●上関原発へのご意見

<マコちゃんのママ>さんからのご意見 (2001/1/19)
 こんにちは、私は10ヶ月の子供を持つ主婦です。
 今日、二井知事はの提言文の下書きを書きました。主人に見てもらって明日にでも送るつもりです。
 私は山口生まれの山口育ち。大学も山口です。山口という田舎をこよなく愛してます。子供にもそうなって欲しい!原発の立地はその夢を打ち砕くものになってしまうでしょう。私の両親は、原発が立地されるのなら子供は産まないほうが幸せだろうと言いました。そろそろ老後を迎える両親、一生懸命山口県内で働いてきて、山口で子孫を残すことに不安を抱くほど、原発立地への反感と不信感を抱えているのです。
 とにかく、私もできる限り反対していくつもりです。原発の立地は絶対に認めません。山口県の環境と、今から生まれてくる子供たちの為に。


<新次郎>さんからのご意見 (2001/1/15)
 防府市在住の社会人です。私は月に2,3回上関町に遊びに出かけます。その場所はまさに今問題の焦点となっている、四代地区近辺です。
 大変主観的な意見で恥ずかしいのですが、私は魚釣りを趣味としているがために建設には反対なのです。上関は景色は素晴らしいし、大きな魚は釣れるし、自動車のセールスマンというストレスのたまる職業の私にとって、かけがえのない心の癒される場所なのです。もし原発ができたら怖くて近寄れません。建設は止めてください! 釣りのマナーは守っています(笑)。
 私は漁業補償やその他の問題については良く分かりませんが、推進派の皆さん、原発ができても上関町は活性化しませんよ。若い人が働く場所があるからといって戻ってきたりなんか絶対にしません。いろんな施設を作っても誰もあんな国道から遠く離れた場所にはくるはずがないでしょう。それに地域振興は先祖代代の土地や漁場を売ってまで原発に頼るものではない。交付金漬けの地域振興策なんて同じ山口県民として恥ずかしい限りですよ。本当に能力のある町長さんや、漁協の組合長さんたちならば、原発問題無しで立派な振興策を考えていただけるのではないでしょうか。建設計画が持ち上がって十何年の間、建設推進ばかり叫んで原発に頼らない振興策をやってきていないから、きっと原発無しでは何もできないのでしょうね。その空白の時間で上関はきっと取り残されてしまったのだと感じています。他県の過疎地域ではいろいろやっていますよね。さすがにツチノコは笑いましたけど、本当に村おこしをしたいのだなあという人々の気持ちはすごく良く伝わってきました。スナメリは上関だけにいるものではなく防府のほうにもやってきますが、遭遇する回数は圧倒的に上関です。その姿を見る度に「こいつらどうなるんだろう?」という想いが頭をよぎります。


<K>さんからのご意見 (2000/11/19)
 先日、宇部興産と外資系の企業が共同で、宇部市に4年後くらいをめどに火力発電所を建設する計画があるそうですが、自然豊かで、多くの人が反対している上関原発よりも、より安全性のある火力発電で十分なのではないでしょうか。山口県内に原発と、火力の大きな電力がどうしても必要とは思えません。
 上関には私の気に入っているレストラン瀬●●がありますが、原発が建設されれば、二度と行きません。それは、上関に行く度に放射能にあたる気がしますし、レストランで食事中に原発事後が起こらないとも限らないからです。
 どうか、私達の未来に不幸な事故を起こさないために、必要のない上関原発計画を直ちに、中止してください。


<海大好き>さんからのご意見 (2000/10/31)
 東京に住む学生です。この夏に祝島に行きました。海がきれいで魚が泳いでいたのが印象的でした。学校の授業で祝島の存在を知ったのですが、原発問題の舞台になっている上関、祝島がどういう所なのか実際に自分の目で確かめてみようと思い足を運びました。想像以上の自然の豊かさがそこにはありました。瀬戸内海は汚れているというイメージがあったせいかもしれませんが、きれいな海が残っているのも海を汚さない漁業を心がけている祝島を中心とした漁師さんたちのおかげなのだと思いました。
 しかし、そういった人達の気持ちをまったく無視する形で国や中電は原発を推し進めようとしています。東海村の事故や世界的な原発廃止の流れ、そういったことが全く活かされていないように思えます。自然を守り、そして、人間がよりよく生きられるよう原発反対運動を応援します。


