| 編集日記 |
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[2003年12月30日]
今までniftyのサーバを使っていた部分など、ホームページのデータがあちこちのサーバに分散していたのですが、ようやく1つのサーバに統合することができました。ついでにトップページも少し整理してみました。いちおう全体をチェックしたつもりですが、どこかでリンクの変なところなどがありましたら、ご連絡ください。
[2003年12月29日]
今日は同級生のカズトとエベスが帰ってきた。明日はヒロシが帰ってくる。毎度おなじみのメンバーではあるが、やはり同級生と再会するのは楽しみだ。
夕方、万歩計をつけて小山まで歩いてみた。ひらぎの蓬莱館から小山まで片道2700歩。往復で5400歩だった。これに日常生活での約3000歩を足してもまだ1万歩に届かない。お年寄りなら歩幅がせまいので、これでちょうど1万歩くらいになるかもしれない。健康のためにはそれなりの努力が必要なのだ。祝島でウォーキングをする折には参考にしてください。
[2003年12月28日]
先日ひび割れて痛かった右足のかかとは、ビタミンE入り軟膏が効いたのか痛みはなくなった。今日は普通に歩けた。久しぶりに学校や、お宮の方をウロついてみた。今日は凪で漁船がたくさん出ていた。正月の魚を釣るのだろう。東の波止には例の韓国のヨットが停泊しているのが見えた。中学校の横の空き地にはもう菜の花が咲いていた。お宮にはのぼりが立てられ、正月の準備もだいぶ出来ているようだ。近年は原発問題の影響や高齢化のためお宮にお参りする人は少ないが、正月に帰省した若い人たちにはぜひお参りして欲しいと思う。
昨日はSさん宅の忘年会によばれた。昔話に花が咲いたが、みんな僕より10歳以上年上なので、なかなかついて行くのが大変だった。「ぜんざい屋」(祝島弁では「でんだい屋」になる)とか「あたらし屋」とか屋号が平気で出てきて、いちいち僕は「そりゃあどこ?」と聞かなければいけなかった(^^; 最後に翌日の有馬記念の話題で盛り上がった。結局、結構みんな当たっていたようだ。僕も少しだけプラス配当だった。
我が家は今日、餅つきをした。といっても、僕は何を手伝うわけでもないのだが・・・。つきたての「あんべん」をさっそく焼いて食べた。今年もあと3日。
[2003年12月23日]
新潟県の巻町原発の建設を東北電力が断念、というニュースが入った。先日の石川県珠洲原発凍結に続いて、脱原発の流れは確実に進んでいるように思える。某新聞によると原発の後処理費用が約19兆円もの膨大な費用になることを11月に電力業界が始めて公表したとのこと。電力会社もその費用負担が経営上かなりのリスクになることは分かっているはずだ。かつて、「原発は他の発電方法と比べてコストが安い」と言っていた電力業界だが、いまやその主張は完全に覆された。今は「発電中に二酸化炭素をほとんど出さない・・」と、しきりに宣伝しているが、これだって、ウラン採掘から核廃棄物の後処理や原発建設工事、廃炉解体までトータルで計算すると、どうなるかわかったものではない。「電力需要の伸びを考えて・・・・」と言っていたが、今は電力は余っている状態だ。実際、数ヶ月間だが、東京電力の原発がすべて止まっても、結局は電力不足にはならなかった。いまや原発建設の推進は、地方に交付金をばら撒くという政治的理由でしかないように思う。そして結果的には、住民の対立を生み、地域社会の破壊という大きな傷跡を残すことになる。今回、巻町では推進派の議員からも「これで巻町の新たな一歩が踏み出せる」という声も上がっているようだ。交付金を使って立派な施設ができるよりも、住民同士の対立の無い住みやすい社会で暮らす方が地域住民にとっては幸せなのだ。もともとは原発推進派住民も反対派住民も地域の発展を真剣に考えているのである。住民が仲良く暮らせる社会がどんなに大切なものか、原発推進・反対にかかわらず、そこに暮らす人々は身を持って実感しているのだ。
残念ながら上関町では脱原発の流れに逆行するかのように、四代八幡宮の新しい宮司が神社地の売却を受け入れる方針を表明した。反原発団体では、神社地を売却しないよう嘆願書を出した四代の氏子さんを支援する署名活動を開始した。このホームページでも近いうちに署名用紙をダウンロードできるようにしようと思っている。ぜひご協力をお願いしたい。
話は変わるが、部屋の片付けをやっていたら去年NHKの取材の時に御礼にもらった万歩計が出てきた。「普通の生活をしていたらどのくらい歩くのだろう」とふと思って、今日1日万歩計を付けてみた。結果、3135歩。思ったよりずっと少なかった。やはり何か運動せねば。
昨日あたりから、どうも右足のかかとが少し痛むような気がしていた。風呂から上がってよく見てみたら、なんと、かかとに数箇所のひび割れが・・・。どうやったら治るか、どなたか良い知恵をお授けください。m(__)m
[2003年12月20日]
昨日・今日はこの冬一番の寒波。祝島も寒かった! 橋部さんのホームページに祝島から見た光市の山の雪景色が掲載されていたが、僕はその光市のアパートから今日の昼便で島に戻ってきた。光市は平地でもうっすらと雪化粧していたが、祝島は雪はチラついた程度だったらしい。昨日の天気予報では波が2mになっていて、こりゃ揺れるのー、困った!と思っていたが、実際はそれほどでもなかった。ラッキー。
Sさんに頼まれたデジカメを買って帰って、日付の設定をしているときの会話。「今日は何日じゃったかねぇ?」「20日」「うそーっ!\(◎o◎)/!」そう、気がついたら今年もあと10日しかない!まだ年賀状も書いていないし、やることは沢山残っている!頑張らねば。
[2003年12月12日]
今日は西風が強く、だいぶ波があった。昼便で祝島に帰ってきたが、ちょうど四代あたりで「ヤンマー」(岩本さんの船)とほぼ一緒になった。ハナグリから祝島までの直線の足比べ。さすがにこれだけ波があると「ヤンマー」には不利だろうと思ったが、祝島着はほぼ同着。ハナ差で「いわい」の方が先着。「ヤンマー」はどんな走りをしていたのだろうか?僕は「いわい」の中で足を踏ん張っていて、「ヤンマー」を見る余裕はなかった。(^^;
祝島ネット21で毎年作っている卓上カレンダーが出来上がった。今までは写真を使っていたが、今年は絵を素材に使ってみた。「祝島の想い出」というタイトルで、祝島の昔の風物詩を描いたもので、なかなかかわいい出来になった。描いてくれたのは重村通子さん。締め切り間際にお願いしたら、30分くらいで6枚描いてくれた。会員に配布するのと、不老長寿マラソンでお世話になった人に御礼としてあげるのだが、若干数は一般販売できると思うので、よかったら買ってください。
[2003年12月4日]
1日まであれこれと忙しかった。ようやく一息ついて油断したのか、この2日ばかり少し風邪気味だったのだが、なんとかひどくならずに治ったようだ。今日の中国新聞(山口版)に祝島の石垣の話題が大きく掲載されていた。あらためて先人の努力を再認識した。「おらがホームページ」にも掲載されているが、平さんの田んぼの石垣は本当にスゴイ!実物を見たことのない人は、ぜひ一度見に行ってもらいたいと思う。ヤブの草も枯れ、ヘビや蚊などもいなくなって、これから春にかけては山歩きにいい季節だ。
[2003年12月2日]
橋部さんのホームページがデビューした。僕も少しお手伝い。初日はなかなかの滑り出しだった。
僕の方のホームページは引越し作業がもう少し。家の引越しと一緒で、結構めんどくさい。そして、懐かしい写真やらが出てきて、作業が中断してしまう。(^^;
1万アクセス記念に作った針間さんのWeb絵画展「少年の島」のファイルを発見。せっかくなので、引越し記念で復活させてみようと思う。3年9ヶ月前のものである。
[2003年11月22日]
もう1年以上前から計画していたのですが、リンクやCGIの変更など、あれこれとややこしく、延び延びになっていたホームページの引越し作業に、ようやくメドがつきましたので、いよいよ「祝島ホームページ」のアドレスを変更しようと思います。新しいアドレスは
http://www.iwaishima.jp/
と、シンプルになります。先ほどからこの新しいアドレスでもアクセスできる状態になっています。長い間親しんだniftyのアドレスは今年いっぱいで使えなくなる(解約する)予定ですので、今のうちにブラウザの「お気に入り」の登録を変更しておいてくださいね。よろしくお願いします。
今までのアドレスは約6年間も使っているので、これを変更するのは芸能人がせっかく覚えてもらった芸名を替えるようなもので結構勇気がいるのですが、いつかは替えようと思っていたので、ここらで思い切って替えます。尚、今年一杯は新旧どちらのアドレスでもアクセスできる状態にしておくつもりです。
[2003年11月13日]
おかげさまで10万アクセス達成しました!\(^o^)/ みなさんいつもアクセスしてくれて有難うございます。
10万人記念やろうと思っていたけど、ここのところずっと忙しくて、何も準備できないまま、あれよあれよという間に10万人を通り過ぎてしまいました。(^^; ジャスト10万人目は誰だったんでしょうか?
[2003年11月11日]
万葉祭での「助さん」役が終わって、ホッと一息。助さんがメガネかけてたらサマにならないと思って、本番ではメガネをはずして出たら、目の前の人の顔がよく見えなくて、斬り合いの時は誰が誰だかよく分からなかった。(^^;
今回のテーマは「自由」ということで、生徒達はこのテーマに沿って劇や発表を行なっていた。いつもながら彼らの頑張りには頭が下がる。うまく行っても、いかなくても、いつも一生懸命がんばっている姿に、きっと島の人達は感銘を受け、元気付けられているのだと思う。
「自由」というテーマ。じつは僕が中3の時に、教室の後ろに各自が自分のモットーみたいなものを紙に書いて張っていたのだが、そこに僕が書いていた言葉が「自由」であった。担任の藤井先生から、「お前のが一番字がでかくて目立つので読んでみろ」と言われたことを良く覚えている。読むだけなら簡単なのだが、その意味するところはなかなか難しい。人からは時々「お前は好きなことをやっていて羨ましいなぁ」と言われるのだが、羨ましがられるほどの生活だとは自分では思えない。確かに会社勤めしているよりは自由に出来る部分もあるだろうが、生活そのものは不安定だ。生活は安定している方がいいに決まっている。でもその安定にはどうしてもある程度の制約が付きもので、僕はそれが嫌なのかもしれない。「自由」な状態っていうのは非常に不安定なもので、ある程度の「制約」を受け入れることで安定した状態に落ち着くのだろうか。うーむ、「自由」っていったい何だ?
