるので、一般価格より安く買えるのだが、使用目的を証明したり、使用量の申告やら報告やら予測やらで、これが結構めんどくさいのである。やはり、そう簡単には税金をまけてもらえないのだ。漁協の組合員などは漁協がまとめて手続きしてくれるようなので、わりと簡単らしいが、僕は組合員ではないので、自分で手続きしないといけないのだ。

[2004年7月5日]
 えべすに買い物に行ったらカズマくんがすっぱだかで飛び出してきた。自家製プールで遊んでいたようだ。ここのところ暑い日が続いているので、水遊びがお気に入りらしい。道ばたに座っていたバアさん達からはヤンヤの喝采。今、祝島のトップアイドルは間違いなくカズマくんだろう。
 夕方の便で島を出る。上関で参議院選挙の期日前投票をすませた。

[2004年7月4日]
 台風7号は温帯低気圧に変わったが、日本海側を通ったため、意外と風が強く、朝から強風が吹いていた。夕方から夜中にかけてはものすごい風だった。ボートを中波止に入れておいて助かった。夜10時頃、郵便を出すついでに海を見に行ったら、ちょうど満潮時で、「いわい」の波止もあと数10cmで水没するくらいまで水位が上がっていた。波が高かったら大変なことになるところだった。

[2004年7月3日]
 昼便で祝島に帰る。来週、東の波止の浚渫作業をやるらしいので、木村先生に手伝ってもらって、碇を引き上げて、ボートを中波止に移動させた。碇をつないでいるロープには海草などがビッシリ付いていた。

[2004年7月2日]
 高校のとき以来、じつに25年ぶりくらいに広島市民球場で野球を見た。カープ戦としても10年くらい前に、神宮球場にヤクルト戦を見に行って以来。その時に買ったカープのメガホンも10年ぶりに出番がきた。
 試合は序盤から巨人が大量得点を入れ、8回ウラまで見て、8−2でカープの敗色は濃厚。バスの時間の都合で、そこまでで球場を後にした。が、バスに戻ってラジオを聴いていたら、なんと9回ウラに、カープが大攻勢であわや大逆転寸前の状況になり、球場は大盛り上がりの様子で、悔しい思いをしていたら、ラジオのアナウンサーが「8回ウラまでで帰った人たちもいるようですが、もったいないことをしましたねぇ」と、追い討ちをかける。まさにその通りなので、言い返す言葉もなかった・・・。(-_-;) 試合は8−7で巨人の勝ち、カープの追い上げもあと一歩およばなかった。

[2004年7月1日]
 大和町と光市の合併が正式に決まったようだ。田布施町は先日の住民投票の結果、柳井・大畠・田布施の1市2町の合併の方向で動き出した。平生町はこの中に入れて欲しそうだが、元々平生町が1市3町の枠組みを壊した経緯があるだけに、柳井市長は嫌がっているようだ。果たしてどうなるのか、上関町民としてはカヤの外なので、ヤジウマ的に見守っている。
 ところで、合併の目的は行政の効率化・スリム化・低コスト化だ(と思う)。合併すると市長や町長が1人になるのと、議員の数が減るという話は当然なのだが、役所の職員を減らすという話はあまり(というか、まったく)聞かない。周南市では議員の給料が大きな問題となったが、役所の職員の給料はどうなったのだろうか?効率化が進めば当然余剰人員が出るはずで、リストラしろとまでは言わない(本当は言いたい(^^;)が、せめて余剰人員を使って市民のために新しいサービスを提供してもよさそうなものである。合併した方がいいのか、悪いのか、なかなか予測することは難しいと思うので、合併の先進地域?である周南市には、他の地域のために、ある意味モルモットになってもらって、どこが良くなって、どこが悪くなったか、どこがどう効率化できたのかという具体的な情報をぜひ提供して欲しいものだ。

[2004年6月29日]
 夜明け前、頭の上を何やらパタパタと飛んでいる気配がして目覚める。薄暗くてよく見えなかったが、どうやらコウモリのようだった。窓を開けてやったが、なかなか外へ出られずに、部屋の中を飛び回っていた。10分後ぐらいにようやく外に飛び出した。いったいどこから入ってきたのだろう・・・? 昼便で島を出た。

[2004年6月28日]
 久しぶりに晴れた! 晴れると暑い!

[2004年6月27日]
 最近の祝島では「よう降るのや」「のんたぁ」が挨拶がわり。本当に雨がよく降る。
午後、マーチンさんが蓬莱館にやってきて、夕方まで雑談。例の神舞のDVDを一緒に見た。おかげで宝塚記念を買うのをすっかり忘れていた。そういえば、マーチンさんには出船のシーンにタカ坊がBGMとしてつけていたフランス語の歌の意味がわかるようだ。「地中海ノ歌デスネ。」と話していた。

[2004年6月26日]
 ようやくボートに乗って島に帰ってきた。今日も雨だったが、今日は少しくらい降っていても決行しようと気合を入れて室津まで車を走らせた。運よく室津に付いた2時頃にはちょうど雨は小康状態だった。燃料がちょっと心もとない感じがしたので、室津で補給して、いざ出発! 船底清掃をやってもらったので、なんだか速くなったような気がした。上関大橋をくぐったあたりまではよかったのだが、少ししたら霧が出てきた。蒲井あたりでは霧はかなり濃くなっていたので、地に近いところをゆっくりと進む。大雨の後なので流木にも気をつけなくてはいけない。携帯で橋部さんに電話して、祝島からハナグリが見えるか聞いてみたら、見えないと言う。ということはハナグリから祝島も見えないことになる。不安がよぎる。とりあえず四代は見えているので、そこまで進む。先の方はだいぶ見通しが悪そうだったので、四代の港に入れて「いわい」を待って、「いわい」の後ろについて行こうかとも考えたが、まだ1時間以上しないと「いわい」はやって来ない。とりあえずハナグリまで行って様子を見ようと思い、ボートを進める。長島の一番端まで行くと、祝島どころか、すぐそこにあるはずのハナグリさえ見えない。これはマズイと思って、しばらくそこで止まって様子を見たが、霧は一向に晴れそうにない。そこに橋部さんから電話がかかる、状況を話すと、「ハナグリから270度の方向にまっすぐ走れば祝島に着くはずだから走ってみんさい」と言う。見えなくても祝島は確かにそこにあって逃げるわけではないのだが、「途中で方向がズレたりしたら祝島をすり抜けて豊後水道を通って太平洋に出て・・・」などと変な考えが頭をよぎる。こうなると室津で燃料を補給しておいたのは正解だった。あれがなければ「途中で燃料が切れたらどうしよう・・」という不安も出てきただろうが、とりあえずそっちの心配はなかった。しかし、霧はますます濃くなってきているような感じがして、行くなら早く行ったほうが良さそうな気がしたので、清水の舞台から飛び降りるような気持ちでボートを前に進める。しばらく行くと、ハナグリらしき影が見える、だいぶ近くを走っているのだが、それでもぼんやりとしか見えない。その横を瀬に気をつけながらゆっくり進む。やがてハナグリの先端までたどり着く、目の前は真っ白。後ろも真っ白。見えるのはハナグリがうっすらと見えるだけ。しかしここまで来たら、もう行くしかない。270度の方角にボートを走らせる。ハナグリを過ぎたら瀬は無いはずなので、少しスピードを上げる。もう前後左右陸地は何も見えない。見えるのはボートの周囲20mくらいの海だけ。あとは真っ白の世界。他の船が来ないか、方角は合っているか、どこかに陸地は見えないか、こんなに五感を研ぎ澄ましたのは久しぶりだ。どれだけ経った頃だろうか、一瞬上空の霧が少し薄くなり、前方に祝島の山頂付近らしき姿が数秒間見えた。今のところ方向は合っているようだと少し安心。それからしばらくして、急に前方に島の海岸らしきものが見えてきた。スピードを落とし、どこだろう?と目を凝らしてキョロキョロしたら、東の波止とヨボシの間の浜に向かって走っていた。ヤレヤレと安堵して、舵を右に切る。東の波止に入り、ボートを係留して、ホッと一息。橋部さんに無事帰還の電話を入れる。とっても疲れる船旅だった。

[2004年6月25日]
 雨。修理が終わったボート(室津の鉄工所にあずけてある)に乗って帰ろうと思っているのだが、大雨のため、なかなか乗って帰れない。

[2004年6月23日]
 神舞の櫂伝馬の漕ぎ手を募集開始しました。祝島出身の皆さん、どしどし応募してください。定員がありますので、漕ぎたい方はお早めに! みんなで神舞を盛り上げましょう!