<チビ猫>さんからのご意見 (2000/9/25)
 随分昔、私達の町にも原発問題が持ち上がりました。皆さんはご存知無いかも知れませんが、山口県は豊北町です。当時の町長や親戚がどのような扱いを現在でもされているのか。幸い豊北町は原発建設問題が立ち消えになりましたが、いまだに、中電の予定地になっているそうです。結局、中国電力が残した物は、当時、賛成派・反対派となってしまった地元民の間に、不信感を残してくれた事です。
 近年、各地で起きている原子力発電所問題や電力会社の対応を見て、当時、賛成派だった人達が反対派になっています。
 政府や中電には理解出来ないかもしれないが、必ず地元に憎しみ合いを各地で残している。私達はもう嫌なのです。地元同士でいがみ合うのは。それに、これは上関だけの問題じゃ無い事を知るべきです。
 現実的な事を言えば、今の日本に原発は必要でしょう。これだけ大量に電力を消費し続ければ。
しかし、その大半は都心部の消費です。なぜ都心部から離れた町が負担しなければならないのか。石原東京都知事も言われているように、本当に安全なら東京湾に作れるはずです。
 それと、日本全土に原発建設が進むと困るのは、国防省だそうです。今でも、手に負えないそうです。もし、全土の原発がテロリストに押さえられれば、打つ手無しとか。
 私達に出来る最大の手法は、節電です。今すぐ出来る節電です。山口県を日本で一番、消費電力の少ない県にしようじゃありませんか。


<miao>さんからのご意見 (2000/5/30)
 はじめまして。山口市の出身で、現在神奈川県に住む者です。
 本当は爽やかな季節というのに、最近は「中電が漁業補償金の半額支払い」「自民党調査会が中間報告で原発立地推進提唱」というニュースが続き、気分も落ち込み気味です。それにしても、今なお「原発立地推進」を唱える人には、1998年11月13日「電気事業審議会基本政策部会第5回専門委員会」においてなされた、中国電力の古川隆副社長の発言に、一度目を通していただきたいものです。
  
http://www.miti.go.jp/report-j/g81113nj.html
 この議事録は少々読みにくいのですが、フリーディスカッションでの古川氏の発言は、少なくとも私には「3大電力以外の会社では、今後も年間10〜20万KW程度の需要増加しか見込めない。このような状態では、たとえ電力自由化が無くても経営は苦しいのに、この上国策で原発を押しつけられたのではたまらない。どうしてもやらせるなら、国が面倒見てくれ。」と理解されます。
 電力会社は「企業」です。充分に採算がとれない状況では、何か不具合が起きても運転継続が優先されます(今まで起きた各地の事故が証明済みです)。仮に百歩譲って、原発が技術的に安全性を確保できるものになったとしても、経済的な裏付けがない限り、最終的に事故は無くならないと思うのですが…。
 現在地元にいない私が、外からあれこれ言うのは無礼なことと承知しておりますが、どうかお許しください。


<みかんのこ>さんからのご意見 (2000/1/18)
 はじめまして。私は平生に住む高校生です。上関原発の建設には反対しています。
 今、原発なんてものを建設しようとするなんて、よっぽど時代遅れもいいところだと思うのですが、いかがでしょうか。まだまだ勉強中で、高校生という立場ではありますが、そんな風に思います。
 原発については、いろいろな話を聞きますが、どれもさえないものです。上関の町長はたぬきだ、金をもらっているとか、自分は東京に家を買っているとか、右翼だ、左翼だ、原発があれば金が入るだ、子供の耳にも、こんな話が入ってくるのです。反対派の人々は、原発は日本を廃墟にする!だの、アメリカが余剰ウランのはけ口を求めているといい、勝利を戦いとりましょうと言います。私は、原発に反対していますが、そんな意見を聞くと、反対運動に参加することにためらいを感じます。はじめてインターネットで原発についてのホームページを見ましたが、自然を守り、ふるさとを守り、自分と子供たちの未来を守ろうという、こんなページに出会えてよかったと思います。
 私は、自然を守ること、そして、世界的にみて、原発はもう、エネルギーの供給源として認められなくなっていることから、建設を反対します。さらに、少子化で過疎化が進んでいる上関町から、自然がなくなり、危険な原発ができることは、決定的なダメージであると思います。たとえお金が入っても、町が豊かになるとはとても思えません。
 世界では、何の問題もなく使用されていた原発が、初めて政府の判断で廃止されるところすらでてきています。原発は間違いなく、未来のエネルギー供給源として認められなくなると思います。なぜなら、今まで不安定で、供給量が少ないとされてきた風力、太陽光発電の性能の改善により、供給源の役割を果たすようになってきたからです。もう、危険な原発を建てなくてもよくなる時代が来ます。・・・と、あたしは思うんですけど・・・。
 今、不況の中で一番売れている家は、ソーラー発電の家だそうです。長い目で見れば経済的で、環境問題にも貢献できます。発電機は小型化し、立派に家計に、環境に、優しい・・・。そのうち、遠い未来の話ではありますが、自分の電気は自分で、なんてことになるかもしれないなんて、思いませんか? もちろん、世界的にみると、とてもそんな風にはいきそうもありません。でも、豊かな日本だからできること、しなきゃいけないことがあると思うんです。
 聞いていただいて、ありがとうございました。これからも頑張ってください。