[2003年11月7日]
今日は昼便で祝島に帰ってきた。「いわい」には上関小学校の子供たちが15人くらい乗っていて賑やかだった。祝島見学に来たようだ。
日曜日は祝島中学校の万葉祭だ。(去年までは単に学習発表会と呼んでいたが、いきなり固有名詞がついて、なんだかスゴイお祭りみたいだ。)小学校が休校になって子供の数も先生の数も減ったというのに、なんと出し物は増えている。なかなかパワーがあるなぁ。じつは僕も1つだけ出演することになっている。毎度おなじみの「祝島版・水戸黄門」である。今日は、その1回目の練習だったのだ。今までは悪徳商人の手下の1番とか2番とかいう役だったのだが、今年は人材不足のためか、いきなり「助さん」役に抜擢されてしまった。どうなることやら・・・。(^^;
昨日は楽しみにしていた「ロッカーの花子さん」の最終回。「さて、始まった。」ということろで、橋部さんから電話がかかり、結局話し終わったころには番組も終わりかけていた。橋部さんの話を聞きながらテレビ画面を見るという、非常に中途半端な状態で、見たような見てないような気持ちだ。今日の深夜に再放送があるので、もう一回見よう。今日は橋部さんから電話がかかりませんように・・・。(-_-;)
尚、橋部さんも万葉祭で出番がある。「祝島の石の文化」について発表される。昨日の電話は、発表の時に表示するデータをどうするかという話だったので、「今、花子さんを見てるから後にして!」とはとても言えなかった。
[2003年11月3日]
この連休は天気がイマイチ。でもこのところずっと雨が降っていなかったので、畑の作物にとっては恵みの雨か。今年の祝島は例年より紅葉が鮮やかなような気がします。
3ヶ月に1回発行している祝島ネット21の会報が出来たので、診療所に持って行ったら、「アレルギー性鼻炎でお困りの方へ」というチラシを見つけた。手にとってみると、どうやら「通年性アレルギー性鼻炎」っていうのがあるらしい。うーん、困ったぞ。ちなみに、このチラシに登場しているキャラクターは懐かしい「ハクション大魔王」と「あくびちゃん」だった。(^^;
注目の熊毛南・野球部。残念ながら中国大会でベスト4入りならず。来年春の甲子園出場はちょっと難しそうだ。21世紀枠でも22世紀枠でもいいから出してよ!って言いたいところだが...。 関西では朝のラジオ「おはようパーソナリティ」の道上洋三さん(熊毛南の卒業生)がずいぶん盛り上がっていたようだ。同級生から来たメールでは、今朝は10分以上熊毛南の話をしていたらしい。「練習終ったら、見田商店でパンと牛乳食べてると思うよ。」とか・・・。(^^;
[2003年10月25日]
この1週間はやけに忙しかったので、ホームページはほとんど手付かずだった。昨日の夜、親からタマネギの苗を頼まれたので、島に帰る前に柳井駅の近くのヤナイ園芸に寄って帰った。柳井から室津に向かう途中、夕方の便まで少し時間に余裕がありそうなので、室津スカイラインという道路を通ってみた。じつは先日、ある人から「あそこからは海がほとんど見えん」という話を聞いていたので、百聞は一見にしかずと思い、この道を通って室津に出ることにした。
たしかに、山の上の方を通っているので、スカイラインというネーミングに嘘は無いのだが、走っている途中は、ほとんど海が見えなかった。見えても、ほんの一瞬。おまけに道が狭くて曲がりくねっているので、運転しながらよそ見するのはとても危険。途中ですれ違った車は1台もなかった。これなら海岸の道のほうがずっと快適だし、景色もよく、おまけに速い。今日は時間に余裕があると思っていたが、途中で間に合わないのではないかと後悔した。結局、一生懸命飛ばして、室津に着いたのは、「いわい」が上関大橋をくぐるのとほぼ同時くらい。やっとこさ間にあった。しかも、くねくね道を飛ばして来たので、自分で運転して自分で酔ってしまった。(^^; もう二度と通らないぞ! いったいこんな道を作ったのは誰だ! こんなものに何億円使ったんだ!
高いところから祝島を眺めるのなら、平生町の佐賀のあたりから大星山に登るのをおすすめしたい。山頂の駐車場では車の中からでも馬島、佐合島、長島、そして祝島と見渡すことができる。展望台に登れば、室津半島の反対側の大島方面も見渡せる。
[2003年10月17日]
最近困っていること。花粉症・・・のような症状が、9月の終わり頃からずっと続いている。目はかゆくないが、鼻がムズムズしてクシャミ・鼻水がなかなか止まらなくなる。鼻炎の薬を飲んでいれば出ないのだが、毎日飲むのはいかにも体に悪そうだし、困ったものだ。それにしても原因は何だろうか?この時期に飛ぶ花粉って・・・? 何か心当たりの人は、ぜひ教えてください。
[2003年10月13日]
昨日から雑誌の取材で来られている皆さんの案内役をやっていました。新幹線のグリーン車に乗ると各席に備え付けられている雑誌「ひととき」で、瀬戸内海の文化交流の特集を企画しているそうです。で、祝島の徐福伝説も登場するようです。お話は重村さんにお任せして、僕は道案内と軽トラの運転手でした。特集は12月号に掲載される予定だそうです。皆さん、新幹線のグリーン車を利用しましょう!(^^;
取材に来られた3名の皆さんは、いずれも旅の達人で、世界を駆け巡っておられるようです。その中のお一人、森本さんのホームページはこちらです。ぜひご覧下さい。http://homepage3.nifty.com/ryokodo/
[2003年10月12日]
最近のお気に入り。NHKの夜ドラとCHABA。
「夜ドラ」はあの朝ドラの若者向けバージョン。月〜木の夜11時から放送。「ブルー&ブルー」「ニコニコ日記」「帰ってきたロッカーの花子さん」と、このところ立て続けに面白い番組が続いていて、結構ハマッている。金曜の深夜に再放送で4日分まとめて見れるので、一度見逃しても大丈夫。
「CHABA」というグループはまだマイナーで、CDもタワーレコードでしか売っていないようだが、なかなか雰囲気があっていい。先日ラジオでたまたま耳にして、気に入ったのでインターネットでタワーレコードに注文して送ってもらった。蓬莱館では毎晩遅くまで繰り返しかかっている。
[2003年10月6日]
母校・熊毛南高校の野球部が秋の県体で初優勝! しかも、決勝では今年夏の甲子園で活躍した岩国高校を4−0で破ってのものだ。立派立派!後輩達のガンバリに拍手を送りたい。それにしても、僕たちが高校生の頃の野球部は弱小チームで、夏の大会で1勝でも上げればバンバンザイであったが、あれから20数年後にこういう時代が来るとは思いもしなかった。こうなったら、来年はぜひ甲子園に出場してもらいたいものだ。(もし出場したら、絶対に甲子園まで応援に行っちゃろう!)
あの弱小チームが県内一のチームになれるのだから、よい指導者に恵まれて、自分達でしっかり努力すればチームは変われるのである。20年間進歩のないどこかの町にも見習って欲しいものだ。
●熊毛南高校ホームページ→http://www.yunan-h.ysn21.jp/
[2003年10月5日]
上関町長選は原発推進派の柏原氏が当選した。原発計画の推進・反対で激しく闘った両陣営だが、1つだけ共通する主張があった。それは「住民の対立を無くさなければならない」ということ。それはほとんどの町民の願いでもあるだろう。にもかかわらず、それができないのは何故だろう?どうしたら対立が無くなるのだろう。柏原氏はTVのインタビューで、「4年以内に原発問題にかたをつける」と話していたが、住民の4割以上が強く反対している計画を強硬な(あるいは姑息な)手段で進めれば、ますます対立は深まり、町政に対する不満は爆発するだろう。それよりも、「4年以内に住民の対立を無くします」と言って欲しいものだ。
そもそも上関町政は今まで、あまりにも住民の声を聞く努力をしなかった。完全に町役場が「主」で住民が「従」の関係になっている。本来役人は公僕であり、住民の税金で雇われていることを忘れてもらっては困る。それなのに、原発についてどう考えるか、合併についてどう考えるか、住民の意見を聞かずに勝手に町が決めてしまう。辛うじて住民が意思表示できる機会は選挙で投票する時だけだ。これでは、推進の人がなぜ推進するのか、反対の人がなぜ反対するのか、分かり合えることは永遠にないだろう。いっそのこと毎月1回「町民原発大討論会」でもやって、大いにお互いの本音の意見をぶつけ合った方が、スッキリして理解し合えるのかもしれない。対立するのは討論会の時だけにして、普段は仲良くするとかね。
とにかく、新町長には、中電の声ではなくて住民の声を聞き、住民の声をまちづくりに活かせるような体制作りを進めていただきたいと思う。
[2003年9月27日]
久しぶりにメガネを新調した。今までかけていたのはたぶん10年近く使い続けたと思う。何度か踏んずけてラジオペンチで直したりして、フレームも少し歪んでいたし、買った頃には、暗いところでは透明に、日が当たると少し茶色っぽく色が変わるレンズだったと思うのだが、最近はもう変化しなくなっていた。表面のUVコーティングも少しはがれて、細かいキズが増えて、さすがに目障りになってきたので、先日、柳井の「メガネのパリーミキ」に新しいメガネを作ってもらいに行った。
で、視力の検査をしたのだが、驚いたことに、今まで使っていたメガネは僕の目には少し度が強すぎたらしい。「もう少し弱い度でも大丈夫」と言われた。まさか老眼になって近眼が弱くなったのでは・・・と思い、一応店員さんに聞いてみたが、どうやら老眼ではないらしく、ホッとした。(^^; ということは、もしかしたら近眼が少し治ったということだろうか。パソコンの画面を見る時間は以前と変わらないか増えていると思うのだが・・・。祝島に帰ってきて、山や海を見る機会が増えたことが目に良い環境を作っているのかもしれない。
で、今日、出来たメガネを取りに行って、フレームの微調整をやってもらっていたら、後ろから「クニヒロさん」と呼ぶ声がして、誰かと思ったら藤永のオバちゃんだった。祝島ではいつも「クニヒロくん」と呼ばれているのだが、よそ行きの言葉で「さん」付けだったのが、妙に可笑しかった。
[2003年9月21日]
今日も運動会。今日は防府に住んでいる甥っ子の運動会の写真係でした。今日は日差しも風も強かった。おかげでかなり日焼けしてしまった。
印象に残ったのは、最後の紅白リレー。あの独特の雰囲気がたまらない。僕は紅白リレーに出るほど速くなかったので、いつも見て応援している方だったが、それでも真剣勝負・頂上決戦という感じの独特の緊張感と盛り上がりがあった。僕たちの組では薬師のゆうさあが一番速かった。もう一度あの雄姿を見てみたいものだ。しかし、今のゆうさあにあの走りを期待するのは無理だろうから(^^;、どこかにあの頃の紅白リレーのフィルムが残っていないだろうか。と、ふと思った。
[2003年9月20日]
今日は運動会。暑くも無く、寒くも無く、ちょうどよい天気でした。午後から少し雨が降りましたが、もう後片付けも終わったあとだったので、ラッキーでした。
最近は、どうも運動不足ぎみだったので心配でしたが、綱引きの途中で足が釣りそうになりました。情けない・・・。(^^;
[2003年9月6日]
残暑お見舞い申し上げます。 それにしても暑い! 普通なら盆が過ぎると涼しくなるものだが、今年は盆までが梅雨で、その後が本格的な夏のような気がする。季節がだんだんずれてきているのだろうか?