[2004年6月22日]
 台風も通り過ぎたし、昼便で島を出る。
 昨日書き忘れた話。泡盛会でみんなが「てろてろ」を聴きたいというので、ご披露。(といっても僕が歌ったのではない。CDを聴いただけ。) だが、切ないラブソングなので、泡盛を飲みながらみんなで聴くにはどうもそぐわないような気がした。(^^; その後、「てろてろ」の替え歌で「うらうら」とか「おらおら」とか「こりこり」とか出来そうだという話になったが、それらはきっとお笑いソングになるに違いない。それはそれでいいので、マット先生には、ぜひ「うらうら」を秋までに作詞して学習発表会でご披露していただきたいものだ。でもどちらかというと、僕は原曲の「てろてろ」を川崎先生のピアノ弾き語りで聴いてみたい。

[2004年6月21日]
 祝島では台風の被害は特になし。少し東に逸れてくれてよかった。
 昼間は橋部さんのホームページの引越し作業。「祝島フォト情報」は新しいアドレス http://www.hasibe.jp/ に変わりました。
 夜は蓬莱館にて泡盛会。マット先生、木村先生、ルミちゃんが集まり、島おこしネタで結構盛り上がった。まだ酔っているので、本日はこれまで。

[2004年6月20日]
 今日もまだ嵐の前の静けさ。というか、非常に暑かった。雨戸も半分閉めていたので家の中はムシムシ状態。台風は明日の朝、祝島をかすめて行きそうだ。天気予報によると、明日は瀬戸内海も波の高さが4mとのこと。定期船は欠航だろう。

[2004年6月19日]
 昼便で島に帰る。台風6号が接近中だが、まだ嵐の前の静けさ。ただ、ヨボシなど南側の海岸には白い波しぶきが立っていたので、あびきがあるようだ。
 今日は夏の高校野球の組み合わせ抽選会。我らが熊毛南高校は1回戦はシード。防府−聖光の勝者と対戦することになった。果たして悲願の甲子園出場なるか!? もし甲子園に出場するようになったら、今年の夏は「神舞」に「オリンピック」に「甲子園」で大忙しである。

[2004年6月18日]
 熊毛南時代の同級生のKと平生で会った。Kとは高校時代同じクラスになったこともなく、ほとんど(もしかしたら一度も)話したことはなかったのだが、Uターンするかどうか悩んでいるらしく、Uターン経験者の先輩としてのアドバイスを・・・とのことで、会うことになった。久しぶりに会って、楽しいひと時であった。アドバイスにはならなかったかも知れないが・・・(^^;  お土産に泡盛をもらった。島に持って帰ってマット先生たちと飲むことにしよう。\(^o^)/
 室積に帰って、囲碁小次郎中級と対決。なんと!2勝2敗の五分だった。だいぶ腕が上がったのだろうか。それとも小次郎が手を抜いてくれたのか。

[2004年6月17日]
 同級生のユウサアからのメールに「旅行読売を買ったが、祝島のふりがなが『いわいしま』ではなく、『いわいじま』になっていた。義父や義母もそう呼ぶが、なんとかならんかと思う。」と書いてよこしてきた。たしかに、初心者(?)は『いわいじま』と呼ぶことが多い。そして祝島人としては少なからず抵抗を感じるものだ。古くは中学校の時の修学旅行のバスガイドさんが「『いわいじま』中学校の皆さん、おはようございます!」と挨拶したとたんに、みんなから一斉に「い・わ・い・し・ま!」と訂正されて、大変恐縮していたという記憶がある。
 ちゃんと『いわいしま』と呼ばせようキャンペーンでもやろうか。(^^;

 気がついたらアクセスカウンタが12万人を超えていた。\(^o^)/皆さんいつもありがとうございます。

[2004年6月16日]
 Pスポ参加のため、夕方の便で島に帰る。定期船は今日も結構混んでいた。頼まれていた「旅行読売」を4冊買って帰って配る。
 ボートの修理ができたとの連絡が入る。が、またしても台風が来ているので、引き取りは台風が通過したあとにしようと思う。今年は台風がよく来る年だ。困ったものだ。
 午後7時からPスポ(PTAスポーツ交流会)。夏になると冷房の付いていない体育館はかなり暑い。みんな汗ダラダラだ。あまり窓をあけると蚊や虫が入ってくるし・・・。しかし、汗をかいたあとのビールは格別に美味い!

[2004年6月15日]
 今日、上関から光に向けて車を走らせていたら、山口放送の木下氏より電話あり。「今、尾国のへんを走っちょるじゃろう」「何でわかるん?」「今、車ですれ違った」 さすが、マスコミ業界人、目ざとい。
 ということで、先日その木下氏より「機会があったら宣伝してくれ」と頼まれていたので、ここで約束を果たそうと思う。お知らせ。光市の冠山総合公園の入り口にあるレストラン「ちどりだいにんぐ」で今月から隔週水曜日の午後、オリジナルデザートの食べ放題フェアをやり始めたとのこと。6月2日が第1回目で、かなり好評だったらしい。明日が第2回目である。お近くの方はぜひお店に行ってみてはいかがだろうか。なかなか良い雰囲気のお店ですよ。

[2004年6月14日]
 矢野絢子の「てろてろ」をやっと入手できた。柳井や光のCDショップを何軒か回ったがどこにも売っていなくて、結局はまたインターネットでHMVに注文して、平生のローソンで受け取った。送料300円なので、考えてみたら神奈川県に住んで、新宿や渋谷の大手ショップまで電車に乗って買いに行くより安い。
 「てろてろ」はもちろんいい歌だが、カップリングで3曲目に入っている「ニーナ」(12分という長い歌)の後半はかなり感動的だった。

[2004年6月13日]
 三浦にフグの産卵を見に行った。3時間近く待ったがスカだった。木村先生はヨボシに行ったが、そっちがアタリだったようだ。
 だいぶ日に焼けてヒリヒリする。

[2004年6月11日]
 台風の風はあまり吹かず。午後からは雨も上がった。
 Eさんのパソコンのリカバリ作業をやった。途中で、必要なドライバのダウンロードやWindowsアップデートをしなければいけないのだが、ISDNではノロくてノロくて、イライラする。Windowsアップデートは結局今日は終わらず、おまけにアップデート中にウイルスに感染したりして、作業は明日に持ち越しとなった。ノートパソコンならADSLの使える室積まで抱えていって作業するところだが、デスクトップなので、さすがにそれはつらい。やはり絶対にブロードバンド回線は必要だ。

[2004年6月10日]
 明日は台風が来そうなので、早めに島に帰ってきた。帰る前に室津にある歴史学習館に寄り、福山市鞆の浦歴史民族資料館で開催される「瀬戸内の万葉」という企画展のパンフレットをいただいたので、ここで少し宣伝を。鞆の浦を詠った歌が万葉集に8首残されており、これにちなんで瀬戸内沿岸の万葉集に詠われた歌や資料などの展示があるようだ。関係者の方々が先日祝島にも来られていたので、祝島に関する展示もあるらしい。(ポスターには祝島の写真も載っていた。)展示会の期間は6月23日〜8月22日(月曜休館)。入館料は一般150円。興味のある方は、ぜひ見に行ってみてください。
 この展示会の関連イベントとして、「船で巡る瀬戸内の万葉故地」というツアーもあり、「瀬戸内西まわりコース」(7月27日、28日)には祝島も入っているようです。詳しくは鞆の浦歴史民族資料館(TEL 084-982-1121)まで。

[2004年6月9日]
 先日、NHK教育テレビの「趣味悠々」という番組で、囲碁の入門番組をなにげなく見ていたら、7路盤というマス目の少ない碁盤で練習をしていた。今日、本屋に寄ってその番組のテキストを読んでみたら、普段見慣れているマス目がたくさんある碁盤は19路盤というらしく、それ以外に、13路盤とか9路盤とか、初心者用には7路盤や6路盤というマス目の少ない碁盤もあるようだ。また、テキストに書かれている囲碁の歴史には、「三千年前に古代中国でその原型が形成されたという説が有力」とある。で、祝島で発見された例の格子の刻みが入った石だが、これが碁盤であるという説は結構信憑性がありそうな気がする。石の写真を見る限りでは9路盤か10路盤といったところだろう。あとは白黒の碁石があればゲームはできる。で、なにも白黒の石でなくても2種類の色の石であれば構わないし、石と木の葉とか木の実を使ってもゲームはできる。二千年前に徐福がここで碁をやったとしても決して不思議ではない。
 ついでなので、100円ショップで「学ぼう!囲碁小次郎」というゲームソフトを買って、やってみた。9路盤のゲームなのだが、これでも結構楽しめるのだ。ただ、「初心者でも安心!」と書いている割には、対戦相手が「小次郎中級」と「小次郎上級」しかいなくて、何度やっても勝てないのである。どこが安心なのだろうか??(^^;「小次郎初心者」が欲しいものだ・・・。
 祝島で例の石と同じ9路盤を使って「徐福杯、囲碁大会」というイベントを企画しても面白いのではないだろうか。うまくやれば中国・韓国・日本などから参加者が集まるような国際大会に発展できるかもしれない。ちなみに現在、囲碁は韓国勢が圧倒的に強いのだそうだ。

[2004年6月8日]
 久しぶりにジョギングした。室積にいるときは、アパートから光青年の家あたりまでの往復、約3km程度のジョギング。この夏にはK先生とM先生が八島までカヌーで行くという計画をしているようなので、僕も一緒に行こうかと思っている。この二人についていくにはかなりの体力が必要と思うので、そろそろ鈍った身体を鍛えておかねばと思う。

[2004年6月6日]
 この2〜3日は平穏な?日が続いた。島は晴れているとすっかり夏のような雰囲気になっている。
 夕方、木村先生のところから声がかかったので覗いてみたら、ミッチさんと哲ぼんさんが飲んでいた。しばらく雑談して、気がついたら4時45分。夕方の便に乗る予定だったので、急いで帰って着替えたり、パソコンを片付けたりして、波止まで走る。4時55分には「いわい」の前でミッチさんたちを待っていた。我ながらすばやい動きだった。

[2004年6月3日]
 フォトコンテストのチラシを徳山・下松・光のキタムラ、上関航運などにも配る。夕方の便で祝島に帰り、役場と旅館などにも配った。

[2004年6月2日]
 フォトコンテストのチラシ兼応募用紙の印刷が出来上がった。さっそく、柳井の各カメラ店(キタムラ、小林、アート)に持って行って配布用に置いてもらった。新聞社にも記事にしてくれるようお願いしてきた。ついでにカンズーさあのところにも持って行った。「施設の掲示板に貼ってもらおう」と言っていた。

[2004年6月1日]
 ボートを修理するため、室津まで乗っていった。今日は凪でよい天気だった。途中でスナメリが姿を現さないかキョロキョロしてみたが、見ることはできなかった。ギアがバックに入らない状態だったので、M鉄工所のクレーンの下に着けるのに、うまくいくかどうか、一発勝負だったが、風向きも良くて、意外とうまいこと着けられた。
 クレーンで引き上げてもらうと、船底には貝などがたくさん付いてシャンデリアのようだった。(^^;これだけ付いていたらスピードが出ないわけだ。