<匿名希望>さんからのご意見 (1999/12/13)
 私は祝島が大好きです。昔から夏は祝島に帰るのだけが、楽しみでした。おもしろい人たちばかりで本当に大好きな田舎です。これからも祝島の美しさを守りたい!原発絶対反対!


<渡邉 尚義>さんからのご意見 (1999/11/15)
 何処のホームページを開いても原発反対のオンパレードで、何か空しい気がします。
 原発は理屈では、放射能問題もあるし、経済効率も悪いし、最悪の有害設備であり、地球上から全廃した方が良いに決まっています。ただ私は原発推進派でもなければ反対派でもありません。非力で意志薄弱な現状妥協派というか、あきらめ派です。
日頃、賛成派、反対派双方に私が感じていた事を、この場をかりて問題提起をさせていただきます.
(1)電力会社および推進派へ
  ・多重防御機能等超安全な原発設備を、受益者負担の原則で、まず東京、大阪、名古屋等の大都市に設置し、他の模範を示す。さすれば立地に賛成な地域も出てくるかもしれません。いきなり過疎地は合理的でない。
(2)多くの反対派へ
  ・かりに全発電量の40%が原発分とすれば、毎日40%は電気を使わないこと。
  ・飽食と電気じゃぶじゃぶ使用に慣れきった大部分の日本人を説得できる現実的原発全廃案を提案いただくこと。私が調査した限りでは無害な発電設備は存在しません。反対だけ唱えるのは誰でもできます。


<41歳のサラリーマン>さんからのご意見 (1999/11/14)
 たまたま、家内のおばあちゃんが住む上関町のホームページを探していたらこのHPに行き当たりました。41歳の東京に住むサラリーマンです。
12−3年前、結婚して一度行ったことがあり、そのときには「原発をこんなきれいなところに作るなんて」と漠然と思ったことがありました。
 最近、異常気象、集中豪雨大規模な地震と矢継ぎ早に起きていますが、人間があまりにも自然の法則から離れて人間のことしか考えていない結果、地球が人類に対して「やってきたことが違いますよ」とメッセージを送ってきているように感じます。最近、風雲社発行の「混迷の星」 小松英星著を読んでますますその気持ちを深めております。
 原子力は、人類が発見したひとつですが、その本質を理解できないまま使用しています。その危険性について人類は全くの無知のまま使用していると言ってもいいかも知れません。手におえないものを見つけて、手におえないものであるという認識さえもないのです。まして原爆を落とされた日本で、日本人が原子力発電所を建設する矛盾にも気づいていません。日本人はまるで「バカは死ななきゃわからない」を超えて「死んでもわかない日本人」になってしまっています。
 「混迷の星」によると日本の電力供給における原発依存度は36%です。電力エネルギーだけを見ますと高い比率ですが、エネルギー全体からみると電力のほかに都市ガスやガソリンなどによるエネルギー利用もありますので、総エネルギーの原発依存度という視点で見ると12%程度です。つまり、日本全体が、12%エネルギーを節約すれば原発から離脱できます。
 東海村の事故の後で、もし日本人全体に「あなたは、同様の危険と隣り合わせで生活することと、12%あなたのエネルギー使用を節約して生活することをどちらを希望しますか?」と言う質問を投げかけたら、ほとんどの日本人は「12%節約する」と答えるはずです。
 なぜ、このような一般の日本人の感覚が世論として出ないのでしょうか?マスコミも政府も企業もみんなグルになって、「蓋をしてしまえ」という姿勢に一般人が気づかされていないようにも思えますし、もしくは「それよりも、人それぞれにもっと重要(だと思わされている)なことに追われて、そこまで考える余裕がない。」のでしょうか?
 この地球の歴史の中でわずか100年前後の間だけ生かされている私達ですが、直近の1000年をみても「無知な人類がわけのわからないいろいろな危険なものを発見し、その危険性を知らずにただ使ってきた1000年」に私には見えます。それも「便利だからの一言で」。
 一体、それが本当に必要なの?という議論は最近ではまったくなされていません。電力はその一例です。「電力会社は伸びて行く電力需要に答えるため」といいますが電力需要拡大を抑えるように日本を変革しようとはしません。「今後、もっと電力需要を増やすことをやりたかったら、この位お金がかかって国民の負担(税金)はこのくらいになります。そして自然破壊の犠牲はこのくらいです。(酸素供給量がこれくらい減ります。)。放射能のリスクを背負いながら生活することになります。どうですか?それでも電力需要、消費を増やす社会を選びますか?そもそも何のために電力消費を増やすのですか?増やしてどうなるのですか?」というような、単純なかつ本質的な議論ができる社会になぜ日本は(地球レベルでも同様)ならないのでしょうか?人類はいつから無知のまま傲慢になって、今後いつまでたっても「バカは死んでもわからない」状態から抜け出せないのでしょうか?