今日は柳井市の白壁の町にある「むろやの園」で行なわれたイベントに顔を出した。中国新聞柳井支局が主催したイベントで、近郊の地域で手づくり商品などで地域の活性化に取り組んでいるグループなどが出品していたり、フォーラムが開かれたりしていたようだ。僕は、今年の4月にホームページ作りに携わった平生町の里山企画さんの「里山コンロ21」が出品されていたので、ちょっと顔を出した次第。1月に大分でのシンポジウムで一緒だった田布施町のハゼ蝋作りグループの宮坂さんとも久しぶりに再会した。ちょうど「むろやの園」の家主さんもいらっしゃって、しばらく話をさせていただいた。帰りに何かお土産を、と思ってぶらついていると、田布施農業高校の学生さんが、高校の実習で作ったと思われるジュースやマーマレードなどを売っていたので、みかんジュースを買って帰った。祝島に帰って、さっそく冷えた水で薄めて飲んだら、これがすごく美味い!今度見かけたらまた買うことにしよう。
会場で中国新聞社が記念日の新聞一面のコピーサービス(パソコンの中にデータベース化されていて、それをプリントアウトしてくれる)をやっていたので、昭和37年3月9日(つまり僕の誕生日)の新聞をコピーしてもらった。その日の新聞には、「沖縄問題、新局面に」「ケネディー大統領が政策裁断か」「返還要求続ける」「ベトコンが大攻勢」などという見出しが。当時はまだアメリカ占領下の沖縄、そしてベトナム戦争の真っ只中だったのだ。
[2003年9月1日]
およそ1ヶ月ぶりの編集日記。この1ヶ月は出来事が一杯ありすぎて編集日記を書く余裕が無かった(^^;ので、1か月分まとめて・・・。そういえば子供の頃夏休みの絵日記も最後にまとめて書いていたような気がする・・・。
まずは台風10号。あまり曲がってはくれなかったが、ほんの少し東に逸れたので、祝島では風はたいしたことがなかった。とは言え、台風の日(8/8)は定期船は欠航。9日にはもうマラソン参加者がやってくるので、ヒヤヒヤだったが、なんとか波も収まりランナーの皆さんを迎えることができた。最近ストレスがあまりないのだが、久しぶりに胃が痛くなる思いをした。
大会前日の夕日ジョギングは昨年までの2回はほとんど夕日を見ることは出来なかったが(昨年は大雨だった)、今年はもうバッチリ!台風一過の澄んだ空気のおかげで黄金色に輝きながら周防灘に沈むすばらしい夕日を見ることができた。
大会当日はすばらしい天気に恵まれ、参加者全員が完走し、ホッとした。今年は昨年まで放送係をやってくれた川口先生が都合で来られなかったので適任者がなく、仕方ないので僕と木村先生とでやろうと思っていたら、運良く?前日の夕方の便で1級上の木村(現在は津野崎)英子さんが帰ったので、急遽お願いしたが、見込んだ通りバッチリやってくれて助かった。
大会終了後、テントなどの片づけが終わったら、今度は「祝島寄席」の準備。三遊亭楽松さんの登場のテーマ曲はテレビ番組「笑点」の曲。善徳寺の奥さんに携帯の着メロでダウンロードしてもらったものを使った。これには楽松さんもビックリしていた。世の中便利になったものである。楽松さんの話は1時間以上笑いっぱなしだった。さすが真打!
お盆間は天気もイマイチで、気温もあまり高くなかった。久しぶりに帰った同級生の松村、薬師、黒磯と三浦の方に潜りに行ったが、15分も潜っていると寒くて寒くて、火を焚いて温まった。
14日の夜には蓬莱館で同窓会(7人だけじゃが)をやった。相変わらずヤチナシ話で時が過ぎていった・・・(^^;。それにしても松村は昔のことを良く覚えている。僕たちが小学生の時に祝島小学校に赴任された村上先生の息子さんが送ってくれたビデオを見ながら、「あっ、こりゃあ○○ちゃんじゃあ」とか「今なぁ○○先生じゃあ」とか次から次に名前が出てくる。藤井先生、大井先生、河地先生・・・、ちょこっとしか映っていなくても懐かしい名前が次々に出てきた。
盆が終わったら、夏の間ためていた(サボっていた?)仕事がドッとやってきた。今月から柳井の某病院とパソコンの保守やコンサルティング業務の契約をした。月に2回だが、久しぶりにネクタイを締めての仕事。やっぱり息苦しい・・・。
30日にはアメリカから5年前に同じチームで駅伝を走ったチームメイト(外人)がやって来た。初来日で当然日本語は話せない。祝島に来たいと言っていたが、結局今回は時間が無くて来られなかった。彼女とは広島で会って、3時間くらい一緒にいたが、相変わらずタフネスぶりを発揮して、平和公園から広島城から縮景園から広島駅と歩く歩く!しかも速い!4日前には富士山にも登ってきたらしい。英語でのやり取りなので定かではないが(^^;10月には新潟で開催される国際駅伝大会のアメリカチームの一員として再来日するらしい。ちょっと応援には行けないが、テレビの前で応援してやろう(放送されるかどうか知らないが)。
9月1日。6万年ぶりの火星大接近と言うことで、こないだから天体望遠鏡で見たかったのだが、祝島にいる時は天気がイマイチで見ることができなかった(肉眼ではしょっちゅう見ていたが)。今日、念願かなって見ることができた。夜12時ごろヒラギに天体望遠鏡を担いで出て、しばらく眺めた。で、天体望遠鏡で見た火星はどんなんかと言うと、線香花火の丸い火の玉の部分のようだ。もちろん「松になった、杉になった」てなことは無いので(あったらビックリする)、ただひたすらオレンジ色の丸い球があるだけだ。形が変わるわけでもなし、模様が変わるわけでもないが、動くことは動く。肉眼では動いているのがわからないが、天体望遠鏡で見ていると、どんどん動いていく。一度視野から外れると探すのがひと苦労なので、視野から外れないように常に追いかけて行かなければいけない。誰もいない夜のヒラギで虫の音を聞きながら、ひたすら火星を追いかけた。なんとなく秋を感じるひと時だった。
[2003年8月5日]
8月3日にマラソンコースの距離測定をした。1km毎に距離表示板を置くので、その位置を決めるためだ。メーター付きの自転車でコースを走ったのだが、最近運動不足なので、例年にも増してキツかった。(^^;
特に、2km手前から〜4km過ぎまで続く長い上り坂は、息も絶え絶え。しかし、フラフラ走ると距離が正確に測れないので、できるだけまっすぐ登らないといけないところがつらい。本番ではここを登りると給水所があって、一息つける。ここを過ぎると下りになって、自転車だとほとんど漕がずに三浦海岸まで下りることができる。ときどき展望が開けて、小祝島を眼下に望むときは本当に気持ちがいい。ランナーの皆さんには、ぜひ眺めてもらいたい風景だ。
ところで、今、一番心を悩ませているのは、台風10号。どうやら8日にはかなり近くまで接近しそうな雰囲気だ。できるだけ東に逸れて、影響なく通過して欲しいものだ。今は、昔流行ったスプーン曲げのように「曲がれ、曲がれ」と願うばかりだ。
[2003年7月25日]
8月の祝島不老長寿マラソンの準備が忙しくなってきました。今年も140人近いランナーが参加してくれることになりました。常連さんも何人もいらっしゃって、「あ、また来てくれるんだ」と思いながら準備しています。
話は変わりますが、先日、元四代小学校の先生をしていらした温品先生からメールをいただきました。まだ祝島ホームページを立ち上げて間もない頃に、メールをいただき、祝島ホームページを授業で使っていただいたり、祝島小との合同授業の様子を送っていただいたりしました。当時は僕も小田原に住んでいたのでメールのやり取りだけでしたが、とても懐かしい記憶が蘇ってきました。
その温品先生がホームページを作られていますので、紹介させていただきます。
Nuku's Island
よーく探すと、今はもう見られない初期の祝島ホームページの画面も登場していますよ。
[2003年7月15日]
いやー、今年の梅雨は本当に雨がよく降りますね。11日の夜などは、屋根に穴が空くかと思うくらい降りました。これだけ降れば今年は水不足にはならないでしょうね。昨日からやっと太陽が顔をのぞかせ、今日は午後からずいぶん暑くなりました。
4月9日の編集日記に書いた、昔の神舞の16mmフィルムの上映会を8月14日に公民館でやろうと思います。時間はまだ未定ですが、決まりましたらまたホームページでもご案内しますので、お盆に帰ってこられた方はぜひ見に来てください。入場料は無料です。
さて、話は変わりますが、今日はアメリカからメールが来て(ウイルスメールかと思って、危うく読まずに消すところでした・・。)、英語にひと苦労しました。5年前にアメリカの駅伝に参加した時のチームメイトのLoriからです。当時はまだ弁護士の卵だったのですが、もう弁護士になったのかなぁ。どうやら8月に旦那さんと一緒に日本にやって来るようです。旦那の仕事について来るらしいのですが、彼女のいとこが日本の空軍基地にいるらしく、そこを訪ねたいとメールに書いていました。もしその基地が岩国だったら、彼女の行動力から考えると、きっと祝島まで来るでしょう。しばらく英語と格闘する日が続きそうです。(^^;
アメリカでの駅伝の話に興味のある人は、「かけっこ.com」のかけっこコラム「めざせオレゴン!Part2」をご覧ください。
[2003年7月1日]
今年ももう半分終わって、今日から7月です。梅雨も後半。これから大雨が降ることが多いので、気をつけましょう。
火曜日の深夜、山口朝日放送では先日まで「男女7人夏物語」をやっていました。僕が大学を出て就職してすぐくらいに流行ったドラマです。バブル時代が懐かしい。明石家さんまも大竹しのぶも若かった!
で、「夏物語」が終わって、今度は「秋物語」かと思っていたら、もっと懐かしい「西部警察」が始まりました。裕次郎の雄姿が見られますよ!!