[2004年5月30日]
 例のDVDを、昼間は重村さんと一緒に見て、夜は木村先生、清水さんと一緒に見た。夜の部では、ヤーサーと鳥居山のシーンを何度も繰り返してみた。ちゃんと計ると40秒くらいしかないこのシーンを、50回くらい途中スローにしたり一時停止したりして繰り返してみた。で、何度も見ているうちに、どうも鳥居山をかついでいる一番前の頭のデカイのが同級生のカズトじゃないかと思えだした、そしたら右隣にいるのがこれまた同級生のユーサーのような気がしてきた、そしたらカズトの左隣でかついでいるのは自分のように見えてきた(^^;。自分は鳥居山をかついだという記憶がなかったので、まさか自分達がかついでいるとは思いもしなかったが、確かに自分達だ。その鳥居山の前を旗を持ってカメラ目線で横切っていくヒョウキンなやつはイサオかガジのような気がする。動いているので顔がはっきりしないのだが、絶壁頭はどちらかというとイサオの頭のように思える。ますます貴重な映像になった。
 重村さんのパソコンを借りて、3枚ほどDVDをコピーした。

[2004年5月29日]
 昼便で島に帰る。意外と波が高く、善徳寺のヒロくんとサトくんは、一番前の席に乗っていて、最初ははしゃいだりゲームしたりしていたが、だんだん動きが鈍くなった。少し船に酔った模様。四代から乗った小さい女の子は揺れるのを恐れて「歩いて帰る〜!!」と泣いていた。(^^;

[2004年5月28日]
 フォトコンテストの話で、写真家の岩谷昇平さんと会った。地元の写真クラブのメンバーにもコンテストへの応募を呼びかけてくださるとのこと。いい写真が集まることに期待! 岩谷さんは某銀行の営業部長でもあり、コンテストの審査終了後に銀行のロビーで入選作品の写真展をしてはどうかという話も提案していただいた。祝島のPRに役立ちそうだ。

[2004年5月26日]
 DVDの続きを見た。前半と同じ年の神舞のようだが、こちらはところどころに櫂伝馬のホーランエーの音や神楽の音も入っていた。たぶんアフレコだと思うが。入船のシーンは華やかで本当に島に人が溢れかえっている。一方、出船のシーンは船から島を写しているのだが、島中どこを写してもハンカチを振る人がいっぱいで、なんだかグッと胸に来るものがある。いいシーンだ。
 神舞の映像の後に、長磯の道の映像が映り、なんじゃ?と思ってみていたら、今は無くなった「一本松」の見事な姿が登場した。こうやって今見ると、本当にすばらしい姿だ。今は跡形もないのが残念。そして、最後の最後に、なんと秋祭りのヤーサーと鳥居山の喧嘩の勇ましい映像が出てきた。2〜3分しかないのだが、これは貴重な映像だ!鳥居山に乗っているのはたぶん一学年下のクニヒコとシゲちゃん。こんな祭りはもう復活できないのだろうか・・・。

[2004年5月25日]
 先日、灘波のタカ坊が昔の神舞の8mmフィルムを探し出してくれたのだが、その映像のDVDへの変換が出来上がった。明日の仕事の準備が忙しいので、3本のフィルムのうち1本目の分だけ見た。僕達が中学生の時の神舞だった。いきなり「ことしお」の映像から始まった。海の上を走る「ことしお」の雄姿が見事に映し出されていた。しかし、「いわい」のスピードに慣れてしまった目で見ると、本当に遅い。(^^;
 フィルムに音は入っていないと聞いていたのだが、最後の出船のシーンになって、いきなり音が出てきた。しかも妙な音楽。カンズーさあがアフレコで入れていたのだろうか。ギターの弾き語りで、歌詞は英語なのかスペイン語なのかよくわからないのだが、哀愁の漂う音楽で、これが出船のシーンに妙にマッチしているような気もした。カンズーさあの感性が光る選曲だ。

[2004年5月24日]
 ひょんなところから、祝島ネット21会員のM太郎さんの社長就任の知らせが入る。めでたいめでたい!\(^o^)/

[2004年5月23日]
 今日はすばらしい天気だった。昨日の夕方島に帰ったが、仕事の都合で今日の昼便ですぐに島を出た。
 フォトコンテストのことで柳井の「カメラのキタムラ」へ行き、チラシを置いてもらえることになった。その後ついでに、最近柳井の介護施設に入ったカンズーさあに会いに行った。元気だったが「とぎがおらんけえ、さべしい」と話していた。「ユウでも入って来んかのう」とも。「ユウ」というのはうちの親父だ。そんなに簡単に入ってもらっては、こっちは困るのだ。(ーー;)
 祝島では明日からビワの出荷が始まるらしい。

[2004年5月20日]
 昨日ハリキリ過ぎたので、今日は全身に軽いフカヤが出た。
 「うたばん」に女子バレーの「メグ・カナ」登場!と書いてあったので、ちょこっと見たら、たまたまその後に矢野絢子が出演して「てろてろ」を歌った。先日、ラジオでこの曲を聞いて気に入ったので、CDショップで探したが売っていなかった。理由が今日わかった。まだデビューしていなかった・・・(^^;。彼女は高知県出身(というかずっと高知に住んでいるらしい)。そういえば、数年前にオレゴンに走りに行ったときに、うちのチームに入ってくれた高知のサトカちゃん(当時高校生)になんとなく顔が似ている。「高知顔?」なんだろうか。それはさておいて、「てろてろ」という歌はなかなか心にしみる歌だ。5月26日発売らしいので、ぜひ買いに行こう。興味のある人は、こちらのサイトでちょびっと聴けます。
http://www.yanojunko.com/disco.php

[2004年5月19日]
 予定通り、昼便で帰ってボートを中波止に避難させようと思って、サトシくんにまで声をかけていたのだが、なんとボートが故障。バックに入れるとガガガガガッというけたたましい音がした。東波止を出るときはちょっとだけバックさせればいいのでなんとか出られたが、中波止に入ったら、ずーっとバックで一番奥まで入らなければいけないので、さすがに無理だろうと思って、みさき旅館の沖で引き返す。東波止に入ったら、バックを使わなくていいように、そろそろと進んで、なんとかロープをつないだブイにたどり着く。こうなったら台風がそれるのを祈るしかない。
 夜は毎月恒例のPスポ(PTAスポーツ交流会)。最近女子バレーで盛り上がっていたので、今日はかなり燃えた。気合を入れてバックアタックを試みるも、効果はイマイチ。2度目のバックアタックは足がヨタヨタで、ほとんどアタックになっていなかった。やはりそれなりに練習しないと無理。(^^;

[2004年5月18日]
 憂鬱・・・。原因は南の海上にある台風。ボートを避難させるのが結構めんどくさいのである。(ーー;)
 普段は漁船の邪魔にならないように東の波止に係留しているが、台風の時はオカベの前の波止の一番奥に入れさせてもらっている。明日、昼便で帰って避難させようと思う。

[2004年5月17日]
 ようやく雨があがる。昼便で島を出た。

[2004年5月16日]
 同級生のカズトの家にテレビを見に行った。もちろんカズトは家にはいないのだが、中学生の頃から同級生がよく集まっていたので、半分我が家のようなものなのである。バレーボールの日本対ロシア戦。韓国戦もそうだったのだが、なぜか肝心の試合をテレビ山口では放送しないので、テレビ新広島で見ないといけない。うちではテレビ新広島は映らないが、カズトの家は少しだけ映るのだ。ジラジラする画面を見つめながらオバちゃんと一緒に観戦。画面のノイズでボールがよく見えなかった。(^^; 結局、この試合は完敗だったが、オリンピック本番までにこのチームがどれだけ強くなっているか楽しみだ。

[2004年5月15日]
 昼便で祝島に帰る。「いわい」の中で善徳寺のサトくんとジャンケン対決。10−8で接戦を制す。
 家に着いたら、カタクリはすでにパウダー状になってビニール袋の中に納まっていた。2kgほど出来たらしい。
 夜は蓬莱館で灘波のタカ坊とバレー観戦。日本はチャイニーズタイペイを3−1で破り全勝を守る。残るは明日の対ロシア戦のみ。こうなったら、ぜひ全勝でアテネへ行ってもらいたいものだ。

[2004年5月14日]
 仕事で室津の歴史学習館に行き、車を停めた所でキッコリを発見。キッコリを見たのはたぶん十数年ぶりだろう。ちょうどたぬきさんとサバさんがいたので、「これ、ひっくり返すと跳ねるんよ」と言って見せてやると、面白がってビデオに撮ろうとしていたので、何度もひっくり返してジャンプさせて遊んでいたが、そのうちキッコリも疲れてきて、あまり跳ばなくなったので、かわいそうになり逃がしてやった。
 夕方、室積イチへ行く。途中で木村・清水親子にバッタリ会うが、今日は仕事の関係でめずらしくネクタイをしていたので僕とは気づかれず。こちらから声をかけるまで違う人かと思っていたらしい。木村先生から「似たような人がいるなあと思ったが・・・」と言われた。(^^; じつは昔から結構そうなのだ。前にいた会社でも、たまーにスーツ姿だったりすると、すれ違っても気づかれないことがよくあった。気づかれても、決まって言われるのは「どうしたん?」という言葉だ。そんなに普段とのギャップが大きいのだろうか・・・(-_-;)
 注目の女子バレーは、今日、日韓の全勝対決。日本がストレート勝ちで宿敵・韓国を破り、アテネ行きが決定した。スッキリした!