<tsubaki>さんからのご意見 (1999/10/11)
 私は上関原発には反対です。詳しく言えば、原発が建設されることによる自然破壊自体に猛反対なのです。日本全国がそうなのでしょうが、こと山口県は自然の摂理を無視し自然破壊としか言いようの無い施設が多すぎます。たとえば、河川の護岸工事が挙げられます。今まで、自然のままの魚などの生物が豊富にいた川の岸をコンクリートで固めて、そこに住む生物を死滅させて、裏では公共工事の名のもとで腐った政治家と金の事しか考えない土木業者が癒着するという、この自然破壊につながる低俗な悪循環に猛反対している。まさにこれが、私が原発に反対する理由です。私が、初めて上関原発問題を聞いた時に、今言った低俗な悪循環が裏で働いているに違いないと確信したのですが、間違いないようですね。また、こういった環境破壊に関する問題は、必ずといって良いほどこの様な低俗な悪循環が裏で働いているのが見られます。原発が建設されれば、スナメリ等の貴重な生物が影響を受けたり、死滅してしまう様な可能性はあることは間違いないでしょう。とにかく原発に限らず、山口県は土木と自然破壊の県と言っても過言ではないでしょう。
 最後に、片山町長をはじめとする原発推進派の人たちに一言。あなた達は、原発を本当に安全だと思いますか?もし本当にそう思うんだったら、何かあった時にどう責任を取るおつもりですか?よく馬鹿な政治家や公務員達が不祥をおこして辞任する(逃げる!)のが見られますが、もし、上関に原発が建設されて、今回の東海村のような事故が起こった時には、あなた達のような推進派が先頭を切って被爆するというのであれば、原発建設に賛成してやっても良いが。どうですか?責任を取って逃げるように辞任するよりは、ずっと道理にかなった責任のとり方でしょ!

<tsubaki>さんからのご意見(続) (1999/10/13)
 ご存知のように今日本各地で土木業者などの業者と政治家との癒着で、無意味で有害な自然破壊が繰り広げられています。ではなぜ、山口県が特に自然破壊が多いのかについてですが、例えば、私はアウトドアが好きで、よく山に行きます。これから山の木々が紅葉する季節に中国縦貫道の山口県と島根県の県境に行くと紅葉の美しさの違いが良くわかります。すなわち、山口県は植林された杉の木の数が多く、紅葉の季節になってもまったく紅葉することが無く紅葉の美しさなど皆無などに対して、島根県に入ると山々には天然林が多く紅葉の美しさに感動してしまいます。すなわち、山口県は「政治の県」といわれる様に、国の政策で山々の天然林が伐採され、杉の木を植えまくったからだと思います。よく行く山に数日前に行った時に、山口県を直撃した先日の台風で、人工的に杉が植えられた場所は土砂が崩れて林道がふさがれて、メチャクチャな状態になっていました。一方で、伐採されていない天然林のはえている場所はまったく変わっていませんでした。
 要するに、原発建設も同じようなことがいえるのだと思います。原発が建設されてしまい、もし何かあった時には、今言ったような「台風が過ぎた後の土砂崩れを起こした杉が植林された人工の森」のようになってしまうのです。また、そこに住む住民にも問題があるような気がしてなりません。お聞きになったことがあるかもしれませんが、山口県人は保守的であると言われます。私が今まで目にしてきた無意味で有害な自然破壊の裏にはこの保守的であるという県民性が悪影響している気がしてなりません。政治家の言うことはどんな事でも絶対であってそれに従ってしまう。自分達が住む場所の発展のためといって、貴重な自然を破壊し、意味の無い施設を作り、作ったのは良いがあまり人が利用しないため、その施設は放置されるに近い状態になる。逆に、よそからの人が多く利用すれば、ごみが増える等のトラブルが発生するし、その結果、今のせちがない時代に財産といっても良いような昔からある良い人間関係が壊されてしまう。今まで私は、そこに住む住民も参加して自然破壊を行うやり方に絶望し、”山口県はだめや。山口県は自然破壊の県やないか。”と確信していました。そんな折、上関原発の反対運動をテレビや新聞などで報道されるのを見て、原発建設に反対されている方々に関して驚いたのは、(良い意味で)山口県民らしくない所です。私の知る限りでは、あれほどまでに体を張って精力的に原発反対(自然破壊反対)を訴えかけるのを、今まで山口県内で見たことがありません。それ以来、山口県にも真剣に自分達のふるさとを本気で低俗な自然破壊から守ろうとする人々がいるんだな、と思い、少しはほっとしたのです。そういう意味で、私は、原発建設に反対されている方々に対して敬意を表します。