[2003年6月24日]
梅雨ですねー。先日から雨模様の日が続いています。おまけにこんな時期から台風が来てしまいました。うちのビワはもともと他の家のよりも遅いのですが、今年はようやく十日ほど前から収穫を始めたばかりで、台風で吹き落とされて、収穫しないうちに終わってしまうのではないかと心配でしたが、無事に台風は乗り切ったようです。(^^;
[2003年6月10日]
新しい掲示板「祝島人の井戸端会議2」を作りました。ずいぶん前から同級生のエベスに「写真を載せられるようにせえ」と言われていたのですが、ようやく実現しました。皆さん、どんどん顔を出してください。(^^)
明日は蓬莱館にエアコンを取り付けます。前に「井戸端会議」でタカボーさんから「夏までには付けておくように」という要望がありましたが、こちらもようやく実現の運びとなりました。ちょっと奮発してマイナスイオンとやらが出るやつにしました。僕自身はエアコンなしでもわりと平気なんですけどねぇ・・・。(^^;
[2003年6月2日]
台風4号が去り、よい天気になりました。今はビワの最盛期です。山ではカラス脅しの空砲が景気良く「パーン」と鳴り響いています。新聞社やテレビ局からもビワの取材に来ているようです。気温もだいぶ上がって、夏がすぐそこといった感じです。もう蚊も出てきました。昨晩は1匹の蚊のために眠れませんでした・・・(^^;
それにしても、こんなに早くから台風が来てくれてはたまりませんね。人間にはあまり被害はなかったようですが、ツバメの巣はあちこちで落ちてしまっていたようです。雛はまだ飛び立てないのに・・・。すでに5号が向かってきている模様、今度は遠くを通過してくれることを祈りつつ・・・。
[2003年5月16日]
5月14日、15日は室積市(普賢まつり)があった。昔は祝島からみんなで漁船に乗ってよく行ったものだ。30年近く行ったことがなかったが、せっかく室積にアパートを借りているので、久しぶりに行ってみた。(アパートからなんとか歩いて行ける距離なのです。)
14日はあいにくの天気で、昼過ぎまでは雨が降っており、その後もかなりの強風が吹いていたので、祝島から来た人は見かけなかった。
昔はカメやヒヨコを買っていた人もいたが、僕はそういう生き物は後がめんどくさいので買ったことがない。自分で買ったもの(と言っても、親からもらった小遣いなのだが)で覚えているのは、リンゴ飴を買って食べたのと、ゼンマイ仕掛けの「ゲバおじさん」(「ゲバゲバ90分」っていう番組のキャラクター)くらいのものだ。イチ飴はよく食べたが、自分で買った記憶はない。
今回行って見てビックリしたのは、室積市のお土産といえばこれ!と思っていた「イチ飴」がどこにも見当たらなかったことだ。いったい何処に行ってしまったのだろうか?ちょっとショックだった。 一方、リンゴ飴は仲間を増やして、ブドウ飴やイチゴ飴も登場していた。ご丁寧に「ミルクかけイチゴ飴」まであった。(^^; 生き物系の出店は金魚すくいくらいしかなかった。おばけ屋敷はなかったが、射的はあって、子供たちがむらがっていた。「型抜き」(板ガムみたいなのに描かれたカサとかの型をクギなどで綺麗に抜くと何かもらえるヤツ)も相変わらず根強い人気があるようだ。
[2003年5月10日]
もう20日くらい前になりますが、九州に住んでおられる方からメールをいただきました。15年位前に祝島に来られたことがあるそうです。その方の住んでおられる福岡県田川郡赤池町はかつては炭鉱で栄えたそうですが、炭鉱の閉山後は人口も減少し、町はいろいろと手は打ったものの、平成4年には32億円もの赤字を出して、財政再建団体になってしまったそうです。しかし、行政だけではなく、町民が一体となってその事態に立ち向かい、工夫やアイデアを出し合い、そして一緒に汗を流すことで、平成13年にはついには赤字を解消したそうです。
どこからか降って沸いたような金をあてにするのではなく、町民が一体になって取り組めばこういうことも可能だという、すばらしい例だと思います。とても参考になる話ですので、赤池町のホームページのアドレスを掲載しておきます。この中の「財政再建」の部分をぜひご覧下さい。
◆赤池町ホームページ http://www.akaiketown.jp/
[2003年5月3日]
ゴールデンウィークで結構たくさんの方が島に帰って来られているようです。今日は昼便も夕方の便も満員でした。僕も上関から乗りましたが、ずっと立っていました。でも、ベタ凪だったので、全然揺れることもありませんでした。
[2003年4月24日]
月曜日に、「民宿くにひろ」に宿泊されたSさんと一緒に、行者様の近くにある三角点に行きました。行者様の裏の道から逸れて、藪に入り、木にくくりつけた目印を頼りに進み、あと数十メートルのところまで行きましたが、森の中にポッカリ空いた空間があり、そこに突然大蛇が出現!(というか、ヘビに言わすと、「せっかく気持ち良く日向ぼっこをしていたら、突然人間が乱入してきた!」ということになるのだが・・・。) 一度ハミにかまれた経験があるというSさんの足はそこで止まってしまい、三角点を目前にして引き返すことになりました。それにしてもデカかった!僕も焦って、写真を撮る余裕はありませんでした。(^^;
この日はわりと視界が良くて、四国の佐多岬もはっきりと見え、祝島から約45km離れた所に建つ伊方原発も肉眼で確認できました。Sさんの持参した双眼鏡を借りて見ると、原発の巨大な建物の姿が大きく映し出されました。こんなものがたった4kmしか離れていないところに出来たらと思うと、やはりゾッとします。そうなったら風光明媚な瀬戸内海の景色も台無しです。原発の施設は夜も不気味に光っているんだろうから、星も見えにくくなるだろうし、祝島人のマスコット的存在(?)であるハナグリの灯台の光も興醒めですよねぇ。そういえば中電の環境アセスメントには、景観の破壊による人間への精神的影響とか、観光への悪影響などについてもまったく書かれていなかったような気がするなぁ。少なくともあれは、やり直させるべきだと思うけど。悪影響にはすべて目をつむって、何でもかんでも「影響は少ないと考えられる」なんだからなぁ。
[2003年4月9日]
先日、教育委員会に頼んで、昔の神舞の16mmフィルムを探し出してもらいました。映写機ごと借りて、蓬莱館で見てみました。昭和51年と昭和47年の神舞のフィルム(山口放送が制作したもの)でした。私が中学3年と小学5年の時です。昭和51年のは記録映画的な作品。昭和47年のはテレビで放映されたもののようです。竹末さんが主人公で登場しました。当時は高度成長時代で、公害で汚れていく瀬戸内海、若者がほとんど都会に出て行ってしまって過疎化が進む島、そして神舞の賑わい。これらがミックスされて、なかなか良い作品だと思いました。今はもう亡くなられた人もたくさん登場します。私も小学生時代のカワイイ顔で一瞬だけ映っていました。原発問題の無い、良き時代の祝島の映像です。今度、公民館で映写会をやってみようと思います。
良き時代と言えば、昔は上関町内で「総会」と呼ばれる地域対抗戦(運動会)が毎年町内のどこかで開催されていたらしく、交流も多く、町全体に活気があったようです。私が小学生の頃、上関大橋が完成した時の記念行事では、橋の上では華やかなパレードが、橋の下では祝島から繰り出した櫂伝馬が躍動し、町民全体がお祝いして、大変な賑わいだったことを覚えています。
しかし、20年前、原発問題の勃発で上関町は「暗黒の時代」に入ってしまいました。何もかもが原発に左右される状況が今も続いています。今回の町長選を見てもそうです。自分の意思で自由に立候補ができないというだけでも、日本中探してもめったにお目にかかれないのに、立候補する意思のなかった人が立候補させられるようなことになるとは・・・。立候補を取りやめた理由は「原発のために」、立候補させられた理由も「原発のために」。決して「町民の幸せのため」ではない。
[2003年4月7日]
海から桜を撮影しようと思って、ハッピーアイランド号で島を一周しました。三浦湾に入ると、ぐるりと周りを桜に囲まれる感じで、すごくいい雰囲気でした。昔、各地から船で花見に訪れていたのもうなずけます。かつては今よりもっと桜が多く、また、この時期に海ではクジラが潮を吹いていたらしいので、それは絶景だったと想像できます。
ただ、今日は途中で風が強くなり、白波が立ってきたので、のんびり花見をしている場合ではなく、あせってボートを港に走らせました。長磯あたりから、波がものすごく高くなって、どうしようかと不安になりましたが、しぶきでビッショになりながら、なんとか東の波止までたどり着きました。やはり海で油断は命取りですね。以後気をつけます。(^^;
[2003年3月20日]
今日、アメリカ軍がイラクに攻撃を開始した。フセイン大統領が危険人物であることは間違いないだろうが、ブッシュ大統領は、もしかしたら、それ以上の危険人物かもしれない。京都議定書からの離脱や国連を無視した武力行使など、ブッシュ大統領になってからのアメリカの身勝手な行動は目に余るものがある。世界で最も多くの大量破壊兵器を有しているアメリカがこれ以上暴走しないことを祈るのみだ。
この日、祝島上空には何本もの飛行機雲が一日中観測された。すべての飛行機雲が同じ方向に向かっていた。僕の目には岩国米軍基地と佐世保米軍基地を結ぶ直線に見えた・・・。
一方、上関原発問題では、用地売却に反対していた四代八幡宮の宮司が先日解任された。4月の町長選が上関原発建設を阻止する最後のチャンスになるかもしれない。
世界情勢も上関町の行方も一寸先はどうなるかわからない。
[2003年3月5日]
岡山県笠岡市の島の人達が祝島にひじき作りの研修にやって来られた。その面々の中に真鍋島の久一さんがいる。彼は真鍋島で「三虎」という旅館とユースホステルを経営している。じつは彼とはホームページを作り始めた頃に何度かメールをやり取りした仲である。当時、彼もホームページを作っていて、「将来、瀬戸内海の島々が一体となって何かできればいいなぁ」などという意見を送りあっていたものです。
彼はまた、僕がN社に勤務していた時の同期入社の同僚である掛谷くんの高校時代の同級生でもあり、なかなか不思議な縁でつながっていたのです。その彼が、「ひじき」が縁で祝島にやって来るとは、世の中は面白いものです。
真鍋島に行かれたときは、ぜひ「三虎」に宿泊してみてください。「三虎」のホームページは
http://www.urban.ne.jp/home/suntora/
です。
[2003年3月1日]
「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言われるが、本当にその通りだ。こないだ正月だったと思ったら、もう3月になってしまった。きっと3月もすぐに去ってしまうのだろう。
今日は夕方の定期船で久しぶりに同級生の黒磯君に会った。明日の朝便ではもう出るらしい。オジチャンを病院に連れて行って検査してもらうと言っていた。昨年末から祝島では突然倒れる人が多く、少しでも何かあると不安なのだ。そのオジチャンは夕方の定期船に黒磯君を迎えに出ていた。(^^; たいしたことがなければいいが・・・。
[2003年2月18日]