[2004年5月11日]
 午前中、カタクリを乾燥させる作業に入った。浅めの桶に灰と新聞紙と布を敷いて、そこに桶の底に固まっているカタクリをこさぎ出して、水分を灰に吸わせる。ある程度乾燥したら、底の浅い箱にカタクリを広げ、天日に干してさらに乾燥させる。出来上がりまであと一息。
 久しぶりに女子バレーボールが面白い。今の全日本にはなかなかいい選手が集まっている(当たり前か・・)。かつて日本のバレーは、拾って拾ってつないでいくバレーだったが、今のチームはかなり攻撃的だ。特に大友選手はすばらしい。彼女のブロード攻撃は無敵の感がある。高橋選手のジャンプサーブも強烈だ。高校生の木村選手のはつらつとしたプレーもいい。僕としては地元・三田尻女子出身の栗原選手を応援している。まだまだこれから伸びて欲しい選手だ。かつて日本のエースアタッカーだった大懸選手がリベロとして復活していたのにもビックリ。名前も大懸から成田に変っていた。
今日の試合で3連勝。このまま突っ走って、アテネ五輪に出場してもらいたいものだ。

[2004年5月9日]
 今日はカタクリの続き。カタクリを少しずつミキサーでつぶして桶に溜めておく。これを、手ぬぐいで作った布袋にこれまた少しずつ入れて、桶に入れた水の中ででん粉の成分を絞り出す。ネバネバが強くて、結構大変な作業だった。というか、僕がやったのはほんの少しで、ほとんどは母親と松井のオバンがやったのだが、大変さはよく分かった。(^^;二人で2時間半近くこの作業をやったらしい。
 後は、桶の底に溜まったカタクリをこさぎ出して乾燥させる作業があるのだが、今日は雨模様のため、これは天気が良くなってから。
 カタクリの作業をサボっている間、近いうちに募集開始しようと思っている「祝島フォトコンテスト」のチラシ作りなどの準備をした。

[2004年5月8日]
 カタクリ(ユリ根)を掘りに山へ。初めてなので、どれがユリか聞かないと分からないので、親父に教えてもらった。30分ばかり掘って、デイパック半分くらいの収穫であった。口開けの翌日で、しかも道のそばの割にはユリ根が残っていると思ったら、そこは2年前にハミが出たので、恐れて堀りに来る人がいないとのことであった。オイオイ。(^^;
 家に帰ってから、ユリ根のシゴをした。とりあえず今日はユリ根をばらして、きれいに洗うところまで。続きは明日。
 夕方から風が強くなり、嵐の気配。

[2004年5月7日]
 午前中、柳井で仕事。夕方の便で島に帰る。先日まで友達が帰っていて賑やかだったのだが、今夜は誰もいなくて寂しい。
 今日はカタクリの口開けだった。いつもはのんびりしている親父が、今朝はいそいそと早朝から山にカタクリを掘りに行ったらしい。だいぶ採って帰っていた。僕も明日、堀りに行ってみようと思う。シゴをするのが結構面倒のようで、母親は「取りに行くのはいいが、自分でシゴをせえよ」と言っている。
 NHKの夜ドラ「ドリーム」の最終回を見た、というか本当は昨日が最終回だったが、今週はだいぶ見逃していたので、金曜深夜の1週間分まとめて放送分を見た。今回のドラマもなかなか面白かった。最後のシーンで長塚京三演じる大富豪(元誘拐犯)が水野美紀演じる主人公に言った言葉「みんなを幸せにしなさい。それがビジネスです。」ぐっと来るセリフだった。

[2004年5月6日]
 夕方の便で島を出る。上関でちょっと仕事して、防府のクロイソのところへパソコンの設定に行く。室積に帰ったのは夜中の12時過ぎ。

[2004年5月5日]
 今日は久しぶりの晴れ。ヒロシは朝便で大阪へ帰った。僕は午前中は橋部さんに頼まれていた神舞のチラシ作り。午後、ヒロノリと一緒にちょっとボートに乗る。沖は意外と風と波があり、しばらく双眼鏡を覗いていたら酔いそうになった。(^^;
 夕方、楽松さんから「萩往還250km完走」と電話があった。すごいねぇ。

[2004年5月4日]
 午後からマーチンさんが昔の神舞の話などを聞きにうちに来た。うちの親と兄貴と、たまたま宿泊していた京都からのお客さんも一緒に2時間くらい昔話をした。
 夜、ヒロシと灘波のタカ坊夫妻が蓬莱館にやって来た。タカ坊が自分で撮影した昔の神舞の8mmフィルムを持ってきてくれたので、近いうちにビデオに変換しようと思う。タカ坊夫妻と入れ替わりに今度は灘波のカズ坊と山本のヒロノリがやって来てヒロシを含めて4人で飲む。デンジー世代の悪役オールスターズの話や憧れの先生の話で盛り上がる。

[2004年5月3日]
 昼便で祝島に帰る。かなり波があって、船が飛び上がるたびに一番前の席に座った帰省の人たちが「ウラウラ!」「ウーラ!」を連発していた。しばらく島を離れていても、こういうときはしっかり祝島弁が出るようだ。(^^; 島に着いたら、同級生のヒロシが出迎えてくれた。

[2004年5月2日]
 楽松さんを大会会場まで送った後はスタートまで時間があったので、萩往還マラニックの手伝いをする。高知県の知人タカハシさんも2時頃に到着(会うのは2年ぶりくらいかな)。タカハシさんも250kmに出場するのだ。夕方6時に瑠璃光寺で250kmの部のスタートを見送る。楽松さんもタカハシさんも元気に出発したが、はたして無事にゴールの瑠璃光寺まで戻ってこれるか。天気も下り坂だし、心配ではあるが、まあ本人たちにがんばってもらうしかない。
 その後、防府にいる同級生のクロイソのところに寄って、パソコンの設定をやり、テレビでK1を見た。室積のアパートに着いたのは12時頃。

[2004年5月1日]
 楽松さんの付き人役で、早朝から山口へ。まずは萩往還マラニックの大会本部にて関係者の皆さんに挨拶。宿泊先を取ってくれているものと思っていたら、会長の小野さんに「大会本部に毛布があるから、ここでどう?」と言われ(^^;、さすがにそれはまずいだろうと思って、湯田温泉に宿探しに。運よくスーパーホテルという宿泊施設にシングル2名分の空きがあり、そこを予約。その後、楽松さんと2人で寄席会場の準備。夕方6時から瑠璃光寺にて寄席を開催。寄席の受付をやってくれたおじさんの顔は、どこかで見覚えがあると思ったら、祝島不老長寿マラソンに3回連続参加してくれているとのこと。寄席が終わって、楽松さんを大会説明会の会場へ案内し、自分はまた瑠璃光寺へ戻って後片付け。夜の瑠璃光寺は五重塔がライトアップされていて幻想的。アベックが結構多かった。再び楽松さんを拾って、湯田温泉のホテルに戻り、着替えをしてから近くのガストへ食事へ。今日は朝昼晩ガストだった。ホテルに帰り、温泉に入ってサッパリする。このホテルにはインターネットの設備もあり、そこから掲示板に書き込み。1泊5000円で朝食も付いているし、各室ウォシュレットだし、なかなかいい施設だった。

[2004年4月30日]
 午前中、平生の某病院へ首を診てもらいに行った。で、首のレントゲンを撮ってもらった。骨には特に異常はないようで、ひと安心。
 先日、橋部さんにその話をしたら、橋部さんも以前同じような症状があったらしく「病院に行っても、レントゲンを撮って、痛み止めの薬をくれるだけだから、整体に行った方がいいよ」と言っていた。結果的には、まったくその通りだったが、とりあえずレントゲンを撮ったほうが安心は安心だ。今度は、橋部さんのご推薦のカイロプラクティクにでも行ってみようと思う。
 病院の廊下のベンチで待っていると、横にあるマガジンラックに「ホワッツ、マイケル」の単行本を発見、懐かしくてついつい読んでしまった・・・ら、可笑しくて可笑しくて、笑いをこらえるのに苦労した・・・というか笑い声は我慢したが、顔はずいぶん笑っていたのではないかと思う。もし盲腸の手術の後に読んだら腹筋がピクピクして大変なことになるだろう。病院に置いておくには似合わない漫画かもしれない。(^^;
 病院のロビーで精算に呼ばれるのを待ちながら、ボーっとしていると、ガラスの玄関の向こうに、風力発電らしき風車がクルクル回っているのを発見。プロペラは直径2m弱くらいだろうか。小型の風力発電だが、あれでどのくらいの電力を作れるのだろう。

 午後から上関で仕事だったので、その前に町役場に寄ってADSLの話を聞きに行ったら、62局(上関・室津)は7月以降にサービス開始予定という連絡が、今日入ったとのことであった。以前、この編集日記に「町役場が署名活動を行った」と書いたが、正確には「町役場有志と商工会青年部有志がNTTの利用意向調査に協力した」ということらしい(もちろん地元からの要望がなければこういった調査もNTTは進んではやってくれない訳だが)。ただ、調査用紙はNTTがカラーで印刷した立派なのを用意してくれたようだ。これにはビックリ!
 何はともあれ、上関町の一部でADSLが使えるようになることは喜ばしいことだ。これで少しは上関町に住む若者も増えるかもしれない。しかし!!残念ながら祝島では、まだまだ使えそうにない。上関局は人数的に採算ベースに乗るとNTT側で判断したので、早期実現の見通しとなったが、祝島はそうは簡単にはいかない。まともに考えると採算ベースに乗る人数が集まるとは思えないからだ。おそらく自治体からの補助が必要になるだろうが、まずは工事のコストがどのくらいかかるのか、どのくらいの利用者がいるのかなど、調査しないと話は進まないと思う。地元の有志が組織を作って活動すること、NTT(Yahooでもいいが)や町役場との交渉など、あれこれやっていこうと思う。

 さて、ゴールデンウイーク。同級生のヒロシは今日島に帰ってきたようだ。僕は明日、明後日は三遊亭楽松さんの付き人役?で山口市へ。5月3日の昼便で祝島に帰る予定。

[2004年4月28日]
 今日は朝から柳井で仕事。夕方、今度は大畠へ。なかなか忙しい1日だった。
 最近のお気に入りは「森永のおいしい牛乳」。たしかに「おいしい」ような気がする。微妙なのだが。

[2004年4月27日]
 ミチコさんが昨晩の暴風でメガネを飛ばされたらしく、朝になって道端を探したが見つからず、行方不明。「ひらぎのサル」は昨晩は吹っ飛ばされて倒れていたようだが、朝になったら元の位置にちゃんと立っていた。(^^;
 話は変るが、昨晩、家の前で足元に小さい緑色の光を発見。ライトで照らすと何もない。が、暗くするとやはり光る。小さいミミズらしき動物がいたので、最初はそれが光っているのかと思ったが、ミミズが動いても光は動かなかったのでたぶん違うのだろう。あの光はいったい何だったのだろう。
 夕方の便で祝島を出る。風はあったが、波は思ったほどはなかった。が、2・3日前から、また首が痛くなっていて、波で船が揺れるたびに首が痛んだ。近いうちに整形外科か整体師のところに行こうと思う。