<sahara>さんからのご意見 (1999/10/8)
 原子力資料情報室のホームページからリンクしているうちに、このホームページにたどり着きました。
 5年ほど前に、珠洲で祝島漁協長の山戸貞夫さんにお会いしました。「今度、祝島に来て下さい」「はい、行きます」というやりとりがありながら、未だ祝島に行っていません。 昨年は、柳井にある母方の祖父の実家(琴泉酒造)までは行ったのですが、祝島に行く余裕がありませんでした。来年こそは、と思っています。
 僕はソフトウェア・エンジニアですが、原発は「必ず事故を起こす」はずです。なぜなら、ハードウェアが完璧で、手抜き工事が無く、運用も完璧であっても、原発制御用ソフトウェアの安全性が「絶対に」保証できないからです。「ソフトウェアの欠陥をかなり見つけることはできても、欠陥がないことは実用的な大きさのソフトウェアでは証明できない」ことが証明されているからです。
 最新のソフトウェア工学を使えば、かなりの程度危険性を減らすことはできますが、それでも万全ではありません。しかも、原発関連のソフトウェアにこのような最新技術を使っている兆候が無いのです!
 その上、現存の原発は、「ソフトウェアの欠陥」に至る前に、手抜き工事や手抜き運用で事故を重ねています。このままでは、原発による日本壊滅は近い。
 という話を、ドイツにいる友人の哲学者に力説して帰国すると、2日後に東海村の事故が起きました。
 せっかく「祝島の鯛はおいしい」のに、放射能で汚染するのはもったいないというのが、食い意地の張った僕の結論です。


<國弘 秀人>の意見 (1999/9/30)
 今日、茨城県東海村の核燃料工場で臨界事故が起こりました。核燃料製造過程で核分裂が起こり、制御できない状況になったわけです。事故発生から半日たった今も現場には近づけず、現場がどのような状態になっているかも把握できない状況です。事故現場の周囲10kmの住民は外出しないよう勧告が出されました。これだけの措置で果たして十分かどうかもまだわかっていません。
 この事故は改めて、原子力施設の危険性と、事故発生時にいかに広範囲に影響を与えるかを我々に示しました。半径10kmというと、上関原発予定地で同レベルの事故が起こったとすると、祝島はもちろん、上関町のほぼ全域がこの範囲に入ります。また、放射性物質は風に乗り、水に溶け込んで広がっていきますので、そのときの風向きや風の強さ、潮の流れなどによって、どの範囲まで影響が及ぶかは予測できません。
 このような危険性をもつ施設を補助金目当てに誘致するなどとといった施策(愚策)は、上関町の将来を考えれば、今すぐに白紙撤回すべきです。
 原発誘致で上関町が失うもの(既に失われたもの)は、
  ・原発誘致の話が出てからのゴタゴタによる上関町のイメージダウン
  ・住民同志の対立による地域社会の破壊
  ・自然環境の破壊
  ・安心して生活できる基盤の喪失(事故への不安感、魚介類をはじめとする日常の食物への放射能の影響への不安など)
  ・上関町の水産物・農産物の市場での価値
など、かけがえのないものばかりです。(特に、島民全体が仲良く助け合って生きていたあの暮らしは、お金をいくら積まれても失いたくなかったものです。)
 これに対して上関町が得るものは「一時的な補助金だけ」です。しかも、このお金ですら使い方を誤れば、いらない施設ばかり作って、その維持費用のために却って将来町の財政を圧迫するという結果を招きかねません。
 片山町長は「原発による恒久的な発展」を掲げていますが、こんなもので恒久的な発展ができるとはとても思えません。具体的な将来のビジョンも見えてきません。高齢化が進む中、上関町出身の若者に町に帰ってもらえるような施策こそ必要だと思いますが、原発誘致はむしろ若者に町に帰る気を無くさせるような施策だと思います。これ以上、片山町長が原発誘致に固執するのなら、なんとかして辞めてもらう方法を考えるしかないですね。(ちょっと過激ですが..)
 かつて、原子力施設の誘致で「日本一裕福な村」と言われた東海村は、今、「日本一危険な村」になっています。