三寒四温。暖かい日と寒い日を繰り返しながら、徐々に春が近づいていますね。春になるのはいいのですが、花粉症の人にとっては憂鬱な季節でもあります。僕も10年位前から花粉症が発症してしまいました。今年は花粉が多いという話なので、ちょっと心配です。いろいろと薬も出ていますが、一番いいのはスギ花粉の無い場所に行くことでしょう。3年前には春にオーストラリアに行っていたので、花粉症とは縁がありませんでした。(その代わり、オーストラリアで風邪を引いたが・・・。)しかし、毎年そういうことをやるわけにいきません。
祝島にももちろん杉はたくさんあって、この時期には当然花粉が飛ぶわけですが、本土よりは祝島にいる時の方が花粉症の症状が軽いですね。島から本土に渡ると、いきなり症状が出てきたりします。(特に田布施の麻郷あたりを車で走っていると、くしゃみが出て止まりません。)
考えてみたら、祝島は周りを海に囲まれているので、本州や九州から飛んで来るスギ花粉は、祝島に着くまでにだいぶ海に落ちていそうだし、祝島のスギ花粉も、山から人家に向かって吹く風の時以外は、あまり人家にやってこないのでしょう。また、一度海に落ちた花粉は二度と舞い上がっては来ないだろうから、そういう点でも本土よりは花粉が少ないということになるでしょう。もちろん個人差もあるでしょうから、花粉症の皆さん、一度祝島に来て、花粉症が軽くなるかどうか試してみてください。
[2003年2月2日]
国東半島・伊美から帰ってきました。シンポジウムについては「近況報告」に書いたので、ここは別の話題で。
今回の大分行きは、田布施でハゼロウ作りをしておられる宮坂さん、佐古さんと一緒に旅をしました。現地では昨年秋に祝島に来られた丸山さんにあれこれお世話になりました。また、芸術ギャラリー「涛音寮」の館長で創作屏風作家の和田さんにも、大変お世話になりました。
その和田さんの案内で、イラストレーターで陶芸作家の中野さん(雑誌プレジデントなどのイラストを描いておられます)や、創作木工・くにさき六郷舎の恒成さんなどにお会いすることができました。和田さんは伊美で生まれ育ったようですが、中野さんと恒成さんは新しくここに移ってこられたそうです。伊美は祝島に負けないくらい静かなところでしたが(^^;、こうした新しい芽が徐々に根付いているという気がしました。また町長さんはじめ国見町の行政の方も、こういった若い方々の意見を積極的に取り入れて「まちづくり」を進めておられるように見受けられました。
興味ある方は、お三人に関係するホームページをご覧下さい。
和田さんの「涛音寮」 http://www.coara.or.jp/shop/2000/10/touinryou/
中野さんの「ラ パロマ」 http://www.lapaloma-k.com/
3人のお話 http://www.oitaweb.ne.jp/tkc/kiroku01-5-02.htm
それから、伊美別宮社に奉られている陰陽神は子授け・安産の神様だそうです。宮司さんの話では実際に何十組ものご夫婦から「生まれました!」という報告が届いているとか。子供が欲しい方はぜひお参りに行ってください。「縁結びにも・・・」と書かれてあったので、僕はそっちの方をお願いしておきました。(^^;
[2003年1月25日]
午後から山に登ってみました。この時期は蚊やアブに悩まされることもなく、ヘビの心配も無いので、安心して山に行けます。
峠の段々畑でじっとしていると、あちこちから鳥の鳴き声が聞こえてきました。気をつけて見回すと、ビワなどの木に、(たぶん)メジロやヒヨドリなどがとまっていました。たまにはバードウォッチングもいいものですね。
大相撲は横綱貴乃花が引退し、朝青龍が2場所連続優勝を決め、おおらく次の場所には新横綱に昇進するのではないでしょうか。どの世界でも時代は確実に変わっていきます。そんな中で、上関町は広域合併という時代の波にも乗り遅れそうです。片山町長は「原発の金は合併しても元の上関町で使うようにすることが前提」と一点張りで、他の地区の市長・町長は身勝手と受け止めている模様。おまけに原発問題が自分の地区に波及するのも怖いため、結局、上関町抜きで合併する方針のよう。まあ、4月の町長選の結果いかんでは大きく変わる可能性がないでもないが・・・。
[2003年1月18日]
1月31日に大分県国見町で開催されるシンポジウムにパネラーとして参加することになっています。シンポジウムのパンフレットが届きましたので、お知らせします。お近くの方は、ぜひご参加ください。神舞でゆかりの地、伊美が会場ですので、伊美別宮社にも立ち寄ろうと思っています。伊美に行くのは、じつは初めてです。中学の修学旅行ですぐ近くの竹田津の港を利用したのに、その後すぐに宇佐神宮に行ったんですよね。考えてみたら、せっかく神舞で繋がりがあるのに、伊美別宮社にはなぜ寄らなかったんだろう?
さて、シンポジウムの詳細です。
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周防灘30カイリ・潮の路 県際間交流シンポジウム
「海で繋がるまちづくり・ひとづくり」
〜周防灘を介した交流と観光を考える〜
日時:平成15年1月31日(金)13:00〜16:30
場所:大分県東国東郡国見町
国見町生涯学習センターみんなんかん
主催:国土交通省、東国東地域活性化協議会
周南地区広域市町村圏振興整備協議会
プログラム
13:00〜 基調講演 米村洋一氏
「海で繋がるまちづくり・ひとづくり」
14:30〜 アトラクション 周南ジャグリングクラブ(大道芸)
15:00〜 パネルディスカッション
「周防灘を介した交流と観光を考える」
(コーディネーター)
佐藤誠治(大分大学工学部教授)
(パネラー)
和田木乃実(涛音寮館長、国見町)
金谷俊樹(昭和の町仕掛け人、豊後高田市)
児子敏明(JTB徳山支店長、徳山市)
宮坂和枝(ハゼの実ロウ復活委員会、田布施町)
國弘秀人(祝島ネット21事務局長、上関町)
(アドバイザー)
米村洋一(多摩大学総合研究所客員主任研究員)
16:30〜 閉会
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今回のシンポジウムでは、国東半島と周南地域の交流のさきがけとして、神舞が非常にクローズアップされており、なんとパンフレットの3分の1は神舞の紹介になっています。主催者側からは「神舞の話と祝島ネット21の話をして下さい」と言われています。
[2003年1月5日]
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。正月間の日記をまとめて書きます。(^^;
大晦日から元日にかけて「蓬莱館」に集まって飲んでいました。いつもの顔、久しぶりの顔、初めての顔、気がついたらいつの間にか年が明けていました。酔った勢いで、善徳寺の鐘を一発思いっきりつきました。
元日には「行者様&祝島最高点トレッキング」に参加しました。357mの最高点に行ったのは初めてです。木村先生の案内で行者様の裏の道から森の中に入り、しばらく進むと、ちゃんと三角点がありました。でも木に囲まれていて、ほとんど展望はありません。一緒に行ったヒロシは、年甲斐もなく、三角点の横の大きい木に登っていましたが、それでも、まだ展望は望めなかったようです。
元日の夜も「蓬莱館」で飲みました。この日は、北海道宗谷岬で牧場長をされている氏本さんが、牧場の肉牛で作ったハンバーグを持ってきて焼いてくれました。みんなで試食会をしました。とても美味しかったです。インターネットでも注文ができるようですので、ぜひ食べてみてください。
2日の午前中、墓参りに行った帰りに、吉本の家に寄ると、イサオはせっかく島に帰ってきたのに、インフルエンザにかかっていました。うつされないように早々に退散しました。
2日から4日にかけて、「蓬莱館」で映画上映会をやりました。初日は「ハリーポッターと賢者の石」。満員(といっても9人)。2日目は「スパイダーマン」。観客は半分。3日目は「ミッション・インポッシブル2」。もう”若いし”は本土に帰ってしまってガラガラ。おまけにプロジェクタが故障しました。(^^;
4日、5日は祝島もとても寒く、4日には雪も降って、山は一時雪化粧していました。
明日から仕事。今年も1年がんばりましょう!
[2002年12月26日]
おかげさまでホームページのアクセス数がついに7万人を超えました。そこで改めてホームページ開設のころに書いた文章を読んでみると、「このホームページは少しでも島の発展に貢献できればという想いで・・・」と書いてあります。この気持ちをいつまでも持ち続けたいと思います。
さて、いつもは出来るだけ明るい話題を提供するように努めているつもりですが、今日は敢えて祝島の問題点を取り上げたいと思います。それは原発による島内の対立の問題です。まずは、先日私のところに届いたメールを読んでください。(匿名でということで掲載許可をいただきました。)
−−−−−−− 以下、メールからの転載です−−−−−−−−−−−−
私の親戚は島民の1割の原発推進派です。先日十数年ぶりに親戚の葬式で祝島に行きましたが、島の雰囲気の変わりように悲しくなりました。
「原発推進派は原発反対派から村八分にされている」と噂には聞いていましたが、村八分どころか、葬式さえも無視されていて驚きました。原発誘致の話が持ち上がるまではみんな仲が良い人達だったのに、昔いろいろお世話になっておきながら葬式も来ないなんて・・・棺桶の種類まで原発推進派は差別されているなんてあまりにも酷すぎます。本当は原発反対派の人の中にも葬式に来たい人はいたようですが、行った事が反対派の人に知れると今度はその人が仲間外れになるそうで来れなかったそうです。原発推進派の人は、島のいろいな行事や4年に一度の祭り「神舞」にも参加させてもらえません。まるで子供のいじめと同じです。いつからこんな「鬼ヶ島」になってしまったのか・・・。
原発反対派の人は原発の事故による自然破壊を恐れているようですが、上関町に原発が出来なくてもすでに近くの愛媛県には伊方原発があります。伊方原発が事故を起こせば祝島を含め瀬戸内海はどうしようもありません。原発反対で豊かな自然を残すのもいいですが、このままではどんどん過疎化が進み、後何十年か後には無人島になってしまいそうです。私が心配なのは、これからどんどん高齢化が進む祝島には病院がないことです。一週間に一度県外からお医者さんが診療に来られているようですが、病気は一週間も待ってくれません。緊急の場合など助かる命も助かりません。
もっと島民が昔のように仲良くして、原発を含め島の将来について真剣に話し合うべきではないでしょうか。いつまでもいがみあっていたら明るい未来は見えてきません。
−−−−−−−以下、続編メールです−−−−−−−−−−
先日送った内容の中でははっきり述べていませんでしたが、私個人としては原発はできればない方がいいと思います。
今日「K-19」の映画を観て、放射能事故の恐ろしさを改めて実感しました。ただ今の日本の電力状況では原発なしでは難しいと思うのですが。
私は原発反対派の人も原発推進派の人も昔のように仲良くしてほしいのです。一度こじれた感情はなかなか元に戻りにくいのは分かります(特に年輩の方)。でもこれから島をしょっていく若い方たちが頑張れば少しずつ良くなるのではないでしょうか。
私は島のみんなが元気でおだやかな生活を送っていけたらいいと思っています。幼いころは毎年夏休みに祝島に遊びに行くのがとても楽しみでした。はやくあの頃のようなにぎやかでやさしい島に戻ってほしいです。
−−−−−−−−−−−− 転載はここまで−−−−−−−−−−−−−
皆さん、このメールを読んでどのように感じましたか?