[2004年4月26日]
 午後2時ごろ会報がなんとか完成。夜8時ごろまでプリンタ2台でひたすら印刷。8時過ぎにミチコさんとルミさんに蓬莱館に集まってもらって、会報の発送準備を手伝ってもらった。夜に入ってものすごい強風が吹き荒れ、蓬莱館に来る途中で二人とも遭難しそうになったらしい・・・。
 この悪天候のため、明日からの龍丸での運航は無理と判断したのか、「いわい」の検査の日程を延ばして、龍丸の運航は29日、30日に変更になった模様。

[2004年4月25日]
 4月は祝島ネット21の会報の発行月。ようやく原稿も集まり、昨晩から編集作業に入った。発行予定日は明日。間に合うのだろうか・・・(^^;

[2004年4月24日]
 夕方の便で祝島に帰る。室津の待合室に「4月27日と28日は、「いわい」が中間検査のため「龍丸」が就航します」との張り紙を見つけた。今度は27日に祝島を出る予定なので、一瞬「エーっ?」とガックリきたが、考えてみたら「龍丸」は「わかしお」と違って「いわい」と同じ時刻表のままで走れるのだ。それほどガックリくるほどのことではなかった。ちょっと乗り心地は落ちるが・・・。

[2004年4月21日]
 午前中は徳山で仕事。今日は周南市の誕生1周年記念で徳山動物園が無料開放された。近くで仕事だったので、ついでに行こうかと思ったが、一人で行くのも寂しいし、そのへんの子供を連れて行ったら誘拐になるし・・・(^^;
 夕方の便で祝島に帰る。今日は「Pスポ」という大事な行事があったのだ。Pスポは「PTAスポーツ交流会」の略で、学校の行事なのだが、Uターンした年の秋から将来のPTA?(^^;ということで参加させてもらっている。競技はソフトバレーボール。さわやかな汗がかけて、ストレス(最近はあまりないのだが・・・)発散にはとってもよい。若い先生方との交流も楽しくて、この行事に参加するようになって、祝島での生活がぐっと楽しくなったと思う。今日は、最近祝島にUターンしたサトシ君と、祝島郵便局に新しくやってきたルミさんも参加して、新メンバーでの楽しい交流会になった。
 明日は午前中から柳井で仕事なので、朝便で出ないといけない。起きられるかなぁ・・・・(^^;

[2004年4月18日]
 今日はムカーデとドクモンに刺されかかった。危ない日だった。皐月賞も2着3着でハズレ。夕方近くなって風が強まる。夕方の便で島を出る。波のため船は白井田回りで上関へ。船の中で遺跡探検隊?の皆さんと一緒になり、「徐福の将棋板」らしき石が見つかった、との報告を受ける。後で写真をメールで送ってもらったが、確かにそのように見える石だ。

[2004年4月16日]
 夕方の便で島に帰る。今日はなんか知らんけど、船が満員だった。夜、Sさん宅で宴会。

[2004年4月12日]
 寝不足。柳井と大島で仕事。深夜、掲示板に井谷さんからCDデビュー決定の書き込みがあり、ガッツポーズ。

[2004年4月11日]
 朝から仕事。桜花賞はずれる。夕方の便で祝島を出る。夜も仕事。善徳寺のサトくんは4月から1年生になったらしい。

[2004年4月10日]
 下松で親類の葬式。夕方の便で島に帰る。下松から親父や親類のおじさんたちを乗せて、ワゴンR号はめずらしく満員だった。

[2004年4月8日]
 午前中、京都から昨日来られたお客さんと一緒に山へ。道沿いではビワの袋がけがだいぶ進んでいた。うちの山は島では一番涼しいところにあるので、まだ袋がけするほど実は大きくなっていない。4月後半から作業を始める予定。今年は母親が山には上がれそうにないので、だいぶ手伝わないといけない。
 山小屋の戸を開けたら、数十匹のバッタらしき虫が上の方からバラバラと飛び降りてきてタマゲタ。トトロの「真っ黒クロ助」のような動きをしていた。これからいろんな虫の活動が活発になる。夕方の便で本土へ。

[2004年4月7日]
 昼便で祝島に帰る。昼前にテーラー道から軽トラが落ちるという事故があったが、不幸中の幸いで乗っていた人に大きな怪我はなかった模様。

[2004年4月5日]
 午前中は、2年前から仕事の依頼をときどきしてくれている会社を訪問。午後からは、これからビジネスパートナーとなりそうな、オカダ氏のオフィスを訪問。オカダ氏とはもう10年以上の付き合いで、土曜日のパーティーの司会をやったのも彼だ。彼は同い年で、長年勤めた旅行代理店から昨年独立してがんばっている。彼の会社のホームページやランニング関係のツアー企画について打ち合わせした。オカダ氏は僕がゴールドコーストマラソンに行ったときに、ツアーの添乗員だった。非常にパワフルで明るくてユニークな男だ。ただ、けっこういい加減な(良く言えば大らかな)ところがあり、ツアーで参加人数が少なかった時は、添乗員がつかず、僕は何度か添乗員の代わりをさせられた。英語がしゃべれない人間に平気で添乗員代わりをさせるのだから、たいした度胸ではある。オーストラリアでこだわりの旅をしたいのなら、ぜひ彼の会社を使って欲しい。とりあえず今準備している彼の会社のホームページのアドレスはhttp://www.ozpro.net/だ。
 最後にヨドバシカメラで貯まったポイントを使うために買い物をした。5時過ぎの「のぞみ」で広島へ。15分待って「こだま」に乗り換えて徳山へ。ここで30分も待って、やっと来た在来線で光へ。こんなに待たされるのなら、広島から在来線に乗り換えて光まで行った方が早かったかもしれない。(^^;

[2004年4月4日]
 朝目覚めてリビングに行くと、ゆうさあや子供達はすでに起きていた。下の子のサラちゃん(10ヶ月)がニコニコしながらヨチヨチと歩いて近づいてきたので、「おー、こりゃカワイイのう、ヨシヨシ」と思って抱きかかえてやるといきなり泣き出した。(^^;親と間違えていたのか・・・。それにしても、サラちゃんはポパイに出てくるスイーピーっていう赤ん坊みたいで、すごくかわいい。きっと母親に似たのだろう。一方、父親に似ている上の子のナオちゃん(小2)は、なんとNOVAに通っているらしい。最近の子はすごいのう・・・。
 ゆうさあが最近買ったパソコンのインターネット接続とか無線LANの設定をしてあげた後、近所を少し散歩。このあたりは高級住宅街で、有名人がかなり住んでいるらしい。森元首相の家の横も通ったが、警察官が警護していて、近づきがたいものがあった。ゆうさあの奥さんの話では、ユーミン夫妻も時々見かけるとのことであった。
 散歩から帰って、今度は近くの「瀬田温泉」へ。混浴の露天風呂があるらしいが、そこは水着着用ということで、ゆうさあが20年近く前にはいていたという古くさいバミューダの海パンを借りて、そこへ行く。屋内は男女別になっていて水着禁止。屋外は男女共用で水着着用とのことであった。海パンをはいて、外へ出る。花冷えで寒い。さっさと風呂に入った。なかなか気持ちよい。少し離れたところにも露天風呂があって、そこからは天気がいいと富士山が見えるというので、そこまで歩いていってみる、が、結構距離があって、濡れた海パン一丁で歩くのは、とても寒かった。やっと着いて、温泉に入ったら、これがぬるい!よく見たら子供用と書いてある。(^^;ぬるい湯に入って、ますます寒くなった・・・。そこはサッサと出て、もう1つ先にもあるらしい別の風呂まで、寒いのを我慢してまた歩く。やっと普通の温度の湯に到着。たしかにここからだと富士山が見えそうな見晴らしのいい場所であったが、残念ながら曇っていて、というか雨が降りかけていて、それらしき姿は見えなかった。その後、大広間でビールを飲んだりして、のんびり過ごす。
 夕方、ゆうさあの家を後にして、元会社の同僚のところへ。僕も昔住んでいた武蔵新城という駅の近くだ。友人と一緒に10年ぶりくらいに「大吉」というトンカツ屋に夕食を食べに行く。店の作りもメニューもほとんど変っていなかった。この店のトンカツはなかなか美味いが、それよりも僕の好きなのは一品料理の「なすのニンニクしょうゆあえ」だ。これは、絶品だ。この味を思い出して、自分で時々「もどき」を作ってみるのだが、やはり本物は違う!