<村岡 正司>さんからのご意見 (1999/5/17)
 私は祝島の出身です。原発建設に反対しています。
これまで多くの議論や報告がなされてきましたが、どうも私が一番憤慨していることに触れたものが見当たらないのです。
 これまでは大方が、環境影響評価と放射能汚染に対する危惧についてのことがらといってよいでしょう。そんなものは、原発が無いより有るほうが環境への悪影響も放射能汚染の危険性も高いにきまっています。しかし、だから反対と怒っているのではありません。
 中国電力が彼の地に原発建設を計画し、その準備に入ったその時点からの同社の姑息で尊大な進め方と、その降ってわいた話に飛びつき、たかり根性でしか町活性化のビジョンを持たない町政担当者についての怒り---これなのです。
 原発建設計画について中国電力からの最初の祝島へのアプローチは島選出の町議や島の有力者、実力者といわれる一部の人の抱き込みでした。ところが島のほとんどの意志は猛烈に建設を拒否しました。突き上げられてから島民全体への説明会を開いたりしても、一旦熱くなった頭で地球のエネルギー資源の問題だの電力供給事情だの環境への影響がどうだの、冷静な話し合いができる筈がありません。話を持って来る順番が間違っているのです。
 この島民への失礼と、町の受け入れを餌で釣るやりかたに憤慨しているのです。
 原発問題が起ってから祝島では、ごく少数の原発推進派の人たちが村八分という以上に孤立しています。都会にいるこの人たちの子供の多くはそうなってから、もう久しく祝島に帰っていません。都会にいて同窓会を開くにも、推進派の親を持つ同級生には案内不要というケースもあります。

 先般の中国電力による環境庁への原発環境レポートの内容は
   1.発電所の計画概要
   2.環境の現況
   3.環境保全のために講じようとする対策
   4.環境影響の予測および評価
   5.その他環境保全のために講じようとする措置
   6.総合評価
 となっていますが、中国電力が評価すべきことはそれだけではないでしょう。

 環境影響の予測といいますが、祝島では人間関係という一番大事な環境がとっくに破壊されているのです。のどかで、瀬戸内海に浮いた親切のかたまりのようだった私の故郷は、一番大事な心の環境を無惨に破壊されたのです。それは原発建設計画が、というより、計画を進める人たちの初期段階からの非礼が招いたのです。これを思う時、自分で、短絡的だ、感情的すぎると思いながらも、原発建設計画さえなければ、と呪いたくなります。
 中国電力はすでに破壊・汚染したこの祝島の悲惨な状況について、どう感じているのですか。故郷を昔のように回復させる方策を持っているのですか。すでに環境を破壊された者が諾を下すと思っているのですか。


<西村 啓二>さんからのご意見 (1998/9/28)
 私は、個人的に「反対」です。
 国の原子力政策に疑問点が多すぎ、全国に散在している原発の放射能処理問題にしても、未解決の部分が多すぎる。確かに、現在の文明に電気は必要なものである。しかし、末代まで付けを残すものに「YES」とは言えない。諸外国の「太陽光発電」「風力発電」「波力発電」「潮汐発電」「地熱発電」等の開発研究は多く見るが、我が国の電源政策には、困難を克服し電源コストを下げる工夫をしている気配が微塵も感じられない。電力会社のパンフを見ると、研究しているとの記述があるが、それはあくまでも、そのふりをしているとしか思えない。以前、電力会社の人が「我が国の原発は、安全です!」と言われているのをTVで見たことがある。それでは、なぜ送電コストの高くつく僻地へ原発を作るのか?大都市圏の火力発電所を原発にすれば、送電コストも安くつくのではないか?という疑問が新たに沸いてくるのは、私だけなのでしょうか。
 「これは上関の問題だ、他のものは口を出すな!」と言われたことがあります。でも、"上関だけ"の問題だと言う認識が、そもそもの間違いということに気がついていないことが問題である。上関の問題は、地球規模の問題であり、その地域の問題ではない!全人類の問題であることを認識し、自分の子、孫、曾孫に至るまで「私が決断したんだよ」と言える行いをして欲しい!