残念ながらここに書かれていることは事実です。(ただし、彼(または彼女)の感じている程、今は対立は激しくないと私は思います。)
事実という点では、この他にも、回覧板は反対派と推進派は別々に回す。島内清掃・草刈の場所が別々になっている。反対派はお宮(宮司さんが推進派)に初詣に行かない。など、表立った行事では親戚関係や近所同士の関係よりも、まず原発反対派か推進派かが基準で区別されるという風潮があります。また、島内の反原発デモで個人の誹謗中傷が未だに続いている(以前に比べると声がずいぶん小さくなりましたが)など、反対運動が激しかった頃の悪しき制度・習慣がそのまま残っています。
一方で、個人同士のつきあいという点では、反対運動の激しかった頃のように、道で会っても口も利かないなどとということは、最近はあまり無くなったのではないでしょうか。少なくとも私の周辺では、反対派・推進派に関係なく親しく付き合いをしていると思いますし、それに対してとやかく言う人もいません。
もちろん一部にはまだ不仲な人もいるでしょう。しかし、おそらく、島に住んでいる人も、島外にいる出身者も、今のような状態を「良し」とする人はいないでしょう。それなのに、どうして過去の悪しき制度や習慣を引きずっているのでしょうか?このようなものが原発計画を止めるのに役に立っているとは思えないし、むしろ祝島を住みにくくしているというマイナス面だけだと思うのですが、皆さんはどう思いますか?
元のような祝島に戻すために必要なものは何でしょう? 私は一人一人のちょっとした勇気だと思います。
[2002年12月23日]
親父が「テレビでクリスマスはなんぼうでもやるが、天皇誕生日はひとつも言わんのう」と言っていた。言われてみればその通りだ。
蓬莱館でもクリスマスイルミネーションはやったけど、日の丸は立てなかった・・・。
[2002年12月22日]
蓬莱館でスキヤキパーティーをしました。肉は駐在さんが買ってきてくれました。味付けは橋部さん。なかなか美味しかったです。駐在さんとは、正月に映画上映会をやろうかという話で盛り上がりました。蛭子のおじさんは風邪のため欠席。こじらせないよう気をつけて欲しい。
[2002年12月19日]
先日、私の伯父が亡くなりました。94歳なので大往生と言っていいでしょう。「お前が結婚するまでは死なれん」と会うたびに言ってましたが、ついに待ちきれなくなったのでしょう。
今年は私の同級生の親も何人か亡くなりました。「そういう歳になったのかなぁ」と、少し寂しく思うと同時に、「やはり人間はいつか死ぬんだなぁ。自分はあと何年生きられるのだろうか。」と、ふと考えたりします。もちろん結論は出ませんが。
さて、祝島の人口推移をみるとこの3年間で60人減っています。1年で20人減です。このまま単純計算するとあと34年でゼロになります。いやな予測ですが・・・。
[2002年12月14日]
「蓬莱館」の窓を使って、クリスマス・イルミネーション(って言う程の大それたものではないけど)を始めました。クリスマスイブまで、毎日夕方5時から7時まで点灯しようと思います。今日は初日なので、8時までやりました。もうすでに何人かが見物にやってきました。
たしか「ことしおホームページ」に”祝島ではクリスマスの雰囲気はまったくない”と書かれていましたが、たしかにその通りでした。でも、僕達が子供の頃には、ちゃんと橋本にケーキを注文してクリスマス・パーティーもやってたし、山に杉を切りに行って、それを漬物の桶に立ててクリスマスツリーも作っていました。
2.5m×1mの非常に限られた空間ではありますが、祝島の人たちが少しクリスマス気分を味わって、楽しんでいただければと思います。それにしても、窓に吹き付けたスノースプレーの匂いがかなり強烈です。(^^;
[2002年12月11日]
トップページにニュース機能をつけたのですが、どうでしょうか? Flashを使っているので、古〜いパソコン(ブラウザ)の人は、もしかしたら見れないかもしれませんが(ほとんどの人は大丈夫と思うのですが)、そういう人はすみませんが、ブラウザを新しくするか、プラグインでFlashを入れてくださいませ。m(__)m
ISDNルータの設定がやっとうまくいきました。(問題はルータ側ではなくてPC側とケーブルだったのですが...。)これで複数のPCを同時にインターネットに接続することができます。
ついでに無線LANで接続できるようにしようと思います。経費節約のため、またオークションで物色しています。(^^;
昨日、今日と寒い日が続いています。祝島の今日の天気は、曇りときどき雨。祝島弁では「曇りときどきすばえ」でした。
[2002年12月9日]
久々の日記。蓬莱館もだいぶ道具が増えてきました。今日はここに祝島ネット21のメンバーが集まって、来年の「祝島卓上カレンダー」の組立作業をやりました。
そのうちここでパソコンの講習会もやろうと思います。みんなにインターネットを使ってもらおうと思って、ISDNルータをYahoo!オークションで買いました。(最近はブロードバンドが普及してきたので、ISDN関係の機器はもう電気店で売っていないんですねー。)設定がうまくいかず、まだちゃんと動きません(^^;
尚、蓬莱館は部屋のレンタルもしますので、使いたい人は言ってください。(僕の仕事部屋は貸しませんけど・・・)
[2002年11月19日]
今日は蓬莱館の電話工事をやりました。机やイスも入って、パソコンも家から移動させました。これで本格的に稼動状態になりました。ただ今、夜の12時前。祝島ではほとんどの家では寝静まっていますが、蓬莱館の一室でホームページを作っています。
[2002年11月10日]
蓬莱館がほぼ完成しました。予定より10日ほど遅れましたが、なかなかの仕上がりになりました。何ができるのか気になるのか、いろんな人が見に来ているようです。(^^;
来週一週間は本土での仕事、次の日曜日は学習発表会なので、18日から機材などを整えつつ、ここでの仕事を開始しようかと思っています。3分の1は仕事場、3分の2は遊び場(^^;なので、皆さんぜひ遊びに来てください。
[2002年11月2日]
以前に祝島に遊びに来られた広島のYさんに奨められて、田布施の浄泉寺の本堂で行われたコンサートに行ってきました。ピアニストWong
Wing Tsanさんと、ゲストのフォークシンガー大塚まさじさんのコンサートです。Wongさんは、「自然と心」をテーマにした音楽をたくさん作られていて、最近ではNHKの「心の時代」という番組や「世界遺産・中国・九寨溝」という番組のテーマ曲も手がけたそうです。
大塚まさじさんは、40歳代後半から50歳代の方はご存知の方も多いと思いますが、1970年にザ・ディラン・セカンドというグループを結成して、「プカプカ」という曲などを歌われていたそうです。僕もグループの名前と、この曲名は聞いたことがあります。
お寺の本堂の真ん中にグランドピアノが置いてあって、その周りを200人近いお客さんがグルリと取り囲んでいました。澄んだピアノの音色がなかなか心地よかったです。
興味のある方はこちらのサイトを見てください。http://www.satowa-music.com/
[2002年10月25日]
今日はめずらしく夜釣りに出かけました。すいさんかの前のクレーン波止でサビキでアジを釣ってたのですが、もうちょっとで帰ろうと思っていたときに、大物がかかりました。水面までは上がってきても、そこからまったく持ち上がらなくて、サオを持ってジタバタしてたら、隣で釣っていたオジサンが「そりゃあチヌじゃあ。ナンボーそれで上がろう!ワシが引いちゃるけー、こっちへ寄せえ」と言って、ソロソロと釣り糸を引き上げてくれて、無事クーラーボックスに納まりました。40cmくらいのチヌでした。(^^)v
[2002年10月23日]
蓬莱館は内装の工事に入りました。岡部さんも電気配線の工事でちょくちょく現場にやって来られています。
蛭子のおじさんや重村のおじさんも、気になるようで、ときどきチェックに来てるようです。(^^;
祝島ネット21会報(第3号)の編集作業にやっと取り掛かりました。毎回、締め切り間際になってあわててやっています。悪い癖だが、なかなか治らない...。
[2002年10月14日]
IT講習会が終わりました。皆さん7月の時よりもレベルアップしていましたよ。これで今年の講習は終わりの予定でしたが、もしかしたら、あと1回できるかもしれません。その時はデジカメとWordを使って年賀状作りでもやってみようかと考えています。
蓬莱館の方は、屋根ができて、サッシが入りました。今週は外壁ができる予定です。
ところで、8日のNHKの放送はご覧になりましたか?祝島ではなかなか好評だったようです。
[2002年9月29日]
高橋尚子選手がベルリンマラソン2連覇。マラソン6連勝を達成した。世界最高記録こそ出なかったが、体調が万全ではない中で、2時間21分台(日本人では高橋選手以外は出したことがない!)という記録はすばらしい。常に課題や目標を掲げて、それを一つ一つクリヤしていく彼女の姿勢を見習いたいものです。
さて、予定がちょっと延びたキャンデー屋あらため蓬莱館のリフォーム工事がいよいよ明日から始まります。
[2002年9月24日]
今週末からキャンデー屋のリフォーム工事が始まります。で、いつまでもキャンデー屋と呼ぶのも変なので(^^;、別の名前を付けようと思い、祝島に似合う名前を考えていたのですが、「蓬莱館(ほうらいかん)」という名前にすることにしました。