[2004年4月3日]
 東京へ。8ヶ月ぶりの電車。約3年ぶりの新幹線。
 友人の結婚披露パーティーのある六本木へ行き、少し時間があったので、重い荷物を持ってウロついた。このあたりにはたくさん回転ドアがあったが、先日の事故のため、ことごとく停止していた。ANAホテルの回転ドアだけ動いていたので、意味はないがとりあえず通ってみた。サントリーホールっていうのがあって、その前はちょっとした広場になっており、たくさんの人がいたが、みんなやけに着飾っていた。結婚式にしては妙な服装だし、何事かと思ったら、「世界三大テノール」と呼ばれているルチアーノ・パヴァロッティの日本公演があるらしい。それにしても音楽を聴くのに、あんなに着飾る必要があるのだろうか?ちなみにS席は8万5千円だったそうな、どひゃー!
 結婚披露パーティーは、主役の新婦(新郎はドイツ人のため、この日集まったのは全員新婦の関係者)が変なだけあって、集まった仲間も変な人が多く、それはそれは和気あいあいとしたものであった。友人が司会者だったので、いやな予感はしていたが、頼まれてもいないスピーチをトップバッターで指名された。幸い(?)かなり酒が入ったあとだったので、特に緊張することなく、何かしゃべったと思う。自分も新婦のことをあまり褒めなかったが(^^;、他の人のスピーチを聞いても、結局「いつもとんでもないことをするヤツ」という意見で一致していたように思う。ただ、それは悪い意味ではなくて、いい意味で、チャレンジ精神が旺盛だと言うことなのであるが・・・。
 おめでたい席なので、ちょうどよかろうと思って、祝島のパンフレットを配った。みんな結構興味津々だったようだ。何人かは、そのうち祝島に来るかもしれない。
 その後、二子玉川(通称ニコタマと呼ぶ)にある同級生の薬師のゆうさあの家に泊めてもらう。

[2004年4月1日]
 今週末はたぶん島の桜が一番いい時期だろうが、残念ながら東京行きなので、桜の撮影のため急遽昼便で帰った。えべす商店で出田のパンを買って、自転車で三浦から北野を回った。ギアを一番軽くしても、さすがに三浦からの登りはきつくて、途中はかなり自転車を押して歩いた。三浦湾でも写真を撮ったが、どうも実物に比べて、写真では山の遠景の中で桜があまり目立たない。特にホームページではあまり大きい写真を掲載できないので・・・いや、もしかしてウデのせいか・・・。(^^;
 北野の溜め池に上がると、仕出し屋の浜本さんたちも軽トラに乗って桜を見に来ていた。北野の山桜の群生は、さすがにすばらしい。写真でどれだけ雰囲気が伝えられるかわからないが、本物の方がずっと綺麗で迫力があることだけはたしか。トピックスに写真を掲載したが、近くの方はぜひ現地に見に行ってもらいたい。
 溜め池から少し下がったところで、山桜を見ながら出田のパンを食べる。「の」の字マークのクリームパン。懐かしい味だ。袋のデザインも子供の頃と変っていない。
 北野からの下りは楽勝。一度もペダルを漕がずにブレーキだけで長磯の海岸まで下りられる。途中、何人も桜を見に上がるおばさん達に出会った。家の近くまで帰ると、善徳寺のヒロくんとサトくんが、刀(もちろんニセモノ)をいっぱい腰にさして待ち構えていた。トライアスロン用の自転車が珍しいようで、「これは何?」「これは何?」とパーツについてあれこれ質問攻めにあう。
 上関で用事があったので、夕方の便で島を離れる。明日は東京行きの準備。

[2004年3月29日]
 善徳寺のぼっちゃん達が春休みで島に帰ってきて、カブト虫の幼虫を育てている水槽の土の入れ替えをしていた。夏に立派な成虫に育つといいね〜。(^^)

 昼便で島を出て、町役場に寄って上関町のブロードバンド化について担当の方と少し話をした。上関局(上関・室津はこの交換局を利用)については、役場が行った署名活動の結果、利用見込み者数が200人を少し超えたようだ。この数はNTTなどの業者が交換局のADSL化工事を行うかどうかを決める目安となる数字で、利用者が200人以上というのが、いちおうのメドということらしいので、割合早くADSL化が実現できる可能性がある。蒲井局(蒲井・四代・白井田が利用)と祝島局については、インターネット利用者だけで200人という数字を集めるのは、おそらく無理だろうから(^^;、自治体からの補助が必要だろう。とりあえずは、町の方もブロードバンド化に向けて動き出してくれたということで、少し希望が出てきた。

[2004年3月27日]
 柳井市文化財保護審議会会長の松岡先生ご一行と一緒に、大遠付近の遺跡調査へ同行した。例の石の刻みやその周辺の調査を行った。このあたりの石の並び方などの雰囲気は何か神秘的なものを感じていたが、もしかすると本当にすごい遺跡なのかも知れない。松岡先生から「こりゃ、大発見じゃあ!」という声が連発。「平安時代の石積塚の可能性が」とか「こりゃあストーンサークルじゃ」とか「弥生式の石棺墓じゃないか」とか、なんだかすごい可能性があるようだ。今後の調査に期待したい。

 山から帰って、夜は今日カヌーで島に来られて民宿に宿泊されている原さんご一行と飲み会。なぜか、格闘技の話で盛り上がる。原さんは昨年の瀬戸内海縦断カヤック隊にも参加されていた。最近、周南市櫛ヶ浜で「ダイドック」というカヌーショップ(アドベンチャーショップと呼んだ方が良いかもしれない)を始めて、早速祝島のツアーを企画して来てくれた。アラスカやアマゾン河でのカヌーでの冒険やアメリカ大陸自転車横断などを経験された、かなりのツワモノであり、なかなかの好青年でもある。
 「ダイドック」のホームページは http://www13.ocn.ne.jp/~daiduk/ です。ぜひご覧ください。

[2004年3月26日]
 夕方の便で祝島に帰ってきたら、NHK山口放送局の封筒が届いていた。受信料の取立てかと思ったら、以前に祝島に取材に来られた浅野吏英キャスターからの手紙だった。テレビは3月22日が、ラジオは3月26日が最後の出演になり、結婚して5月からは沖縄で暮らすことになるとのことであった。急いでラジオをチューニングして、夕方6時50分からの最後のラジオ放送を聴いた。「ニュース・天気予報」だったので、さすがに最後のご挨拶はなかった。(^^;
 吏英さん、お幸せに!! (^^)/~~~

[2004年3月25日]
 橋部さんから「大発見!!!」というメールが届いた。徐福遺跡調査で何かが発見されたらしい。「おお〜っ!」と期待して続きを読むと、先日僕がなくしたデジカメのレンズキャップを見つけたという話だった・・・(^^;

[2004年3月23日]
 昼御飯に下松の吉野家に話題の「豚丼」を食べに行きました。お客さんはかなり多く、牛丼販売停止の影響はあまりないのかも・・・。で、豚丼の味は、牛丼とあまり変わらなかったです。肉の歯ごたえが牛肉に比べると弱い感じですが、その辺は、牛丼には入っていないゴボウが入っていて、うまく歯ごたえを補っていると思いました。こんなことなら、狂牛病の検査をまともにやらないアメリカの牛肉なんて、輸入しなくても困ることはないのでは?という気もします。昔、あれだけ食べていた鯨肉を食べられなくなっても、別に困ることもないんだし(たまには久しぶりに食べてみたい気もするが)。牛肉なら国産やオーストラリア産のもあるし。
 この春は花粉症の症状がでなくて、ラッキーっと思っていましたが、今日になって症状が出ました。しかし、ラジオでは、スギ花粉は今日辺りで終息に向かい、これからヒノキ花粉が増えると言っていました。もしかして、アレルギー反応の対象が変わった?そういえば去年の秋にも症状が出たし・・・。

[2004年3月22日]
 今日は祝島も寒い一日でした。蓬莱館にいると、どこかのおばさんが磯にヒジキでも取りに行くらしく、近所の家に「行かんかや?」と誘いに来たようです。その家のおじさんは「この寒いのに磯に行くんか!はーら、冷え凍れるど!」とたまげていました。祝島のおばさんたちは元気いっぱいです。
 さて、話は変わりますが、高知競馬場では、あのハルウララに武豊が乗ると言うことで、ものすごいことになっていたようです。105連敗中のハルウララに奇跡の初勝利をもたらすかと期待していましたが、あえなく11頭中10着に敗れ、連敗を106に伸ばしたようです。(^^; それにしてもあの人気はすごいですね。連敗とはいえ「継続は力なり」です。

[2004年3月20日]
 昼便で祝島に帰ろうと思っていたが、乗り遅れた(というか、起きた時点ですでに間に合わなかった・・・)ため、夕方の便で帰島。夜、東の波止の浜で「自遊人」のみっちさんと哲ぼんさんがキャンプしているところにお邪魔した。お二人はどこかの女の子を二人連れてきていた。祝島からは木村先生一家と、やっちゃん、マット先生が参加してすでに盛り上がっていた。途中で難波のカズ坊も参加。にぎやかな夜となった。
 カズ坊とは仕事(カズ坊の会社のホームページを請け負っている)の打ち合わせをする予定だったが、今夜はキャンプということで、仕事は明日に延期。(^^;
 東の波止のつけ根にオシッコに行ったときに見上げた空は、まさに満天の星空だった。

 みっちさんの運営する「自遊人」のホームページは http://www.megaegg.ne.jp/~micchi/ です。

[2004年3月19日]
 本日、アクセスカウンタが「111111」のゾロ目に。なにやら滅多に見られない皆既日食のような雰囲気である。次の「222222」はいったい何年後になるのだろうか?
 ところで「111111」人目のラッキーな人は誰だったのかな?

[2004年3月17日]
 考えてみたら、昨日は祝島ホームページの7周年記念日であった。携帯騒動で、すっかり忘れていた・・・(^^;
 本日、下松のヤマダ電機にて新しい携帯を購入。ドコモのを買うと高いのでauに新規契約。夕方の便で祝島に帰って、さっそく試してみると、ドコモの携帯では圏外だった郵便局の中や蓬莱館の中でもアンテナ2〜3本立っている。年割り引きがなくなる分だけ基本料金は上がる(これはちょっと盲点だった・・・)が、これだけでもとりあえずは替えた甲斐はあった。今までは家にいるときにかかって来たときには、今にも切れそうなのを我慢して、2階の窓から身を乗り出して話したことが何度もある。これでは近所のおばさんたちに話がバレバレである。(^^;しかも、夏ならまだいいが、冬は寒い! これからは家の中でも余裕で話せそうである。
 テレビのCMで松下由貴が持って歩いているナビウォークも使える機種なので、今度試してみようと思うが、祝島ではあまり関係ない。(というか、祝島の地図は出てくるのだろうか?)4月に東京に行った時に、もしかしたら六本木で迷って役に立つかも知れない。
 ただ、今はまだ使い方が把握できず、四苦八苦。電話番号が変わったのをあちこちにお知らせしないといけないし、名刺やチラシも全部作り直しなので面倒ではある。

