祝島の見どころ  

このコーナーでは、祝島観光の見どころをご紹介します。

「祝島観光案内所」のページも、ぜひご覧ください。

◎石積みの練塀

 祝島を訪れた方が、まず目にする祝島らしいものと言えば、「石積みの練塀」です。祝島では単に「ねりへい」と呼びます。島内ではいたる所で見ることができますが、じつは、国内の他の地域ではほとんど見られないとても珍しいものです。
 「石積みの練塀」は、練った土と石を交互に積み上げていき、表面を漆喰で固めて造ります。塀の厚さは約50センチあり、強風にも耐えられるようにどっしりとしています。その名の通り、塀になっているものもあれば、家屋の外壁を兼ねているものもあります。上部には必ず瓦屋根が付けられており、塀の内部に雨水が入り込まないようになっています。練塀に使われている石は、島の海岸にふんだんに転がっている石を使っているため、カドがとれて丸くなったものが多いです。一方、山の段々畑の石垣は、山を掘って出てきた石を使っているため、角ばったものが多いのが特徴です。
 祝島は台風や冬の季節風が非常に強く、その強風から家を守るために「練塀」が造られたと言われています。また、狭い土地に肩を寄せ合うように隣接している家々の防火の役目も果たしています。
 練塀に挟まれた細い路地、そこをゆっくり歩くお年寄り、時折顔をのぞかせる島ネコ・・・祝島らしい景観に「練塀」は欠かせません。漆喰からさまざまな形の石が顔を出し、一つ一つの練塀がユニークな表情を持っています。天候や時刻、太陽の光の当たり具合によっても、その表情が変わり、写真を撮られる方や、絵を描かれる方にはとても人気があります。

(祝島ネット21会報 40号より)


◎平さんの棚田

 祝島の集落から徒歩で約1時間、眼下に伊予灘を見おろす山の斜面に「平さんの棚田」はあります。一段の高さが最大で9mにもおよぶ巨大な石垣が築かれ、まるで城壁のようにそびえる三段の棚田が造られています。この棚田で50年以上お米を作り続けておられるのは、平萬次さん(80歳)。今も、毎日のようにテーラー(耕運機の後ろに荷台を牽引した乗り物)に乗って、この棚田に通い、農作業をされています。
 萬次さんの祖父・亀次郎さんは「コメさえあれば人間は生きていける。子孫が食べていくのに困らないように」と、大正時代の終わり頃、まだ原野だったこの地を開拓し、棚田を造り始めました。急な斜面でしたが「将来は米作りも機械化される時代が来る」と予測し、機械が入れるようにできるだけ広い田を作ろうと考えたそうです。斜面に広い田を造るには、必然的に高い石垣を築かなければなりません。まだ重機も無い時代、大きいものでは直径が1m以上もある石をテコを使って人力で一つ一つ動かしながら、30年間家族だけでコツコツと積み上げて現在の棚田が出来ました。萬次さんも中学生の頃から、その作業を手伝っていたそうです。
 今も使われている作業小屋は、亀次郎さんが松を切り出して自力で組み上げたもの。棚田を築いていたときはここに寝泊まりして作業されたようです。亀次郎さんは学校に行っていなかったため、読み書きはできませんでしたが、少年の頃から石工として働き、さまざまな技術を身に付けていたそうです。そんな亀次郎さんのために、萬次さんは夜になると、カンテラの灯りで「宮本武蔵」などの本を読み聞かせてあげたそうで、亀次郎さんは、それを何より楽しみにしていたようです。
 10年ほど前に新聞で棚田が紹介され、その後、テレビや映画でも取り上げられて、全国的に知られるようになりました。今、「平さんの棚田」には、全国から多くの人が訪ねて来られます。萬次さんは訪ねてきた人に出会うと、農作業の手を休め、丁寧に棚田の説明をしてくださいます。そして、「この何もない原野に棚田を作ろうと発想し、それを貫いたおじいさんの信念はすごいと思う。人間はやる気にさえなれば何でもできる。この棚田を見た若い人たちには、『がんばる力』を感じて欲しい。」とお話されています。
 萬次さんは、数年前に祖父の言葉を棚田の傍の石に刻みました。そこには次のように刻まれています。
 「今日もまた、つもりし雪を かきわけて 子孫のために ほるぞ うれしき」 亀次郎

(祝島ネット21会報 42号より)



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