<村上 一好>さんからのご意見 (1998/6/17)
 今の世の中、電気が無いと生活できませんね、 その快適性まで否定する気はないのですが、それでも原子力でなければならない事の必然とは違うと思うのです。その時々の資源の状況によって発電の方法を選択するのは電力会社ですが、原子力発電以外の発電システムについて実用化に真剣に取り組んでいるかどうかは傍目から見ると?ですね(中電のパンフ)
 発電所は24H運転していますが、そこで働く人は超人なのでしょうか? キレイな女の人がパネルを監視している写真が手元の「エネルギア」と言う冊子に掲載されていて「ほんまかいな」と思うのです。3交代の24時間操業の現場にこんなキレイな所が有り、ボイラー給水の水質管理から排水の温度管理、放射能の管理、メカニックの管理までキチンと出来ているのであれば理想的なのですが、その割に原発のトラブルは多いようですね。ましてや、定期修理までキチンとできているのでしょうか。民間企業の電力会社に国の管理の及ぶ範囲には限界が有るでしょうし、形式的に基準をクリアしても果たしてそれが本当かどうか疑ってしまいます。民間の工場の現実を見ながら思います。
 多分、一時の交付金で過疎状態の解決は無理でしょうから、(なぜなら将来に渡ってそこに住む人が生活に安定感を感じる事が出来るからこそ定住するので)いま推進派を自任する人は極めて短い 自分か子供の代までの幸せを考えているのでしょう。交付金を受け続ける為には結局増設を続ける(受け入れる)以外に無いのも事実ですし、今の生活がそれによって成り立っているのであれば・・・
ただ、同じ瀬戸内海を前にして生きている私個人としては瀬戸内海のどの場所にも完璧に行政・企業も汚染について責任を持ち切れない(監督責任や人道的責任ではなく)営利目的の民間企業の「上関原発計画」には異議有りとしておきます。
 三石重油流出事件でさえ、汚染の範囲は行政の想定範囲を超えていた(当時)と言うのに・・・
 電力会社の安全管理の実状は解りませんが、運転員は人間ですから、人為的ミスは織り込んだ安全対策は取られていると思いつつ、新聞報道に「原因は操作ミス」と会社がわざわざ公表する所に電力会社の責任感の内身を見るようにも思うのです。
 電力会社の人で、我社は原子力発電に企業として(行政の指針以外にこれだけの事をしているから)理解されるだろうと云う所が有れば知りたいものです。


<中西 宣嘉>さんからのご意見 (1998/5/16)
 山口にいる友人から、祝島の原発のことをいろいろと聞いていました。原発誘致は、自然.環境破壊も深刻だけれども、それよりもその土地の民主主義を潰してしまい住民同士の連帯感を無くしてしまうことの方が厄介だと聞きました。国弘さんのページを読んでいて、そのことがよく理解できました。
 豊かな自然と暖かい人々の心が残る祝島を、大切にしていきたいものです。


<渡邊 睦子>さんからのご意見 (1997/10/20)
 こんにちは。私は川崎市在住の渡邊睦子(ちかこ)といいます。現在32歳です。柳井市出身で柳井高校時代には生物部の合宿で何回か夏の祝島を体験しました。卒業後岡山大にすすみました。知らぬ間に柳井に高い火力発電所の煙突が建っていました。
 今日、大学時代の先輩から、なつかしい岡山県牛窓町の「日本のエーゲ海」とも呼ばれる美しい海沿いに産業廃棄物処分場建設計画があることを聞き、ふと、わがふるさとの原発計画のゆくえが気になって、インターネットで検索していました。そこで国弘さんのホームページに出会いました。
 原発建設はもう避けようの無いところまで進んでいるのでしょうか? 上関は海がきれいで魚がおいしい、それだけしかないような、いい田舎だったのに、なんだか知らないうちに誰かの手で変えられていくのかな?と遠くからさびしく思いました。そして、都会への電力供給のために私の故郷が犠牲にされることに対しては怒りをおぼえます。私の母も姉の家族も柳井に住んでいます。事故が起きない保証はどこにもなく、事故が起きればより甚大な被害を受けるのは都会で電力を消費する我々ではなく、原発の近隣に住む年老いた母のほうなのです。署名などわれわれにできることはもう無いのでしょうか?
私はたとえどこに作られるものであれ、安全性の面からも核廃棄物の処理の面からも、原発建設には反対です。
 牛窓の産業廃棄物処分場建設についても都会に住む側の人間の無関心というエゴを感じます。先日ニュースステーションで柳井の美しい海岸沿いに、それと対照的に無数の朽ち果てたバスの廃車置き場があるという風景を放映していました。胸が痛みました。日本の美しい田舎はことごとく破壊されてしまいそうです。
牛窓の産業廃棄物処分場建設反対!のホームページがあるそうなのでよかったらごらんください。
  http://www.tky.3web.ne.jp/~junalino/usimado/