[2004年3月15日]
 夕方、柳井のドコモショップへ。美人の店員さんから前回の機種変更後10ヶ月以内の場合は買い替えのときの割引が少ないと聞き、またまたショック。どんどん買い替えてくれた方が、メーカーは儲かるだろうに、いったいどういう訳だ?
 しかし、こうやれは安くあがるという裏技?も教えてくれた。知り合いでケイタイの機種変更をした人がいて、古いケイタイ(抜け殻)を持っていれば、それをもらって使うのなら安くできます。とのこと。もし、持っている人は大至急、ご連絡ください。(^^;
 結局すぐには買わずにドコモショップを後に、そのあと、”祝島研究家”のマーチンさんと柳井で食事。

[2004年3月14日]
 平さんの棚田の石垣の草刈へ行った。
 草刈参加者の皆さんが乗った夕方の「いわい」を見送って、潮が干ったところをみはからってケイタイを引き上げに。液晶画面の中が波打っていた。(^^;

[2004年3月13日]
 昼便で祝島に帰った。ボートの上であれこれやっていたら、かがんだ時にケイタイが海へダイブ! ショック・・・。(−−;
ケイタイがゆっくり海中に沈んで行く姿を呆然と見つめた。海底に着地したケイタイは、いつもより銀色に輝いて見えた。家に帰って、ためしにケイタイに電話してみたが、やはり呼び出し音は鳴らなかった・・・。

[2004年3月9日]
 今日はなんと42歳の誕生日だった。地味な誕生日であった。(^^;

[2004年3月7日]
 重村さんのお知り合いの遺跡に詳しい先生が調査に来られるということなので、ご一緒させていただき、久しぶりに山へあがって見ました。今日も時々雪がチラつく寒い1日でしたが、島の南斜面だったせいか、あるいはポケットにホカロンを入れていたためか、それほど寒さは感じませんでした。
 大遠三角点の近くにある刻みの入った石の周囲と、平家塚や行者様の周囲などを見て歩きました。大遠の付近は昔に九州と本州を中継する狼煙(のろし)台であった可能性もあるとのことでした。行者様の近くにある石垣が、祝島の石垣の積み方とは違うらしく、橋部さんが「ここに何かなかったか、お父さんに聞いてみてくれんかね?」と言われるので、帰ってから親父に聞くと、戦前から昭和30年頃まで「でんしんば」と呼ばれる施設があったそうです。要するに山の上で採れたイモや薪などを「ほぼろ」に入れて、ここからワイヤーと滑車を使って今の学校の上のあたりまで下ろしていたらしいのです。引力で下ろしていたので、相当のスピードで下りていたようです。で、使った滑車は下から背負って上がったとか。これが結構重かったようです。石垣作りに限らず、昔の人はいろいろと苦労して、そして工夫して暮らしていたんですね。

[2004年3月6日]
 雪のチラつく寒い1日だった。

[2004年3月5日]
 夕方の便で祝島へ帰島。今日はマジが強かったので船は白井田廻りだった。波を避けて長島の海岸線に沿って走ったが、やはり最後のハナグリから祝島の間はかなり揺れた。島に着いたら強風が呻っていた。
 明日は遺跡調査?の予定だったが、天候の関係であさってに延期になったらしい。

[2004年3月4日]
 無料ホームページサイトであるジオシティーズのページを調べていたら、「3ヶ月以上更新のないホームページは削除される場合がある」と書かれていたので、そういえば2000年に作った「クニさんの旅日記」のホームページは無事かいな?と思ってアクセスしてみたら、無事ではなかった・・・。(^^;
 「クニさん・・」ではなくて「TOMMYバリ旅行写真館」に置き換えられていた。まあ、3年以上更新していないので、いつ消されても不思議ではなかったのだが。幸い、データは自分のパソコンに残していたので、こちらのアドレスにアップロードしておきました。暇な人は見てください。
http://www.happy-island.net/tabi/

[2004年3月2日]
 今年の確定申告は無事終了。やれやれ。

[2004年3月1日]
 ラジオを聴いていて知ったのだが、今日は公立高校の卒業式だったらしい。ずいぶん長い間、高校とは関係のない生活をしているので、そういえば高校の卒業式は3月1日だったんだ〜。へ〜。という感じ。
 それよりも、最近は、3月というと確定申告の締め切りが近づいたなぁ。そろそろやらなきゃなぁ。という気持ちが強い。今年は国税庁のホームページで確定申告書が作れる。僕がパソコンを教えている生徒さん(といってもだいぶ年上だが)から、これのやり方を教えて欲しいという要望があったので、勉強ついでに自分の申告書をこれで作ってみた。用紙に手書きで記入するよりは少しはマシかな、という印象だった。パソコンに慣れていない人は、手書きの方がずっと早くできそうな感じだ。先日、テレビのニュースで、このシステムを使って印刷したら、他人の申告書が出てきたという話があったが、無事に自分のが印刷され、ホッとした。(^^;
 明日はさっそく印刷した申告書を持って税務署にGo!

[2004年2月27日]
 仕事で柳井に行った帰りにデオデオに寄って、「QUEEN JEWELS」というCDを購入。キムタク主演のTVドラマ(僕は見たことがない)の主題歌や挿入歌でクイーンの曲が使われて、それで今回のアルバムが発売されたらしいが、クイーンのベスト版中のベスト版という感じで、なかなか涙ものである。中でも「SOMEBODY TO LOVE(愛にすべてを)」という曲は、中学時代だったか高校時代だったか忘れたが、当時日本でも大ヒットした曲で、ラジカセというものを始めて買って、それにおまけで付いていた1本の生テープに自分で録音した数曲(当時はラジオから録音するのが一般的な使い方だった)の中に入っていた記念すべき曲だ。他の曲(たぶんこれ以外は日本の歌)も録音したはずだが、不思議なことに覚えているのはこの曲だけだ。英語の歌なので歌詞の意味は全く分かっていなかったが、今回CD(日本語の訳がついている)を買ったおかげで、25年以上経ってやっと歌の意味が分かった。(^^; 結構今の心境に近い内容だった・・・。

[2004年2月23日]
 祝島で仕事するうえで困っていること。(1)携帯電話の電波が弱すぎて、家の中ではほとんど使えない。(2)ブロードバンドが使えない。とりあえずは、この2点である。
 (1)はおそらく島に帰ってきたときに皆さん感じていることだと思う。(2)は遊びでインターネットを使う程度ならISDNでも我慢できるが、仕事となるとそうはいかない。5MBとか10MBのファイルを頻繁にやり取りするような場面では、とてもではないが祝島では時間がかかって仕事にならない。室積にアパートを借りている理由の一つにはADSL回線が使えるという理由もある。室積で5MB程度のファイルを送ると、だいたい20秒程度で送ることができる。しかし、祝島だとたぶん15分から20分くらいかかる。1回ですめばいいが、これを何度もやるとなると・・・。しかも、そういう場面はだいたい締め切り間際で、1分でも1秒でも時間がおしい場合が多い。(^^;
 若者にUターンしてきてもらおうと思ったら、こういう通信インフラの整備は不可欠だろう。せっかく、インターネットで距離の壁を越えることができると思ったら、時間の壁という別の壁があって、やっぱり田舎では仕事は無理。な〜んていうのは悔しいではないか。しかし、ほっておくと、NTTもYahooも積極的に上関町にやってきてくれるとは思えない。
 しかし、一方で、えー!そんなところでもブロードバンドが使えるのか?っていうところもあるのである。例えば、昨年暮れから周防大島ではADSLが使えるようになった。4月からはあの八丈島ですらADSLが使えるようになるらしい。こういう、営業的には難しそうな場所になぜNTTやYahooが来てくれたのか、というと積極的な住民運動が自治体や地域の商工会などを動かし、それらが一体となって実現方法を模索し、通信事業者に積極的にアプローチしたからである。この上関町でもこれからそういう運動を起こしていきたいと思う。
 ちなみに、パソコンを使わなくても、町内全家庭がYahoo!BBに入って、IP電話にしたとしよう。そしたら、町内ならどこに電話しても無料。東京や大阪に住む子供や親戚もYahoo!BBに入っていれば、そこにかける通話料も、逆に電話してくる息子や親戚の方の通話料も無料なのである。こころおきなく長電話ができるし、何度でも電話できる。遠隔医療や遠隔教育などにもつながるだろう。それなりに住民みんながメリットを享受できるのである。
 とりあえず僕は今すぐにでも欲しい! 祝島でWindowsアップデートしたら、とんでもない時間がかかるんじゃけえ!!

[2004年2月22日]
 昼便で祝島に帰ってきた。上関から四代までだいぶ揺られた。
 午後からますます風が強くなり、海は大荒れ。ときおり叩きつけるような雨。昼便で帰っておいて良かった。(^^;
 風邪も首の痛みもまだ完治していないが、だいぶ良くなった。

[2004年2月21日]
 まだ風邪は治らず。
 山口市で開催された「やまぐちSOHOセミナー」に参加。講師として来られた「SOHO@しずおか」のインキュベーションマネージャーをされている小出氏の話には大変感銘を受けた。

[2004年2月19日]
 花粉症かと思っていたら、風邪だった。今日は一歩も外へ出ず、引きこもり。
 せっかく家にいるので、「かすどろ」を作ってみた。やり方も分量もいい加減だったが、それらしきものが出来た。味は結構いけた。(^^)

[2004年2月18日]
 春らしい暖かい日が多くなって、それはそれで嬉しいのだが、暖かくなるとやってくるのがスギ花粉。どうやら、今日は少し花粉症の症状が出てきた模様。
 先日、周東病院の情報誌?に、花粉症のレーザー治療の話が掲載されていたので、パソコン教室の生徒で周東病院に勤めているTさんに、どんなものか聞いてみたら、鼻を片方ずつ治療するらしいが、片方だけで治る人もいるらしい。代金もそんなに高くなくて、受験生なども受ける人がいるらしい。で、気になったのが、どのくらい痛いかという話で、Tさんの話だと「歯を抜く程度の痛みらしい」とのこと。雰囲気的には「その程度の痛みなのでたいしたことはない」というニュアンスだったらしいが、自分では歯を抜くのは結構痛かったような気がして、どうも二の足を踏んでしまう。それから、その効果がどのくらい続くのかも気になるところだ。誰かレーザー治療を受けたことのある人は、ぜひご一報を。