ホームページのトップに付けた辞書検索機能で調べてみると、「蓬莱」の意味は、「中国の神仙思想で説かれる想像上の仙境。東方の海上にあって、仙人が住む、不老不死の地と信じられた。蓬莱山。蓬莱島。よもぎがしま。」とのこと。なんとなく祝島らしい名前だと思いませんか?(そういえば祝島に「蓬莱屋」という屋号?がありましたね)
それに、「蓬莱」の草かんむりを取ると「逢いに来る」という文字になります。勝手な思い込みですが、なんとなく人が集まって来そうな気がします。さしあたっては、僕達が集まって酒を飲む場所になるかも知れませんが・・・。(^^;
[2002年9月17日]
キャンデー屋の片付けをやっていたら、いろんなものが出てきています。今日は40年くらい前のものと思われる6枚グエのブッツケが出てきました。ガラス窓の欠けたガラスの穴をふさぐために使われていました。(^^;
表側の絵は安っぽいカラー印刷で「おトラさん」と「びっくり勘太」のマンガです。と言っても、僕にはおトラさんも勘太さんも、何者かよく分かりません。絵を見た限りでは、おトラさんは単なるオバさん、勘太は捕り物の岡っ引きらしい姿ですが、なぜか派手なメガネをかけています。
裏は青っぽいインク1色の印刷で、「空飛ぶジープ」とか「コバルト爆弾」とか「ロケットテラピン」とか「赤十字」とかのタイトルとそれらしい絵が描いてあります。他に、グー・チョキ・パーの絵と、「庄屋」「鉄砲」「狐」の文字、そして不思議な数字の羅列(暗号?)が書いています。たぶん色々な遊び方が出来るようになっているのではないかと思います。
どなたか、こういうブッツケが記憶に残っている方は、ご一報ください。

[2002年9月16日]
今日は夕方から雨になっています。じつに久しぶりの雨です。もしかしたら、不老長寿マラソンの前日の夕方の土砂降り以来の雨かも。風もビュンビュン、雷もピカピカ・ゴロゴロ。今にも停電しそうです。(^^;
「そういえば、これだけ雨が降らないのに、よく断水にならなかったなぁ・・・」と思っていたら、最近は米を作る農家が少なくなっているので、カタアの溜池とかからも、水道用に水を引いているとのこと。ナットク。喜んでいいのやら悪いのやら・・・。しかし、とりあえずこの雨は祝島にとっては「恵みの雨」になりそうです。
[2002年9月15日]
「祝島なんでもランキング」コーナーを新設しました。皆さんぜひ投票してくださいね。それから、「こういうランキングを知りたい!」という要望がありましたら、ぜひ國弘まで。
[2002年9月8日]
今日、横綱貴ノ花が1年4ヶ月ぶりに土俵に復活した。新小結・高見盛との一番は異様な雰囲気があった。それにしても貴ノ花の精神力はすごい! 周りに何を言われようとも、「答えは土俵の上で出す」、そういう信念が彼の無言の姿から溢れ出ていた。15日間の長丁場、これからどうなるか分からないが、ヒーロー復活を願っている人は多いはずだ。僕もその一人。今日の一番は見るほうも力が入った。(^^;
さて、話は変わりますが、今月末からヒラギにあるキャンデー屋のリフォームをやることになりました。キャンデー屋と言っても、たぶん若い人にはわからないと思いますが、要するに昔(僕が小学生の頃まで)ここでアイスキャンデーを作っていました。その後、うどんの麺も作っていましたが、うちがそういう商売をやめてからは倉庫として使ってました。屋根がだいぶボロボロになっていたし、僕も自由に使えるスペースが欲しかったので、思い切ってリフォームをすることにしました。
で、工事にかかる前に中を整理しなくてはいけないのですが、いらない物がたくさんあって、なかなか片付けが大変です。製麺機やらアイスクリームのストッカーやら、未だに残っていて、どうしようかと悩んでいます。
リフォーム後は、僕の仕事場としても使いますが、できればみんなが気軽に集まってこれるような場所にしたいと考えています。
[2002年8月31日]
台風15号が近づいてきた。ボートを買って以来、台風が近づくたびにハラハラしてしまう。
おかげで漁師さんたちの苦労が少しわかるようになった。
[2002年8月28日]
今日は植物学会の南先生、橋部さん、木村先生と僕の4人で小祝島の植物観察(ほとんど探検に近い)に行った。
小祝島には橋部さんの第二平成丸で渡った。第二平成丸には初めて乗ったが、すっげー速い! 僕のハッピーアイランド号と比べると、乗用車と原付バイクといった感じだ。
今日1番の大発見はバクチノキの大木。南先生の話だと、天然記念物に指定されてもいいくらいとのこと。
明日は祝島の南側を回ってみる予定。
[2002年8月27日]
昨日の昼飯を食べる前から左アゴが痛くなった。「ギックリ顎」?と言うか、顎の骨の噛み合せが悪いというか、何もしていなければ平気なのだが、いざ食べようとすると痛くて、力を入れて噛むことができない。誰か、治し方を知っていたら教えてください。m(__)m
[2002年8月24日]
少し秋の気配がしてきました。窓を開けて網戸のままで寝ていると、明け方は寒く感じることもあります。お盆休みで祝島に帰ってきた人も、そろそろ祝島ボケが治って、普通の社会生活に復帰されたことと思います。
さて、おかげさまでホームページのアクセス数が6万人を突破しました。これからもよろしくお願いします。
[2002年8月21日]
マラソン大会も盆も終わって、ようやく落ち着きました。盆には同級生にもだいぶ会うことができました。今年は同級生の松村博と一緒にマラソン大会に出場しました。僕が59位、博が60位です。終わってみれば運動場半周分だけ僕が勝っていました。レベルは低いですが、ライバル対決に勝ったので良しとしましょう・・・。(^^;
国広一登は去年に続いて誘導係のボランティアをやってくれました。去年は三浦の一番端の折り返しを頼んだら、「暑かった!」と文句を言っていたので、今年は北野から三浦に下る途中の木陰になっているところをやってもらいました。今度は「蚊が多かった!」と文句を言ってました。(^^)
薬師雄三は、今年が初めてです。去年一登がやった三浦の折り返しの誘導係をやってもらいましたが、ビデオを撮影しながら結構楽しそうにやってました。帰りにビデオカメラを学校の校門の上に忘れていて、探し回っていたようです。後で雄三のところのオバチャンが、そのビデオに映っている大会や閉会式の様子を、「うら、これがえいのや」と言いながら、何度も見ていたそうです。
14日に博と雄三と雄三の兄のイーちゃんとでHappy Island号に乗って、祝島1周しました。途中、長磯で黒磯達則がおじちゃんの船で釣りをしていたので、こっちの船に移ってもらって、総勢5名でのクルージングになりました。博は小島で潜みましたが、収穫なし。雄三は浮き輪に乗って遊んでました。黒磯は小島の横でヒョコタンを何匹か釣り上げました。
[2002年8月4日]
報告が遅くなりましたが、1ヶ月前にボートを買いました。室津のKさんが乗っていたボートを買い、Happy
Island号と名付けました。10数年前に関東にいた頃に小型船舶の免許を取って以来、一度もボートの運転をしたことがなく、まったくペーパードライバー状態だったので、着岸の時などはいまだにハラハラです。(^^;
そのボートで、昨日はお客さんを乗せて祝島を一周回りました。その後、木村先生の遠泳(なんと対岸の田ノ浦から祝島まで4km泳いだ!)に付き添いました。泳ぐスピードにあわせてゆっくり進んでいたのですが、波や風があったので、スイサンカで見ていたおじさんたちには、ボートが流されているように見えたようで、漁船が助けにやってきてくれました。(^^; おじさんは、こちらに近づいてきて泳いでいる木村先生を発見して一言「おえぎょーるんか!?」と言って帰っていきました。どうもお騒がせしました。m(__)m
大阪のいわもとさんにお願いしておいたマラソン大会のTシャツが今日届きました。あと1週間、いよいよ準備もラストスパートです。
[2002年7月26日]
20日から3日間、ランナー仲間の合宿を祝島でやりました。総勢11名。遠くは北海道帯広からも参加してくれました。
印象を聞くと、やはり祝島は異国の地に思えるようです。きっと今頃、祝島ボケに悩んでいることでしょう。(
^^) _旦~~
第2回祝島不老長寿マラソンの準備が本格化してきました。24日で参加申し込みを締め切りましたが、昨年を越える申し込みがありました。参加者への発送作業、ゼッケンやTシャツの発注、参加賞の準備、コースの草刈など、大会当日まで準備作業が盛りだくさんです。(^^;
[2002年7月18日]
昨日久しぶりにソフトバレーボールをやったらフカヤがでました。フカヤってなぜフカヤって言うんだろう。
昔から不思議だったが、いまだ疑問は解けず。
今日は小中学校のスポーツマッチに参加。ブチ久しぶりに野球をやりました。壮絶な打ち合いの末、延長戦でも決着がつかず、20対20の引き分けでした。両軍の皆さん、ご苦労様でした。
[2002年7月13日]
昨日で祝島公民館で開催したIT講習会が無事に終了しました。参加された皆さん、4日間お疲れ様でした。また、アシスタントで手伝ってくれた皆さん、ありがとうございました。
皆さん、顔見知りなので、ワイワイガヤガヤと結構楽しい4日間でした。これで、また祝島でインターネットを使う人が増えるかな?