<北木 甚聡>さんからのご意見 (1997/9/9)
 私の出身地は、広島県の豊浜町豊島です。祝島とは直接関係ないのですが、母の田舎が上関町室津で、上関町には小学生の頃、よく行きました。上関周辺は良い漁場なので、上関町室津には、豊島から移り住んだ漁業者が多くいるようです。母から聞いた話ですが、その昔、豊島の皆伝馬船(かいでんばせん)を祝島に貸し出すために、町の青年団が祝島まで櫓をこいだことがあるそうです。
 話は、変わりますが以前、TVで神舞を開催した時に推進派(1割)を参加させず、神主様を外部から呼んだというのを見ました。悲しい話ですね。私は、原発賛成、反対どちらでもありません。私が祝島の住人や出身者だとしたら漁場を大切にしたいので反対すると思います。私が国全体のことを考える立ち場の人間だとしたら、代替えする場所がないかぎり賛成すると思います。


<後藤 拓>さんからのご意見 (1997/7/23)
 <栗原 純>さんのご意見(1997/7/7)を読み
 先日ラジオを聞いていたら、科学技術庁が発表した科学技術予測というものがあり、エイズウィルスなどの開発は何時頃できそうだというのを放送していた。どのような根拠で時期を決定しているのか知る由もないがその中で、太陽電池の低コスト化が確か2005年位だったと記憶している。
人間がこの地球上でいつまで生存しているか判らないが、太陽はまだ100万年のオーダーで現状維持していくそうなのでこれは石油・石炭等の化石エネルギーをほぼ使い切り原子力等に頼らざるを得ない状況になりつつある今、是非とも達成して欲しい技術である。
 これとは話題がそれてしまうが、私が日本の技術力をもって是非開発して欲しいと思うものに低コストの海水淡水化技術がある。実はもうかなりのところまであるらしいのだが、建設業界と癒着している上のほうでは毎年不要なダム建設費用を抑えようとはしないらしい。それで毎年水不足だと騒いでいるのだから、なんともばかげた話である。


<常識ある一国民>さんからのご意見 (1997/7/11)
 大切な、瀬戸内海を守って下さい。
瀬戸内海は、石油コンビナートで痛い目に逢っています。
将来、中国電力が再び同じ過ちを犯さない為にも、瀬戸内海内に原発を設置すべきではないのは、国民誰が考えても、常識のはずです。また,中電は、あってはなりませんが、もしもの事故発生があった場合、一民間企業が、その責(賠償責任)を負えるのでしょうか、そのようなリスクも考慮しての判断であるのでしょうか。疑問です。


<栗原 純>さんからのご意見 (1997/7/7)
 平成9年1月の総合エネルギー調査会原子力部会の中間報告によると、電力需要が今後も増えることや、現在運転中の原子力発電所の寿命等で、原子力発電所を建設せざるを得ない状況にあるということです。省エネルギー政策や、太陽エネルギー等の新エネルギーを考慮しても、原子力発電所の建設をしなければならないそうです。この報告書に疑問はありますが、電力需要が増えることは、否定できません。新エネルギーで、この電力需要に対応できればよいのですが、それぞれ問題があるようです。ソーラーは、電力需要の大きい夏場の日中にもっとも効率が良くなるので、全家庭の屋根に乗せることが出来れば、かなりの電力をまかなうことが出来ると思います。しかし、コストがかかるため、普及していません。地熱・風力は、発電量が小さいためあまり期待できません。また、理想的な発電として期待されていた核融合発電も、工学系の友人に聞くと、実現は難しい上、以外に放射線が多く、大学の教授の間では、禁句になってきているそうです。そのかわりに、超伝導技術の方は、期待できるそうです。これが実現すれば、蓄電が可能になります。ただ、これもいつ実現するか・・・
というわけで、電力需要の観点から建設せざるをえない状況があります。
しかし、今回の原子力施設のあいつぐ事故から安全性に疑問があります。また、東海村の事故で、廃棄物の処理体制に余裕がないことが明らかになりました。高レベル放射能廃棄物の処分場の操業も2030年から2040年の中ごろの予定と、処理体制に問題があり、今建設すべきではないと考えられます。
上関も純粋に原発問題のみで議論されれば、巻町のように反対の立場になると思います。原子力にかわる、効率の良い大規模な発電ができない限り、建設するほかないというのが、反対派の苦しい所ですが、ソーラー等の普及の努力を最大限行なって欲しいものです。

 ※栗原さんは大学で上関原発問題についてのレポートを書かれたとのことで、そのときに調査された内容と、電力政策に対するご意見としてこのメールを送っていただきました。



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