[2004年2月16日]
 昼便で祝島を出る。ユウサーたちと一緒だった。この3週間、祝島を出るたびに同級生と同じ船だった。
 先日民宿に宿泊された平生のMさんのところに「石豆腐」を配達して、かわりにステーキをご馳走になる。(^^;
 平生のAppleという本屋(兼レンタルビデオ店)で、松田正平さんの画集を購入。あとでユウサーに送ってやる予定。Appleでは、今、山口県関連のミニ特集をやっていて、他には宮本常一さんの本などを置いていた。

[2004年2月15日]
 昼ごはんはユウサーのところでよばれた。久しぶりに「あおさ汁」と「かんぴょう汁」をご馳走になった。夜、再びユウサーとイーチャンが蓬莱館にやってきて、うどんとキャンデーの話で盛り上がる。イーチャンの話では、昔のキャンデーは袋に入っていなかったらしいが、僕の記憶には残っていない。小さい頃、うどんに味の素と醤油だけをかけて食べていた記憶がある。あれはあれで結構美味かった。イーチャンもそうやって食べた記憶があるらしいが、ユウサーはそういう食べ方はしなかったらしい。

[2004年2月14日]
 昼便で同級生のユウサーが帰ってきた。午前中は南西の風、午後からは大西になった。夕方、ユウサーかたの家を直すテゴに行く。夜、蓬莱館にユウサーとイーチャンがやって来て、松田正平さんの画集を見て、あれこれ話をした。

[2004年2月13日]
 夕方の定期船で祝島に帰ってきた。今日はこの時期には珍しくベタ凪だった。明日からは一転してシケになるらしい。いよいよ春一番が吹くか。

[2004年2月11日]
 今日は仕事で熊毛(現在は周南市)に行ったついでに、初めて八代のツルを見に行った。八代への今年の飛来は11羽。かつては300羽以上も飛来したことがあったらしいが、環境の変化により年々減っているようだ。ツル全体の数が減っているのかと思ったら、意外とそうではなく、九州の出水市には数千羽のツルが飛来しているらしく、ギューギュー詰め状態なのだそうだ。日本に飛来するツルの90%以上は出水市に来ているという一極集中の状態らしい。出水市では喜んでいる一方で、鳥インフルエンザに感染した鳥が混じってこないかとヒヤヒヤしているとのことだ。ツルの集団感染を防止するために、ツルの分散化も考えられているようだが、今のところ実現しそうにないとのこと。ちなみに出水市は鹿児島県で最も養鶏場が多いらしく、ニワトリへの感染も心配のタネだそうだ。何事も良い面ばかりではないようだ。そんな心配をよそに、八代のツルは広々とした田圃でのんびり羽を休めていた。

[2004年2月9日]
 久しぶりに結婚披露パーティーのお知らせが届いた。結婚するのはかつての走り仲間のカメちゃん。24時間リレーやオレゴン駅伝でもチームメイトだった。お相手は招待状によるとトーマスさんという外人のようだ。パーティーは4月3日に東京・六本木で。司会も友人がやるようなので、きっと楽しいパーティーになるに違いない。久々の上京になるので、できれば数日間滞在したいと思う。

[2004年2月7日]
 今日は時々雪が降る寒い一日だった。午前中はかなりの強風が吹いていた。
 5日くらい前から首から背中にかけて痛かったのだが、直りかけていたかと思ったが、今朝起きると悪化して、痛くて首が回らない状態(原因は借金ではない)。以前にも何度か(1〜2年に1回くらい)同じような症状があって、直るまでに3週間くらいかかった。困った。

[2004年2月6日]
 月曜日から島を出ていたが、今日夕方の便で帰ってきた。船でマーチンさんと一緒になり、いろいろと話をした。もちろん日本語で!(^^;
 マーチンさんは祝島の研究をしていて、橋部さんなどによく話を聞いているらしい。神舞の話などは、昔の言葉が多くて難しいと話していた。「例えば・・」と言って電子辞書で漢字を表示させて見せてくれたが、たしかに難しい、日本人の僕でも正確な意味がわからないような言葉も出てくる。漢字を書けといわれても書けないので、こういうときは電子辞書は便利だ。ものすごく使い込んでいると見えて、キーボードの部分がかなり色落ちしていた。
橋部さんのホームページに「家人は帰り早や来と・・・」という万葉集の英訳が掲載されていたので、あれはマーチンさんが訳したのかと思ってたずねたら、じつは万葉集を全部英訳した本が出版されているらしい。へぇ〜・・である。
 祝島に着いた時は、みぞれ混じりの雪が降っていた。

[2004年2月1日]
 昨日、ハッピーアイランド号を係留しているロープのモバを取っていたら、ナイフを海に落としてしまった。今日、お昼前に木村先生にナマコ捕り用のタマを借りて、無事ナイフを海底から引き上げることができた。ついでにナマコを2匹捕って早速昼食にて食す。なかなか美味。今日捕ったのは黒ナマコだったが、黒いのより赤いナマコの方が柔らかいらしい。

[2004年1月30日]
 祝島ネット21の会報第8号が出来上がった。今回は意外と余裕であった。とはいえ、予定より1日早かっただけのことである・・・(^^;

[2004年1月29日]
 午後から上関で仕事だったので、そのまま夕方の便で祝島に帰ってきた。先日亡くなったMさんの家へ行ってお線香をあげた。ここ数日は少し気持ちが落ち込んでいたのだが、ようやく心の区切りがついたような気がする。

[2004年1月25日]
 宇部市で開催されていた「松田正平展」へ行った。祝島で描かれた絵が結構出品されていて、なかなか楽しめた。正平さんとお友達のゴンちゃんの解説付きであった。
 宇部からの帰り道に、病気で入院していたMさんが亡くなったとの訃報が入った。Mさんには4年前に祝島にUターンしてから、あれこれとお世話になっていたし、Uターン後の初めての新しい友達でもあったので、とても残念でならない。

[2004年1月24日]
 祝島ネット21の会報の編集作業を開始。今回が第8号になる。年4回、1・4・7・10月に発行しているが、いつも締め切りぎりぎりになってしまう。人間はどうしてぎりぎりにならないと動かないのだろうか?しかし、不思議なことに、ぎりぎりになっても、いつもなんとか間に合うのである。(^^;

[2004年1月23日]
 朝目覚めたら、なんとなく外の雰囲気がいつもと違っていた。窓を開けると一面の銀世界。めずらしく祝島に雪が積もっていた。目覚めたときはまだ降っていたが、遅い朝食を食べているうちに、天気が回復してきたので、融けないうちに写真を撮りに出た。
 祝島で雪が積もるときというのは、不思議と風が無いような気がする。朝目覚めて、何か雰囲気が違うなと感じるのは、窓の外からの光の当たり方がなんとなく普段と違うのと、音がしないためだと思う。異様に静かなのだ。
本日の積雪量は3〜5cm程度といったところか。

[2004年1月20日]
 パソコンの引越し作業がやっとひと段落して、今日から新しい方のパソコンに本格的に移行。さすがに今までの(3年間使った)に比べるとサクサク動いて気持ちがよい。
 今日は昼便で祝島を出た。一仕事して、夕方下松の歯医者さんへ。この歯医者さんには祝島で1学年上だった旧姓木村英子さんが勤めており、久々に会った。歯医者の先生とももう顔なじみなので、治療中にときどきパソコンの質問をされて困ることがある。口をあけたままで答えようにも答えられなかったり、麻酔が効いていて、なんだか唇がフニャフニャ状態でしゃべりにくかったりするのだ。できれば治療を始める前に聞いてくれると助かるのだが・・・。

[2004年1月19日]
 運動不足解消のため、宮の階段を駆け上がってみた。ゆっくりだったのだがブチきつかった。フカヤが出そうなので1回だけでやめた。
 寝る前に蚊を発見!さすがに寒さで動きが鈍いようだった・・・(^^;

[2004年1月18日]
 練塀の調査に来られた広島工科大学の森保先生方と練塀の勉強会に1時間だけ参加。勉強会の先生は平万次さん。実際に練塀を作った経験をいろいろと聞かせていただいた。練塀というとまず石が思い浮かぶが、練塀を作るのに一番重要なものは土の質と練り方とのこと。石の方は大きさがそろっていればだいたいOKらしい。練塀を見る目が少し変わったかもしれない。話は祝島の地形などにも及び、非常に興味深い内容だったが、残念ながら僕はパソコン講習の予約が入っていたため、最初の1時間だけで中座。
 これから3月にかけて広島工大の学生さん達が本格的な調査を行なうようだ。

[2004年1月11日]
 先日新しいノートパソコンを調達した。今まで使っていたのは3年前に購入したものなので、ハードディスク容量などが限界に近く、だましだまし使っていたが、これで余裕で動くようになるかな。しかし、新しいパソコンの環境を整えるのには、しばらくかかりそう。旧パソコンに設定していたIDやパスワードが沢山あって、いくつかのパスワードは覚えていないものもある・・・(^^;
 祝島はお正月からずっと凪が続いていたが、今日の午後から風が出てきて、いつもの冬らしくなってきた。
 15日には綿村さん宅の餅まきがあるらしい。また壮絶な光景が繰り広げられるのだろうか・・・。

[2004年1月6日]
 皆さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 さて、今年は「神舞」の年にあたります。夏には絶対に祝島に帰るぞ!と思っている方も多いと思います。祝島人にとっては、4年に一度の神舞が人生の節目のひとつであると思います。私も祝島にUターンして丸4年が経ちました。この4年間で積み上げてきたものをさらに伸ばして行くとともに、一方では初心に帰って、新鮮な気持ちでいろいろな事にチャレンジして行きたいと思います。
 そのためにはまずは健康が第一。最近身近なところでいろいろなことがあり、特にそういう気持ちを強く感じる今日この頃です。皆さんも健康に気をつけて、今年1年元気にお過ごしください。




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