今日は、植物学者の南先生をお招きして、「祝島植物観察会」が開催されました。今まで、ただの草や木と思っていた植物も、南先生のお話を伺うと、とっても珍しい植物だったりして、まさしく祝島再発見でした。昨年、マラソンの話題でRCCラジオに電話出演した時に話しをしたアコウの木など、じつは僕は一度も見たことがなかったのですが(^^;、今回初めて見ることができました。これで次回からは少し自信持ってお話できます。
[2002年6月27日]
6月27日発行の「小泉内閣メールマガジン」によると、日本のインターネット普及率は全人口の44.0%。この2年間で倍以上に伸びているそうだ(統計には携帯電話も含まれている)。しかし、世界レベルで見ると第16位と、意外と低い。さらに意外なのはトップはアメリカじゃなくて、スウェーデンだということ。普及率は64.7%だそうな。
それから、いわゆるブロードバンドの普及率のトップは韓国。サッカーだけじゃなくてここでも日本は韓国に遅れをとっている。日本でも昨年あたりからADSLが普及し始めているが、残念ながら上関町はまだサービスエリアに入っていない。もちろん祝島も。ちなみに田布施や平生は今年3月末からサービスが開始された。
僕のやっている仕事(例えばC社から依頼された仕事)は、祝島でもできることがほとんどなのだが、メールでのデータのやり取りが頻繁に必要な場合は、室積に借りているアパートで仕事している。理由は、室積ではADSLが使えて、祝島ではISDNしか使えないから。それだけだ。例えば2MBのデータを受け取って、何か処理をした上で送り返すことをする場合、祝島では受け取るだけで20分かかる。室積では1分だ。送ったり、受け取ったりという作業が何回か必要な場合、この差は大きい。特に締め切り間際だと、1分1秒を争うとは言わないが、数十分を争う事態は結構あるので(^^;、絶対にADSLが使える場所にいないと安心できない。
「e-Japan重点計画2002」では、「平成17年までに、必要とする全ての国民が超高速アクセスが可能な世界最高水準のインターネット網を低廉な料金で利用できるようにすることを目標の一つとしている」らしい。ADSLでも光ファイバーでもいいから、はやく祝島でブロードバンドが使えるようにして欲しいものだ。「なんとかしてよ小泉さ〜ん!」(^O^)/
[2002年6月27日]
この1ヶ月間は、ちょっと仕事に追われていました。東京のC社から依頼された仕事がやっと終わったので、トップページを少しいじくってみました。ホームページ検索ツールと辞書ツールを付けましたので、ぜひ利用してみてください。
[2002年5月26日]
今日は日本ダービーでした。1番人気のタニノギムレットが優勝し、波乱続きだった今年のクラシックレースでは初めて堅く納まりましたね。僕の予想では、1着のタニノギムレットと2着のシンボリクリスエスにちゃんと印が付いています。やはり買わないときはよく当たります。(^^; 正確に言うと、買うつもりだったのですが、時間がなくて買えなかったのです。
今日は、スターピア下松での「風の祭典」の公演の裏方を手伝うことになっていたので、朝10時に集合でした。馬券はパソコンで9時から買えるので、時間的にはギリギリ買う時間はあったのですが、ちょうどその時間に田布施の知人から電話があって、結局買う時間がなくなってしまいました。何もこんな時に電話くれんでもいいのに・・・。
さて、「風の祭典」の公演では、舞台の合間に太鼓などを出したり引っ込めたりという役でした。たったこれだけですが、出すタイミングや置き場所を覚えておかないといけないので、結構疲れました。朝11時半からのリハーサルを1回やっただけでのぶっつけ本番でしたが、なんとか無事に終わりました。でも、舞台のすぐ脇にずっといたので、公演を間近に見ることができて、なかなか良かったです。子供たちが生き生きとした表情で楽しそうに太鼓をたたいている姿は、見ていて気持ち良いですねー。
余談ですが、この舞台のプロデューサー(っていうのかな?)、進行や演出をやる責任者の人が、祝島中学校時代の大井先生にそっくりだったのが、妙に気になりました。
[2002年5月23日]
5月のIT講習が終わりました。今回はバッチリ声が出たので楽でした。(^^;
いよいよ次は7月9日からの祝島公民館でのIT講習です。楽しみですねー。
[2002年5月8日]
久しぶりに見た吉田拓郎に触発されたわけではないのですが、4月に開講したギター教室にちょこっと参加しています。音楽はまったくダメなので、ドレミファから練習を始めていますが、なかなか指が動いてくれません。(^^;
[2002年4月20日]
今週はIT講習を4日間やりましたが、カゼで声が出なくて、大変でした。今回受講された皆さんには、お聞き苦しくてすみませんでした。やはり健康が第一ですね。7月にはついに祝島でIT講習をやることになりました。どうなることか、今から楽しみです。(^^;
さっきBS放送でシンガーソングライターの特集をやってたので、懐かしくてついつい見てしまいました。番組の最後の曲は吉田拓郎の「イメージの詩」。映像は1979年の篠島オールナイトコンサートの時のライブでした。じつは、この現場に僕はいたのです。
当時、僕は高校3年の夏休み。受験勉強はそっちのけで、はるばる鈍行列車を乗り継ぎ、名古屋まで行き、名電に乗り、バスに乗り、フェリーに乗って、愛知県の知多半島と渥美半島の間に浮かぶ篠島まで一人旅をしました。篠島は祝島よりだいぶ小さい島で、歩いてもすぐに島の裏側に行けたと思います。とにかく暑い一日で、島なので影も少なく、コカコーラの1リットル瓶(当時はペットボトルがなかった)に水を入れて持ち歩き、ひたすら影を探していました。コンサート会場は島の埋立地(たしか島の面積の4分の1くらいあったと思う)。何万人が集まったのかもう忘れましたが、ものすごい熱気に包まれていました。長く暑い一日がようやく暮れようとして、海からやっと風が吹き始めた頃、海からの風に乗って流れてきた「ああ青春」のイントロは感動的でした。翌朝まで続く長い長いコンサートの始まりでした。
[2002年4月11日]
4月になって祝島の関係者でも新しい動きがありました。学校の校長先生が代わられたし、支所の窓口も立畠さんから石丸雅美さんに代わりました。郵便局では橋部さんが定年を迎え、代わりに青森から工藤さん(奥さんが祝島の人とのこと)がやってこられました。清水智子ちゃんは高校生になり、木村涼くんは中学生になりました。
都会から見れば時間が止まっているように見える祝島でも、確実に時は刻まれているんですね。
[2002年3月16日]
「祝島ホームページ」が誕生して、今日でちょうど5年になりました。アクセスカウンターもちょうど5万人を突破しました。この数字はニフティのサーバーに引っ越して(98年2月)からの数字なので、開設当初からだと、実際はもうちょっと上なんですね。この「編集日記」の一番最初(97年6月16日)に書いたものを見ると、「3週間で100名を突破しました。思っていたよりも多くの方が見てくれているんだなーと思います。」などと書いていているので、たぶん最初の1年間で1500人くらいだったんでしょうね。まだあの頃はインターネットを使っている人も少なかったので、この数字でも自分では結構喜んでたんですねぇ。
アクセスカウンタの数字が増えるのはもちろん嬉しいのですが、それ以上に嬉しいのは、祝島出身者の皆さんからメールを受け取った時ですね。特に最初の2年間くらいは、「ホームページ見ました!」というメールをもらうと、本当に嬉しかった。そういうメールを受け取ると、「がんばってやらなきゃ」という気持ちになったものです。もちろん今でもそうですが、開設当初はそういう気持ちが本当に強かった。会社から帰って、夜中の12時頃からホームページを作っていて気がついたら夜が明けかけていたこともたびたびありました。次の日、やっぱり会社では眠かった...。昼休みには、会社の実験室に椅子を並べてよく寝ていました。(^^;
「祝島ホームページ」を作り始めたことは、僕にとっては、ある意味で人生のターニングポイントになった気がします。このホームページを作り始めてから、本当にいろいろなことがありました。それらのほとんどは、僕にとっては良い事でした。色々な人と出会えたり、繋がりが強くなったり、貴重な体験をさせてもらったり...。このホームページの影響を一番受けたのは、おそらく僕自身でしょうね。
[2002年3月9日]
本日40歳の誕生日を迎えました。最初の20年はずいぶん長かったような気がしますが、後半の20年は早かったですね。ということは、これからの20年はもっと早い?!(^_^メ)
頭と身体の両方が満足に動けるのは、たぶんあと20年。やりたいことはやって、悔いのない20年にしたいものです。
[2002年3月7日]
テレビのニュースによると、今年は桜の開花が早いようですね。祝島は今年は20日くらいに咲き始めるのでしょうか。祝島にはソメイヨシノもありますが、いろんな種類の山桜があり、また、日当たりの良い場所や悪い場所もあるので、咲く時期に結構バラツキがあるように思えます。おそらく3月末から4月始めが花見には一番良い時期になりそうです。ちょうど春休みなので、祝島に花見に帰るのもいいのではないでしょうか。
ジイサン、バアサンの話によると、昔は、この時期には祝島の周りにクジラがたくさんやって来て、山は一面の桜、海はクジラの潮吹きで、それはそれは見事な風景だったそうです。最近、どこかの海岸にクジラが何頭も打ち上げられて話題になりましたが、もしあのクジラが祝島に来たら、昔のあの風景が見られるのではないかと思ったりもします。
P.S. 30代もあと2日です...。(^^;
[2002年2月18日]
以前からずっとやろうと思っていた、「盆くどき」の掲載がやっとできました。まずはライブ版を1つ掲載しましたが、唄の歌詞はいろいろと種類があるらしいので、今後もライブラリを増やして行きたいと思います。
写真は40年代(僕が小学生の頃)の神舞のときの盆おどりです。とっても賑やかですね。最近は盆おどりの時、踊る人が少なくて、盛り上がりがイマイチなのがちょっと寂しい気がします。ちゃんとした流暢な踊りができる人も、だんだん少なくなっていますので、なんとかして映像に残しておきたいなぁと思っています。僕達もいちおうは踊れますが、いい加減な踊りなので、一度正式な踊りを教えていただきたいという気もします。聞くところによると、祝島の盆おどりのように、後ろ向きに回っていくのは珍しいんだそうですよ。
今年の夏は、皆さんご近所・親類に声かけあって、みんなで「盆おどり」を踊りましょう!!
→「祝島・盆くどき」へ
[2002年2月2日]
「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る。」と言いますが、早くも一月は行ってしまいましたね。国会では田中真紀子外相がなんだかつまらない理由で更迭され、相変わらず日本の政治のレベルの低さを見た気がします。
田中外相更迭の陰になった感じですが、大橋巨泉議員が辞職しました。確かに本人が言ってたように、民主党内で発言するより、フリーの立場で発言した方が影響力はあるかもしれません。大橋議員が辞職したことで、同じ民主党で次点だったツルネンマイテイ氏が当選ということになります。
ツルネン氏の居住する神奈川県以外の方にはあまり御馴染みではないかもしれませんが、僕は神奈川県に住んでいたので(氏の住んでいる湯河原と、僕の住んでいた小田原はとっても近いのです)、ツルネン氏には以前から注目していました。それは、彼が以前から「エコ社会の実現」という理念で活動し、日本の原発優遇政策に対して、かなり批判をしているからです。「原発の宣伝に使う金をすべて太陽光や風力発電の補助金に回したら、すぐに原発1基分くらいの電力は作れる。」という彼の意見には僕も同感です。ツルネン氏の今後の活躍に期待したいところです。
ツルネン氏のホームページを紹介しておきましょう。
ツルネンマイテイ http://homepage2.nifty.com/yugatsuru/
[2002年1月19日]
近々、田布施にもパソコン教室「ハッピーアイランド」をオープンすることが出来そうです。ただし、こちらはある会社の中なので、当面はそこの会社の常連客の皆さんが生徒さんで、誰でもという訳ではありません。
徳山教室、光教室(室積に借りているアパート)とあわせて3つのミニ教室を掛け持ちという形になります。教えるのは僕一人なので、体力勝負かもしれません(^^;。それぞれ生徒さんはやりたいことが違うので、こちらも勉強しないといけない場面も多そうです。他に、某メーカーから受託した仕事や、ホームページ制作代行などがあって、今年はなかなか忙しくなりそうです。願わくば、それがストレートに収入に反映されればいいのですが・・・。
そういえば、山口県内の同年代の人の平均年収はいくらくらいなんでしょうかね?会社を辞めた直後にハローワークで前の年収を話したら、「そんなにもらえるところはありませんよ!」と言っていたので、たぶん当時の年収よりは低いのでしょうが。自分としては当面の目標は500万ですね。ここまで行けば「おーい、お前も祝島に帰ってきて一緒にやらんか。結構なんとかなるぞ!」と声をかけることもできるんじゃないかと思います。
[2002年1月13日]
皆さん、明けましておめでとうございます。(少し遅くなりましたが...) 今年もよろしくお願いします。
年明け早々で恐縮ですが、宣伝をひとつ。昨日(1月12日付)の毎日新聞の連載記事に登場させていただきました。「これから 〜浮惑の時代に〜」という連載で、40歳前後の人たちの生き様を描いたものです。インターネットでも見られますので、見逃した方は、そちらでチェックしてみてください。
取材と記事を書いてくれた坂口さん、わざわざ東京から写真を撮りに祝島まで来てくれた内林さん、ご苦労様でした。
→毎日新聞の記事
ついでに宣伝をもう一つ。(^^; 徳山動物園から徒歩1〜2分のところに、パソコン教室「ハッピーアイランド」をオープンしましたので、お近くの方はぜひご利用ください。お待ちしています。尚、僕が常にいるわけではないので、まずは電話で予約してくださいね。
| ●祝島情報募集! |
| kunihiro@iwaishima.jp | |
| 郵 便 | 〒742-1401 山口県熊毛郡上関町祝島254-1 國弘 秀人 宛 |
